ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

千葉県旭市、倉橋「倉橋水神社の大杉」(市指定)です!!

2023-11-30 18:45:55 | 巨樹・大木
 倉橋地区は、、旭市役所の東北東約7km、旭市飯岡出張所の北約4kmのところ

 旭市飯岡出張所(飯岡福祉センター・飯岡温泉)前を北東に出て

 一時停止を左(北西・一方通行です)へ国道126号飯岡バイパスです

 すぐ約100mの中央分離帯の切れ目を右(北東)へ進みます

 約200mの突き当りを右(南東)へ、またすぐ約150mで左(北東)へ東福寺の脇のつずら折りの坂道を上って

 丘の上に耕地(畑地)を通って、約1.6kmの「横根中央台ライスセンター」前を斜め左(北東)へ

 約300mでまた斜め左(北)へ、約1.5kmでJR総武本線の踏切を越えて直ぐ左(西)へ、県道71号線です

 またすぐ約200mの押し釦信号を左(南)へ、約150m踏切を渡り直し坂道を上ってて左(東)へ細い道が


 水神社への参道になっています

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道北側の宝寿院(倉橋高峯庵の管理者)の境内から見ると観音堂の上に目的のスギの樹冠が見えました
 

 スダジイの大木です

 境内へ入ります


 手水舎です

 鳥居です

 目的の大杉です

 平成元年5月23日指定「倉橋水神社の大杉」天然記念物標柱です

 南側から

 東側から

 拝殿です

 本殿です

 境内社です

 では、次へ行きましょう

 
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千葉県旭市、倉橋「倉橋高峯庵跡(倉橋児童遊園)の菩提樹」(市指定)です!!

2023-11-30 06:30:22 | 巨樹・大木
 倉橋地区は、旭市役所の東北東約7km、旭市飯岡出張所の北約4kmのところ

 旭市飯岡出張所(飯岡福祉センター・飯岡温泉)前を北東に出て

 一時停止を左(北西・一方通行です)へ国道126号飯岡バイパスです

 すぐ約100mの中央分離帯の切れ目を右(北東)へ進みます

 約200mの突き当りを右(南東)へ、またすぐ約150mで左(北東)へ東福寺の脇のつずら折りの坂道を上って

 丘の上に耕地(畑地)を通って、約1.6kmの「横根中央台ライスセンター」前を斜め左(北東)へ

 約300mでまた斜め左(北)へ、約1.5kmでJR総武本線の踏切を越えて直ぐ左(西)へ、県道71号線です

 またすぐ約200mの押し釦信号を右(北)へ

 約150で、16%の急な坂道を上って行く途中の十字路を右(東)へ細い道に入ります(舗装路は赤舗装です)

 すぐ右に倉橋児童遊園駐車場の広場があります

 駐車場南側に宝篋印塔などの寺院(高峯庵)跡の石塔関係が有ります

 南側から石塔関係を見ました

 説明版です
  市指定有形文化財
    高峯庵宝篋印塔
      昭和55年7月1日 指定
 高峯庵は高峯堂とも呼ばれ、元禄4(1691)年に紀州高野山真別所円通津寺の末庵となったが、その後いくつかの宗派を変え、昭和43(1968)年に宝寿院(倉橋)に吸収された。
 宝篋印塔は、笠部が五輪塔の火輪の形状をなし、下部には垂木が表現される。高さ3m15cm、幅1m15cmを測る。
 塔身部の4面に阿弥陀如来・宝生如来・不空成就如来・阿閦の種字が刻まれる。正徳2(1712)年の銘がある。
  市指定有形文化財
    高峯庵亀座宝塔
      昭和55年7月1日 指定
 長寿を象徴する亀の上に塔身が乗る亀趺の一種である。
 高さ2m30cm、幅1m18cmの大きさで、宝暦9(1759)年の銘がある。
 歴代住職の名が刻まれており、建立者は龍福寺23世で、滝山退隠沙門宥英と刻まれる。
  市指定天然記念物
    高峯庵菩提樹
      昭和55年7月1日 指定
 推定樹齢約300年、目通り3m、樹高15mを測る。
 釈迦が悟りを開いた故事から仏教寺院に植えられることが多かったが、海上地区で唯一見ることができる。
    平成25年12月   旭市教育委員会



 西側の宝篋印塔です

 東側に高峯庵の建物でしょうか

 もくてきの菩提樹は倒れてしまっています

 北側から

 南西側から

 まだ根元は生きているようです


 説明版に有った亀座の宝塔です

 倉橋児童遊園です

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千葉県旭市、蛇園「普門院のイヌ槇」(市指定)です!!

2023-11-29 18:29:59 | 巨樹・大木
 蛇園地区は、旭市役所の東約5km、旭市役所飯岡出張所の北約3kmのところ

 旭市役所飯岡出張所(飯岡福祉センター・飯岡温泉)前を北東に出て

 一時停止を左(北西・一方通行です)へ国道126号飯岡バイパスです

 約1.5kmの信号を右(北東)へ入り北へ向かい、約600mの海上野球場脇を斜め左へ住宅地へ入ります

 約500mで、南東向きの普門院の参道が見えました

 参道向かい側に普門院駐車場(4台程)の看板が有りましたので利用させて頂きました
 
 真言宗 智山派(稲荷山 金剛寺)普門院です

 山門です

 説明版です
 此の門は、吉祥樹・梛(なぎ)の木で造営されたた魔除門で、扉は松沢・熊野神社御神幸の砌り、古来より蛇園郷番所の用に供されてきた吉祥の扉です。
 梛は魔除・吉祥木として社寺の落慶記念に植樹されることが多く、昭和31年には天皇陛下の姉貴宮様が東大社にお手植えされています。(現在使用されている扉は、元禄11年い作られた普門院山門の扉です

