ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県長野市、篠ノ井塩崎「上町の大ケヤキ」です!!

2021-06-30 06:27:00 | 巨樹・大木
 篠ノ井塩崎地区は、長野市役所の南西約13kmのところ

 JR篠ノ井線いなりやま駅の東側にあたります、駅前から東に伸びる県道77号(旧道)線の突き当らに塩崎小学校が有ります

 小学校入口から県道を外れて南へ進むと集落を貫けた道路右手にケヤキの巨木が在ります、上町は字名です。

 道路脇に車を止めさせて頂きました



集落の南に伸びる道路脇に目的のケヤキが見えて来ました

道路左側には神社の幟のポールが立っています、神社の境内のようです

北側の広場入口から見ました

公園状の広場には東向きに祠や石灯篭、石塔が並びます

(石の祠は小田井神社だそうです)


北側から

北西側から

西側から、目通り幹囲9.0mの巨木です


東側から、大きな洞が出来ています

では、次へ行きましょう
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長野県千曲市、稲荷山「極楽寺のケヤキ」です!!

2021-06-28 06:32:34 | 巨樹・大木
 稲荷山地区は、千曲市役所の西約2kmの千曲川左岸です

 国道403号線をにしへ千曲川を千曲橋で渡ると、二つ目の信号が稲荷山です、信号を左(南)へ入ると県道77号線沿いの商店街の中に西向きの極楽寺参道が出ています

駐車場は国道沿いに有って数台止められます


参道入口です

浄土宗光吸山極楽寺です

参道入口の「蛇枕石」です
 昔、篠山の雨池に大蛇が昼寝のとき枕にしていた石です。
 日焼けで困る里人はこの石に縄をかけて雨乞いをすると必ず「おしめり」があったという。
 ある干ばつの年あまり動かしすぎたため大蛇がいかり大雨となり、「かに澤」「荏澤」が大洪水となって、小坂、元町の家や畑が押し流された。
 蛇枕石ここに流されたのです。
桑原村史「信濃の民話」より



六地蔵様です

山門です、山門を入った右に目的のケヤキが見えています

本堂です

山門下から目的のケヤキです

北側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

本堂前(北東側)から

東側から見上げました

南西側から

境内南側の鐘楼です

説明版です
  極楽寺鐘楼(袴腰の鐘楼)
 当寺は天正11年(1583年)稲荷山城築城の折、鬼門除けとして五日町(現中町)に小坂山浄土屋敷より移る。
 寛永14年(1637年)の水害により流失、その後八日町に移築
 寛永19年(1642年)再建なる。
 鐘楼は二間四方の美しい姿を残している。鐘は、昭和18年供出昭和39年再調する。
  町内最大の建造物

本堂前右手の法然上人像です

では、次へ行きましょう
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長野県千曲市、寂蒔「天皇子神社のケヤキ4本」(市指定・保存樹木)です!!

