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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛媛県大洲市、八多喜町甲「聖臨寺の八多喜のイチョウ」(市指定)です!!

2025-06-15 18:43:52 | 巨樹・大木
 八多喜町甲地区は、大洲市役所の北約6kmのところ

 大洲市役所東側の国道56号線を北から北東へ進みます

 約3.2kmの「⇐長浜・県道24号線」の標識に従って左(北)へ、肱川右岸沿いを下って行くように進みます

 約5.6kmの「八多喜駅・県道248号線⇒」の標識に従って、信号を右(東)へ、予讃線の踏切を渡ります

 道成に約200mで大洲警察署 八多喜駐在所前に

 聖臨寺の寺号標が立っています

 左(北北西)に参道を入り太鼓橋状の橋をわたると

 大洲市立粟津小学校の校庭に入りました

 車が止まっていましたので、並べて車を止めさせて頂きました

 目的のイチョウは扇方の階段の先です

 まずは道路を西(左)へ行って西側から

 南側から

 説明版です
   大洲市指定天然記念物  八多喜のイチョウ
 根回り8.8m、目通り周6.5m、樹高約34m、枝張り東西に20m、南北に15m、推定樹齢400年
 本樹のある聖臨寺(しょうりんじ)は、弘仁年間(810~824)に弘法大師が四国各地を巡行した際、この地に草堂を建てたことに始まるとされる。
 この寺の山門登り口にある本樹は、落葉広葉の高木で毎年多くの実を付ける雌木である。
 幹は真っ直ぐに立ち、枝は上向きに伸びるものの、枝先の小枝は下向きに垂れているため、紅葉の際には枝が釣り竿のように撓っているように見える。
 本樹は、市内のイチョウの中で夫も高く八多喜町の中でもひときわ目立つことからもシンボル的な樹木となっている。
         指定年月日 昭和31年9月30日指定 大洲市教育委員会

 南東側から

 東向きに聖臨寺の参道です

 境内には「四国八十八霊場」の本尊が祀られています

 北東側から

 参道を少し上って北西側から

 山門です

 山門前から

 山門を潜った境内です

 右手に手水舎です

 お大師様です

 鐘楼です 

 大きな宝篋印塔です

 本堂です

 説明版です
   高野山 真言宗 聖臨寺縁起
 当寺の縁起によれば、当山は熊野権現降神の旧跡にして、四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)相応の霊地として、平安初期、嵯峨天皇の御世、弘仁年間(810~824)に弘法大師空海四国霊場巡錫の折、此地に草堂を建立、本尊、無量寿如来、毘沙門天王等を彫み、大師所有の仏舎利を安置し、諸仏と共に勧請され、山号を熊野山、寺名を松林寺と号した。
 当寺は、祇園神社の別当寺として神仏混合の密教的な役割を果し、大師開創以来、室町中期までの記録は不明であるが、般若心経疏(寿永2年:1183年)伝法潅頂許可書(嘉元2年:1304年)伝法潅頂、金剛界許可書(元応2年:1320年)他、永正、天文、天正、時代の諸作法次第等が残されている。
 当寺、中興の祖である快憲法師(文明13年没:1481年)によって再建された。
 江戸期に入って享保年間(1716年~1736年)この地方も大干魃にみまわれ、大洲城主より、当時住職であった俊応上人に加持祈祷を仰せつけられ、(丸山)寺山山頂にて、龍王権現に雨乞いの秘法を修し、霊験を得てこの地方の干魃は免れたと言われ、その功により大洲城主尊信のもとに明治に至るまで藩内、庄屋中より毎年20石を年頭に納められていた。
 この行事の一部が現在の稲荷祭である。
 また、俊応上人は延享4年(1747年)当寺において密教の重要な儀式である結縁潅頂が行れ、帰信者数14056人と記されている。
 その後、天明2年(1782年)に山号を水精山、寺号を聖臨寺に改められた。当寺は江戸期までは、高野山の金剛三味院の末寺であったが、明治より高野山金剛峯寺の末寺となって今日に及んでいる。
 大正8年18世諦然上人代本堂、位牌堂が再建されたが、昭和18年7月の集中豪雨のため裏山の土砂災害もより、25年にして倒壊し、本尊、諸仏は庫裡に移し仮本堂として、19世諦融上人代の昭和31年に屋根替、大改修が行われた。
 その後、昭和59年が弘法大師御入定1150年に当るため御遠忌の事業として、本堂、位牌堂、再建に第信徒の浄財を以て、10年の歳月をかけ昭和61年5月3日に落慶を迎えた。
 寺山(丸山)の山頂には龍王権現が祀られいて、その横には、昭和18年に建てられた慰霊塔があり、日清、日露、太平洋戦争の戦没者(八多喜、米津、手成)110柱が祀られている。
 以前、山門に釣られていた梵鐘は、寛文5年((1665年)に鎌田九左門が、元、祇園神社に奉納されていたもので、明治の廃仏毀釈の難に遇い当寺へ移されたが、太平洋戦争中昭和18年に国の令により供出された。その後、昭和51年8月8日に檀信徒の浄財により、梵鐘、鐘楼堂が建立され現在に至っている。
                聖臨寺現住20世 諦光代 (以下略)

 境内社の稲荷社です

 境内からイチョウの樹冠が見えました

 では、次へ行きましょう





 2025・4・12・15・30
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愛媛県大洲市、米津広岡 「金竜寺のイチョウ」(県指定)です!!