 山門を潜ると正面に目的のイヌ槇が見えました

 東側から見上げました
 
 天然記念物標柱です

 説明版です
  市指定有形文化財
    宝篋印塔
      平成元年5月23日 指定
 普門院は稲荷山金剛寺普門院という。開創年代は不明だが、慶長5(1600)年に始めて記録に残る。
 宝篋印塔は高さ420cm、幅179cmを測る。構造的には宝篋印塔だが、笠部は五輪等に見る火輪の形状を呈している。
 昭和63年の修復時に笠下部で古文書の願文が発見された。
 明和5(1768)年の銘とともに朝廷の長久と万民豊楽、五穀豊穣を祈り、有縁・無縁の一切の極楽往生を願って奉納されていた。
 また、基礎の下部にも五輪小塔が埋納されていた。
  市指定天然記念物
    普門院のイヌ槇
      平成元年5月23日 指定
 イヌ槇は目通り3m15cm、樹高20mを測る。
 当地に開創されて以来、樹齢を重ねてきたことが伝えられる。
 葬儀のとき。つけていたワラジをこの木にむかって高く放り投げ、高く上がるほど極楽にいけるといわれている。
     平成25年12月   旭市教育委員会
 

 北側から

 北西側から



 説明版にあった宝篋印塔です

 六地蔵様です

 鐘楼です

 手水舎です

 参道中央に四阿です

 参道から振り返りました

 本堂です

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千葉県旭市、仁玉「タブの木」(市指定)です!!

2023-11-29 06:28:57 | 巨樹・大木
 仁玉地区は、旭市役所の南西約2kmのところ

 旭市役所から県道35号線を南へ、すぐの「東部図書館入口」信号を斜め右(南西)へ

 約1.1kmで斜め右(西)へ、又すぐ約100mのカーブミラーを斜め左(南西)へ

 約700mで右(北)へ、仁玉の集落内へ入ります

 間も無く道路左手に大きな樹冠が見えました

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側から

 南東側から

 南側の垣根の間から覗いて見ました、石の祠があり幹には大きな傷が出来ていました

 説明版です
  市指定天然記念物
     タブの木
       昭和56年11月13日 指定
 タブの木は目通り約7mを測る。
 天正18(1590)年に豊臣氏により小田原北条氏、そして千葉氏が敗れ。常陸から敗走してきた兵が太田立の前でも戦い、生き残りの7人が、仁玉に土着して村を草創し、その際タブの木が植えられたことが伝えられている。
     平成25年12月    旭市教育委員会

 *旭市は、明治22年(1889) に 町村制施行に伴い海上郡網戸村・成田村・十日市場村と匝瑳郡太田村が合併、海上郡旭町が発足し、昭和29年(1954)7月1日 に市制施行し、旭市となりました。
 平成17年(2005)7月1日に、(旧)旭市と香取郡干潟町、海上郡海上町・飯岡町が対等合併し、新しい旭市となりました。
 また、九十九里浜などには、東日本大震災による千葉県内最大7.6mの津波が襲い、東部の飯岡地区を中心に沿岸付近の民家が全壊336棟、半壊945棟、県内最多14人の死者、2名の行方不明者を出しました。

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千葉県匝瑳市、川辺「薬師寺の槇」(市指定)です!!

2023-11-28 18:30:02 | 巨樹・大木
 川辺地区は、匝瑳市役所の南約6kmのところ

 匝瑳市役所の南側の国道126号線を南西へ

 約2.5kmの「国道296号入口」信号を鋭角に左(南東)へ、県道48号線バイパスです

 直ぐにJR総武本線を陸橋で越えると道成りに約4.5kmの「市立野栄中学校」前の信号を右(南西)へ

 約1.5kmで右手に薬師寺の参道が南向きに開いています

 真言宗 智山派 吉田山 薬師寺です

 山門前までの参道両側に車を止める事が出来ます

 山門の仁王門です 

 山門前の墓地入口には弘法大師様の乗った永代供養塔です

 文化財説明版です
  野栄町指定有形文化財
       昭和55年3月24日
       宗教法人 薬師寺 所有
   釈迦涅槃図  1副
 金地絹本着色極密、金箔が厚く使用されており、絹目が判らないほど細かい。
 描き表装で表現されており、模様は内側が蓮華、外側が牡丹である。
 野栄町に現存する唯一の釈迦涅槃図であり、図柄絹地等から判断して、江戸時代初期の作品と考えられる。
   両界曼荼羅  2副
 金地絹本着色極密、描き表装で図面と表装同一の一枚の絹地である。
 曼荼羅は、金剛界・胎蔵界でひとつの画面を構成されており、図柄、絹地等から室町時代初期のものと考えられる。
   絹本着色五大明王図  1副
 五大明王は、五大尊・五念怒ともいう。
 不動明王を中心に、四方位に配した隆三世・軍茶利・大威徳・金剛夜叉をいい、真言宗の密教系の信仰対象の仏画である。
 野栄町はもとより千葉県内でも類例の少ない作品で、図柄等から室町時代の作品考えられる。
   たて113cm×よこ70.5cm
      平成10年3月30日  野栄町教育委員会

