ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県南三陸町、入谷水口沢「入谷八幡神社のイチョウ・スギ・カヤ」です!!

2024-10-31 18:40:00 | 巨樹・大木
 入谷水口沢地区は、南三陸町役場の北西約6kmのところ

 南三陸町役場西側の道路を北北東へ、約400mで左(西北西)へ、道成りに進みます

 約2.1kmで信号を右(北北西)へ、国道398号線です

 約3.5kmで入谷区民館の案内板のある信号を右(北東)へ

 約300mで斜め右の「入谷八幡神社」の門柱の間を北へ入ります

 正面に石段が見えますので、石段前を右から回り込む様に坂道を上がると

 左手に広い駐車場が現われます、元「南三陸町立入谷中学校」の校庭です

 体育館はそのまま使用されていますが、校舎は撤去されてしまったようです

 北西側一段高い所に入谷公民館です

 体育館と公民館の間が入谷八幡神社の参道になっています、石鳥居です

 鳥居下から目的のイチョウです

 右手の境内端には杉の大木が3本並んでいます

 南西側から

 石段を上った西側から見上げました、目通り幹囲は5.3mの巨木です

 東側に並ぶ杉の大木3本です、一番西側(手前)の一本にのみ注連縄が巻かれていますのでご神木です、目通り幹囲5m(目測)

 西側の2本です

 2番目(真ん中)の杉が一番太い目通り幹囲5.6mの巨木です

 東端のスギは合体木のようです、目通り幹囲5m(目測)です

 説明版です
   入谷八幡神社の境内林
     樹種  スギ、アカマツ、イチョウ、カシ、ヒノキ、カヤ など
     樹齢  樹齢300年以上
     樹高  最高23m
     所有者 入谷八幡神社
 八幡神社は、白鳳時代(1300年前)の創祀と伝えられ、源 義経にゆかりがあるともいわれています。
 また、秋に行なわれる例祭には宝暦年間(約250年前)が起源とされる県指定の民族芸能「入谷打囃子」(入谷の祭りと打囃子)が奉納されています。
 この境内には、樹齢400年といわれるスギや、根廻約9mのイチョウ、根廻10m以上のカヤ、など県内でも有数の大木が生育しています。
 地域の人々に大切に守られてきた「鎮守の森」なのです。
     平成12年11月20日
       志津川町教育委員会
       志津川町緑化推進委員会

 境内東端(駐車場出入り口)にもう一本のカヤです

 南側から、目通り幹囲5.3mの巨木です

 では、八幡神社にお参りして行きましょう

 長く成りましたので、続きとさせて頂きます<m(__)m>





 2024・10・15・14・20
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宮城県登米市、津山町柳津町元町「遠藤家のケヤキ」(記念樹)です!!

2024-10-31 13:15:00 | 巨樹・大木
 津山町柳津元町地区は登米市役所の南東約16km、登米市役所津山総合支所の南約600mのところ

 登米市役所津山総合支所南側の県道61号線を西へ、約150mの「柳津本町」信号を左(南)へ、国道342号線です

 約750mで左(東)に入ると

 右側(南)側の塀の上にケヤキの枝が出ています

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 北西側から

 塀に説明版があります
   津山町指定記念樹
     元町 遠藤家のケヤキ(二レ科)
 ケヤキは日当たりがよく、排水のよい肥沃な深層土を好む樹種である。
 さて、本樹は現在遠藤氏宅の屋敷内に生育しているが、北上川河川改修の際の生き残りの樹である。
 また、俳聖芭蕉が通ったという一関街道と東浜街道の交わる場所として栄えた地に残る、唯一のケヤキである。
 その由緒を記念した。
     津山町教育委員会
 *本吉郡津山町は、登米郡8町(迫町・登米町・東和町・中田町・豊里町・石越町・南方町・米山町)と合併によって平成17年(2005)に登米市が誕生した。現在の市役所は、かつての迫町(佐沼地区)にあり、各町の旧役場が総合支所として使用されています。
 
 東側から見ましたが、幹を見ることはできませんでした

 では、次へ行きましょう



 2024・10・15・13・00
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宮城県登米市、登米町寺池桜小路「寺池城跡(観光物産センター)のキササゲ」です!!