2021-06-27 06:20:01 | 巨樹・大木
 寂蒔地区は、千曲市役所の南東約3kmのところ

 国道18号線沿いの東側に千曲市立埴生小学校が有ります、そこから南に三本目の道路を東へ入ると、天皇子神社が南南東向きに鎮座します

 国道18号線に平行する旧北国街道(神社の東側)の道路脇に車を止めさせて頂きました


境内入口です、鳥居両側にケヤキの巨木が並びます


天皇子神社です

説明版です
  天皇子神社
 御祭神・正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかあかつかちはやひあまのおしほみのみこと)、伊登志和気命(いとしわけのみこと)
〔正哉吾勝勝速日天忍穂耳命は、天照大神と素戔嗚の誓約で素戔嗚が天照大神の身につけていた珠を物実として生み出され、天照大神の子となった五柱の男神の第一だそうです〕
 当社の祭神は第11代垂仁天皇の第14王子鳥取の王子と言われた「伊登志和気命」であり、境内にはこの地においてお亡くなりになられた命の御陵墓でもあります。その斎場に「正哉吾勝勝速日天忍穂耳命」を併せてお祭り申し上げ、古くは「王子の宮」「王子の神社」「王子大明神」とも称されておりました。
 文政10年(1827年)に天皇子神社の社号を受け社紋には菊の御紋章が使われております。
 かつては、春秋の例祭の外に、「王子守祭」が行なわれ、選ばれた王子守のもと、近郷からねり物が出される等、格式の高い盛大な祭りが行なわれました。今でも秋の例祭の行列には「御陵祭」と書かれた御旗が加わり、往時が偲ばれます。
 氏子が寄せる崇敬の祭は、脈々と受け継がれていると共に、千古の歴史を物語るけやきの巨木は、如実に古社の風を呈しています。
 


説明版です
 千曲市指定天然記念物
   天皇子神社のケヤキ(あまおうじじんじゃ)
指定 平成24年6月6日
 ケヤキの語源は、「「けやけき木」で、特にきわだつ木、顕著な木に由来するという。
 その材質は、ち密で強く、くるいも少ない。さらに、木目も美しく大材となるので、神社や寺院などの建材に使われてきた。
 長野県内には、目通り周囲8m以上のケヤキの巨木が十数本あり、最大は12mに達する。
 このケヤキは数少ない巨木の一本で、地上約5mで主幹を欠くが、2本の大枝を伸ばしている。目通り8.7m、樹高26mに達する地域の名木である。
 天皇子神社
 千曲市教育委員会



鳥居右側(東)のケヤキ、こちらが目的の巨木です

保存樹番号23号です、平成6年1月7日指定で、まずはこのケヤキが市の天然記念物指定されています

鳥居左側(西)のケヤキです

保存樹木番号64号です、平成29年3月3日指定は次とその次も一緒ですね

境内に入ると正面に社殿です

本殿は小さな覆屋の中のようです

社殿の左側(西)のケヤキの大木です

保存樹木番号65号です

社殿右側(東)のケヤキの大木です

保存樹木番号66号です

南側の道路から見ました

社殿前から、23号のケヤキです、目通り幹囲8.7mの巨木です

西側から

社殿前から64号のケヤキです

西側から65号のケヤキです

では、次へ行きましょう


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長野県千曲市、内川「安国御名方神社のケヤキ」です!!

2021-06-26 06:29:30 | 巨樹・大木
 内川地区は、千曲市役所の南南東約4kmのところ

 国道18号線と県道338号線の交差点が「内川」信号です

 一つ手前(北側)の交差点を西に入って細い道路を道なりに進むと参道入口です

 車を止める所が無いので、神社境内西側のスーパーマーケットの駐車場に車を止めさせて頂きました


参道入口です

安国御名方神社です

長い参道を進むと鳥居です

正面に社殿です

本殿は覆屋の中です

境内参道右手に目的のケヤキです

西側から、目通り幹囲5.9mの巨木です

北側から見上げました

東側から

宝物庫脇のケヤキの大木です

社殿東側の境内社の粟嶋神社です

境内社の祠が並びます

社殿の西側の境内社です


境内南西側には石塔が並びます

道祖神の祠や石塔です

鳥居西側の境内社です

では、次へ行きましょう
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長野県千曲市、戸倉字宮坂「柏王神社と柏王の大カシワ」(市指定)です!!

2021-06-25 06:24:00 | 巨樹・大木
 戸倉字宮坂地区は、千曲市役所の南東約6kmのところ

 国道18号線の消防屯所のところから東へ入ります、しなの鉄道とくら駅の南3つ目の踏切りを渡ると正面河岸段丘崖に神社の屋根が見えて来ます

 神社境内に車を止める事ができました


参道を進みます

境内です

柏王神社説明版です
   柏王神社
 延喜式外社、主神が伊弉冉命(いざなみのみこと)相殿を相良親王として1300年代に創建された。
 柏王の柏は、諸説ありますが、あたり一面に柏の木があったからと言われている。
 柏王(かいおう)というのは信濃宮と呼ばれた後醍醐天皇の皇子宗良(むねなが)親王のことで、南朝軍を率いて越後・信濃を転戦したが、この地で病にかかりお薬師様に髻(もとーどり=髪を頭の上に集めて束ねた所)を供物し祈ったところ全快し、その髻を埋めた塚があります。
  宗良親王:【1311~1385】後醍醐天皇の皇子。名は「むねよし」とも。
 氏子総代