*野栄町は、昭和29年(1954)7月17日に栄村と野田村が合併して野栄町が発足し、平成18年(2006)年1月23日、北側に隣接する八日市場市と合併し匝瑳市となりました。

 山門の西側にマキの樹冠が見えます

 山門を入ると左手には六地蔵様です

 山門前から見えていた樹冠は大木では無いこちらの樹冠ですね

 目的の槇は六地蔵様の後ろ(西)側に在りました

 東側から見ました

 説明版です
   野栄町指定天然記念物
     槇  一樹
      昭和46年3月27日指定
 まき科の常緑樹で、関東以西の太平洋岸・四国・九州などに分布している。
 本樹の学名はイヌマキである。
 材は水に腐りにくいことから風呂桶・土木・建築などに用いられる。
 樹高18.4m、目通り3.6mで当町においては最大の槇である。
     昭和60年2月20日
         八匝教育委員会 

 北西側から、大きな支柱に支えられています

 幹には竹が巻かれています、幹が傷ついているようです

 西側から見ました

 参道右側にも観音像が並びます

 境内にも弘法大師様や宝篋印塔が並びます

 説明版です
   「願掛け大師」四国八十八カ所霊場お砂踏み
 古来、四国は国の中心から遠く離れた地であり、様々な修行の場でありました。
 讃岐でご誕生された弘法大師もこの地で修行をされ、八十八ケ所の寺院などを撰び、四国八十八ケ所霊場を開創されました。
 そのお大師さまの御跡である八十八ケ所霊場を巡礼することがお遍路です。お大師さまに対する人々の信仰の高まりと共に、日本全国から多くの方が遍路されました。そして、お大師さまのゆかりの地として、誰しもが一度は訪れたい霊場として発展していきました。
 お砂踏みとは、霊場各所の「お砂」をそれぞれ集め、その「お砂」を札所と考えて「お砂」を踏みながらお参りすることです。そのご利益は、実際に遍路をしたことと同じであるといわれています。
 また「お砂踏み」とは、四国遍路ができない人の為に四国遍路を身近に感じて頂くものでもあります。時代が流れ、四国は格段に近くなりましたが、それでも様々な理由で四国は訪れることが出来ない方がいらっしゃるのではないかと思います。
 當山では、なんらかの理由で四国へお参り頂けない方にも、少しでも四国遍路のご利益に触れて頂ければ考え、山主自らお砂を集め「願掛け大師」として開眼いたしました。足元には、四国八十八ケ所霊場だけでなく、四国別格二十カ所霊場、高野山並びに中国西安青龍寺のお砂が敷いてあります。どなたでも「お砂踏み」を行うことができますのでご自由にお参り下さい。
 お遍路修行をしているときは常にお大師さまと共にいます。心にお大師さまを感じ・・・南無大師遍照金剛・・・とお唱えしながら合掌し御像を廻りお参り下さい。自分の体に悪い所があれば同じ個所を撫でて頂いても、何回廻っても構いません。最後にお大師さまの御手を握って頂き、仏さまやお大師さまとご縁を結んで、それぞれのお願い事を叶えて頂きましょう。

 *元気なうちに四国遍路にも挑戦したいと思います

 西側の建物は東向きに旧本堂の薬師堂だそうです

 南向きに大きな本堂です

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千葉県匝瑳市、野手「円長寺のナギ」(市指定)です!!

2023-11-28 06:30:48 | 巨樹・大木
 野手地区は、匝瑳市役所の南約4kmのところ

  匝瑳市役所の南側の国道126号線を南西へ

 約2.5kmの「国道296号入口」信号を鋭角に左(南東)へ、県道48号線バイパスです

 直ぐにJR総武本線を陸橋で越えると道成りに約4.5kmの「市立野栄中学校」前の信号を左(東)へ

 約500mで左に入ると六社大神の鳥居が見えます、鳥居前を右へ入ると

 真言宗 智山派 龍亀山 円長寺の駐車場があります

 南南東向きに参道です

 山門の仁王門です、祀られている仁王様は「海中出現仁王尊」です

*ネットの匝瑳市の公式ホームページに円長寺の仁王様という伝説が載っていました
 昔々のこと、それはものすごい風と雨が何日も続いて、人々は天を仰ぎながら「風神様の風の袋が破れてしまったのだろうか?」とか「天の底がぬけてしまったのかも知れぬ?」などと話しながら、困りはてていました。
 海がしけて魚がとれない。農作物も、大風に荒らされて大きな被害を受けた。「何かのたたりかも知れない?」村人の不安がいっそうつのっていきました。
 そこで相談の結果、みんなそろって神社や寺にお参りすることになりました。
 お参りをしてから二、三日過ぎると、あら不思議、風雨はピタリとやみ、きのうまでの嵐はウソのようなよい天気。
 しかし、嵐の後の田畑は荒らされ、海岸には大木やゴミが打ち上げられ、足の踏み場もないありさま。そしておどろいたことに、木やゴミといっしょに、貝がらのついた片足のない二本の大きな仁王様も打ち上げられていました。
 それは陰と陽の仁王様で、うつぶせの姿勢で、いかにも陸へはい上がろうとしているようでした。
 村人たちは、そのようすから陸へ引っ張り上げてやろうとしました。不思議にもその大きな仁王様が、四人ほどで簡単に持ち上げることができたのです。「仁王様は、きっとどこかへ行きたいんだ、向いている方へどこまでも運んでいこう」と村人たちは、かわり番にかついで行きますと円長寺の門のところまで来ると、突然仁王様が重くなり、どうしても動かすことができません。「仁王様は円長寺の門に立ちたいんだ」と気がついた村人は、付着していた貝がらを落とし、もげた足を修理して色を染めなおし立派な門をつくって、ここに祀(まつ)ることにしました。
 やがて、風雨で荒らされた田畑の作物ももちなおし、海では魚もたくさんとれるようになり、「これは仁王様のおかげだろうか?」、「それにしてもこの仁王様は、いったいどこから流れてきたのだろうか?」と話し合ったと・・・。
 いい伝えによると、鎌倉の動乱のとき、北条氏が建長寺の山門にあった仁王尊を海に流したものだそうです。   
  (引用させて頂きました)