2024-10-31 06:46:00 | 巨樹・大木
 登米町寺池桜小路地区は、登米市役所の東南東約9km、登米市役所登米総合支所の南東500mに「とよま観光物産センター 遠山之里(みやぎの明治村)」があります

 登米市役所登米総合支所を南へ出て矢蓺150mで一時停止を左(南東)へ、県道36号線です

 約500mで県道左手に観光物産センターです、直ぐ先を左(北)へ入ると右手には「寺地城跡」で、左手の観光物産館の駐車場に入りました。

 「とよま観光物産センター 遠山之里(みやぎの明治村)」駐車場の東端道路沿いに目的のキササゲです

 北西側から

 幹に表示がありました
   キササゲ
 別名オオアメリカキササゲ
 (ハナキササゲ、学名Ⅽ.speciosa)
 樹齢100年以上と言われています。
 *キササゲ(木大角豆・楸・木豇、学名: Catalpa ovata)は、ノウゼンカズラ科キササゲ属の落葉高木となっていますが学名が違いますね
 *和名キササゲは、果実がササゲ(大角豆)に似ており、束になって枝にぶら下がるのでキササゲ(木大角豆)と呼ばれます。
 別名では、カミナリササゲ・カワギリ・ヒサギなどともよばれています。
 生薬名で梓実(しじつ)と呼ばれ、日本で「梓(し)」の字は一般に「あずさ」と読まれますが、カバノキ科のミズメ(ヨグソミネバリ)の別名とされ、本来はキササゲのことで、中国名は「梓」あるいは「梓樹」と書かれます。


 西側から見上げました

 寺地城跡へ行ってみました

 石垣脇に標柱です
 
 史跡 寺地城址の標柱です

 説明石碑です
   寺地館跡
 寺地館跡は、通称「館山」と呼ぶ丘陵にあった平山城の跡で、別名を「臥牛城」という。
 遠く中世には葛西氏、近世になって登米白石伊達氏の居館だったところである。
      登米町

 *現在裁判所や登米旧懐古館などのある本丸?側は工事中で入れませんでした

 冠木門の奥に門が見えます

 城門が再現されているようです

 公園に成っています、元は本丸側に上がるための階段が付けられていますが、通行止めになっています

 イチョウの大木?です

 広い曲輪だったのでしょう

 西側に出て来ました

 では、次へ行きましょう
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宮城県涌谷町、小里天南「小里一本木の皀莢」(町指定)です!!

2024-10-30 20:34:00 | 巨樹・大木
 小里天南地区は、涌谷町役場の北北東約7kmのところ

 涌谷町役場南側の県道155号線を北東へ、約200mの「気仙沼・米山・県道173号線⇑」の標識の先の信号も直進します

 約1.3kmで右からの国道346号線に合流する様に信号を北へ進みます

 道成に黄金山トンネルを越えた約5kmの「⇐築館・県道29号線」の標識にしたがって、信号を左(西北西)へ

 約800mで「柳沢の皂莢(市指定)」(このブログの2023年4月25日に紹介済)の前を通って

 約1.1kmで右(東)へ入ります

 約300mで左手住宅入口に幹を切り詰められたような目的のサイカチです

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 西側から、太い幹が折れた様になっています

 南側から

 説明版です
   涌谷町指定天然記念物 (昭和62年8月1日指定)
     小里一本木の皀莢(いっぽんぎのさいかち)
 マメ科  サイカチ
      樹高           16.44m
      樹木幹回り(地上1.5m) 4.08m
     樹齢          推定 400年
     所有者            松村昭吾
        涌谷町教育委員会
        財団法人 宮城県文化財保護協会
 *前回の「関屋の皂莢」と「皂」の文字が「皀」と書いて違っています「皂莢」と書くのが一般的のようですが、マメ科ジャケツイバラ亜科サイカチ属の落葉高木で、別名はカワラフジノキ、漢字では皁莢、梍とも表記されています。

 南東側から見ました

 では、次へ行きましょう



 2024・10・15・11・30
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宮城県涌谷町、小里不動「小里関屋のさいかち」(市指定)です!!