北側の薬師堂です

傍らの石碑です

戸倉町指定文化財説明版です



石段左の境内社は「青麻大権現」です

鳥居の額です

拝殿です

本殿は河岸段丘斜面上に建てられています

拝殿北側の養蚕社です

拝殿南側のケヤキの大木です

では、「柏王の大カシワ」に行きましょう

最初の写真の所に戻って北へ進むと

案内板が有ります

ここから「柏王の大カシワ900m」です

赤い案内板に従って登って行きます

ここは上の道ですね

千曲川河岸段丘の崖をトラバースするように緩く登ります

崖の石を積んだ石垣が続いています、歩きやすい山道です

倒木が山道を塞いでいますが下を潜れました、この附近から山道をイノシシが荒らしていて歩きずらくなります

山道が折り返すと

足元の枯葉にカシワが目立ちます

次の折り返しの手前から斜面上に目的のカシワの黒い幹が見えました

一段下から見上げました

根元の高さに上がって来ました

説明版です
 戸倉町指定文化財(天然記念物)
1、名称  柏王の大カシワ
1、所在地 戸倉町大字戸倉字宮坂878番地のイ
1、指定年月日 平成10年3月26日
1、指定の理由
 この大カシワは、県下でもまれにみる大樹であり、県天然記念物の松代の象山のカシワにも匹敵するものである。また山の神の御神木としても柏王区民から大切に守られてきており、交通手段を徒歩に頼った時代には、森・倉科方面へ山路を通う旅人の憩いの場の名木ともなっていた。
1、概要
 幹囲 根元4.7m
 樹高  12.0m
 枝張り 15m四方
 樹齢 推定約300年
  戸倉町教育委員会

南側から

北側から

山の神の祠のようです


西側から

北側からもう一枚

では、山道を下って次へ行きましょう
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長野県坂城町、南条「会地早雄神社のケヤキ」です!!

2021-06-24 06:26:00 | 巨樹・大木
 南条地区は、坂城町役場の南南東約4kmのところ

 南に向かっていた国道18号線が千曲川と東側の山地の間の一番狭くなった所で南東に向を変えるところが鼠集落です(右手を国道18号線が通っています、北国街道沿いはバラが満開でした)

 説明版です
  北国街道鼠宿跡
 ここ鼠宿は、北国街道の上田宿と坂本宿の間宿であった。
 真田氏は元和8年(1622)上田から松代に移ると、当時南条村と称していた金井村以南の地を鼠宿村と改め、能9年鼠宿村の北部と金井村の南部を合せて新たに新地村を作ると共に、鼠宿・新地両村の共同経営とする「鼠宿」の宿場造成に着手した。
 上田・坂本の両宿は幕府公認の本宿で、鼠宿は、松代藩が設けた私宿であった。
 藩主の参勤交代・領内見分、藩士の日常出張等の際の宿泊・休憩の接待や、藩の荷物の継ぎ立てに当たらせ、口留番所を設けて人や物の出入を取り締まった。
 岩鼻は松代領と上田領の境界で、東・北信を結ぶ交通・経済・政治上の要衝であり、鼠宿の口番所における人・穀物・酒・漆等に対する取り締まりは関所なみの厳しさであった。
 岩鼻はまた坂本の横吹坂と並ぶ街道一の難所で、加賀の前田候は参勤交代の際岩鼻を通過すると、飛脚をたたて無事を国許に伝えたという。
 宿場の南北の入口に枡形があり、道路は鼠宿・新地両村境でカギ形に屈曲し、道路の中央に用水を通し、川の東に沿って柳・榴・海棠等の並木があり、井戸がその間に点在した。
 本陣(正式名は御茶屋)、脇本陣、問屋、馬宿のほか、一般旅人の休憩する茶屋もあって、宿場はにぎわった。
 宿場南端の会地早雄神社は由緒深い社で、境内に江戸時代建立の万葉歌碑と明治に建立の芭蕉句碑が並ぶ。
 明治維新を迎えて宿場は廃され、明治9年(1876)に北国街道は国道となったが、後信越本線の開通により街道交通はさびれていった。
 以来幾多の変遷を経、今岩鼻の国道は新たな車時代の難所となり、建設省によって急崖が削られ、国道の拡幅、歩道の新設、緑地帯の造成の画期的な工事が竣工した。
 これを記念し、昔日の面影をしのび、これを記して後世に伝えるものである。
  平成6年8月  坂城町



