ここからは2024年4月13日取材分です、前日に富山県南砺市から岐阜県土岐市の道の駅志野・織部で車中泊して、朝早くに出発してきましたよ
西市野々町森下地区は、豊田市役所の北約18km、豊田市藤岡支所の北北西約5kmのところ
豊田市藤岡支所を東へ出て、県道33号線を左(北北西)へ
約1.5kmで「土岐⇒・県道352号線」の標識に従って「上渡合町大畑」信号を右へ入って北へ向かいます
約3,3kmで信号を左(北西)へ、まだまだ県道352号線です
約1.5kmで坂道を登って右カーブの外側の擁壁に上に八剱神社が南東向き参道で鎮座します
すぐ先道路左側に入って道路脇に車を止めさせて頂きました
北側から参道へ行きましょう
急な石段です
八劔神社社號標です
説明版です
十二等級 八劔神社 旧指定村社
鎮座地 豊田市西市野々町森下250番地
祭神 日本武尊 大碓命
由緒
社伝に承久3年(1221)山中氏の祖が勧請鎮祭したとされています。
その後永徳2年(1382)、文明5年(1473)、寛永15年(1638)に社殿の造営を行いました。
元禄13年(1700)社殿を改め猿投神社より大碓皇子を分祀同殿に迎え祭りました。
遠近の人々子安神として尊崇し、明治5年10月指定村社となりまそた。
美濃・尾張・三河特殊仰として俗に彦屋の神と称し多くの安産の祈願者が訪れます。
藤岡観光協会
*平成17年(2005)4月1日に西加茂郡藤岡町は、豊田市に西加茂郡小原村、東加茂郡足助町・下山村・旭町・稲武町を編入し、現在の豊田市となりました
鳥居です
広い境内です、左手に神楽殿です
社殿はさらに一段上です
社殿の右手(東側)に目的のアカガシです
まずは境内南東側下から
東下側から
拝殿前に上がって見ましょう
本殿です
拝殿脇から
太い幹を見ました
説明版です
市指定文化財(天然記念物)
西市野々のアカガシ
指定 昭和49年(1974)2月10日
樹高 21.6m
胸高囲 4.0m
根回り 15.1m
枝張り 8.0m
枝は地上3mから張り出し、最大8mに及んでいます。
幹の内部は中空ですが、樹勢はすこぶる良好で、葉数が多いのが特徴です。
平成24年3月 豊田市教育委員会
本殿脇の境内社です
では、次へ行きましょう
2024・4・13・6・40
西市野々町森下地区は、豊田市役所の北約18km、豊田市藤岡支所の北北西約5kmのところ
豊田市藤岡支所を東へ出て、県道33号線を左(北北西)へ
約1.5kmで「土岐⇒・県道352号線」の標識に従って「上渡合町大畑」信号を右へ入って北へ向かいます
約3,3kmで信号を左(北西)へ、まだまだ県道352号線です
約1.5kmで坂道を登って右カーブの外側の擁壁に上に八剱神社が南東向き参道で鎮座します
すぐ先道路左側に入って道路脇に車を止めさせて頂きました
北側から参道へ行きましょう
急な石段です
八劔神社社號標です
説明版です
十二等級 八劔神社 旧指定村社
鎮座地 豊田市西市野々町森下250番地
祭神 日本武尊 大碓命
由緒
社伝に承久3年(1221)山中氏の祖が勧請鎮祭したとされています。
その後永徳2年(1382)、文明5年(1473)、寛永15年(1638)に社殿の造営を行いました。
元禄13年(1700)社殿を改め猿投神社より大碓皇子を分祀同殿に迎え祭りました。
遠近の人々子安神として尊崇し、明治5年10月指定村社となりまそた。
美濃・尾張・三河特殊仰として俗に彦屋の神と称し多くの安産の祈願者が訪れます。
藤岡観光協会
*平成17年(2005)4月1日に西加茂郡藤岡町は、豊田市に西加茂郡小原村、東加茂郡足助町・下山村・旭町・稲武町を編入し、現在の豊田市となりました
鳥居です
広い境内です、左手に神楽殿です
社殿はさらに一段上です
社殿の右手(東側)に目的のアカガシです
まずは境内南東側下から
東下側から
拝殿前に上がって見ましょう
本殿です
拝殿脇から
太い幹を見ました
説明版です
市指定文化財(天然記念物)
西市野々のアカガシ
指定 昭和49年(1974)2月10日
樹高 21.6m
胸高囲 4.0m
根回り 15.1m
枝張り 8.0m
枝は地上3mから張り出し、最大8mに及んでいます。
幹の内部は中空ですが、樹勢はすこぶる良好で、葉数が多いのが特徴です。
平成24年3月 豊田市教育委員会
本殿脇の境内社です
では、次へ行きましょう
2024・4・13・6・40