楮(こうぞ)地区は、南砺市役所の南約21km、南砺市役所上平市民センターの南南西約4kmのところ
南砺市上平市民センター前から国道156号線を西へ、約2.6kmで「東海北陸道五箇山インター入口」です
約1kmで「とやまの名水 丸池」の標識の先を左(南東)に入ります、約400mで左手に夫婦杉を見て更に南へ
約2.1kmで国道156号線と合流するところを左の旧道?へ入って登って行きます
約400mで左手の斜面上に聖光寺が見えて来ます
すぐ先の橋のたもとの道路が広がったところに車を止めさせて頂きました
石段は下の道路まで続いています
寺号標です
本堂はまだ雪囲いが外されていないのでしょうか
説明版です
南砺市指定文化財 彫刻
聖光寺の大師像
昭和48年12月14日指定
桧材一木造り
高さ55.5cm
室町時代に製作されたちいう、聖徳太子2歳の時の姿で、「高膝まずき見返しの尊像」と称せられる。
言い伝えによると、「平家の末裔、篠塚藤之進が楮の地に草庵を結び、この聖徳太子像を拝していた。その後、永正年間(1504~1520)に、この地に念仏道場が創設され、太子像もそこへ移された。天正13年(1586)の大地震で山崩れが起こり、道場もろとも庄川に押し流され、太子像は庄金剛寺領弁財天(現在砺波市庄川町)の辺りまで流されたが、現地の村人の夢に「楮村に帰りたい」というお告げがあり、楮村の人々は喜んで太子像をお迎えし、再び道場を建立して安置し、尊崇してきた」との由緒がある。
平成21年3月 南砺市教育委員会
目的のケヤキは、本堂東後方の少し高い所に有ります
前のモノレールは上の東海北陸道下で行われている工事現場に資材を運搬しているようです
黄色いレンギョウの咲く沢側から登って行きます
根元から見上げました
南側から、目通り幹囲5.2mの巨木です
東側から、根元は石垣に張り付いています
アズマイチゲが咲いていました
では、富山の取材はお終いです、明日は愛知県豊田市の山間部で、昨年回り切れなかった所を取材しようと思いますので、今夜遅くならない内に岐阜県を通過したいと思います
南砺市上平市民センター前から国道156号線を西へ、約2.6kmで「東海北陸道五箇山インター入口」です
約1kmで「とやまの名水 丸池」の標識の先を左(南東)に入ります、約400mで左手に夫婦杉を見て更に南へ
約2.1kmで国道156号線と合流するところを左の旧道?へ入って登って行きます
約400mで左手の斜面上に聖光寺が見えて来ます
すぐ先の橋のたもとの道路が広がったところに車を止めさせて頂きました
石段は下の道路まで続いています
寺号標です
本堂はまだ雪囲いが外されていないのでしょうか
説明版です
南砺市指定文化財 彫刻
聖光寺の大師像
昭和48年12月14日指定
桧材一木造り
高さ55.5cm
室町時代に製作されたちいう、聖徳太子2歳の時の姿で、「高膝まずき見返しの尊像」と称せられる。
言い伝えによると、「平家の末裔、篠塚藤之進が楮の地に草庵を結び、この聖徳太子像を拝していた。その後、永正年間(1504~1520)に、この地に念仏道場が創設され、太子像もそこへ移された。天正13年(1586)の大地震で山崩れが起こり、道場もろとも庄川に押し流され、太子像は庄金剛寺領弁財天(現在砺波市庄川町)の辺りまで流されたが、現地の村人の夢に「楮村に帰りたい」というお告げがあり、楮村の人々は喜んで太子像をお迎えし、再び道場を建立して安置し、尊崇してきた」との由緒がある。
平成21年3月 南砺市教育委員会
目的のケヤキは、本堂東後方の少し高い所に有ります
前のモノレールは上の東海北陸道下で行われている工事現場に資材を運搬しているようです
黄色いレンギョウの咲く沢側から登って行きます
根元から見上げました
南側から、目通り幹囲5.2mの巨木です
東側から、根元は石垣に張り付いています
アズマイチゲが咲いていました
では、富山の取材はお終いです、明日は愛知県豊田市の山間部で、昨年回り切れなかった所を取材しようと思いますので、今夜遅くならない内に岐阜県を通過したいと思います