   
国道18号線に面して西向きに神社が鎮座します

鼠宿を流れる用水路を渡る太鼓橋です(この角度では通れませんので横を通ります)


水盤です


参道右手に防人の歌碑です

万葉防人の詩の標柱です(国道脇に建っています)


赤い鳥居です

鳥居前左に立派な境内社です

軒下には「天狗面」です

鳥居の北側に目的のケヤキです

南側から

東側から、目通り幹囲5.0mの巨木です


拝殿前から見ました


参道の右手(南側)のケヤキの大木です


拝殿です

本殿です

本殿の左手(北側)には大岩が重なっています


境内北側に若いケヤキが並びます


国道脇に水準点が在ります

では、次へ行きましょう
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長野県坂城町、南条「速素戔嗚神社のケヤキ群」です!!

2021-06-23 06:16:00 | 巨樹・大木
今日から6月12日土曜日長野県坂城町・千曲市・長野市の取材報告です

南条地区は、坂城町役場の南南東約4kmのところ

国道18号線の谷川信号から東へ町道を登って行きます

入横尾公民館のすぐ手前に速素戔嗚神社が北向きに鎮座します

公民館の駐車場に車を止めさせて頂きました



道路右手に社叢が見えて来ました

境内北西端のケヤキです、こちらが目通り幹囲5.0mの巨木です

北側から

境内入口のケヤキです(西側から)


北西側から

北側の境内入口です

速素戔嗚神社です


道路側の石塔です

古事記の歌碑の標柱です

境内側にも石塔が並びます


拝殿前から見ました


境内参道から境内北西端のケヤキを見ました


拝殿です

本殿覆い屋です

本殿裏側(南)にもケヤキの大木です

境内西端の枯れた古木には屋根を架けています、まだ注連縄も巻かれていますので御神木のようです

西側道路から見ました


公園化された境内の南東端のケヤキです

境内西側道路の北側から見ました

西側から

南西側から

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新潟県村上市、葡萄「添山神社のカツラ」です!!

2021-06-22 06:26:00 | 巨樹・大木
葡萄地区は、村上市役所の北北東約28kmのところ

国道7号線を北へ、葡萄トンネルを超えると葡萄集落です、更に北へ進み朝日トンネルを貫けて北側から東へ登る道路が有ります、矢葺明神へのルートを進みます


国道7号線朝日トンネル北口です

ここを東へ入ります

昇って行くと右後ろに道が続きますが軽自動車では曲がれますが普通車サイズではすぐ先で向きをかえて進みます

約3km林道を来ました、もうすぐです

芭蕉が歩いた石畳出羽街道大沢峠への道です

旧出羽街道ルートマップです


道標は葡萄です

橋の先に鳥居が見えます

  明神岩自然環境保全地区です
位置 村上市葡萄矢吹1154番1
 本地域は、村上市葡萄に位置し、明神岩の岩壁とそれを取り巻く落葉広葉樹林の区域です。
 この地域の落葉広葉樹林は、ブナを主にトチ、アカシデ、ミズナラ、サワグルミなどから成る高さ20m前後の森林です。漆山神社の社叢として、原生林に近い状態を維持しており、規模は小さいですが当地方の低海抜地域の自然植生の一端を示すものとして貴重であるとともに、林床及び岩壁には植物地理学上貴重な植物も成育しています。
 このような優れた自然環境を保全するため、新潟県自然環境保全条例第14条第1項第5号に該当する地域として、自然環境保全地域に指定します。
 昭和62年7月3日
  新潟県・村上市



