ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県浜松市、天竜区水窪町山住「山住神社の杉二本」(県指定)です!!

2022-04-30 06:38:01 | 巨樹・大木
 水窪町山住地区は、天竜区役所の北北東約36kmのところ

 天竜川に沿って国道152号線を北へ約30km進みます

 大井橋信号で佐久間町中心部へ通じる国道473号線を別けて東へ

 水窪川に沿って浅間山(標高540m)を左回りに半周回りさらに北へ

 相月トンネルを貫けると水窪町です、町の中心部を目指します

 奥領家地区に入って国道152号線から案内板に従って信号を右(南東)春野へ県道389号水窪森線です


 水窪町中心部の一つ手前のJR飯田線むかいちば駅前を通って県道389号線を進みます

 ここから山道です、「布滝」を過ぎ「アカクボ沢の大トチ」入り口を過ぎてさらに峠を目指します

 国道と別れてから約12km、標高1107mの山住峠です


大きな鹿の観光案内板です、この脇に山住神社の駐車場があります、


山住神社は峠のすぐ先です


参道入り口鳥居です(参道は北北東向き、社殿は南東向きに鎮座します)

山住神社です

珍しい狛犬です、牙が生えていますのでオオカミでしょうか、左右の口は共に閉じられています

随身門です


随身門前左に古多麻石です
 遠江風土記によると「天正4年(1576年)家康公行軍の時、御敵天野氏追い到って鬨聲を挙ぐ其聲石に響く、即ち自ら畏れて退散す、故に古多麻石と日ふ」天正4年家康公が山住神社を参拝したという記録はないが、この年宝刀「伯耆安綱」が奉納された。
 天正2年の犬居城攻めは増水した気田川で撤退し、天正4年の犬居城攻めで天野氏は信州へ逃げ延びた。
 山住神社由緒書によると敵が攻めて来たときお犬様の「ワゥオー・ワゥオー」と大きな声は山に木霊し敵は驚き退散したと伝えられている。
  みさくぼ文化財懇話会
  みさくぼ観光ボランティアガイドの会


随身門を潜ると右手に手水舎です

正面の参道に目的の杉二本が見えました

手前の杉(A)です

新・浜松の自然100選の標柱です

説明版です
  静岡県指定天然記念物
 山住神社のスギ二本
目通りA 7.01m
根廻り 10.50m
樹高  40.00m
枝張り(東西)18.00m
   (南北)17.00m
目通りB 9.20m
根廻り 10.30m
樹高  41.00m
枝張り(東西)22.10m
   (南北)13.80m
樹齢約1300年
材積約104立方m(376石)
 今時指定となった山住杉は、和銅2年(709年)この地に神社鎮座の頃、御神木として植栽されたものと推定され、樹齢1300年有余(昭和34年伊勢湾台風による倒木の年輪によって確認できる)が数えられ、この樹齢に比して旺盛な樹勢は稀らしいとされている。
  山住杉の由来
 この付近一帯の杉は、元禄9年(1696)2月、今からおよそ300年前、山住家23代大膳亮茂辰公が、当時幕府御用材の乱伐を憂え、遠く伊勢より3万本の杉苗を購入し、この地方における造林の第一歩を印した。
 以来大膳亮は、没年の延享元年(1744)まで48年間、実に36万本に及ぶ杉檜の拡大造林を進め、明治・大正期、東京市場での「山住杉」の名声を残すと同時に、今日における天龍林業の振興の基礎を築いた。
 これから由緒ある杉は山住神社境内外に幾星霜を経た歴史の跡をしのぶことができる。
  昭和46年8月3日指定

南側から

南西側から

西側から

北西側から

北側から住吉神社の杉Bです

北東側から

御神木指定証です、大きいBの方が御神木のようです

東側から、縦に筋が入っています

南側から

南西側から

西側から

北西側から

参道右手には、境内社の雲龍稲荷神明神社です

長~い、境内社です

境内社の裏側(東側)の斜面にも杉の大木が並びます



正麿大神です
 京都吉田山麓に広がる神道吉田流「吉田神社」は、江戸時代、神官の「栽許状」(禰宜の免許状)を授ける格式高き神社で、嘉永元年(1848年)ご誕生「吉田鉨彦」と命名された。5歳の時、山住神社・社家「山住雪江様」のご尽力により、山住家ご養子に迎えられる。御名を「山住正麿」と改められた。大正7年数え70歳で天寿を全うされた。この祠は正麿様への信仰深き、豊橋市二川町にお住いの「朝倉英司氏」によって建立されたものである。
 みさくぼ観光ボランティアガイドの会



神明宮と高根明神です
 

拝殿です、すぐ前には鳥居があります(写真を撮っているすぐ後ろは深い谷になっています)
 

