豊茂乙地区は、大洲市役所の西北西約10kmのところの山の中です
出石寺から出石山登山口のある郷の峠へ戻って来ました
峠の丁字路(大洲市と八幡浜市の境)を鋭角に右(北:長浜方面)へ、坂道を下って行きます

約1.6kmヘアピンカーブの内側に「米軍飛行艇遭難慰霊碑」があり星条旗と日章旗が掲げられています
前の広場に
車を止めさせて頂きました

慰霊碑表て面です
米軍飛行艇遭難
慰霊碑
PLANE CRASH MEMORIAL
Crew: 乗組員
LT Howard L. "Sam" Cornish. PPC,
LTJG Steven Arthur Dobbins,
LTJG Donald E.Richardson,
ENS Wayne Grogan,
LT Ebbie Wells,
ADC Lee Ladd,
AD2 George J. Brambinck.
AD3 John Edward Meriwether,
AL2 William Morrison Grayson,
AL3 Joseph Arnold Hall Jr,
AO 3 Davis Mawney,
AN Roscoe Bence,
AN L, Lowell,
AN George A, Murray Jr,
* アメリカ海軍の階級では、LTは大尉、LTJGは中尉、ENSは少尉、ADはエンジン整備員?、となってるようですが、それ以下は分かりませんでした。

裏面です
米軍飛行艇墜落跡
この地に、昭和27年(西暦1952年)8月8日午前2時15分、米軍双発飛行艇が濃霧により山腹に激突し炎上、乗組員14名全員が死亡した。
その時、金山出石寺の執事、菅弘宣師が仮の仏壇を造り冥福を祈った。
私たちは、この惨事を碑に刻し、末永く霊を慰めるものである。
平成21年(西暦2009年)4月建立 発起人 寺田照夫
(寄付者名 略)
乗組員名簿提供者 在日米海軍司令部
*フィリピンから飛び立ち米軍岩国基地へと向かっていたアメリカ軍の双発飛行艇が折からの濃霧によって迷い、出石山の大洲市豊茂側中腹付近にて墜落事故を起こし、全員の死亡という悲惨な結果となり、その処理と慰霊に付近の豊茂郷集落の人々が力を尽くした。
発起人の消防団員だった寺田さんは、山火事を警戒し、消火活動で事故現場に急行。
真っ黒こげになった遺体の散乱を目撃した。寺田さんは「パラシュートの梱包をほどき、遺体にかけて花を添えた」と、その後、住民らは事故現場に墓標を建てたものの、草木に覆われてしまった。
鉱山夫だった寺田さんの父親は「殉職者を慰めるため慰霊碑を建てたい。1人でもやりたいが、大勢の支えがあった方が皆のために良い。浄財を集めるように」との遺言を残していた。
機が熟し、賛同者は50人以上集まり、平成21年に御影石の「米軍飛行艇遭難慰霊碑」が完成し、岩国基地を臨む形で建てられている。
*この事故の遺族、キャサリン・リチャードソン・マクマケンさん(64)は2年前にネットで慰霊碑の存在を知り、お礼を伝えるため今回初めて来日。生後4カ月の時に海軍パイロットだった父のドナルド・リチャードソンさんを失ったため、生前の父には一度も会った記憶がないという。
慰霊碑を前に、マクマケンさんは「国境を越え、これだけ敬意をもって親切にしていただき、感激しました」と住民らに感謝を伝えた。(以上産経新聞とウィキペディアからの抜粋です)
小さな石碑は、米軍飛行艇遭難60年忌慰霊祭記念碑です
在日米海軍司令官ダン・クロイド少将を迎えて挙行される
平成24年8月5日 主催 慰霊碑保存会・後援 大洲市
では、次へ行きましょう

2025・4・12・12・15
出石寺から出石山登山口のある郷の峠へ戻って来ました
峠の丁字路(大洲市と八幡浜市の境)を鋭角に右(北:長浜方面)へ、坂道を下って行きます

約1.6kmヘアピンカーブの内側に「米軍飛行艇遭難慰霊碑」があり星条旗と日章旗が掲げられています

前の広場に


慰霊碑表て面です
米軍飛行艇遭難
慰霊碑
PLANE CRASH MEMORIAL
Crew: 乗組員
LT Howard L. "Sam" Cornish. PPC,
LTJG Steven Arthur Dobbins,
LTJG Donald E.Richardson,
ENS Wayne Grogan,
LT Ebbie Wells,
ADC Lee Ladd,
AD2 George J. Brambinck.
AD3 John Edward Meriwether,
AL2 William Morrison Grayson,
AL3 Joseph Arnold Hall Jr,
AO 3 Davis Mawney,
AN Roscoe Bence,
AN L, Lowell,
AN George A, Murray Jr,
* アメリカ海軍の階級では、LTは大尉、LTJGは中尉、ENSは少尉、ADはエンジン整備員?、となってるようですが、それ以下は分かりませんでした。

裏面です
米軍飛行艇墜落跡
この地に、昭和27年(西暦1952年)8月8日午前2時15分、米軍双発飛行艇が濃霧により山腹に激突し炎上、乗組員14名全員が死亡した。
その時、金山出石寺の執事、菅弘宣師が仮の仏壇を造り冥福を祈った。
私たちは、この惨事を碑に刻し、末永く霊を慰めるものである。
平成21年(西暦2009年)4月建立 発起人 寺田照夫
(寄付者名 略)
乗組員名簿提供者 在日米海軍司令部
*フィリピンから飛び立ち米軍岩国基地へと向かっていたアメリカ軍の双発飛行艇が折からの濃霧によって迷い、出石山の大洲市豊茂側中腹付近にて墜落事故を起こし、全員の死亡という悲惨な結果となり、その処理と慰霊に付近の豊茂郷集落の人々が力を尽くした。
発起人の消防団員だった寺田さんは、山火事を警戒し、消火活動で事故現場に急行。
真っ黒こげになった遺体の散乱を目撃した。寺田さんは「パラシュートの梱包をほどき、遺体にかけて花を添えた」と、その後、住民らは事故現場に墓標を建てたものの、草木に覆われてしまった。
鉱山夫だった寺田さんの父親は「殉職者を慰めるため慰霊碑を建てたい。1人でもやりたいが、大勢の支えがあった方が皆のために良い。浄財を集めるように」との遺言を残していた。
機が熟し、賛同者は50人以上集まり、平成21年に御影石の「米軍飛行艇遭難慰霊碑」が完成し、岩国基地を臨む形で建てられている。
*この事故の遺族、キャサリン・リチャードソン・マクマケンさん(64)は2年前にネットで慰霊碑の存在を知り、お礼を伝えるため今回初めて来日。生後4カ月の時に海軍パイロットだった父のドナルド・リチャードソンさんを失ったため、生前の父には一度も会った記憶がないという。
慰霊碑を前に、マクマケンさんは「国境を越え、これだけ敬意をもって親切にしていただき、感激しました」と住民らに感謝を伝えた。(以上産経新聞とウィキペディアからの抜粋です)

小さな石碑は、米軍飛行艇遭難60年忌慰霊祭記念碑です
在日米海軍司令官ダン・クロイド少将を迎えて挙行される
平成24年8月5日 主催 慰霊碑保存会・後援 大洲市
では、次へ行きましょう


2025・4・12・12・15