東納庫宮ノ前地区は、設楽町役場の北北西約6kmのところ
設楽町役場を北へ出て国道257号線を右(北東)へ進みます、設楽ダム工事の為道路が変更されて来ています
道成りに約2.8kmで「設楽大橋東」信号を左(北西)へ、まだまだ国道257号線です
道成りに約8.2km一山超えてかつての名倉村に入り、「天竜奥三河国定公園 保盤石入口の看板のある交差点を右(東)へ
寺脇八幡神社の社叢が見えます
約400mで左(北)へ入って100m足らずでまた右へ坂道を登ると寺脇八幡神社参道です
西向きに寺脇八幡神社参道の鳥居です
直ぐ先の地区集会所前の駐車場に車を止めさせて頂きました
*この日は地区の清掃日だったようで、続々と軽トラックが集合してきました、開始時間が8時からのようでしたので、急いで取材させて頂きました
八幡神社の社號標です
参道石段を上がります
石段上境内西端に目的の大杉が見えました
南側から、細い注連縄が巻かれています
南東側から
東側から
「町指定(天然記念物)大杉 設楽町」標柱です
*昭和31年(1956)9月30日に北設楽郡名倉村は、田口町、段嶺村、、振草村の一部が合併して〈旧〉設楽町が発足しました、その後平成17年(2005)9月30日に、旧〉設楽町と津具村が合併し、〈新〉設楽町が発足ました
北東側から、目通り幹囲6.8mの巨木です
北側から見上げました
拝殿です
本殿覆い屋です
*由緒の写真がブレてしまいました
由緒
当八幡神社は東納庫宮ノ前1番地に位置し、足助荘宮平八幡宮を勧請して、永禄2年(1559)の創建と云う。
祭神は、応神天皇・日本武尊・素戔嗚尊
文録3年(1593)と記した懸仏が在り、宝物とされている。
寛永8年(1631)の棟札を始め二十余の棟札を社蔵し、明治9年郷社、同43年には共進指定となり、同43年鳶田神社を合祀し、村社津島神社を境内社とした。
馬の産地でしたので、馬撓と云われる神事があり、馬の背に藁を用いた飾台を作り、五色の造花を飾って神前馬場にて競馬し、参詣者は霊験有りと造花を奪い合ったと云う。
本殿は県指定文化財で、寛政8年(1796)の創建とされる檜皮葺き一間社流造で、彩色総漆塗りで正面左右には金色の昇り龍と下り龍の彫刻があり、これらの彩色彫刻等に桃山手法が用いられている等、建築文化の地方伝播の状態を知る上で貴重なものとされている。
平成11年8月吉日 建之
では、次へ行きましょ
2024・4・14・7・50
設楽町役場を北へ出て国道257号線を右(北東)へ進みます、設楽ダム工事の為道路が変更されて来ています
道成りに約2.8kmで「設楽大橋東」信号を左(北西)へ、まだまだ国道257号線です
道成りに約8.2km一山超えてかつての名倉村に入り、「天竜奥三河国定公園 保盤石入口の看板のある交差点を右(東)へ
寺脇八幡神社の社叢が見えます
約400mで左(北)へ入って100m足らずでまた右へ坂道を登ると寺脇八幡神社参道です
西向きに寺脇八幡神社参道の鳥居です
直ぐ先の地区集会所前の駐車場に車を止めさせて頂きました
*この日は地区の清掃日だったようで、続々と軽トラックが集合してきました、開始時間が8時からのようでしたので、急いで取材させて頂きました
八幡神社の社號標です
参道石段を上がります
石段上境内西端に目的の大杉が見えました
南側から、細い注連縄が巻かれています
南東側から
東側から
「町指定(天然記念物)大杉 設楽町」標柱です
*昭和31年(1956)9月30日に北設楽郡名倉村は、田口町、段嶺村、、振草村の一部が合併して〈旧〉設楽町が発足しました、その後平成17年(2005)9月30日に、旧〉設楽町と津具村が合併し、〈新〉設楽町が発足ました
北東側から、目通り幹囲6.8mの巨木です
北側から見上げました
拝殿です
本殿覆い屋です
*由緒の写真がブレてしまいました
由緒
当八幡神社は東納庫宮ノ前1番地に位置し、足助荘宮平八幡宮を勧請して、永禄2年(1559)の創建と云う。
祭神は、応神天皇・日本武尊・素戔嗚尊
文録3年(1593)と記した懸仏が在り、宝物とされている。
寛永8年(1631)の棟札を始め二十余の棟札を社蔵し、明治9年郷社、同43年には共進指定となり、同43年鳶田神社を合祀し、村社津島神社を境内社とした。
馬の産地でしたので、馬撓と云われる神事があり、馬の背に藁を用いた飾台を作り、五色の造花を飾って神前馬場にて競馬し、参詣者は霊験有りと造花を奪い合ったと云う。
本殿は県指定文化財で、寛政8年(1796)の創建とされる檜皮葺き一間社流造で、彩色総漆塗りで正面左右には金色の昇り龍と下り龍の彫刻があり、これらの彩色彫刻等に桃山手法が用いられている等、建築文化の地方伝播の状態を知る上で貴重なものとされている。
平成11年8月吉日 建之
では、次へ行きましょ
2024・4・14・7・50