立派な幣殿と本殿の覆い屋です

説明版です
  紫宸殿の鵺退治
 この彫刻は、「平家物語」の一場面である。
 平安時代末期、時の高倉天皇は毎夜高熱に悩まされた。夜毎御所に現れる鵺の仕業であった。鵺とは頭は猿、胴は虎、尾は蛇の「猿虎蛇」の妖怪であった。朝廷より妖怪鵺退治を命じられた、弓の名手「源三位頼政(伊豆長岡)」は、家臣nお猪早太(三ヶ日)を共に、御所・紫宸殿の屋根に上がり退治した。
 この場面の彫刻は、明治時代の彫り物師「曽布川藤次郎」が見事に彫り上げた。
  みさくぼ観光ボランティアガイドの会
*社殿を覗いてみましたが彫り物は見当たりませんでした

では、次へ行きましょう


大きな鹿のところから北側の山並みを見ました、ヤマザクラが満開を迎えていました
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静岡県浜松市、水窪町山住「アカクボ沢の大トチ」です!!

2022-04-29 06:21:09 | 巨樹・大木
水窪町山住地区は、天竜区役所の北北東約36kmのところ

 天竜川に沿って国道152号線を北へ約30km進みます

 大井橋信号で佐久間町中心部へ通じる国道473号線を別けて東へ

 水窪川に沿って浅間山(標高540m)を左回りに半周回りさらに北へ

 相月トンネルを貫けると水窪町です、町の中心部を目指します

 奥領家地区に入って国道152号線から案内板に従って信号を右(南東)春野へ県道389号水窪森線です

 水窪町中心部の一つ手前のJR飯田線むかいちば駅前を通って県道389号線を進みます

 これから山道です、「布滝」から約4.5km、アカヌケ沢林道入り口手前に小屋が二軒立っています
*奥の小屋は山住木材市場の建物です、杉の木の輪切り等が無人販売方式で売られていました

「アカクボ沢の大トチ」入り口です、大きな「トチノキ」の標柱が立っています

 道路脇に車を止めさせていただきました

標柱の後ろ側を下ります、ルートはピンク色のテープが目印です


山道をジグザグに下ります

小さな沢を渡ります


トチノキの大木が在りますが、目的のトチノキよりは小さいようです、目的のトチノキまでの中間点です

下側から見上げました

この辺りからアカヌケ沢の水音が大きくなりました


トチノキの樹幹が見えて来ました


やはり目的のトチノキです

南側の太い幹を見上げました


南西側です

西側です

北側です、目通り幹囲8.7mは、静岡県下一のトチノキです

幹や枝の上には多くの着生植物が成長しています

*道路から約15分かけて降りてきました。途中に崩れている所が有ったりしますので、しっかりした装備が必要です、戻りには20分かかりました。


小屋の裏側にもトチノキの大木があります

では、次へ行きましょう
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静岡県浜松市、天竜区佐久間町相月「相月諏訪神社の大杉」(市指定)です!!

2022-04-28 06:25:08 | 巨樹・大木
佐久間町相月地区は、天竜区役所の北約32kmのところ

天竜川に沿って国道152号線を北へ約30km進みます

大井橋信号で佐久間町中心部へ通じる国道473号線を別けて東へ

水窪川に沿って浅間山(標高540m)を左回りに半周周りさらに北へ

相月地区に入って、JR飯田線あいづき駅手前で


JR飯田線の高架下に相月橋です、この先を右へ入ります
*JR飯田線は水窪川を渡ると、さくま駅まで約4kmの峰トンネルへ入ります

水窪川の支流に沿って上って行くと集落の中ほど、ここを右へ

諏訪橋の先に諏訪神社への参道が開いています、橋の先左の太鼓橋が参道です

車を止めるところがないので、手前の道路脇に止めさせていただきました


新しく作られた参道のようです(橋が架けられたのは昭和37年とありますのですでに60年ですが~)

石段を上がると鳥居が見えてきました


西側から境内林を見ました

鳥居脇にも杉の大木が並びます

諏訪神社です

説明版です
   諏訪神社由緒
鎮座地 静岡県磐田郡佐久間町相月285番地
1、御祭神 武御名方神
  合祀神 八幡宮 天満宮
1、脇宮 稲荷神社
1、境内社 日月神社 若宮八幡社
1、境内社 子安神社 八幡大神 三夆神社 山之神社 天白神社 籐五神社 次郎兵衛霊神 若宮霊神 山之神社 若宮霊神 平隆寿霊神(同じ神様が複数あります)
1、境内社 行者霊神
1、御神徳 家内安全 一家繁昌 五穀豊穣 職業繁昌 文学守護 交通安全 
  *学業ではなく文学守護の御神徳は珍しいですね
1、由緒
 1、諏訪神社は、信濃国諏訪郡諏訪大社を、遠江国山香郡綾着村字蛇山に勧請鎮座す(年歴不詳)
 1、其後当境内地(御遷座の記録は詳ではないが)神社に現存する最古の棟札によれば、永享6年11月12日とあり、今から数えて545年の昔である。
  *1435年は後花園天皇の御代、室町時代中ごろ6代将軍足利義教の時代です
 1、八幡宮 天満宮は小相月鎮座せりを明治維新により諏訪神社の境内地に遷座、其後明治45年御本殿に合祀す。
  昭和55年7月26日
  諏訪神社社務所