養魚場です

漆山神社の鳥居です

社殿です

明神岩です

社殿前のカツラです、まだ若い樹です

目的のカツラは社殿の裏側沢沿いに在ります(西側から)

南西側から

南東側から

北西側か、ら目通り幹囲8mの巨木です



川の反対側(右岸)から見ました

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山形県鶴岡市、鼠ヶ関「曹源寺のヒサカキ」(県指定)です!!

2021-06-21 06:21:18 | 巨樹・大木
鼠ヶ関は、山形県の南西端、新潟県との県境でかつての関所が有ったところです、鶴岡市役所の南西約30kmのところ

 県道47号線から国道7号線と西へ、日本海東北自動車道鶴岡西インターからあつみ温泉インターチェンジまで無料区間を利用しました、県道348号線で国道7号線に戻り更に南(新潟方面)へ、鼠ヶ関に入って鼠ヶ関漁港を右に見て、羽越本線を越えて間もなく左斜めの鶴岡市立鼠ヶ関小学校への道路に入りすぐ戻るように左へ入ります、間もなく右に曹源寺が有ります、国道7号線の東側集落の中です、西向き参道で曹源寺です、南側に駐車場が有ります


駐車場に入りました

参道入口です

庄内榑花観音百三番霊場

庄内地蔵菩薩第四番霊場でもあります

曹洞宗

蓬莱山 曹源寺です

本堂です

本堂前に案内図があります

目的ののヒサカキは本堂の裏側です

二本のヒサカキが在ります

手前が太い方のヒサカキです

本堂の壁に説明版です
山形県指定天然記念物
  曹源寺のヒサカキ
指定年月日 昭和28年2月13日
所在地 鶴岡市鼠ヶ関字横路346
 曹源寺の裏庭に植えられているこの二株のヒサカキは、ヒサカキの自生のない本県下に於いて、飛島とここだけであり、地方的に珍しい種類であると共に巨樹としても価値がある。
 昭和28年2月13日山形県に天然記念物に指定された。
 南の株の根周り2.0m、高さ5.26m、根際は合着しているがまもなく5本立ちで、各々の基部の太さは1.2m、0.575m、0.48m、0.60m、0.55mである。北の株は高さ4.57m、根際は株立ちの相生でその根周りが2.35mである。この株は地上1.3mで7本立ちとなっており、西方の枝が合着した明瞭な連理枝となっている。各々の基部の太さは1.4m、0.98m、0.445m、0.685m、0.41m、0.385m、0.38mである。
 これらの形状といい、また寒冷地帯で異常な発育を遂げたものとして貴重な存在である。
 このヒサカキは、慶長4年(1599)佐渡の峯庵禅師が鼠ヶ関沖で遭難して助けられ、この寺で手厚いもてなしを受けたお礼に植樹したものという言い伝えがある。
平成10年11月
 鶴岡市教育委員会



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山形県山辺町(東村山郡)、三河尻「常福寺のスギ」です!!