2025-06-15 12:39:35 | 巨樹・大木
 米津広岡地区は、大洲市役所の北約8kmのところ
 
 大洲市役所東側の国道56号線を北から北東へ進みます

 約3.2kmの「⇐長浜・県道24号線」の標識に従って左(北)へ、肱川右岸沿いを下って行くように進みます

 約6.3kmの「広岡・河内⇗」の標識で斜め右下へ下ると、予讃線の線路を潜ります

 右手の細い河内川沿いを東北東へ進み、約800mのビニールハウス手前を斜め左(北)へ

 道成に坂道を上って約1.1kmの防火用水の先を鋭角に右(北東)へ

道成に上って行くと約400mで広岡集会所(標高約150m)横に出ました、この先は行止まりですので直ぐ先の道路脇に車を止めさせて頂きました

 集会所のフェンス内に説明版があります
   愛知県指定天然記念物
     金竜寺(きんりゅうじ)のイチョウ
 根回り15m、幹周9.8m、樹高約25m、枝張り東西に31m、南北に26m、推定樹齢約200年
 金竜寺境内にある本樹は、寺の棟札によれば、文化3年(1806)のお堂を再建するため当時大木であったイチョウを伐採して建築に費用に当てたことが記されている。
 現在のイチョウは、この時伐採された切株から発芽したもので、樹齢200年を越えているにもかかわらず、樹勢は活発で今も秋にはよく結実する。
 本樹は、市内のイチョウのなかでも根回りが最大であるだけでなく、樹齢が明らかとなっている珍し事例として歴史的な面から見ても貴重な樹木である。
           指定年月日 昭和44年2月18日  愛媛県教育委員会
 *巨大なイチョウが楽しみです、行ってみましょう

 東向きに参道入口です、イチョウの樹冠が見えます
 
 参道に面して広岡集会所です

 参道を進みます

 八重咲のヤマブキですね


 広場に出ましたが二本のイチョウがありますが、金竜寺の御堂は崩れてしまっています

 南側(左手)の一本を東側から、こちらが目的のイチョウです

 金竜寺のイチョウの標柱です

 根元の祠です

 南側から、幹4本の合体木です

 北側根元には枯れ葉が溜まっています

 西側から見上げました

 崩れてしまった金竜寺御堂です、説明版にあったように文化3年にイチョウを切って再建費用に当てて建てた御堂でしたが・・・

 境内北側(右手)の一本です

 南側から、こちらも幹4本の合体木です

 南西側から

 東側から、目通り幹囲7.5mの巨木です

 北側の自然石の祠です

 昭和62年(1987)に伐採されたとされるイチョウの切株からは細いヒコバエが伸びています、或る程度伸びるとヒコバエが整理されているようです

 テンナンショウ属の花が咲いていました

 では、次へ行きましょう




 2025・4・12・15・10
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愛媛県大洲市、手成 甲「西禅寺のビャクシン 」(県指定)です!!

2025-06-15 06:42:36 | 巨樹・大木
 手成甲地区は、大洲市役所の北約8kmの山の中です

 地区の北側を走る県道330号線を下って来ましたが、西禅寺寺の標高は約130m付近ですので、大洲市役所からのルートで説明します

 大洲市役所東側の国道56号線を北から北東へ進みます

 約3.2kmの「⇐長浜・県道24号線」の標識に従って左(北)へ、肱川右岸沿いを下って行くように進みます

 約4.3kmの「大洲ホーム⇨」の案内板を右(北東)へ、約300mで予讃線の踏切を渡ります

 約1.2kmの「柳沢・手成・宇山⇗」の標識を右(北)へ、先の橋のところに西禅寺の案内板があります

 約2.2kmで西禅寺参道入口です

 約200mで西禅寺駐車場に入りました

 「準別格地 横松山 西禅寺」寺号標です

 境内にビャクシンの樹冠が見えます

 六地蔵堂です

 山門です

 手水鉢です

 本堂です

 境内左手(南側)に目的のビャクシンです

 西側から

 「西禅寺のビャクシン」の標柱です

 説明版です
   愛媛県指定天然記念物
     西禅寺のビャクシン
 根回り5.6m、幹周4m、樹高約13m、枝張り東西に14m、南北に12m、推定樹齢600年
 本樹のある西禅寺は、康永2年(1343)下野国(栃木県)の真空妙応を開山として建立された寺院で、中世の頃に当地域を治めた瀧之城の城主津々喜谷氏の菩提寺であった。
 本樹の根回りと幹周がほぼ同じ大きさであるのは、後世に庭を現在の高さに埋め立てた際、本来の根元を埋め立てたためで、元々は約1.5m低い場所に根元があったとされている。
 市内の中でも長命樹の一つである本樹は、地上約4mの場所で2分し、一方の幹の先端は枯死しているが、長年の風雨に耐えてきた樹の姿は、古刹にふさわしい銘木と言える。
         指定年月日 昭和44年2月18日 指定  愛媛県教育委員会
 *住職さんが本堂のお掃除に出てこられました、挨拶してお話を伺うことが出来ました、開山の方がお父さんの出身地の栃木県出身者だったことを御存じで、南北朝時代に四国の山奥まで来ていた事に驚いてしまいました

