ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岐阜県高山市、上宝町宮原「栗原神社の杉」(市指定)です!!

2024-06-13 18:35:00 | 巨樹・大木
 上宝町宮原地区は、高山市役所の北東約16km、高山市役所上宝支所のすぐ東側約1kmの地区です

 高山市役所上宝支所東側の県道76号国府見座線を北東へ河岸段丘面を進み、坂道を下って行きます

 大きく左にカーブした所に「奥飛騨温泉郷⇒16km」の標識の先に「宮原バス停」が在ります 

 右(東)へ入ると

 南東向きの栗原神社参道入口です

 戻って西側の宮原バス停の広場に車を止めさせて頂きました

 栗原神社の社號標です

 左側には郷社の石碑です

 手水舎です

 祓戸です

 境内社です

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 本殿東側に目的のスギです

 東側から

 説明版です
   高山市指定天然記念物
     栗原神社のスギ
   指定年月日 昭和49年7月3日
   所在地   上宝町宮原
   所有者・管理者 栗原神社
 宮原栗原神社境内にあり、古くから地元の御神木としてあがめられてきた。
 見座・宮原・在家と続く河岸段丘の中間地形の中央部に位置し、本殿・拝殿・社務所・倉庫の間にスギ・サクラ等二十数本が育成し社叢林を形成している中で一際そそり立つ姿は威厳がある。
 主幹より大枝4本いずれも枝分かれしてのち垂直に育成し、副樹幹的な役割をしている。
 枝葉は大きく四方に広がり均整のとれた樹冠をなしている。
 目通り6.2m・根元周囲9.7m・樹高47・5m・枝下高9mで、樹齢約400年と推定される。

 もう一枚には、落雷火災について記されています
   栗原神社大杉の一部伐採について
 令和5年(2023)8月20日 午後5時41分 落雷により大杉の火災が発生した。
 火災の発生後の懸命の消火活動により約24時間燃え続けた後翼21日の夕方に鎮火に至った。
 しかしこの状態では秋の台風の時期、冬の積雪などにより本殿建物に被害を及ぼすことが懸念された為、氏子による協議の結果、損傷した部分を一部伐採し更に残り部分の延命処置を行うことで、今後に於いても高山市指定の天然記念物として保存して行くことにした。
    令和5年9月  栗原神社氏子総代

 北東側から、頂部が焼けています

 北側から、頂上の枝は枯れたまま残っています

 *幹の内部も燃えているようですので、今後も天然記念物として保護して行ってもらえる事を望みます

 では、次へ行きましょう


 2024・5・16・14・10
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岐阜県高山市、奥飛騨温泉郷村上「村上神社の杉」(市指定)です!!

2024-06-13 06:34:00 | 巨樹・大木
 奥飛騨温泉郷村上地区は、高山市役所の約km、高山市役所 上宝支所の東南東約16kmのところ

 高山市役所上宝支所奥飛騨市民サービスコーナーのある所です

 国道471号線沿いの「Aコープ 奥ひだ店」の駐車場に車を止めさせて頂きました

 Aコープ 奥ひだ店の北側に村上神社が南向きに鎮座します

 村上神社の社號標です

 手水舎です

 手水舎脇に目的のスギです

 説明版です
   高山市指定天然記念物
     村上神社のスギ
   指定年月日  昭和49年7月3日
   所在地    奥飛騨温泉郷村上29番地
   所有者・管理者 村上神社
 本殿・手洗場・灯籠・狛犬等に囲まれた神社境内のほぼ中央にある。
 樹勢は盛んで、枝葉を大きく四方に広げ比較的均整のとれた樹冠をなしている。
 目通りは5.55mで、樹高は37.1m、樹齢は約600年といわれている。

 南側から

 南西側から、注連縄が巻かれた御神木です

 北西側から

 東側参道から見ました

 拝殿です

 説明版です
   村上神社の由来
 鎮座地 福知字山サキ146番地1
 銀弊社(旧社格 村社)
 1、祭神 村上天皇・長慶天皇(後の寛成親王)・天照皇大神・伊邪那美命・大山祇神・伊邪那岐命・菊理姫命・南方刀美命・伊須流岐彦命・奥津彦神・奥津姫神・家津御子神・速玉之男神・姫神・熊野久須美神・武甕槌神・経津主神・天児屋根命
 1、由緒 創立年代は不詳である。
    古老に伝える所によると、弘和年間(1381~1383)
    当地の住人、今見右ェ門の祖先今宮氏が住民と共に高原川河畔の丸山(みかど山)に神社を創建し祖霊村上天皇を御祭神と仰ぎ奉斎した。
    奥宮に設けられている奥津城は、五輪の塔らしきもの1基、燈籠一対があるが「貴人の塔」と言い伝えて崇られてきた。
    当神社はまた「寛成親王・(長慶天皇)」の御廟であるとの古文書も蔵し、御祭神として奉祀されているが、いつころのものなのか詳らかでない。
 1、元禄 7年(1694)検地境内除地2反5畝歩
 1、明治40年(1907)4月30日 12集落の12社を合社し、御祭神を合祀した。
 1、明治41年(1908)2月26日、神撰弊皇料共進神社及び会計規定適用神社に指定された。
 1、昭和33年(1958)1月30日、銀弊社に指定された。
 1、昭和55年(1980)8月30日、平湯神明神社を分祀する。
 1、宝物 鶏芸打(県・市指定重要文化財)・十一面観音像(円空作・市指定文化財)・古銭(銀)・江馬公文書・鰐口1個・鑑1具・神像9躯(木造)・古記録・村上天皇血脈1通(元禄元年(1559)23回忌)・村上御本地(写1通)・御陵墓記・長慶天皇記扁額
 1.祭祀 例祭 5月10日 重要文化財の鶏芸打(福地)が奉納される。秋例祭 11月7日。
       令和2年7月吉日書 

 本殿です

 宝篋印塔が並ぶのは「寛成親王(長慶天皇)御陵」です

 境内東端には神馬殿です

 すぐ北側には蕃隆塔です

 説明版です
   播隆塔
 文政6年(1823年)、迦多賀嶽(笠ヶ岳)を再興した播隆は、翌7年登拝道に一里塚を安置しつつ、吹田屋弥三朗の寄進する阿弥陀仏銅像を奉持して実に66人の集団登拝を行なった。
 播隆はその後、槍ヶ岳を開山するが、その業績は山岳史上に刻まれた一大偉業と賞されている。
 笠ヶ岳山頂に安置されていた阿弥陀仏銅像は、昭和38年、ここに移されケルンに鎮座された。
 播隆上人(1782年~1840年)
 *播隆上人については、新田次郎「槍ヶ岳開山」に詳しく書かれています、小説の中では重い鉄の鎖を岩に架け、誰でも登頂を可能にし、ブロッケン現象に人生を見ると言った物語に成っています。

 播隆塔前からスギを見ました

 では、Aコープ 奥ひだ店でお弁当を買って遅めの昼食として、次へ行きましょう

 2024・5・16・13・35
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