 山門を潜ると参道右側に、風除けネットに囲まれて目的のナギです

 南側から、ゴツゴツした幹が樹齢を感じさせますが樹齢は不明です

 西側から

 説明版です
   野栄町指定天然記念物
     梛  1樹
       昭和46年3月27日指定
 まき科の常緑樹で、暖地に自生し、本州の暖地・四国・九州などにわたって分布している。
 また神社仏閣などの境内によく植えられる。花は黄色く夏開く。
 樹の材質は非常にきめこまやかで、床柱・家具などに用いられる。
 葉は竹の葉に似て、古く鏡の裏やお守り袋に入れて災難除けとして用いられた。
 樹高10.5m、目通り3.7mで当町においては最大の梛である。
      昭和60年2月20日   八匝教育委員会

*野栄町は、昭和29年(1954)7月17日に栄村と野田村が合併して野栄町が発足し、平成18年(2006)年1月23日、北側に隣接する八日市場市と合併し匝瑳市となりました。
*円長寺の梛(ナギ)は、「人里の巨木たち」のリストでは全国第4位の太さだそうです。
 
 北西側から

 北側から見ました

 鐘楼です

 本堂です、東日本大震災で被害を受けて再建されました

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千葉県匝瑳市、宮本「宮本熊野神社の大杉」です!!

2023-11-27 18:38:53 | 巨樹・大木
 宮本地区は、匝瑳市役所の西北西約1.5kmのところ

 匝瑳市役所の北側道路を南西へ、約1kmの十字路を右(北西)へ入って三叉路を左へ進みます
 
 愛宕神社の坂を上って下りて道成り約900mの坂道を上ったところで左(北西)へ、

 約200m道路右手に、南向きに宮本熊野神社が鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 ブロック塀の陰に熊野神社社號標です

 手水舎です

 拝殿前のスギの大木です、目的のスギではありません

 拝殿です

 本殿です

 再建記念碑です
   熊野神社再建記念碑
 平成23年3月11日東日本大震災にて、大正3年建立の熊野神社大鳥居、玉垣は崩壊する。
 茲に己や元熊野神社氏子総意のもとに再建奉納する。
     平成23年5月吉日

 本殿裏側にもスギの大木がありますが、こちらも目的のスギではありません

 拝殿の東側境内端近くに目的のスギです(北西側から)

 西側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 南側から

 東側から見上げました

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千葉県匝瑳市、八日市場ロ「愛宕神社のスダジイとスギ」です!!

2023-11-26 18:35:11 | 巨樹・大木
 八日市場ロは、匝瑳市役所の西約1kmのところ

 匝瑳市役所北側の道路を南西へ、約1kmの十字路を右(北西)へ入って三叉路を左へ進みます
 
 約400mで道路左手に愛宕神社参道が南東向きに開いています

 前に駐車するところが無いので、坂道を上って愛宕神社の裏側に回り車を止めて来ました

 愛宕神社社號標です

 桜並木の参道を進みます

 長い石段を上がります

 石段左手に目的のスダジイです

 脇から見上げました、目通り幹囲6.5mの巨木です

 石段の中段右手に手水舎です

 スギが石段の左手に見えますが目的のものではありません

 石段上側から見ました

 石段を上り切るとまた手水舎です

 拝殿です


 本殿です

 改修記念碑です
   愛宕神社境内社御改修記念碑
 抑も愛宕神社の御祭神は天地開闢の最初に現れた神代七代の第1の神たる国之常立神をはじめ、国狭土尊、豊斟淳尊、宇比地邇尊、須比智邇尊、大戸道尊、大苫辺尊、面足尊、惶根尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊より天照皇大神に至る12柱の大神たちである。
 本社の御創建・勧請の年代は不詳であるが、現在の社殿は江戸の後期嘉永2年(1849)6月再建になるもので、その後130余年を経た今日、本殿・拝殿をはじめ風雪の傷みにたえない有様となった。
 ここにおいて区長氏子総代ら相寄り相議り、現状のままに推移しては神威を損ない、畏れ多いさと120余戸の氏子区長に諮り、異を唱うる者なく衆議一決し、此度の大改修工事となった。
 御神徳の光被遍く及びたる故か、氏人らの至情は集い挙り、当初予算を越えて1600万余円の奉納金となったために、社殿の修築以外に参道石段の改修のほか、古くより境内社として祀られし、十二所神社・三峯神社の本殿・鳥居も新たに修造し、ここに完工を見るに至った。
 当社はその昔、愛宕山大権現の名の如く神仏習合時代は持福寺が別当であったが、明治元年、神仏分離・判然の令により、愛宕神社と改称したものである。維新後持福寺は廃寺となり、神社の宝物たる白馬に跨りし白面の武将像(里人はこれを御神体と称するが御神像と呼ぶべき美術品)は、その後本寺たる福善寺に移されしものと古老の伝えあり、今回尋ね求めたところ、伝承は正しく同寺に現存しているところを確認した。
 総代代表ら、住職と折衝の結果、福善寺第36世石井尭慧僧正の好意的御理解と英断により、御神像は110余年ぶりに本社に還御されることとなり、まことにめでたき極みである、これ徧に御氏子崇敬者一同の至誠の精神が、愛宕大神の御感応にあずかりしお蔭と恐懼感激して記し置くものである。   
     昭和59年7月吉日   宮司  品村晃祥 敬誌
                 書家  菊地汪翆 謹書