2024-10-30 18:30:00 | 巨樹・大木
 小里不動地区は、涌谷町役場の北北東約6kmのところ

 涌谷町役場南側の県道155号線を北東へ、約200mの「気仙沼・米山・県道173号線⇑」の標識の先の信号も直進します

 約1.3kmで右からの国道346号線に合流する様に信号を北へ進みます

 道成に黄金山トンネルを越えた約5kmの「⇐築館・県道29号線」の標識にしたがって、信号を左(西北西)へ

 約200mで左(南西に入ると間も無く

 目的のサイカチが見えて来ます

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側から

 太い幹を見ました

 説明版です
   涌谷町指定天然記念物 (昭和60年7月1日指定)
     関屋の皂莢(せきやのさいかち)
 マメ科  サイカチ
      樹高           14.7m
      樹木幹回り(地上1.5m) 4.5m
     樹齢         推定 400年
     所有者            大友家
        涌谷町教育委員会

 枝先には沢山の実(鞘)を付けています

 南東側から

 南西側から

 離れて見ました

 では、次へ行きましょう




 2024・10・15・11・20
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宮城県石巻市、寄磯浜前浜「熊野神社の寄磯古碑群(市指定)とタブノキ」です!!

2024-10-30 12:43:00 | 文化財・樹木
 寄磯浜前浜地区は、石巻市役所の東南東約16kmのところですが、女川町役場の南東約7kmのところに成ります

 まずは、女川港から県道41号線で東北電力女川原子力発電所を目指します

 国道398号線と県道41号女川牡鹿線の交差点から道成りに牡鹿半島の北側を進みます

 約14.2kmで「東北電力 女川原子力PRセンター」の前を通過します

 坂道を下って約900mで「⇖寄磯」の標識に従って交差点を左(北東)へ

 約2.5kmで「石巻市立寄磯小学校入口」を道成りに下へ下って行くと

 約400mで右手(南側)に寄磯浜漁港です、広い漁港周辺はどこに車を止めても良い駐車場に成っています

 駐車場北側の「ゴミステーション」脇に車を止めさせて頂きました

 ここを北側に入り斜面を上がります

 石段を上ります

 折り返しさらに上ると

 タブノキが見えて来ます

 根元には石碑が建っています

 弁財尊天の大きな石碑です

 南東側から見ました

 更に上へ進みます

 鳥居が見えて来ました

 熊野神社の鳥居です

 参道石段を上がります

 振り返って寄磯漁港を見下ろしました、鮫浦湾にはカキ筏で作業をすする漁船も見られました

 鐘楼です

 熊野神社拝殿です

 本殿です

 本殿東側に境内社の石祠が並びます

 霊神社の石碑です

 寄磯古碑群の標柱です

 右側面の文面には・・・
 寄磯浜の古碑は、行屋跡、行屋下道、おかねさま、五梅沢、大松、崇徳寺墓地等に散在しているが、板碑(供養碑)は江戸時代の民間信仰碑が集中している。
 この行屋跡に最も多く、応永3年(1396)、〃30年(1423)、〃32年(1425)、永享7年(1435)、享徳3年(1

 左側面の文面(右面の続き)です・・・
 454)など14基が集まっている。
 また行屋下道には応永年間(1394・7~1428・4)と文明16年(1484)など4基、おかねさまの縁石に梵字のキリークだけの1基、寺道の大松に長禄4年(’1460)に1基などがあり、地区の歴史を物語っている。

 文字が読めません

 石碑の前には虎や獅子・七福神が置かれています

 さらに東側の石碑です

 では、港に戻りましょう

 鯨の消火栓の蓋です


 鹿の牡鹿町仕切弁の蓋です

 では、次へ行きましょう
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宮城県東松島市、宮戸大室「むろの木(イブキビャクシン)」(市指定)です!!