2021-06-20 06:27:19 | 巨樹・大木
 三河尻地区は、山辺町役場の南東約3kmのところ

 県道18号山形朝日線を南へ、県道が左カーブして須川を渡る手前の東側です

 集落の東端、須川の土手沿いに広い境内の常福寺があります

 西側からの境内入口に駐車場があります


境内入口です

曹洞宗 観音山 常福寺です

入源 観音山

常福寺、最上札所13番霊場です

説明版です
  第十三番札所
    三川村観音
 三川村観音は最上三十三観音第十三番札所である。本尊は、聖観音で秘仏であるが、行基菩薩が第一番若松観音の聖観音と同一の杉で一刀三拝の礼で彫ったという。その御詠歌は「いづ入るや月のゆくへも河辺村 鐘のひびきに明くるしののめ」と諸行無常の心を詠じ、生死の常ならないことを月の行方にたとえ、百八の煩悩の夢を覚まし、極楽浄土に辿り着く様を「明くるしののめ」と表現している。
 お堂は、須川河岸に船を止めて上陸した巡礼の人々と少しでも早く対面しようと船着波の方向を向き南面しており、いかにも須川の河岸にある観音にふさわしい。
 境内には病魔に倒れ息を引き取った翁が日頃信仰していた三河村聖観音のお告げにより再び生き返えることができ、しのお礼として奉納した延命石灯籠がある。
 山辺町教育委員会



附近の札所案内図です

説明書きです
  荒井作蔵翁石灯篭奉納の由来
 翁は、七十二歳にして病魔に倒れ薬石効なく近親者の見守るなか息をひきとちました。一同の者は寿命とあきらめ、香を焚き霊を慰めんとしていたところ、息絶えたはずの翁がむっくりと起き上がり「今、観音様が枕返に立って作蔵逝くでないぞとのお告げなんだ、だから逝かなんだ。」これには一同唖然として声もなし、翁は村でも評判の観音信者だったのです。その観音様こそ、第十三番三川村観音だったとのこと、健康を回復した翁が後日、奉納したのがこの石灯篭であります。以来7年、翁はなに不自由なく暮らしたとのことです。延命観音と言われるのもこの所以であります。



本堂前

石碑

説明版に有った石灯篭です

説明石碑です



目的のスギです

本堂です

観音堂です

札所です

軒の額です

本堂前から

南東側から

東側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

境内東端から

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山形県山辺町(東村山郡)山辺「山辺愛宕神社のイチョウ」です!!

2021-06-19 06:27:00 | 巨樹・大木
 山辺地区は、山辺町の中心部です

 山辺町役場の北北東約400mの住宅街の中に東向き参道で愛宕神社が鎮座します

 境内に車を止めることが出来ました

参道入口です

村社 愛宕神社です


水盤です

太神宮の石塔です

鳥居です

手水舎です

社殿前左側に目的のイチョウです

狛犬です

イチョウの前に石塔が並びます

社殿前参道から、幹も枝も切り詰められているようです、住宅街の巨木にとっては、風や雪による被害を事前に対策しておくことも必要な時代になっています


境内から、目通り幹囲5.2mの巨木です

南側から

本殿です

愛宕神社は火伏の神として信仰されています

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山形県山辺町(東村山郡)、杉下「八幡神社・杉下(蟠龍)の大杉」(町指定)です!!

2021-06-17 06:25:00 | 巨樹・大木
 杉下地区は、山辺町役場の西北西約2kmのところ

 杉下地区へは、山辺町の西側に聳える愛宕山を迂回するように北側を県道18号山形朝日線で北へ、国道458号線との交差点を西へ、やがて南西に向きを変えて進むと、杉下集落の手前の道路左側に八幡神社が鎮座します

 県道の神社向かい側道路脇に車を止めさせて頂きました


北斜面に目的のスギです

注連縄が巻かれています

逆光ですね


村社 八幡神社です

説明版です
 ー山辺町指定文化財第一号ー
  杉下の大杉(蟠龍の大杉)天然記念物
 樹齢が約一千年と推定されており、根も根元周9.5m、高さ約28mである。杉は神が宿る神木とみられ、注連縄を張るなどして特別に扱われる。
 この大杉は平安時代の杉下地区の成立に係る伝承(清和源氏多田満仲と地区の娘が大杉の下で暮らし、二人の間に生まれた男子が杉下村の起源であるという話)を持っている。
 また、以前は下部の杉皮を煎じて飲むと産婦の乳の出が良くなるといわれ、剥がされ利用されてきたようである。
 下の枝が地上約3mのところで真横に伸び、二本の幹に幹になって直立する姿は、龍が蟠踞し(うずくまって)、天に飛翔しようとする姿をしのばせるものがあり、「蟠龍の大杉」とも呼ばれている。
 主幹は地上約6m上から双幹状になり、天をついて聳えたっている。県内有数の大きさを持つスギである。
 山辺町教育委員会