鳥居を潜ると右手に手水舎です

参道右手に杉の大木です

境内奥側(東)から


目的の大杉は社殿の前に有ります

参道から見ました

西側から

説明版です
  諏訪神社の杉
 佐久間町指定文化財(第7号)天然記念物
 所在地 静岡県磐田郡佐久間町相月285番地
 所有者 静岡県磐田郡佐久間町相月285番地 諏訪神社
 杉(スギ科)
〔根廻〕 約 7m(直径約2m)
〔目通〕 約 6m
〔樹高〕 約50m
〔枝張〕 約9.5m
〔樹齢〕 不詳
指定年月日 平成14年7月19日
佐久間町教育委員会
*佐久間町は平成17年に浜松市と合併しました

南南西側から

拝殿です

本殿覆屋です、岩の上にも祠が乗っています

南側から

北側から

社殿などは大岩の上に載っているようです


境内社が並びますが、お名前が解りませんね



西側の旧参道の橋を渡って帰ります

では、次へ行きましょう



シャガが綺麗に咲いていました
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静岡県浜松市、天竜区佐久間町大井「子安神社のシラカシ」です!!

2022-04-27 06:27:21 | 巨樹・大木
 佐久間町大井地区は、天竜区役所の北約29kmのところ

 国道152号線を北へ、天竜川に沿って進みます

 約30kmで大井橋信号で国道473号線を左に向きを東へ

 天竜川を挟んで浅間山〈標高540m〉の山裾を左回りに半周進むと間もなく


 集落への入り口です(写真右が浜松方面です)

急な道路を上がると、子安神社の案内版があります

 つずれ折れの一番奥にバスがユーターン出来る広場があります

 奥の防災倉庫手前に車を止めさせていただきっました(後ろにモノレールが見えます、神社境内までの荷揚げが出来るようです)

 この奥に子安神社があるはずです

 広場入り口に登り口があります

 茶畑と杉林の間を登って行きます

 参道石段の上に白い鳥居が見えてきました

 一の鳥居です

 鳥居脇から目的のシラカシが見えました

 参道石段を登って斜め下側から見上げました

 横側から

 目通り幹囲4.5mの大木です

 斜め上から、ゴツゴツした幹に古木感がありますね

 参道奥から

 少し登ると二の鳥居が見えてきます、両側に杉の大木が立ちます

 二の鳥居も白い鳥居です

 社殿が見えてきました

 手水舎です

 拝殿です

説明版です
  子安神社
鎮座地 佐久間町大井596番地
御祭神 木花開耶姫命
例祭日 11月3日
  由緒
 創立年代詳かでないが棟札に大永6(1526)年再建殿入とあり古社である。
 天文23(1555)年11月当村小川城主奥山右エ門尉なる者勧請す。
 其の後徳川家光より社領高3石4斗3升7合下賜、奥山右エ門尉なる者小川へ城築大井郷の惣氏神に定むと云う。
 初めは大井郷一ノ宮子安大明神と称え、昭和17年10月村社に列せらる。
 現在子安神社と称し安産子授けの守護神として近郷近在よりの崇敬者多く今日に至る。
 *浜松市内には百を超える城の跡があるそうです、多くが山の尾根沿いに砦を築いて地区の守備に当たっていたのでしょうか、子安神社のある大井の地にも小川城が在ったようです)

 本殿覆い屋です

 境内社の稲荷社ですね

 境内社が並びます

では、次へ行きましょう


 駐車場へ戻ってきました、向かいの浅間山北側の集落が見えました、向かいの集落に車で行くには、下流側では大井橋信号のところから浅間山の西側を周る道か、上流側ではJR飯田線あいづき駅先の相月トンネル南口からの道路になるようです、静岡県内には、山の奥の奥まで集落が残っています、お茶の栽培が集落を残しているようです
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静岡県裾野市、千福「千福のスダジイと普明寺」です!!