2024-10-30 06:40:00 | 巨樹・大木
 宮戸大室地区は、東松島市役所の南南西約14kmのところ

 東松島市役所を西南西に出て、一時停止を左(南南東)へ、約600mで右(南西)へ、国道45号線です

 道成りに約6km鳴瀬川に鳴瀬大橋を渡った「鳴瀬町浅井」信号を左(南東)へ、県道60号線です

 約2.3kmの信号からは県道27号奥松島パークラインとなって道成りに更に進みます

 約7.1kmで斜め左(東南東)へ入ると右手に大浜魚港です

 嵯峨渓遊歩道の案内板の傍に車を止めさせて頂きました

 遊歩道入口です

 遊歩道の急な坂道を登ります

 間も無く右手に入る場所がありますので、湾が見えるのかと入って見ました

 奥には祠が祀られていますが湾は見えませんでした

 遊歩道に戻ります

 更に登って行くと

 遊歩道左手に十二支(猿から兎まで)の置物が並べられています

 まもなく遊歩道は工事中で通行止めになります

 工事現場の一段上に目的の「むろの木」(ビャクシン)が見えて来ました

 下から見上げるような位置です

 古木感があります

 説明版です
   市指定文化財 むろの木
     (昭和50年4月30日指定)
 この樹木はイブキといい、ヒノキ科ビャクシン属の常緑樹でビャクシンやイブキビャクシンとも呼ばれています(むろは地方名)。
 本州・四国・九州に自生し、特に太平洋岸と瀬戸内海地方に多く分布します。
 地元では、南北朝時代の建武2年(1335)、鎌倉を逃れて宮戸に着いた後醍醐天皇の皇子護良親王が、むろの木の枝を筆として使い、これを土中にさしたところ根付いたという「お筆むろ」伝説があります。
 樹高約14m、根回り約7m、樹齢約700年といわれており、天然記念物として東松島市の文化財に指定されています。
        平成21年12月     東松島市教育委員会


 見上げるだけにしました

 ズームアップです

 では、戻って次へ行きましょう



 2024・10・15・07・35

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宮城県松島町、手樽三浦「大仰寺の富山の杉・しろいたもみ」(町指定)です!!

2024-10-29 18:33:02 | 巨樹・大木
 手樽三浦地区は、松島町役場の東北東約4kmのところ

 松島町役場の東側に国道45号線を北へ直ぐの信号を右(東)へ高城川を松島橋で渡ります

 道成に約4kmで「富山観音」の案内板がりますので左(北)への林道?へ入ります

 約1kmで舗装の切れるところに参道入口です

 前の広場に車を止めさせて頂きました、西側の表参道には広い駐車場が有りますが、徒歩約15分掛かります
 
 案内板です
   政宗が育んだ”伊達”な文化
     富山観音堂・梵鐘
 伊達政宗の長女五郎八姫(いろはひめ・文禄3年6月16日(1594年8月2日)- 寛文元年5月8日(1661年6月4日)が改修させた彩色豊かな建造物と寄進した梵鐘です。
 芭蕉に同行した曾良も「曾良旅日記」の中で、眺望の地として記しています。
 仙台藩の儒学者舟山萬年が文政年間(1818~1830年)に著した「塩松勝譜」には「四大観」の一つとして紹介されています。
 観音堂の創建は坂上田村麻呂に由来し、涌谷町の箟岳、石巻の牧山と併せて奥州三観と称されています。

 参道を進みましょう

 綺麗に整備されている石段です

 約10分で間も無く山頂部です

 参道右手に大きなスギとモミノキです

 説明版の奥にもモミノキは枝が無くなっています、枯れてしまっているようです

 説明版です
   松島町指定文化財  富山の杉・しろいたもみ
 富山は標高116.8m、松島湾内のどこからでも見え、ここからの眺めは松島町の扇谷、七ヶ浜町の多聞山、鳴瀬町の大高森とならんで景色の良い、「松島四大観」の一つとして紹介されています。
 頂上付近のモミ・イヌブナ、を主としたイヌシデ・アカシデ・コナラ等の林は、松島地域一帯の原生林の面影を今も保っている場所です。
 この杉は幹の周囲3.8m、高さは45mほどで、もみも幹の周囲が4m、高さは45mもあり、古くから湾内を航行する船舶の目標とされています。
     平成15年1月    松島町教育委員会