 南西側から

 南側から

 南西側境内端から見ました

 では、次へ行きましょう





 2025・4・12・14・45
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愛媛県大洲市、長浜町今坊「無事喜地のタブノキ」(県指定)です!!

2025-06-14 18:53:50 | 巨樹・大木
 長浜町今坊無事喜地(ぶじきじ)地区は、大洲市役所の北北西約12km、大洲市役所長浜支所の東約3kmのところ

 足山(標高675.1m)の北西斜面の標高約360mの山の中の集落です

 大洲市役所長浜支所東側の国道378号線を北東へ長浜市街地を進みます

 約300mで右に曲がり約350mで横断歩道の手前を右(南)へ、ここからは県道330号線です

 入って直ぐに左へ予讃線の踏切を渡りまた左(東北東)へ、細い道路を上って行きます

 道成りに約1.4kmで二車線道路の丁字路を右(南東)へ、まだまだ県道330号線です

 道成りに約3.7kmで道路を覆うような樹冠が見えて来ます


 樹冠を潜った南側の御堂前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側から

 樹冠にはいると目的のタブノキです

 南東側から

 「町指定文化財 たぶのき 天然記念物」の標柱です

 説明版です
   愛媛県指定天然記念物
     無事喜地(ぶじきじ)のタブノキ
 根回り9.6m、幹周7.4m、樹高約15m、枝張り東西に24m、南北に28.0m、推定樹齢300年
 本樹は、根元から高さ約1.6mで9本の幹に分かれ、半径11~15mの半円球状に拡がった枝張りは、バランスのとれた見事な樹形を形成している。
 秋には黒紫色の実をつけること、また、長い果柄(枝から伸びて実をさせる柄)が赤色を帯ていることから、赤い花が咲いたように見える。
 7.4mの幹周は、県内のタブノキの中で最大で、全国的に見ても見劣りしない巨木である。
               指定年月日 平成2年3月27日  愛媛県教育委員会

 南側から

 西側から

 北側から

 東側から見上げました

 根元の小さな祠です

 起工昭和28年、完成昭和43年の道路完成記念碑です、昭和44年4月吉日銘の寄付者一覧です

 では、次へ行きましょう

 東へ道成りに約4km進んで標高約520mまで来ました道路右手(西側斜面)に綺麗な棚田です

 「天空の隠れ里樫谷」の棚田です、樫谷棚田保存会が守っているそうです

 先を急ぎましょう





 2025・4・12・14・00
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愛媛県大洲市、長浜町櫛生「櫛生のイタジイ」(市指定)です!!

2025-06-14 12:32:00 | 巨樹・大木
 長浜町櫛生地区は、大洲市役所の北西約12km、大洲市役所長浜支所のなんせ約6kmのところ

 大洲市役所長浜支所東側の国道378号線を南西へ、左手に冬の朝の「肱川あらし」で有名な長浜橋を見ながら肱川河口寄りの新長浜大橋を渡ります

 その後は、右手に伊予灘を見ながら「夕やけこやけライン」を進みます

 道成に約6.1kmで「⇑櫛生・県道240号線」の標識を斜め左(南東)へ、約100mでまた左(東)へ

 約700mの左カーブのところから細いをつづら折りの坂道を上がります

 7つ目のヘアピンカーブを過ぎて右上に大きな樹冠が見えます

 さらに約200mで右へ入る道路がありますので前に車を止めさせて頂きました

 南へ入ると目的のイタジイです

 北西側から

 西側から

 太い幹は目通り7mの巨木です

 伊予灘方面を見ました

 では、次へ行きましょう





 2025・4・12・13・25
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愛媛県大洲市、豊茂乙(中)「三島神社のイチョウとカヤ」(市指定)です!!