2022-04-26 06:16:03 | 巨樹・大木
ここからは、4月20日静岡県の取材分です、これまで回れなかった所を廻って来ました

 千福地区は、裾野市役所の北北西約2kmのところ

 国道246号線の「五竜の滝西」信号を東名高速側(西側)に入り

 すぐに高速道路の下のトンネルを潜ると、右手に大きな樹幹が見えました

 東名高速道路の西側のお屋敷にスダジイの巨木があります

 高速道路沿いの砂利道に車を止めさせていただきました

 東名高速の下をトンネルで抜けると右手の畑地越しに見えました

 東側から、立派な樹冠が御庭を覆っています

 東北東側から、太い幹が見えました

 南東側から、伸びた枝は畑地から手が届きそうです

 南側から、目通り幹囲10.5mの巨木です

 南南西側から、幹周は二本の合計のようです

 お屋敷の門とスダジイの位置関係がわかりますね

少し移動します

 一つ北側の高速道路の下を通るトンネルの東側に普明寺があります、武田信玄ゆかりの千福寺城の跡です

 境内入り口の山門です

 千福城址(平山城址)跡の標柱が建ちます

 六地蔵さまです

 由緒の記されて石碑です 
  駿東郡誌並駿河国新風土記より抜粋
 大平山普明寺は、早川海蔵寺末にて、本尊釈迦牟尼佛、寺格小本寺安叟宗楞大和尚開祖にて、文明16年9月示寂、いまより485年前なり、初め見性寺と号し、細野の地にあり、今の地域は、祖越御宿勘兵衛の居館の趾也。
 元亀3年武田信玄、名を普明寺と改めしむ、同年武田家より寺領の寄付状と共に馬頭観世音の像一体の寄進あり。後徳川三代将軍家光公寺領として13石の御朱印を与えらる。
 当寺は数ヶ寺の末寺を有する古刹にして、大正14年29代老梅一枝大和尚は、大畑加藤幾太郎氏、佐野市川源太郎氏より、各三百円宛の御寄付を受け、曹洞宗最高の常恒会地に昇格す。
 然るに、昭和2年10月火を失し、天保2年建立に係る本堂間口11間奥行7間、庫裡等一切を烏有に帰す、同3年現在の假本堂、同6年鐘楼堂を竣工す、32代天産代に鎮守堂庫裡等を再建、現住は一技大和尚の遺志を継承し尚緋恩衣特許・受に当たり、全祖家各位の浄財を仰ぎ当寺の由来略記しこの碑を建立す。
  昭和44年8月 普明寺32代 天産撰書 

 参道を進みます

 鐘楼です

境内のシダレ桜です

本堂です

本堂西側の墓地から上は、かつての千福城です

では、次へ行きましょう

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新潟県南魚沼市、関「五社宮のケヤキ(二本)」です!!

2022-04-25 06:25:32 | 巨樹・大木
 関地区は、南魚沼市役所の南西約11kmのところ、JR上越線いしうち駅の有るところです

 国道17号線を南西へ湯沢町方面へ進みます、石打駅入口信号を右(西)へ

 次の石打駅前信号をまた右(北)へ入ると、すぐ左に五社宮が南東向きに鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせていただきました


参道入り口です

右手に立派な石仏は、火伏地蔵様と言って、関大火の続いた後、今から210年前天明年間に建設された地蔵様です

鳥居です、額には「五社大明神」と有ります

手水です

明治41年の水道記念碑です。(JR上越線が越後湯沢まで開業した大正14年よりずっと前に水道施設が通っていました)

鳥居の下から、参道左のケヤキ(太い方)を見ました

北東側参道から見上げました

南西側から。目通り幹囲5,0mの巨木です

鳥居下から参道右のケヤキ(細い方)です

南西側参道から見上げました、目通り幹囲3.5m程のようです

東側から二本を見ました(境内に雪が残るため踏み込めませんでした)


社殿です

では、次へ行きましょう
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新潟県南魚沼市、浦佐「普光寺の欅群(長寿欅・吉祥欅・夫婦欅・他)」(再訪)です!!

2022-04-24 07:00:12 | 巨樹・大木
 もう一件投稿させていただきます

 浦佐地区は、南魚沼市役所の北北東約12kmのところ、国道17号線を北へ

 浦佐信号で国道17号線を右に分かれて、左の県道71号線へ浦佐の商店街へ入ります

 毘沙門堂の裸押し合い祭りで有名な普光寺は、JR新潟新幹線うらさ駅の北側商店街の先にあります

 
東側からの毘沙門堂入り口の案内板を見ました

 手前に観光用の駐車場がありますので利用させていただきました

普光寺参道です

浦佐西山散策マップです、右側にはこれから見られる花々、今回目的のケヤキも載っていますので確認しましょう

山門(楼門・仁王門)です

説明版です
  楼門の概説
 此の山門は今から凡そ170年前の天保二年(1831)当所の豪商関市四郎氏の造営によるものである。
 日光の陽明門を模どり、総欅造りで、雪国の豪雪に    釘を用いることなく組立られた建物として知られている。
 楼には、毘沙門天二十八使、入口の彫像を奉 し、十六羅漢壁画及び格天井の天女の画は、京都仏画師板谷桂舟力作、何れも鮮やかなる彩が当時のまま遺されている。
 楼下天井の双龍図(丸龍板絵は江戸時代の画聖谷文晁の傑作で、殆んど現存しない文晁の板絵としても大へん価値のあるものと言われており長い間毘沙門堂のシンボルとして、多くの信者から崇められてきた。
 ところが双龍図は、最近老朽が進み絵を確認できないような状態となってきたので、このたび屋根吹替工事を機に、日本画家永森一郎氏の手により修復されたものである。
  平成9年5月吉日
  毘沙門堂別当普光寺

右手に「長寿欅」が見えています

山門前に上がって南西側から見ました


手水舎ですが、雪に埋もれた状態です

赤い屋根の普光寺本堂です

奥が「吉祥欅」です

屋根の付いた通路です

通路の左(南)側には夫婦欅です

通路右(北)側に毘沙門堂です

夛聞天王の額が懸けられています

通路左側の聖徳太子堂です

通路の突き当りに不動明王です

聖徳太子堂の裏側のスギとケヤキです

では、次へ行きましょう
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新潟県魚沼市、十日町「八海社のケヤキ」です!!