 大きなモミノキです

 北側からの参道脇にも大きなスギです

 境内へ上りましょう

 展望台です




 松島湾を望みました、湾内にはカキ筏が多数見られます

 山門の仁王門です

 観音堂です

 説明版です
   宮城県指定文化財・松島町指定文化財
     富山観音
 富山の歴史は征夷大将軍として名高い坂上田村麻呂(758~811)が建立したことにはじまり、北の箟岳(ののだけ・涌谷町)と、東の牧山(石巻市)にも観音堂が立てられ、「奥州三観音」と並び称されました。
 現在の堂宇は仙台藩主伊達政宗の娘、五郎八姫が承応3年(1654)に改修させたもので、その来歴を記す梵鐘(県指定文化財)が遺されています。
 堂内には本尊千手観音像のほか、大仰寺開山で瑞巌寺100世の洞水禅師像、元文5年(1740)に作られた田村麻呂像(町指定文化財)が納められています。
 仙台藩の儒学者舟山万年(1790~1857)が著した「塩松勝譜」では松島を眺める優れた展望地「四大観」の一つとし、水戸の地理学者長久保赤水(1717~1801)は「東奥紀行」の中で大仰寺の行者から「松島の景悉く此の庭の中に縮る」と紹介され、「天下の奇観なり」と感嘆しています。
 仁王門(町指定)の中に納められている仁王像(町指定)には胎内銘があり、高城町の成澤五郎右衛門が願主となり、齋藤理慶という仏師が製作したと記されています。
      令和4年3月     松島町教育委員会

 鐘楼です

 「宮城県指定文化財」の撞鐘です

 境内社です

 観音堂から西へ下ると大仰寺です

 説明版です、左側は参道石段前の説明版と同じ内容です。
    政宗が育んだ”伊達”な文化
 仙台藩を築いた伊達政宗については、戦国大名として政治・軍事面での活躍は広く知られているところですが、その一方で時代を代表する文化人でもありました。
 上方に負けない気概で自らの”都”仙台を創りあげようと、政宗は古代以来東北の地に根づいてきた文化の再興・再生を目指しました。
 伊達家で育まれた伝統的な文化を土台に、上方の桃山文化の影響を受けた豪華絢爛、政宗の個性ともいうべき意表を突く粋な斬新さ、さらには海外の文化に触発された国際性、といった時代の息吹を汲み取りながら、新しい”伊達”な文化を仙台の地に華開かせていったのです。
 そして、その文化は政宗だけに留まらず、時代を重ねるにつれ、後の藩主に、さらには仙台から全国へ、武士から庶民にまで、さまざまな方面へ広がり、定着し熟成されていきまし。
   

 ここまで車で入れるようですが、墓地の参詣のみになっているよです

 では、戻って次へ行きましょう




 2024・107・15・06・20
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宮城県松島町、松島町内「三聖堂前のイブキ(町指定)と葉山神社入口のケヤキ」です!!

2024-10-29 12:45:07 | 文化財・樹木
 松島町内地区は、瑞巌寺門前一帯です、あちこちに観光用の駐車場がありますので都合の良い所を利用することが出来ます

 瑞巌寺の南西側に円通院(伊達政宗公の嫡孫光宗公の霊廟)があります

 円通院入口の南側に南西向きに「三聖堂」という御堂があります

 説明版です
   松島町指定文化財 三聖堂
 天和2年(1682)、瑞巌寺101世鵬雲東摶禅師によって建立されました。
 堂内正面に聖観世音菩薩像、左に達磨大師像、右に菅原道真像を安置したことから三聖堂と称されれています。
 当初は瑞巌寺参道に面した北東向きに建てられいましたが、参拝者の便を図るため、宝永6年(1709)に104世夢庵如幻禅師によって現在の姿に改められました。
 方三間の素木造で屋根は宝形造・茅葺き、正面に一軒の向拝がつく質朴端正な造りです。
 創建以来、向きの変更と屋根の葺き替えを除いて大きな改修・修繕が行われた記録がありません。
 扁額は創健者である鵬雲東摶の筆によるもので、創建当時の棟札も残されています。
       令和5年3月   松島町教育委員会