境内に行きましょう

石塔が並びます

本殿です

本殿の裏側から
.
後側に道路が見えます

尾根先から


詳しい説明版が本殿裏側に有ります
  山辺町指定文化財第一号
   杉下の大杉
 この大杉は、杉下地区の氏神八幡神社背後の広場の斜面にあり、根廻り9.5m、目通り幹囲7.5m、高さ約28mである。下の枝が地上約3m上で真横に約2m伸び、すぐ二本の太幹になって直立している。正に、龍が蟠踞し、天に向かって飛翔しようという姿をしのばせるものがある。主幹は地上約6m上から双幹状になり、天を突いてそびえている。所々からかなり太い枝が伸びていて、全容を見られないほどである。杉樹としては近郷でも珍し大木で、神社をおおい、その歩みを守ってきた約千年の歴史を持っていると推定されている。
 この杉は、杉下地区の発生に関する伝説が残されている。
 八幡太郎義家の曽祖父満仲は、貞元2年(977)8月、出家して満慶と称した。彼は諸国行脚の旅の途中、長徳元年(995)8月、大谷大沼を目ざしたが、山中に迷いこんでしまった。峰に登ってながめると、遙かな谷底に燈火が見えたのでたどり着くと、山小屋の中に老翁と若い娘がいたので一夜の宿を願った。老翁は陸奥の豪族・安部頼時の家臣であったが、主人の一族から無理に娘を所望されたので、この地に逃れ住んでいたのであった。
 いつしか満慶と娘は懐妊したが、満慶には出発の日がやってきた。
 彼は都に帰ったら招き寄せるのでこの手紙を携えて来るようにと、手紙を置いて去って行った。同年5月、二人が山で作業中、小屋が手紙もろともに焼失してしまった。そこで、二人はこの大杉の下に仮屋を建てて生活した。やがて娘は男子を出産し、満山と名づけた。長徳3年8月、満慶は44歳で死去と話が聞えてきたので、二人は都に上ることをあきらめ、田畑を開いて生活を立てていった。満山には5人の男の子が生まれ、それぞれ成長し、分家したが、これが杉下村の起源であるという。
 尚、中世に於て、杉下武士団は山形最上氏の配下として日月旗の下に団結して出陣し、各地で活躍した。その日月旗は長年他地区に出ていたが、昭和48年、約百年振りに帰ってきた。山辺町ではこの日月旗を町文化財(第5号)に指定している。
 山辺町教育委員会



幹から出る大枝が特徴的です

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山形県中山町(東村山郡)、達磨寺「お達磨の桜」(県指定)です!!

2021-06-16 06:29:00 | 巨樹・大木
 達磨寺地区は、中山町役場の南東約2kmのところ

 山形自動車道が須川を渡る場所の近くに「お達磨の桜」が在ります

 県道277号線を南に進むと県道左手に案内板が出ています、案内板に従って東へ農道を進むと山形自動車道の高架にあたります、また案内板が有りますので山形自動車道の側道を南へ進むと、公園入口に広い駐車場が有ります
 