2025-06-13 18:42:00 | 巨樹・大木
 豊茂乙(中)地区は、大洲し役所の北西約10kmのところ

 三島神社は、「豊茂のコガノキ」から北東へ約700mのところです

 コガノキから道成りに600mで

 イチョウの樹冠が見えました

 ここから境内外側を半円を描く様にぐるっと回り込むと、境内北西側の駐車場に入りました

 南南西向きに境内入口です

 鳥居です

 手水舎です

 右手に目的のイチョウです

 南西側から

 「町指定文化財 いちょう 天然記念物」の標柱です

 説明版です
   「イチョウ」(町指定文化財 天然記念物)
 このイチョウは、樹齢約400年の雌木である。
 目通り6.1m、樹高は約35mに達している。
 地上約10mのところから枝葉をつけ、南側は特によく繁っている。
 4月頃に若葉と共に小さな花をつけ秋にはたくさんの実(ギンナン)がなる。
 神社仏閣に植えられているイチョウは多いが、この木のように勢いよく雄大なものはあまり類のないものである。
                 長浜町教育委員会
 *喜多郡長浜町は、平成17年(2005)1月11日に-、大洲市・喜多郡肱川町・河辺村と新設合併し、改めて大洲市が発足しました。

 南側根元から見上げました

 大きなサルノコシカケ科のキノコが生えています

 東側から

 北側から

 西側から

 拝殿です


 本殿です

 再建石碑です
   三島神社改修事業略記
 当神社は、830年前の平治元年(1159年)に出石寺の別当社として勧請され、以来豊茂の氏神となる。
 現在の社殿は、嘉永元年(1848年)から明治22年(1889年)の間に造営、永年の風雨で御屋根のいたみははなはだしく、ここに氏子等は、敬信の誠をあらわし、名工の技をもって社殿の改修と境内の整備を行い、よって神威の昂揚をはかり、氏子及び世の中の平安と繁栄を祈願するものである。
                   平成2年10月吉日    (以下略)

 社殿東側の境内社です

 左手にはカヤの木です

 南東側から

 南西側から

 「町指定文化財 カヤ 天然記念物」の標柱です

 説明版です
   「カヤ」(町指定文化財 天然記念物)
 このカヤの木はイチイ科に属し、幹の根回り6,2m、目通り3.7m、樹高は約19mに達しており、樹齢は約850年と推定されている。
 雌雄異株で、雌木であるこの木は4月頃小さな花をつけ、10月頃に1~2cmの赤褐色で先のとがった楕円形の実をたくさんつけて食用になる。
 材は碁盤や将棋盤として珍重され、その大きさになるには500年かかるといわれている。
 このカヤの木は神社創設の記念樹とも言われ、近在には数少ない巨木である。
                長浜町教育委員会

 西側から

 北西側から

 北側から

 北東側から見ました

 社殿西側の境内社です

 長くなってしまいました、次へ行きましょう





 2024・4・12・12・45
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愛媛県大洲市、豊茂甲「豊茂のコガノキ」(市指定)です!!

2025-06-13 12:35:00 | 巨樹・大木
 豊茂甲地区は、大洲市役所の西北西約12kmのところ

 郷の峠へ戻って峠の丁字路(大洲市と八幡浜市の境)を鋭角に右(北:長浜方面)へ、

 坂道を下って行きます、約1.6kmで「米軍飛行艇慰霊碑」を見て

 さらに道成りに約5.5kmの左カーブの「⇐本村・郷」の標識に従ってその先の右カーブの手前を左(西)へ

 道成りに北東方向へ約800m進んだ

 右手の藪の中に大きな木が見えました

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北東側から藪に入ると目的のコガノキです

 「町指定文化財 コガノキ 天然記念物」の標柱です
 *喜多郡長浜町は、平成17年(2005)1月11日に-、大洲市・喜多郡肱川町・河辺村と新設合併し、改めて大洲市が発足しました。

 説明版です
   大洲市天然記念物
     豊茂のコガノキ
 根回り6.8m、幹周6.8m、樹高約13m、枝張り東西に19.5m、南北に15.5m、推定樹齢約400年
 コガノキは、古い樹皮が班状に薄く剥げ落ち、木肌に残った痕跡が鹿の子ども(小鹿)の模様に似ていることから名付けられた。「カゴノキ」とも呼ぶほか、大洲地方では単に「コガ」とも呼ぶ。
 県内では標高700m以下でみられるといわれ、、温暖な緩斜面で成長することが多い。
 本樹は、張木山(468.6m)の麓に広がる段丘の端部に位置し、標高は約260mになる。
 本樹は神木として保護されてきたため、これほどの大木に成長したとされる。また、本樹のそばにある石碑は、一字一石経(小石に1字ずつ法華経を転写したもの)が埋納されていることを伝えており、強い信仰の対象であったことがわかる。
 このほか、大洲藩主が切り目を入れたと言い伝えられる傷痕も残されている。
 コガノキとしては県内でも有数の大木さを誇るとされるほか、地域の歴史や伝承を後世に伝える重要な樹木である。
           指定年月日  昭和46年3月30日  大洲市教育委員会

 北側から

 一字一石経の石碑です

 八大竜王と八王子山千匹塚の石碑です

 熊野権現の石碑です

 西側の道路から

 南西側から

 南側から見上げました

 では、次へ行きましょう





 2024・4・12・12・30
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愛媛県大洲市、豊茂乙「出石寺のカツラ」(市指定)です!!