 向かい側に目的のイブキです

 北側から幹を見ました

 説明版です
   松島町文化財  いぶき(柏槙)
 ひのき科の常緑小高木。いぶきは和名。
 幹の周囲は1.8m、高さ3m、枝は東西7.6m、南北9mほどに広がっている。
 樹齢700年以上と推定され、臨済宗円福寺時代から今に伝わる名残の樹木と言える。
 いぶきは、禅問答で取り上げられることから禅寺に好んで植えられる。
 瑞巌寺の前身円福寺の姉妹寺である鎌倉建長寺の境内には、開山大覚禅師蘭渓道隆が手植した巨木がある。
      平成12年3月   松島町教育委員会

 北東側から幹を見ました

 東側から

 では、瑞巌寺入口前を通って、葉山神社参道入り口へ行きましょう


 陽徳院の駐車場前の杉です

 南側の切通脇の杉の大木です

 葉山神社参道南西側にケヤキの大木です

 北東側から、岩盤に根を下ろしています

 瑞巌寺の開門には早すぎますので、次へ行きましょう



 2024・10・15・06・05
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宮城県松島町、松島犬田「西行戻しの松(歌人西行法師、平安時代)公園」です!!

2024-10-29 06:30:05 | ドライブ
 松島犬田地区は、松島町役場の南西約2kmのところ、松島湾を見下ろす丘の上のところです

 地区の中心部に「西行戻しの松公園」があります

 松島町役場の東側の道路を南(仙台方面)へ、国道45号線です

 五大堂や瑞巌寺入口を過ぎた約1.8kmの「利府・県道144号線⇒」の標識に従って右(西)へ

 すぐ右手にはJR仙石線の「松島海岸駅」です、仙石線の高架を潜って坂道を上って行きます

 約900mの信号を左(南東)へ、さらに坂道を上って行くと

 約400mで道路左手に公園が広がります

 西行戻しの松公園です

 案内図です、奥にも駐車スペースが在りますので、奥の駐車場に車を止めさせて頂きました

 *側の東屋では、バイカーが野宿していたようです

 東へ向かいます、丘の上にも松の木が目立ちます

 明治100年記念の昭和43年4月の桜樹百本植樹記念の碑です

 雲が多かったものの朝焼けの松島湾です、松の枝に朝日が当たっています

 東端に「西行戻しの松」の碑があるようです

 案内図です
    西行戻しの松
 西行法師が諸国行脚の折、松の大木の下で出会った童子と禅問答して敗れ、松島行きをあきらめたという伝説があり、一帯の松を西行戻しの松と呼ぶようになったといわれています。

 石碑と石仏が並んでいます、右端に「西行戻の松」の文字が見えました

 説明版です
   西行戻しの松(さいぎょう・もどしのまつ)
 歌人西行(1118~1190)がこの地にて
「月にそふ 桂男(かつらおとこ)の かよひ来て すすきはらむは 誰(た)がこなるらん」
と一首を詠じて悦に酔っていると、山王権現の化身である鎌を持った一人の童子がその歌を聞いて
「雨もふり 霞もかかり 霧もふりて はらむすすみは 誰れが子なるらん」
と詠んだ。
 西行は驚いてそなたは何の業(なりわい)をなししているのか聞くと「冬は萌(ほ)きて夏枯草」を刈って業としていると答えた。
 西行はその意味が分からなかった。
 童子は才人が多い霊場松島を訪れると恥をさらすとさとしたので、西行は恐れてこの地を去ったという伝説があり、一帯を西行戻しの松という。
 西行に関するこのような伝説は各地にあり、古くからかたり継がれている。
 (*桂男=美男子*業=仕事*冬萌きて夏枯れ草=麦)
     平成17年6月  松島町教育委員会


 朝の松島湾です

 駐車場西側の丘の上には白衣観音と展望台となっていますが、朝早くから観光客が陽の出を見ていたので行きませんでした

 では、次へ行きましょ


 
 2024・1015・05・50
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栃木県大田原市、山の手1丁目「洞泉院のクスノキ (名木)シダレザクラ(市指定)」です!!