県道入り口案内板です、ここを左に入りました

高速道路の高架下にまた案内板があります、右ですね


公園入口です

ソメイヨシノの大木が並びます

公園南端須川の土手沿いに目的のエドヒガンザクラです

祠です

説明版です
 中山町の伝説
   生き達磨
 昔、達磨寺村の名主市兵衛(史実では助左衛門)のもとの見すぼらしい僧が訪れた。
 心をこめてもてなししたが、その晩急に苦しみ出し「須川のほとりの桜の根元に埋め35日たったら堀り出してくれ」と言い残して息をひきとった。
 村人たちは手厚くほうむり、遺言どおりに掘り返してみると芦の葉に身を託し、波濤を一気に乗り切ろうとしている「渡海達磨図」の掛け軸が一幅でてきた。
 村人たちはありがたくまつっていたが、表具がいたんだので、修理にだすことになった。
 完成したとの知らせに、わざわざ都までやってきた市兵衛は、表具師に同じ図柄の掛け軸を6本も並べて見せられ、ほとほと困り果てたしまった。
 宿に帰った市兵衛は、床の中で「笹の葉で目をこすってくれ」、とのお告げを聞く、翌日その通りにすると一幅だけパチパチとまばたきをした。それを持ち帰り,達磨大師の化身「生き達磨」あがめ奉るようになったという。
 平成9年4月
  中山町教育委員会
 管理者 中山町



北側から

天然記念物標柱です

説明版です
 山形県天然記念物
  「お達磨の桜」
昭和27年4月指定
1、樹種 エドヒガン(アズマヒガン)
1、所在地 中山町大字達磨寺2579-1(東)、2580(西)
1、管理者 中山町
1、開花期 4月下旬
1、樹齢  約700年
  高さ約15m・樹幹約5m
●この地域からは、古墳時代の土師器や須恵器が発掘されている、また、奈良時代から平安時代の集落跡と鉄工房がみつかっている。


北西側から

西側から

西側須川土手の道路から

北西側の道路から

北側の公園から

すぐ東側にも古木が在ります

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山形県中山町(東村山郡)、長崎「楯のイチョウ」です!!

2021-06-15 06:38:00 | 巨樹・大木
 長崎地区は、中山町役場ある地区です

 役場の西約300mに国道112号が南北に通ります、国道沿いに蕎麦屋さんがあり蕎麦屋さんの東側の広場に目的のイチョウが在ります

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました


道路を進むと大きな樹冠が見えて来ました、北西側から

南東側から

南側から


説明版です
  長崎楯と大イチョウ
1、樹種 :イチョウ(雄株)
1、所在地:中山町大字長崎419-1
1、管理者:柏倉文蔵家
1、樹齢 :500年以上(樹幹周囲約7m、高さ約23m)
 寒河江市に下向した大江親弘(源頼朝の重臣大江廣元の嫡子)の武将、中山忠義を始祖とする「中山継信」(8000石)は、最上川南岸沼尻郷(現中山町)の開拓に当たり、至徳元年(1384)長崎に楯を築いた。
 三代宗朝の時代(文安2年=1445)には、外濠をめぐらした輪郭式平城(本丸=東西60間・南北=45間、二ノ丸=東西250間・南北150間、三ノ丸=東西300間・南北200間)を完成し、領地開発と統治に当ったが、元和8年(1622)山形最上氏改易と共に廃止された。
 大イチョウは、中山氏居城の本丸内、楯の前庭にあったものと伝えられ、稀にみる大木である。
 昭和54年3月 中山町


南側根元から見上げました

東側の石塔です

東側の太い幹を見ました

乳柱が見られます

東側から

北東側から

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山形県中山町(東村山郡)、梅ヶ枝町「梅ヶ枝町のケヤキ」です!!

2021-06-14 06:15:00 | 巨樹・大木
 梅ヶ枝地区は、中山町役場の西北西約1kmのところ

 県道24号でJR左沢線を陸橋で西へ超えるとすぐ南側です

 中山町立中山中学校の東側の住宅地の中にケヤキの巨木が在ります

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました



南側から進むと、道路左側に目的のケヤキです

南東側から

根元には祠が有ります

枝下から太い幹を見上げました


北東側から

東側に離れて見ました

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