2022-04-24 06:29:16 | 巨樹・大木

魚野川と支流の破間川の合流点そば県道458号線の橋の上から見た越後三山(左から越後駒ヶ岳〈百名山〉・中ノ岳〈二百名山〉・八海山〈二百名山〉)です

 十日町地区は、魚沼市役所の南約4kmのところです

 国道17号線を南へ、虫野信号を左へ、県道232号浦佐小出線です

 十日町集落に入って公民館の五差路を左先(南)へ

 間もなく左手に八海社が南向きに鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせていただきました

 (まだ境内は雪が一杯に残っていました)


水盤です

参道の右手に目的のケヤキです

社殿です

北西側から、目通り幹囲5.8mの巨木です

社殿前から、たくさんの瘤や洞が古木を感じさせてくらます

南東側から、大枝が切られてさびしくなっていますが、古木故のことでしょう

境内南東端には不動明王の石碑です

では、次へ行きましょう
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新潟県長岡市、東川口「川合神社の杉」です!!

2022-04-23 06:44:39 | 巨樹・大木
 *2022年4月10日に新潟県まで行って来た時のものです

 東川口地区は、長岡市役所の南約20kmのところ、嘗ての北魚沼郡川口町です

 国道17号線沿いの長岡市川口支所のすぐ北西側に川合神社が南東向きに鎮座します

 国道沿いのコンビニを北へ入ります、鳥居前の道路脇に車を止めさせていただきました

 (北側の東川口コミュニティーセンター前には大量の雪が残っていました)

参道入り口です

北東側に手水舎です

鳥居と手水舎の間に歌碑と延喜式内川合神社の文字です

説明版です 
  中部北陸自然歩道
   延喜式内川合神社
 約千年前の延喜格式での神社調査に載っている神社。
 由緒不詳であるが、雄略天皇22年(478年)の創建といわれ、農耕の神の水波売命と武道の神の武甕槌命を併せ祀られています。
 天喜年間(1053年~1057年)八幡太郎義家(後の源義家)が奥州征伐のおりに、戦勝を祈って泥障(あおり:馬具の一種)を献納したことから別称「泥障大明神」ともいわれています。
 水の神、安産の神として古くから多くの人々の信仰を集めており、また、武の神として武運を祈願する人などで賑わいました。
   句碑の道
 当町は江戸時代から俳句が盛んで、多くの優れた作品が遺されています。
 この句碑の道は、平成5年10月、川合神社の境内に俳人富安風生の句碑が建立されたことがきっかけで計画され、平成7年春完成したものです。
 町にゆかりのある43人の俳句・短歌を刻んだ石碑を、川合神社からキャンパス川口に至る約2.5kmの区間に17基建立した、文化をたどる散歩道です。
  環境省・新潟県


句碑です

境内南東端に社號標です

拝殿です

本殿です

本殿北側には石塔

本殿裏側から目的の杉の方向を見ました

境内南側の道路を進みます

建物の影(国道17号線が上越線を高架で超える手前)の水門の施設の先に目的の杉が見えました

南西側から

水門施設の階段中断から見ました

水路を渡って西側から

斜面を登って北西側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

南東側から幹を見上げました

斜面にヤブツバキが咲いていました

では、次へ行きましょう
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静岡県掛川市、居尻「大尾山顕光寺の鳥居杉」(県指定)ですが~!!

2022-04-22 06:25:45 | 巨樹・大木
 大尾山は掛川市役所の北約14kmのところ

 赤石山脈最南端の標高661mの山です、その山頂近くに顕光寺が有ります

 国道1号掛川バイパス大池インターチェンジから県道40号掛川天竜線を西からやがて北へ

 天竜浜名湖鉄道はらだ駅前の原野谷中入口を右県道269号大和田森線へ、新東名高速道路を見上げて進むと


道路左手に大尾山周辺案内図です、すぐ先から左へ顕光寺への案内板に従って左(西)から林道を上って行きます

 尾根通しの茶畑の中の道を登ります、集落が終わると針葉樹の中を進みます

 三叉路に大尾山・顕光寺の案内板が有りますので右の道路へ、更に上ります

 道路左にトイレが見えて来ました、右手に大尾山顕光寺の石柱が見えました、参道入口です

 参道入口の駐車スペースに車を止めさせて頂きました(まだ先まで入れますが悪路です)