 記念碑にあった御神像伝説です
   愛宕神社御神像乗馬「ひずめ」跡の伝説
        平成7年7月 記
 天保11年2月(今から百数十年前)夜8時、田町より火を出し、田町坂下全焼、本町、門前町へと延焼し、見徳寺殿堂残らず焼失。火は富谷村の境にまで達す。
 この時、愛宕神社の御神像「勝軍地蔵菩薩」白馬にて石段を下られ、村への延焼を防護下されたと。
 このときの「ひづめ」の「あと」と代々伝え継がれてきました、石段改修の折、移動してこの場所に安置の措置がとられました。

 境内社です

 本殿裏側のスギです

 斜めになっています

 目的のスギは、拝殿西側の伝説の石碑の後ろ側です

 南側から、注連縄が巻かれています、目通り幹囲5.0mの巨木です

 西側から見上げました


 目的に杉の南側には境内社の「十二所神社」です

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千葉県横芝光町、篠本「新善光寺の榧の木」(町指定)です!!

2023-11-26 06:30:07 | 巨樹・大木
 篠本地区は、横芝光町役場の北約4kmのところ

 横芝光町役場の南側道路を北東へ進みます、約1.2kmの感応式信号で左(北西)へ

 道成りに約4.5kmで「日吉郵便局」の前丁字路を右(北東)へ、県道45号線です

 約700mで山の縁に沿う様に左(北西)へ、道成りに約600mで

 南東向きに新善光寺参道入口です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道を進むと真言宗智山派 殿谷山 新善光寺山門です

 石段を上がります

 本堂前に目的の榧の木です

 説明版です
  光町指定天然記念物
    榧の木  1樹
      昭和47年6月23日 指定
 イチイ科の常緑樹で、かなり高木になる。
 同樹と非常に似ている樹木でイヌガヤがあるが、葉先を手で触ると痛いのが榧である。
 種子は楕円形で長さ3cm前後となり、食用・薬用などに用いられる。
 材は淡い黄色で、水に強く加工しやすい。みがくと光沢がでることから碁盤や将棋盤の高級品材として有名である。
 樹高19.0m、目通り5.8mで当町最大のものである。
   昭和60年2月20日   八匝教育委員会
 
 *この榧の木は、弘法大師がこの地に巡行の折、種子をまいたものと伝えられており、この木に主の白蛇が棲んでいるという伝説もあります。


 南側から

 西側から

 北側から

 東側から見ました

 石段上左手に大きな宝篋印塔です

 本堂です

 文化財説明版です
   千葉県指定有形文化財
     銅造阿弥陀如来及び両脇侍立像 3躯
       昭和57年4月6日指定
       宗教法人 新善光寺所有
 善光寺式釈迦三尊で、像の高さは如来像(中心)が46.2cm、観音像(左側)30.1cmで右側の勢至像は30.5cmである。
 各像とも「・賢」の刻銘があり、中尊(如来)の頭部と白毫には、水晶がはめこんである。
 製作年代は、像の型・衣文などからみて、鎌倉時代と考えられる。
     昭和58年2月17日   千葉県教育委員会
                  八匝教育委員会

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千葉県横芝光町、台「宗龍寺の榧の木」(町指定)です!!

2023-11-25 18:37:59 | 巨樹・大木
 台地区は、横芝光町役場の北北西約3kmのところ

 横芝光町役場の南側道路を北東へ進みます、約1.2kmの感応式信号で左(北西)へ

 道成りに約2.2kmで「台区民館」の先を左(西)へ入ります

 道成りに坂道を上って行くと、台地の上は耕地(畑)が広がっています

 右手に墓地があります

 手前が駐車場です

 曹洞宗 冨室山 宗龍寺です

 目的の榧の木です 

 東側から

 南東側から

 町指定天然記念物 「宗龍寺のかやの木」と町指定有形文化財「宗龍寺の板碑」の標柱です

 手前の板碑3枚が町指定有形文化財です、明徳3年(1392)と永享9年(1437)2基の材質は黒雲母片岩です。

 南東側から見上げました

 南西側から見ました

 石灯籠が並んでいますが・・・宗龍寺本堂は、2023年1月3日の火事の後まだ再建はされていません

 平成9年(1997)11月23日の新築落慶記念碑が虚しいです

 こちらも落慶記念碑です

 南側のスダジイには火事の影響は無かったようです


 本堂跡前から観ました

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千葉県横芝光町、宝米「大棟梁大神の大杉」(町指定)です!!