2024-10-28 19:29:20 | 巨樹・大木
 2024年10月14日から、宮城県と岩手県へ巨木の取材ドライブに行きました。

 途中栃木県大田原市で、国道4号線から外れてしまいますが、取材漏れしていた洞泉院の木々(桜や楠木)を見て来ました
 
 山の手1丁目は、大田原市役所の南東約1kmのところ

 大田原市役所の東側の「市役所入口」信号を東へ、西那須街道です
 
 約400mの「住吉町」信号からは県道53号線です

 約250mで信号を左(北東)へ、寺町通りです、道成りに右に曲がった約400mで

 道路右手に洞泉隠が東北東向きの参道であります

 参道北側の駐車場に車を止めさせて頂きました

 山門です

 山門北側の墓地入口に目的のクスノキです

 山門を入ると右手に鐘楼です

 本堂です

 説明版です
   曹洞宗 龍谷山 洞泉院
  開山   北堂素南大和尚
  開基   日山良旭和尚
  本尊   釈迦牟尼仏
  年忌本尊 十三佛
  大本山  福井県 永平寺 御開山 高祖 道元禅師
       横浜市 總持寺 御開山 太祖 螢山禅師
  寺史
 当院は、今を溯る370年前、2代将軍秀忠公の治世、光真寺7世電庵呑光大和尚の発願するところ、大田原藩主菩提所たる光真寺の西隣接地に、その隠居所として建設された。
 偶々当町内には慶長年間より、本山18世日山良旭和尚開創になる「洞泉院」の寺号の寺あり。
 よって、寺号そのまま継承し、日山良旭和尚を開基とし、師たる光真寺6世北堂素南大和尚を勧請開山となし、自らは2世の座に甘んじた。
 電庵呑光和尚は、のちに高林村の高林寺を開創されている。
 歳月はめぐり、幾度か火災に罹るも、了果太梅和尚元禄3年(1690年)堂宇を再建して中興と称される。
 尓来当院は、藩主菩提所を隠退して後の再住の寺として今日に至る。
 再建の堂宇は、元禄以降300年、当地方には珍しい仏殿風二層屋根の本堂である。

 境内南側の大きな桜です

 クスノキを南側から

 幹は切り詰められていますが、目通り幹囲5.0mの巨木です

 東側から

 案内板です
   与一の里名木選
 名称    洞泉院のクスノキ(1本)
 所在地   山の手1-5-16 洞泉院内
 目通り周囲 5.00m
 樹高   21.00m
 推定樹齢  約300年
 選定理由  巨木・古木
   平成3年12月19日  大田原市

 南西側から見ました

 鐘楼の北側にシダレザクラですが、ずいぶん小さくなってしまったようです

 では、宮城へ向かいましょう


 2024・10・14・13・35
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岩手県紫波町、片寄中平「隠里寺のシラカシ」(町指定)です!!

2024-10-28 12:59:31 | 文化財・樹木
 片寄中平地区は、紫波町役場の南西約6kmのところ

 紫波町役場の北側の道路を西へ、約1.8kmの「⇐石鳥谷・花巻・紫波IC」の標識に従って信号を左(南)へ

 新大松橋を渡った約2kmで右(西)へ、道成りに約2.1kmで左(南)へ

 約600mで右手(西側)に隠里寺参道入口です

 手前に駐車スペースがあります

 山門です

 参道には右(北側)からマツがかぶさるように立っています

 南側から見ました形の良いアカマツです

 鐘楼です

 本堂です

 目的のシラカシは本堂の西側、墓地の北側に立っています

 南側から墓地脇の歩道を進みます
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 南西側から

 紫波町指定文化財 シラカシの標柱です
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 西側から
src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/f4/da9aa195d676172f6d2e45cb1a2b6965.jpg" border="0">
 北西側から

 北側から見上げました

 翌日からは雨の天気予報でしたので、今回に取材はこの辺で切り上げることにしました

 ゆっくり国道4号線を南下して、埼玉にけることとしました



 2024・9・13・16・50
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岩手県紫波町、升沢小森「志和古稲荷のスギ」です!!