参道入口です

大尾山 顕光寺です

参道と言うより登山道ですね

石仏の立っています

根上りのモミノキが見えて来ます、顕光寺の庫裏?までの半分来た所です



尾根の北側を進みます

庫裏の建物のようです

顕光寺へ向かいましょう

急な山道です

鳥居の額でしょうか

尾根の見南側に参道が変わります

みはらし峠の碑が建ちますが、眺めは望めません

参道は平坦になりました間も無くです

手水舎です

参道石段です

鳥居スギの左側の細い方の杉が残っています

石段上右側に太い方の切株が残っています

天然記念物標柱です

説明版が置かれています
静岡県指定天然記念物
 大尾山の鳥居杉
所在地 掛川市居尻482
所有者 顕光寺
 スギは、本州、四国、九州に分布する常緑の高木で、高さ40mにも達する。
 この鳥居スギは、落雷により木の中が腐り空洞となり、地上13mの高さのところから地面に達する根を下ろし、養分を吸収している。向い合って立ているスギの大木と合せると鳥居のような形なので、鳥居スギといわれている。
 開創の時植えられたものと伝えられ、樹齢千余年といわれている。
 根廻り   10m
 目通り    7m
 樹高    30m
 枝張り 東西10m
     南北10m
 昭和33年4月15日指定
  静岡県教育委員会
  掛川市教育委員会

切株の上の面です、幹として残っているのは縁の部分だけだったようです

細い方のスギを見上げました、細いと言っても目通り約5mの巨木です

本堂側から見ました

本堂の観音堂です

遠江観音霊場第13番札所となっています

しかし、鳥居スギが平成30年(2018)年9月の台風21号の強風で倒れた時に

屋根の一部を壊したとのことです

鐘楼です

石仏が並びます

右手上にも御堂前にスギの大木です

参道の手すりも潰れています

石段から見上げました

平成10年の台風で壊れ11年に修理された御堂は無事でした


本堂西側一段上に鳥居杉の残骸でしょうか・・・

では、次へ行きましょう


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静岡県浜松市、天竜区春野町砂川「砂川公民館のカゴノキ」(旧春野町名木百選)です!!

2022-04-21 19:08:05 | 巨樹・大木
 春野町砂川地区は、天竜区役所の北東約16kmのところ

 山東信号から国道362号線を北東へ、峰小屋トンネルを貫けて春野町へ下ります

 町の中心部を過ぎて不動川を渡ってすぐの若身橋信号を右(南)へ県道58号袋井春野線です

 不動川右岸側を川に沿って上って行きます、次に不動川を渡る新不動橋手前を左へ(手前に砂川の案内板有り)

 ここからは道路が細く成ります、しばらく道なりに茶畑と針葉樹林の中を上って行きます

 左カーブの所にバス停があります、左上側に砂川公民館です

 入口脇の駐車スペースを利用させて頂きました

春野ふれあいバスのバス停があります

砂川公民館入口です、建物の手前に目的のカゴノキが見えます

公民館への参道です

カゴノキです

南東側から、幹には痛みが目立ち穴だらけになって向側が見えます

1990年選定の春野町名木百選のプレートが有ります
 No22、名称は「砂川自治会館前のカゴノキ(カノコ)」となっています
 樹齢 500年、樹高 7.6m、胸高直径 1.78m・・・(周囲5.6mの巨木になります)

南西側から見ました

会館前から

周辺には、お茶畑が広がっています

では、次へ行きましょう
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静岡県浜松市、天竜区春野町花島「大光寺の春埜杉(県指定)と大杉」です!!

2022-04-20 03:33:31 | 巨樹・大木
 春野町花島の春埜山は標高883.4mの赤石山脈南部の山です

 天竜区役所の北東約20kmのところ

 山東信号を東へ国道362号線で峰小屋トンエルを貫けて春野町に入ります

 町野中心部をすぎて約3km、川内信号で熊切川に沿って県道263号春野下泉(亭)線を東に

 熊切郵便局の南の信号からは県道389号水窪森線と一緒になります

 県道が南へ向きを変えて左に県道263号線を分けてさらに坂道を登っていきます



大時区公民館手前の県道の交差点です、写真の左から上がって来たので、左(写真正面)へ上って行きます、春埜杉まで5kmの案内板が有ります

ここは左に上ります


鳥居です、まだ雪が残っています

駐車場に車を止めさせて頂きました


現在地の地図です



展望台になっています

養老貮年 開創霊場 春埜山 大光寺です

説明版です
  春埜山御縁起由来
 当山往古元正天皇の養老2年開創され、巡錫行化した山容豊かな風光明媚大樹繁茂し群山に卓越と脱俗した霊場本堂に尊像を安置奉祀される。
  太白坊大権現 守護神
 御真体を勧請し諸国信者の最も尊信を集め霊験の功徳は廣大無辺にして諸願成就せらしめる。
  本尊 大梵尊天 行基菩薩作
  本尊 帝釋尊天 行基菩薩作
  本尊 閻魔大王 行基菩薩作
  奥ノ院 青面金剛童子
 当病平癒 家内安全 商売繁盛 交通安全 心願成就
 御神木 神代春埜杉(はるのすぎ)静岡県指定天然記念物