2023-11-25 06:40:14 | 巨樹・大木
 宝米地区は横芝光町役場の北西約4kmのところ

 横芝光町役場南側の道路を西へ、約500mで信号を斜め右(北西)へ

 約500mでJR総武本線の踏切を渡り、まもなく国道126号線から先は県道109号線となって進みます

 道成りに約2.1kmで左(北西)へ、右疫1.4kmの集落入口で道路は右カーブしますが、直進して集落内に

 道成りに進むと坂道を登って高台の耕地(畑)の中に入りました

 約300mで左(西)へ入ると突き当りにスギの樹冠が数本見えました

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 大棟梁大神の境内に在るようですが・・・

 前の鳥居には社殿も参道も有りません

 石碑には、「隆開霊神」です

 直ぐ南側には鳥居と祠ですがお名前が解からいませんでした

 更に南側に道路の東側にも鳥居と祠です、「宝米護国神社」ですね

 向かい側(西側)に西へ下る道が有ります、奥に鳥居が見えました

 南向きに大棟梁大神の額の掛った立派な両部鳥居です

 参道を進むとスギの大木です、奥側が目的のスギです

 手前のスギの大木を北側から見ました

 参道右手(東側)の斜面にも鳥居に祠があり、スダジイの大木が在ります

 手水舎です

 南東側から見上げました


 東側から

 北側から

 西側から

 南側から見ました

 西向きに拝殿です

 本殿です

 説明版です
   大棟梁大神
 祭神は経津主神(ふつぬし)ですが、九州に実在した武士、尾形三郎維義に由来して神号が出たといいます。
 「経津主の神」は刀剣の霊能を神格化したものです。「経津」は「ふっつり」という音声をあらわした語で「悪魔をふっつり断ち切る」という意味の神名です。
 この神は葦原の中つ国(日本)を平定する「刀剣神」として、活躍したことから武神として尊崇されています。
   平成3年3月  光町教育委員会

 *平成18年(2006)3月27日に、匝瑳郡光町と山武郡横芝町が合併し横芝光町となりました。
  合併前の光町と横芝町は別の郡に所属していましたが、現在の横芝光町は山武郡に属しています。

 境内北端にもスギの大木です、二枚目の写真の背の低い樹冠のスギですね

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千葉県東金市、下武射田「妙本寺の梛」(市指定)です!!

2023-11-24 18:39:55 | 文化財・樹木
 下武射田地区は、東金市役所の東北東約6kmのところ

 東金市役所北側の市道を南東へ、約400mで信号を左(北東)へ、国道126号線です

 約2.4kmの「田間」信号を右(東)へ、県道124号線です

 約1.1kmでJR東金線の踏切を渡ります、更に約2.9kmの信号を右(南東)へ

 間も無く妙本寺の案内板がありますので右(西南西)へ入ります

 約300mで妙本寺の参道が南東向きに開いています

 参道入口脇の下武射田青年館前に車を止めさせて頂きました
 (本堂前までの参道脇にも車を止める事が可能のようでしたが?)

 参道左手には小安神社です

 鐘楼です

 参道右手に本堂改築記念碑です
   本堂改修記念
 多宝山妙本寺本堂は、今より250有余年前、正徳2年の建造にして春風秋雨幾星霜、上下部落民信仰の中心として、檀家のたえざる一致協力によりて今日まで保存せられたり。
 此の度、老朽甚だしく、檀家の5ヶ年を経る資金の蓄積と勤労奉仕によりて、茅葺屋根を瓦に改め、腐朽せるもの悉くを修理して、その改修を完了せり。心誠なれば何事も成るものぞ。
 今や国民の一部には、道徳心の甚だしく頽廃せるものあり、この時にあたり霊堂に礼拝し、祖先崇拝の念を新たにし、良心と 誠意を養い上下武射田永遠の平和と団結を図り、以て祖国の繁栄に寄与せらんことを願う。
    昭和38年8月      妙本寺檀家一同 佐瀬仙一郎撰文
                 千葉県知事 友納武人 書
 *約60年前に瓦葺に改修された本堂も今回、新築工事が行われています

 寺務所の前に目的のナギ(左側)が在ります

 南東側から


 説明版です
  天然記念物 妙本寺の梛(なぎ)
 梛はマメ科に属し、別名を「ちからしば」と云い、本州近畿以西の山野に自生、庭木として社寺内に多く見られる。
 常緑で喬木となり、雌雄別株、葉面は光沢がありその繊維は強靭である。
 雌花は円柱状の花穂が束状に着き、種子は10月に熟し球形である。
 樹皮は染料として材は家具に用いられる。
 この梛は、雌株で周囲206cm、樹高凡そ15m余、樹齢は300年近いと推定されている。
 正徳元(1711)年、妙本寺本堂を再建を機に、檀信徒の献木によるものと傳えられている。
 この銘木は、古来「梛」は「凪」に通ずるところから晴天を祈り、又その樹皮は、悪魔をはらい災難を除く霊木として、庶民に珍重、崇敬されて来たと伝われ、貴重な天然記念物である。
    東金市指定文化財第20号 東金市教育委員会

 南西側から見上げました

 足元にはナギの種が沢山落ちていました

 本堂は新築工事が進められていました

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千葉県東金市、御門「妙善寺の乳銀杏」(市指定)です!!