2025-06-12 12:51:00 | 巨樹・大木
 豊茂乙地区は、大洲市役所の西北西約10kmのところの山の中です

 出石寺は、標高812mの出石山山頂に四国別格霊場第7番札所の出石寺が北東向参道であります

 今回は、佐田岬半島から直接「出石寺のカツラ」を目指した来ましたので、ほぼ八幡浜市内を通って来ました

 八幡浜市保内町喜木の国道197号と国道378号線の交差点信号を東へ、国道378号線です

 約1kmの信号を鋭角に左(北西)へ、県道28号線です、約200mで「金山出石寺15km」の標識を右(北)へ

 道成に約4,3kmの「⇙長浜・金山出石寺」の標識で、また鋭角に左(西北西)へ、まだまだ県道28号線です

 ここから先は郷の峠までの登り道です、約3km先からはヘアピンカーブが連続するような道路となります 

 約6.8kmで郷の峠(標高642m)の出石山登山口です

 登山道は山頂まで約600m(標高差約170m)です、西側からの出石寺裏参道となっています

 車道は出石山の北側斜面を廻る様に進みます

 約1kmで目的のカツラが見えて来ます、出石寺駐車場まで約600mの地点です

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南西側から、第二世代のカツラです

 「町指定文化財 かつら 天然記念物」の標柱です 
 *喜多郡長浜町は、平成17年(2005)1月11日に-、大洲市・喜多郡肱川町・河辺村と新設合併し、改めて大洲市が発足しました。

 南側から、幹には傷が多いのは、第二世代の幹が倒れた痕です

 説明版です
   大洲市指定天然記念物
     出石寺のカツラ
 根回り10.2m、幹周6.4m、樹高約20m、枝張り東西に16m、南北に10m、推定樹齢約500年
 金山出石寺は、境内一帯が瀬戸内海国立公園に属し、加えて県の名勝にも指定されている。
 とくに、境内の北側と南側の原生林に近い状態で保護されており、巨木や古木が多数残されているほか、貴重な草本類もみられる。本樹は、こうした樹林の代表的存在といえる。
 出石寺参道の傍ら(標高約730m)に自生する本樹は、樹高約20mを測り、推定樹齢は約500年を数え、出石寺境内では最大とされる。
 当初は8幹が株立ちしていたものの、残念ながら枯死などで5幹を失っている。しかし、残された3幹は健在で、げん在も多くの葉を茂らせている。
 カツラは黄葉が美しく、街路樹や公園樹として植栽されることが多い。しかし、自生のカツラの数は少数であるうえ、四国内では標高700m以上で自生する傾向があるため、目にできる機会はわずかしかない。
 これほどの古木で、巨木にまで成長した本樹は、カツラとして貴重なものといえる。
        指定年月日 昭和46年3月30日  大洲市教育委員会

 南東側から
 
 東側から見上げました

 道路上側から見ました

 では、出石寺まで行きましょう




 2025・4・12・11・40
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愛媛県伊方町、中浦 甲「法通寺境内のナギ 」(県指定)です!!

2025-06-11 12:36:16 | 巨樹・大木
 中浦 甲地区は、伊方町役場の西約1kmのところ

 四国三十三観音霊場第17番札所の法通寺へは国道197号佐田岬メロディーラインから入ります

 伊方町役場西側の通りを北へ、約100mで道成に左へ曲がって市街地を西へ進みます

 約750mで左手に鳥居の有る交差点を右(北)へ、細い道路を上って行きます

 約500mで国道197号線の下のトンネルを潜って、約200m左へ一回りして国道に合流します

 東へ約150mのトンネル手前の右手に法通寺への入り口があります

 道成りに約300mで法通寺の駐車場に入りました

 石段の上に法通寺山門です

 手水舎です

 真言宗 御室派 法通寺です

 四国ぼけ封じ 四国三十三観音 第17番霊場です

 お大師様です

 本堂です
 *当山は養老元年(707)開創された古刹である。
 当初は薬師如来を本尊として「薬王寺」と称した。文正2年(1467)に火災のため本尊は焼失を免れるも、一切の記録は焼失した。
 天正5年(1577)丸岡城主、有馬右兵衛佐藤原義通の保護により伽藍を再興。
 次の18番札所出石寺より行基作と伝わる阿弥陀如来を迎えて本尊とし、無量壽山来迎院法通寺と寺号を改めた。
 江戸時代には宇和島藩主伊達家の保護を受け寺運大いに栄えた。(四国三十三観音霊場会HPの一部抜粋です)

 御堂です

 本堂前西側の御堂の脇に目的のナギです

 東側から近付ます

 南側から

 東側から

 説明版です
   ナギ
 愛媛県指定天然記念物 昭和54年(1979)3月20日指定
 ナギはマキ科マキ属の常緑高木。温暖地の山中に自生するが、神社仏閣の庭樹として栽培されるほかに自生は少ない。
 法通寺のナギは雌株とされ、境内の一隅で石垣に接した場所であはあるが、南に面した温暖な地の利を得てよく繁茂しており、当地方に稀な巨木である。
 主幹は地上4.4mで腋芽を出して3本となり、根回り約5m、目通り3.5m、樹高約18m、地上7mで第一側枝を、それより約1mごとに側枝を出し、枝は半径約8mで東西南北およそ均等に張っている。
 ナギは一見すると葉の形から広葉樹に見えるが、分類上は裸子植物。
 葉は革質で厚く、主脈がなくて多数の細い平行脈があるので、引っ張ってもなかなかちぎれない。そのためチカラシバとかベンケイナカセなどの別名もある。
      伊方町教育委員会・伊方町文化財保護審議会