参道(裏参道)を進みましょう

少し下るようになります

参道右下先に大きな幹が見えて来ます

間もなく山門です(裏参道からはそのまま境内です)

山門です

春埜杉を山門脇から見下ろすように見ました(山門は封鎖されていました)

新・浜松の自然100選の標柱です

説明版です
  春埜杉
 行基菩薩が、春埜山大光寺の開山の際に植えられたものと伝えられています。
 県の天然記念物に指定されています。
樹齢 推定1300年
樹高 43m
目通り 14m
枝張り 31m
*巨木です、そばに寄れなかったのが残念です

庫裏の脇から見ました

根元には、天然記念物標柱と祠が見えました

案内図です、東海自然歩道が山門を通っているようです

本堂です

鎮守堂へ行って見ましょう

大光寺鎮守堂です

特徴的な狛犬(狛狐)でしょうか

もう一本の大杉です、庫裏から鎮守堂への通路の先なので根元を見ることができませんでした、目通り幹囲7.5mの巨木だそうです

では、次へ行きましょう

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静岡県浜松市、天竜区春野町長蔵寺「三田島のイチョウ」(市指定)です!!

2022-04-19 06:28:56 | 巨樹・大木
 春野町長蔵寺は、天竜区役所の北東約18kmのところ
 
 山東信号を東へ国道362号線で峰小屋トンエルを貫けて春野町に入ります

 町野中心部をすぎて約3km、川内信号で熊切川に沿って県道263号春野下泉(亭)線を東に

 熊切川を二回渡って春野てんぐキャンプ場入口を過ぎて道路が登りになり熊切川から離れると

 県道の杉林の中から右下へ下る道路を降ると・・・
 

坂道の途中から右下に目的のイチョウが見えました

下側の道路脇に車を止めさせて頂きました

下側(南側)から

右側(南東側)から

説明版です
 町指定天然記念物
  三田島のイチョウ(弥陀島)
   昭和57年3月31日
 秋の黄葉が見事である。雌雄異株、三田島のイチョウは雌木で、秋には沢山の実を結ぶ。
 主幹が途中から折れて側枝が成長したものである。銀杏は花粉から精子を生じて受精するなど、古代植物の形質が見られる。
 特に乳頭(一種の気根)が珍しい。天正初年廃寺となった長蔵寺旧蹟の境内地にある。
樹齢 約200年
樹高 26.0m
根回り 8.5m
目通り 6.4m
枝張り 東西21.2m
    南北20,2m
 平成5年3月25日
 春野町教育委員会

根元下側から見上げました

西側から

北側から

春野町名木百選のプレートです
 No23、名称は「長蔵寺 渡辺哲次宅横のイチョウ」となっています
 樹齢 推定200年、樹高25.0m、胸高直径1.80m・・・(周囲5.6mの巨木です)


北側の道路から

では、次へ行きましょう
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静岡県浜松市、天竜区春野町領家「秋葉神社下社(再訪)と六所神社」です!!

2022-04-18 06:50:27 | 文化財・寺社
 春野町領家地区は、天竜区役所の北東約11kmのところ

 山東信号から国道362号線を北東へ、峰小屋トンネルを貫けて天竜川の支流の気田川の谷へ約13km進みます

 最初の気田川を右岸へ渡る秋葉橋を渡ってすぐ左へ尾根を回ると右に秋葉神社下社が鎮座します

 参道入口の駐車場を利用しました
*このブロブ2014年1月7日の投稿もご覧ください

秋葉神社下社参道入口です

参道です

秋葉山 本宮 秋葉神社下社です

説明版です
【御祭神】
 火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)
  伊弉諾、伊弉冉二柱の神の御子で火の主宰神である。
【創建】 
 秋葉山は、赤石山脈の遠州平野に突出した最南端で天竜川の上流に位置し、山頂に秋葉山本宮秋葉神社を祀る。
 上古より火の神様の鎮ります御神体山として崇敬され、初めて御社殿が建ったのは和銅2年(西暦709年)元明天皇の御製によるものと伝えられる。
【御社号】
 上古は「岐陛保神ノ社(きへのほのかみのやしろ)」(岐陛は秋葉の古語)と申し上げたが、中世両部神道の影響を受けて「秋葉大権現」と称し、明治初年教部省の達で権現の号を改め「秋葉神社」となったが、昭和27年全国秋葉神社の総本宮であることから「秋葉山本宮秋葉神社」と改称した.
【御神徳】
 火の幸を恵み悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く火防開運の神として、火災消除・家内安全・厄除開運・商売繁盛・工業発展の御霊験あらたかなるものとして、全国津々浦々から信仰されている。
 御霊験は奈良朝以来、屢々顕れ、御神威は海内に行きわたり、朝廷の御信仰篤く正一位の宣旨を賜って、正一位秋葉神社と申し上げる。