2023-11-24 06:37:00 | 巨樹・大木
 御門地区は、東金市役所の東南東約5kmのところ

 東金市役所北側の市道を南東へ進みます、約3.5kmでコンビニ前の信号を鋭角に左(北東)へ

 約500mで感応式信号を右(南東)へ県道25号線です

 約1.2kmで斜め左(北東)へ、約400mで妙善寺の案内板に従って左(北西)入ると間も無く右手に


 南西向きに境内入口山門です

 妙善寺です

 直ぐ東側に駐車場がありますので利用させて頂きました

 長い参道を進みます

 右手に鐘楼です

 本堂です

 本堂前右側にはモミノキの大木です

 本堂前左に目的のイチョウです

 南側から、樹幹は綺麗にカットされています

 説明版です
   妙禅寺の乳銀杏
 銀杏(公孫樹とも書く)は、裸子植物で落葉性の木で、秋には葉が黄色に染まる。
 公園や寺社によく植栽される傾向にあり、長寿の木としても知られる。
 銀杏の中には「乳銀杏」と呼ばれる、根の一種である気根が乳房の形に似ているものがある。
 乳銀杏は昔から全国的に、母乳の出ない女性の信仰を集める木であり、安産や子の成長、乳の出が良くなることが祈願されている。
 この乳銀杏は雄株で、木の周囲は約4m、樹高は約15m、樹齢は150年以上と推定されている。
 なお、この乳銀杏は明治38(1905)年2月10日、日露戦争で亡くなった人物の新盆供養のために、子息等が妙善寺に寄進したものである。
 寄進された経緯も含め、東金市の貴重な天然記念物である。
      指定 昭和62年3月5日
      東金市教育委員会指定第29号  (令和3年度設置)


 南東側から

 東側から、まだまだ黄葉には時間が掛かりそうです

 北東側から見ました

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千葉県東金市、松之郷「本松寺の大榧」(市指定)です!!

2023-11-23 18:29:33 | 巨樹・大木
 松之郷地区は、東金市役所の北約3kmのところ

 東金市役所北側の市道を北東へ、約400mで丁字路を左(北西)へ、直ぐにJR東金線の踏切で県道214号線です

 約400mの「片貝県道入口」信号を右(北東)へ、県道119号線です

 約1.2kmの「千葉学芸高入口」信号を左(北西)へ、まだ県道119号線です

 約1.1km道成りに坂道を上って来ました道路脇に「八坂神社の銀杏」を見て

 約200mで「本松寺入口」の案内板を左(南西)へ入り道成りに進むと

 東向き参道の本松寺山門です

 松岸山 本松寺寺號標です

 山門南側を通って参道南側の本松寺駐車場に入りました

 長い参道を進みます

 参道右手に鐘楼です

 説明版です
   本松寺の鐘楼
 この鐘楼は木造、入母屋造、銅版瓦棒葺(もとは茅葺であった)袴腰つきで高さは基壇から9.08mである。
 第1層は基底面より3.08mの高さまで外側を腰板で囲み、入口は裏側(北)に設ける。最上部を長押打として高欄を付け、これを支持する持送りは和様の二手先斗栱を組んでいる。とくに中央の斗栱は雲形肘木としていることは注目されよう。
 第二層の基底部は幅70.5cmの回縁になっており、引目縁張りとし高欄には疑宝珠がつけられ、欄干の高さは37cmである。軒桁を支える斗栱は和様の三手先とし、蛇腹をつけ、四隅の柱の上の斗栱は3本の尾棰をつけ、軒は背返しの繁棰で二重に構成されている。
 内側は中心の通し柱2本と周囲の柱10本で組み立てられ、中心柱を梁で結び梵鐘が吊下げられている。いわゆる楼造りに基本型があるわけで下層の周囲に傾斜した板囲い、即ち袴腰の化粧をつけたもので、江戸時代に建造されたものは、千葉県内では八日市場市の飯高寺のほか少数ながら残存しているが、この鐘楼もすぐれた1棟であるといえる。
 本寺所蔵の過去帳によれば、1717(享保2)年12月に建立したと記述されている。
 江戸中期の地方棟梁のすぐれた技術が観られ年代的にも立証され、本県に於ける鐘楼建築の推移を知る上にも貴重な建造物であろう。
         東金市教育委員会指定第16号
         昭和59年6月1日 指定
 

 東向きに本堂です

 鐘楼脇の渡廊下の先に目的のカヤの樹冠が見えました

 渡廊下の下を潜り東側から見上げました

 説明版です
   本松寺の大榧
 東金市松之郷松岸山本松寺(ほんしょうじ)本堂右前にあるこの榧は、周囲4.25m、樹高約20m、樹齢300年と推定され、樹勢は今も旺盛で、多量の果実をつけ、市内随一の名木といわれている。
 本寺は明応元年(1490)に高僧日哲により創建された寺院として知られていたが、不幸にも江戸時代の初期に火災にあい、その後、本堂再建の折、その記念としてこの榧が植栽されたと伝えられている。
 以来、風雪に耐え、今も亭々として天空に聳え、本寺に一層の荘厳さを加えている貴重な天然記念物である。
     東金市教育委員会指定第23号
     昭和60年10月25日 指定


 南側から、根元に大きな洞が開いています

 北東側から、根元には利用されていない榧の実が沢山落ちています

 北側から見上げました

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千葉県東金市、松之郷「八坂神社の銀杏」(市指定)です!!