 北側から見上げました

 ナギの西側の御堂です

 では、佐田岬の西の端へ行きましょう





2025・4・12・06・45
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愛媛県大洲市肱川町宇和川中野「三島神社のイチイガシ」(県指定)です!!

2025-06-11 06:54:25 | 巨樹・大木
 肱川町宇和川中野地区は、大洲市役所の東南東約20km、大洲市役所肱川支所の西北西約1kmのところ

 肱川町(ひじかわちょう)は、愛媛県の南予地方にあった町で、肱川の中流域に位置し、平成17年(2005)1月11日に大洲市、長浜町、河辺村と合併し、新しい大洲市となりました。

 大洲市役所肱川支所東側の道路を南へ出て、丁字路を右(西)へ川辺川を渡る県道55号線です

 約150mで左からの道路に合流するように右へ進み、約100で斜め左へ肱川を渡ります

 橋の先に丁字路を右(北西)へ国道197号線ですが、直ぐの赤い「八大龍王大権現」の鳥居を左に潜って

 また直ぐの「⇐小藪温泉2km」の案内板を左へ坂道を上ります

 ヘアピンカーブ2つ目直ぐ先の「⇐小藪温泉1km」「上中野⇗」の案内標識を右(北東)へ

 道成りに約900mの変形十字路を右(北)へ

 直ぐ左に擁壁を切通し状にして、南向きの参道が出ています

 奥に三島神社が鎮座しますので参道を進んで

 境内入口に車を止めさせて頂きました

 目的のイチイガシです

 天然記念物標柱です

 説明版です
   愛媛県指定天然記念物
     イチイガシ
 根回り9.5m、幹周8.3m、樹高18m、枝張り東西に11.7m、南北に19.5m、推定樹齢約1300年
 イチイガシは、関東以西の暖地にみられる常緑高木であり、神社境内に植栽される例が多い。
 和名にある「イチイ」は、カシ材としては最良(一位)だったためとも、薪として使用し最火(いちじるしい火)を点けたためとも言われるが、詳細は不明である、
 本樹は、三島神社の境内にある老木で、根の近くには多数の瘤があり、主幹には大きな樹洞が形成されている。
 三島神社の社伝によれば、大宝年間(701~704年)の神社創建の際、すでに大木であったとされており、この社伝に出てくる大木が本樹のことを指すのであれば、本樹は1300年を超えることとなる。
 威厳ある佇まいに加え、市内の樹木として最長寿とみられることから、貴重な1本と言える。
         指定年月日 昭和43年3月8日  設置:大洲市教育委員会

 西側から

 南西側から

 根元から見上げました

 鳥居です

 手水鉢です

 拝殿です

 軒下に説明版です
   氏神様の社殿の由来について
 私達の氏神様であります此の三島神社の社伝は、大宝元辛己の歳の8月(1268年前)当社の東南にあたるところに大木ありて、その木の下に老翁来たりて語らい給い当地の産地神は三島大神であると告げられたので、氏子の人々相語らいて、宝亀2年(1198年前)に本館が建られ、次いで貞観8年8月22日(1103年前)に拝殿が造営され、さらに萬寿元年2月13日(945年前)、建武元年11月13日(637年前)の前後4回にわたって造営されたのであります。
 然るところ永禄11年8月下旬に(401年前)土佐の国より一条頼房郷が長曽我部の大軍と共に伊豫の国に来襲し鳥坂の城を攻めたとき、此の社殿に火を放って焼き、そのため、それより18年後の天正14丙戌の歳の11月13日(384年前)に再建され、なお、又それより132年後の明和5年(251年前)に建て替えられたものが現在の社殿であるとされておるのであります。
 この由来は当神社13代目の神職社掌和気八隅源朝臣萬春といわれるお方が、大正8年8月に此の神社に傳る古い記録をもとにづづられたものによるものでございます。
      昭和44年4月13日  三島神社専務総代 二葉竹次郎 謹記 


 本殿覆い屋です

 シャガの花が咲いていました

 では、小藪温泉へ行って今日の汗を流すことにしましょう

 小藪温泉に到着しました




 2025・4・11・17・10
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愛媛県大洲市、菅田町宇津「神馬社のイチョウ」です!!