年中行事表です

桧並木の参道を進みましょう

境内まで上がって来ました

手水舎です

下社拝殿(遥斎殿)です
*山上(上社)の本殿を遥拝するための建物です。

大きな火具(十能)や火箸が奉納されています

では、東側の六所神社へ行って見ましょう

参道入口です

供進指定 村社 六所神社です

石段を上がって参道を進みます

鳥居です


六所神社社殿です

*六所神社の由緒です
  六所神社は六所明神と領家村に鎮座する六社を祀る地域の氏神である。そもそも領家の地名は京都の公家の荘園があったことにちなむ。
 火防の本宮である秋葉山の麓に位置することから、その参拝客で賑い、旅籠が軒を連ね、文芸遊興も盛んで歌会なども催された地域である。
 六所明神は、犬居郷一宮と称された当地域でも御神徳顕著な古社で、御祭神として大日賣貴神(天照大神の異称、伊勢神宮)・中筒男大神(住吉大社)・大山祗大神(大山祗神社)・誉田別命(八幡宮)天児屋根大神(春日大社)・武甕槌大神(鹿島神宮)の六柱の神を祀る。歴代領主の崇敬も篤く江戸時代には石高一石三斗七升五合を拝領した。
 領家村に鎮座する六社とは、「天王神社」(素戔嗚命)、「熊野神社」(熊野大神)、「八坂神社」(素戔嗚命)、「金山神社(金山彦神)、「山野神社」(野槌神)、「若宮神社」(按ずるに天押雲根命か)である。
 *天王社と八坂神社は同じ神様であるから合計12諸で11柱をお祀りする。
 当社は領家の守り神であることは申すまでもないが、家門・事業を繁栄させ、流行り病を防ぎ、山野を守護する神として崇敬される。武田家との戦いに苦戦した家康公が退却する際、六所明神の御加護で危難を免れたことがあり、危機脱却の神としても信仰される。尚、徳川家康の退却を助けた領家の百姓は江戸時代の間、幕府から手厚い保護を受けた。
 *問い合わせは秋葉山本宮秋葉神社までとありました。


秋葉山本宮秋葉神社参拝案内図です
*新東名浜松浜北インターチェンジから下社まで30分でこられそうですね

東海自然歩道の説明版です
*県道286号を北へ上ると「秋葉寺(三尺坊)」「秋葉神社上社」に向います、美しく整備された集落の石畳を抜けて急勾配の山道となる参道を進みますが、滑りやすい箇所もありますので足元にが注意ください。
 県道286号を下ると、標高250mの行者山に築かれた戦国期の山城「犬居城址」に向います。展望台からは秋葉連峰と春野の街並みを望むことができ、現在も曲輪や空堀がのこっています。


火防霊場、秋葉山秋葉寺(秋葉神社下社から上社)までの案内です
*秋葉神社下社から秋葉寺まで一時間、更に上社までは20分掛かりそうです。


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静岡県浜松市、天竜区横川(下百古里)「武速神社の将軍杉」(県指定)です!!

2022-04-17 06:28:41 | 巨樹・大木
 横川(下百古里)地区は、天竜区役所の東南東約6kmのところ

 山東信号から国道362号線を北東へ、只木トンネルを貫けたところで案内版に従て右へ

 県道63号藤枝天竜線です、直ぐ先の県道の曲がり角に案内板が有ります


案内板が有ります、まだこの先3kmです

道路正面に大きな樹冠が見えて来ます

将軍杉です

まずは、武速神社へお参りしましょう


神社東側の道路脇に車を止めさせて頂きました

参道鳥居です

手水です

拝殿前のケヤキの大木です


拝殿です、真後ろにスギの幹が聳えています

拝殿の左側から見上げました、本殿覆い屋の真後ろに太い幹が立ち上がっています

右側からでは周りの木々が邪魔になってしまいますね

上側の道路へ戻ってみましょう

西側から

新・浜松の自然100選「下百古里の将軍杉」の標柱です

「天然記念物将軍杉」の石柱です

説明版です
  静岡県指定天然記念物
1、名称 将軍杉
1、数量 1本
1、大きさ 樹高39.0m
    目通り 10.6m
    枝張東西27,2m
    枝張南北24.5m
1、樹齢 一千年以上
1、指定年月日 昭和27年4月1日
1、所有者 武速神社
1、説明 県内でも数少ないスギの大木
 伝説によれば延暦16年(797年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が武速神社で蝦夷との戦いにのぞみ勝利を祈った。
 その際に食事をとり、箸を地にさしておいたところ、根づいて大木となった。
 そこから将軍杉の名がつけられた。

北東側から

北側から


車を止めた広場の北側には「大杦会館(おおすぎかいかん)」です、将軍杉に因んだ命名のようです

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