2023-11-23 06:30:04 | 巨樹・大木
 松之郷地区は、東金市役所の北約3kmのところ

 東金市役所北側の市道を北東へ、約400mで丁字路を左(北西)へ、直ぐにJR東金線の踏切で県道214号線です

 約400mの「片貝県道入口」信号を右(北東)へ、県道119号線です

 約1.2kmの「千葉学芸高入口」信号を左(北西)へ、まだ県道119号線です

 約1.1km道成りに坂道を上って来ました

 県道に張り出すように目的のイチョウです

 少し先へ進んで八坂神社境内に車を止める事が出来ました 

 八坂神社社號標です

 東南東側から

 説明版です
   八坂神社の銀杏
 八坂神社は、正応2年(1289)に久我城主北条久時の勧請と伝えられ、神仏習合時代は天王様と称された。
 指定の銀杏は、境内の西南、鳥居の左側にある神木で、目通り3.70m、高さ約20mを測る雌株で、高さ約5mのところから欅のやどり木が寄生する珍しい状態にある。
 銀杏は、イチョウ科の落葉高木で、雌雄異株であり、雌株は秋に結実する。公孫樹とも呼ばれる。
 以前は、指定の銀杏の西方に対をなして欅の高木があり、市の指定文化財であったが、平成14年に朽ち落ちてしまった。
 八坂神社の森は、九十九里浜庶民の帰途の目安であったという。
      東金市教育委員会指定第5号
      昭和53年11月8日 指定

 南側から、右後方に境内入口です

 西側から見ました

 参道を進みます

 説明版です
    八坂神社
 伏見天皇の御代、正応2年(1289年)に、久我台(現在県立東金商業高等学校校地)の城主、北条武蔵守平久時が居城鬼門鎮護のため、京都下京区祇園町に鎮座する、官幣大社八坂神社の祭神である素戔嗚尊の分身を請い、現地に奉祀されたと記録されている。
 本殿の建造年代はあきらかではないが、元禄2年9月(1689年)雨屋を再建したとの記録があるので、本殿の屋根のいたみの状態からみて、其の以前かなりの年月を経て居ると推定される。
              環境庁・千葉県

 本殿説明版です
    八坂神社本殿
 八坂神社の創建については、正応2年(1289)に北条久時の久我台城から移したとの伝えがある。
 元禄4年(1691)に一間社流造の本殿(内殿ー千葉県指定有形文化財)が建立され、明治27年には現在の本殿(覆い屋)が建立された。
 現在の本殿は、棟札によると明治27年4月12日再興とあって、棟梁は松之郷字西本郷の中村勝次郎、彫刻は東金の大木茂八であり、残されている鏑矢部分により同年3月7日に上棟式の行われたことが分かる。
 また、縮尺15分の1で正面と側面を描いた板図も残り、明治24年に計画されたことも知られる。
 その他、高欄親柱の擬宝珠には、明治33年の寄進銘がある。
 この本殿は、総欅造りで、向拝回りは彫刻で飾られており、質は良い。柱の太さや面取りを位置によって変えたり、垂木間隔を向拝部分のみ狭くしたりするなど芸の細かいところがある。
 建立年代は新しいが、覆屋的要素を持つ本殿という一つの傾向を示す遺例といえよう。
 地元の工匠によってこれだけの建物が造られたことは、東金市の歴史と文化を知る上で貴重である。
    東金市指定有形文化財第56号 東金市教育委員会

 内殿の説明版です
  千葉県指定有形文化財 八坂神社本殿内殿
    創建および沿革
 八坂神社の創立は、正応2年(1289)に久我台より現在地へ遷されたと伝えられている。
 現在の本殿内殿の建立年代については、蟇股の裏面に元禄4年(1691)の墨書があり、様式手法も江戸時代中期のものとみられるので、元禄4年の建立とみてよい。
 現状は、明治27年(1894)に建立された大規模な覆屋風本殿の床上に置かれているが、屋根のこけら葺が風雨にさらされた跡があることから、元来は独立して建っていた本殿であることがわかる。
 覆屋風本殿は再建されたものといわれているので、明治27年以前にも簡単な覆屋が建てられていたのかもしれない。
 この内殿は、彫刻を多用し、彩色を施した装飾性の豊かな社殿で、県下における社殿の流れを知るうえに指標ともなる遺例であろう。
    棟札及び墨書
 身舎東側面蟇股裏面
 「壱津まかへる満た 元禄4辛未極月」
 庇蟇股内側
 「武州 御影物師棟梁 高松直旨作(花押)」
    構造及び形式
 間口7尺の一間社流造本殿。庇正面に軒唐破風を付け、屋根はこけら葺である。
      平成15年3月指定
      千葉県教育委員会

 社務所側に注連縄を巻かれたスダジイです

 社殿です

 拝殿前には狛牛でしょうか

 説明版です
   八坂神社の神使(牛)
 古来、我国の神社には、その祭神に縁故の深い鳥獣虫魚をその神使とし、これを信仰する習俗があった。
 東金市内には日吉神社の猿。鹿渡(かのと)神社の鹿。八坂神社の牛等がその代表的なものである。
 八坂神社拝殿前の一対の牛は、その像長88cm、像高45cmの石造で、寛保3発亥(1743)6月7日、栗生村(九十九里町)飯高十郎右衛門他4名、の寄進によるものである。
 日本神話によれば、八坂神社の祭神素戔嗚尊は、牛に乘り天界より出雲国に降り、その地で農耕に牛を使役して大いに治績を挙げたという。
 当社はその故事に倣い、往古よりこれを神使及び絵馬と定め、以来氏子庶民の信仰を集め今日に至った貴重な文化財である。
       昭和59年3月27日指定
       東金市教育委員会

 社殿西側にも注連縄の巻かれたスギの大木です

 社殿の東側には立派な「小安神社」の社殿です

 子安神社前にもスギの大木です

 境内社が並びます

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