2025-06-10 18:35:51 | 巨樹・大木
 菅田町宇津地区は、大洲市役所の東約8kmのところ

 大洲市役所北東側の「片原町交差点」信号を東へ、国道441号線です

 道成りに東から南、そして南東へと肱川左岸に沿って約900mの信号からは直進して県道44号線です

 道成りに更に肱川左岸沿いを約9.2kmで左手に南東向きに日枝神社の鳥居が建っています

 更に約200mで県道右に目的のイチョウです

 直ぐ先の神馬社前の県道脇に車を止めさせて頂きました

 神馬社の社殿です

 南側から

 東側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 北側から

 北西側から見上げました

 では、次へ行きましょう





 2025・4・11・16・45
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愛媛県大洲市、菅田町宇津「日枝神社のムクエノキ」(市指定)です!!

2025-06-10 13:12:33 | 巨樹・大木
 菅田町宇津地区は、大洲市役所の東約8kmのところ

 大洲市役所北東側の「片原町交差点」信号を東へ、国道441号線です

 道成りに東から南、そして南東へと肱川左岸に沿って約900mの信号からは直進して県道44号線です

 道成りに更に肱川左岸沿いを約9.2kmで左手に日枝神社の社叢が見えます

 すぐ先に南東向きに日枝神社の鳥居が建っています

 鳥居脇の駐車スペースに車を止めさせて頂き神社へ向かいます

 参道を西へ進むと大きな木が見えます

 参道右手の大木が目的のムクエノキです

 南東側から、板根が発達しています

 説明版です
   大洲市指定天然記念物
     日枝神社のムクエノキ
 根回り23.5m(板根含)目通り周5.7m、樹高約25m、枝張り東西に29m、南北に27m、推定樹齢350年程度
 本樹は、二レ科の落葉の高木で、秋には径1cmほどの球形の実が黒熟し甘くて食べられる。
 この実を鳥が好んで食べ、いろいろな所へ種子を落とすため、神社の森や湖畔林など至る所にこの木が育っている。
 市内の各所には古木も多くあり、天然記念物にしていされているものも他に4件ある(新谷・宇津・一ノ宮神社・田処境)。
 和名の由来については、乾燥させた葉を家具などを磨くために使ったことから「剥くの木」とか、枝葉がよく茂るので「茂くの木」といった説がある。
         指定年月日 昭和53年1月26日   大洲市教育委員会

 南側から

 西側から

 北西側から見上げました

 拝殿前の注連縄の巻かれたイチョウを北側から
 
 西側から見ました、目通り周は4m程(目測)、境内には他にも大木が数本見られます

 手水舎です

 拝殿前には舞台が置かれています

 本殿覆い屋です

 本殿西側にチシャノキです

 説明版です
   大洲市指定天然記念物
     日枝神社のチシャノキ
 根回り4.4m、目通り周2.3m、樹高約17m、枝張り東西に11.5m、南北に12.5m、推定樹齢200年
 本樹は、ムラサキ科の落葉の高木で、四国以南の低地に自生し、人家などにも植えられている、若葉は食用となり、材は粘りがあり丈夫であることから、天秤棒などに利用された。
 和名の由来ははっきりしないが、葉がカキノキに似ているので「カキノキダマシ」の別名もある。
 本樹は、自生のものが残されたと思われ、この種としては市内最大である。
       指定年月日 昭和53年1月26日   大洲市教育委員会

 西側から見ました

 では、次へ行きましょう





 2025・4・11・16・25
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愛媛県西予市、宇和町下松葉「春日神社のタブノキ」(市指定)です!!

2025-06-09 18:41:32 | 巨樹・大木
 宇和町下松葉地区は、西予市役所の北北西約2kmのところ

 西予市役所駐車場を北東へ出て約80m信号を左(北西)へ、国道56号線を進みます

 約1.7kmの「下松葉交差点」信号を鋭角に右(南東)へ入ります

 左手が春日神社境内です

 春日神社駐車スペースに車を止めさせて頂きま

 南へ進んで振り返る位置に南向きの参道入口です

 春日神社鳥居です

 参道に入ると直ぐ左手に目的のタブノキです

 市指定天然記念物「昭和58年12月9日指定 タブノキ」の標柱です

 東側から

 北東側から

 北側から見上げました

 階段がありますので西側の道路へ一度降りました、北西側から

 西側から、目通り幹囲5.6mの巨木です

 南西側から見上げました

 春日神社へお参りしましょう

 手水舎です

 参道を進みます

 拝殿です


 本殿です
 
 境内社です

 では、次へ行きましょう




 

 20245・4・11・15・00
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愛媛県宇和島市、三間町宮野下「三島神社のクスノキ」(市指定)です!!

2025-06-08 18:34:00 | 巨樹・大木
 三間町宮野下地区は、宇和島市役所の北東約9kmのところ

 宇和島市役所三間支所の直ぐ北東側に三島神社が南向き参道で鎮座します

 参道西側の社務所前に車を止めさせて頂きました

 三島神社社號標です

 参道を進みます

 社叢は天然記念物指定されています

 手水舎です

 さらに石段を登ります

 中段には恵美須神社です
 
 恵美須神社の直ぐ上参道左奥に大きなクスノキが見えました

 南東側から、目通り幹囲5.7mの巨木です

 南側からはツバキ林の中に成りました

 参道石段に戻ります

 また手水舎です

 鐘楼です

 鐘楼前に注連縄を巻かれたクスノキです

 境内南西端にも大きなクスノキです

 「宇和島市指定文化財 楠二本」の標柱です

 北側から、目通り幹囲5.8mの巨木です

 北東側から見ました

 東側から

 拝殿です


 本殿です

 建築記念碑です
   建築記念碑
 抑(そもそ)も、当三島神社は、その昔天平10年日本惣鎮守と崇め奉る大三島国幣大社大山祇神社の御分霊を齋(つつし)き奉りしより茲(ここ)に1189年の歳月を経、御由緒正しく旧御領内3社の一つとして、藩主の崇敬厚かりしは普(あまね)く人の知る處なり。
 されば御氏子 御分地・・は45箇村にして御神徳 が上にも栄え、御祭も盛んなり。
 星移り世も変りて社殿もいと古ひしかば、三間村老年会の人々首唱の下に拝殿と中殿とを改築する事に決し、大正14年6月30日釿始め、同年11月22日上棟式を挙く、・して建築費は総計金一万七千余円を要す、茲に大要を・げ記念とす。
   大正15年3月

 社殿東側の境内社です

 社殿西側には神馬社です

 ヒノキの御神木は、目通り幹囲3.2mの大木です

 境内西側の道路を下ってクスノキの樹冠を見上げました


 では、次に行きましょう




 2025・4・11・13・00
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愛媛県宇和島市、伊吹町甲「伊吹八幡神社のイブキ2本」(国指定)です!!

2025-06-08 06:35:04 | 巨樹・大木
 伊吹町甲地区は、宇和島市役所の北北東約2kmのところ

 宇和島市役所東側の道路を南南東へ、栄橋を渡って直ぐの時差式信号を左(東北東)へ、坑道320号線です

 約250mの「⇐松山・国道56号線」の標識に従って左(北北西)へ

 約150mの「寿町1」で道成りに右(北東)へカーブします

 約750mの「和霊交差点」で国道56号線を左に別けて、直進します

 道成に約700mで「須賀川」の橋を渡って直ぐ右(北東)へ

 約200mで左手に「八幡神社」が南向きに鎮座します

 参道入口鳥居です

 鳥居左側の道路を進んで境内に車を止める事が出来ました

 自然石に八幡宮の文字です

 郷社 八幡神社 社號標です

 手水舎です

 参道を進むと拝殿前東西両側に目的のイブキです

 向かって右側のイブキ

 西側から

 南側から、目通り幹囲4.8mの大木です

 東側から見ました

 拝殿です

 左側のイブキです

 東側から

 南側から、目通り幹囲4.2mの大木です

 「国指定 天然記念物 いぶき」の標柱です、文面には・・・
 和名 いぶき 漢名 刺柏 学名 Juniperus chinensis var. chinensis
 昭和18年2月19日、内務大臣より天然記念物に指定される。
 社記によると「源朝臣義経、伊予守補任の時、祈願により一宇造営有之家臣鈴木三郎重家をして庭上に伊吹木と云う木を2本植置し」とあり、これにより本年を樹齢800歳と推定、長寿を祝し昭和61年10月16日神前に奉告祭を斎行、参道へ二世を植樹する。

 西側から見ました


 本殿です 

 由来記石碑です
   伊吹八幡神社御由緒
 御祭神は応神天皇・神功皇后・田心姫尊・湍津姫尊・市杵島姫尊・の御5柱である。
 御由緒は社記によると、九州宇佐八幡より勧請し、和銅5年(712)初めて祭祀が行われた。
 源義経伊予守補任(1180ごろ)のとき社殿を造営し、家臣鈴木三郎重家に命じて庭に2本の伊吹木を植えさせた。
 これが御社頭の国指定天然記念物「いぶき」である。
 天正15年(1587)戸田民部少補入国の節参詣し、宇和郡の鎮守と定めた。
 慶長12年(1607)領主藤堂高虎社殿を再興し、元和元年(1615)伊達秀宗入部の後は伊達家の祈願所となった。
 御社宝には、嘉元3年(1305)銘のある「舞楽散手面」藤堂高虎奉納の絵馬「牛若丸と弁慶の五条大橋図」「松に鷹図」、伊達秀宗奉納の「太刀・薙刀(国徳作)」などがある。
 なお、元文3年(1738)に神主豊部豊前守応曹が「伊予神楽舞歌 并 次第目録」(全5巻)を著した。
 この歴史的資料により「伊予神楽」は国の重要無形文化財に指定された。
   御祭日は春祭4月16日、夏越祭6月30日、秋祭り10月16日である。
       昭和59年10月吉日  第15世宮司 渡部正謹撰 并 題

 文化財一覧です

 境内社です

 西側にずらっと並んでいます

 では、次へ行きましょう




 2025・4・11・12・00
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