2024-10-28 06:36:49 | 巨樹・大木
 升沢小森地区は、紫波町役場の西約6kmのところ

 紫波町役場北側の道路を西へ進みます、約3.4kmで東北自動車道の下を潜ります

 約2.7kmで丁字路で県道162号線に合流する様に右(北西)へ

 こから赤い鳥居が見えましたが、こちらは「県社 志和稲荷神社」の鳥居です

 約300mで「紫波古稲荷神社」の案内板です

 案内板に従って広い駐車場に入りました

 東向きに参道入口です

 志和古稲荷神社の社號標です

 説明版です
   志和古稲荷神社
 鎮座地 岩手県紫波郡紫波町升沢字小森108番地
 祭神  宇迦御魂命(ウカノミタマノミコト)
 由緒
 神社の御創祀は年代不詳。この地一帯を領知していた斯波氏の厚い栄信を受けられた。
 以前のことは不明でであるが、御創建の往古にあった事は一見社名に知られ、ことに古く本宮と称し、修験道を以って世襲した祀職が本宮寺と称し、維新に及んだことに依っても明らかである。
 藩主南部利直公以来、数回社領の御進献あり、歴代藩主事大小と無く祈願に籠められ、藩主の親拝、代拝すこぶる頻繁であり、修理一に藩費に出ていたのである。
 規模大ならざる当社が、いかにその由緒の深遠なるものであるかを物語るものであり、公に領内稲荷社の第二位に列せられてあった。
 境内地  2244㎡
 崇敬者  東北六県並びに北海道に及ぶ
 祭日   春の三午祭(旧2月)・初午祭・中午祭・末午祭
      秋の三九日祭(旧9月)・初九日祭・中九日祭・末九日祭

 参道を進むと手水舎です

 鳥居です

 左手には神馬舎です

 参道から境内に入った右手に大きなスギが立っています

 右手には神楽(舞)殿のようです

 参道左側には稲荷の祠や石碑が集められています

 参道正面に祠が祭られています

 説明版です
   御眷属(白きつね)ミイラの出現
 昭和29年(西暦1954年)9月26日の台風15号(青函連絡船洞爺丸が沈没した時の台風)によってこの場所に立っていた御神木の大杉(樹齢約800年)が倒伏しました。
 その残木整理をしていた際、9月29日の稲荷様のご縁日の日に不思議なことに、その根本の空洞から御眷属のミイラが出現いたしました。
 全国に稲荷神社は、約30000社ありますが、このような例はいまだかつて聞いたことがありません。
 その年より御眷属ミイラに願い事をとなえると、稲荷大神に伝わり、叶うといわれています。
   *御眷属とは古稲荷大神にお仕えするきつね様です。

 右手(北側)に目的の杉です

 南西側から
 
 西側から

 北側から見上げました

 拝殿です

 本殿です

 境内社の天満宮です

 中には狐の置物が並べられています

 では、次へ行きましょう



 2024・9・13・16・25
    
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岩手県紫波町、南伝法寺高木「光円寺のシダレアカマツ」(町指定)です!!

2024-10-27 19:08:59 | 文化財・樹木
 南伝法寺高木地区は、紫波町役場の北西約6kmのところ

 紫波町役場北側の道路を西へ、約1.9kmで「盛岡・矢巾⇒」の標識に従って信号を右(北)へ、県道289号線です

 約2.0kmで「⇐県道13号線」の標識通りに左(西)へ、約1.1kmで東北自動車道の下を潜ります

 約800mで一時停止の交差点を右(北東)へ、約700mで右手に

 光円寺の入り口です

 薄くなってしまっていますが「シダレアカマツ(紫波町指定天然記念物)」入口の標柱が建っています

 東へ入ると北側に広い駐車場です、奥に南向きに山門が見えます

 車を止めさせて頂きましった

 駐車場脇にはハギが開花時期を迎えています

 境内南東側には背の高い木が見えますサワグルミのようですが、この時期花を付けていることから考えると違うのかもしれません

 山門です

 山門を入ると左手に東向きで本堂です

 庫裏の前に目的の「シダレカサマツ」が見えます

 傘の形に仕立てられています

 紫波町指定天然記念物シダレカサマツの標柱です

 幹は細いアカマツです

 傘を見上げました

 では、次へ行きましょう



 2024・9・13・16・05
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岩手県矢巾町、室岡第1地割「本淨寺の杉」(町指定)です!!

2024-10-27 12:33:10 | 巨樹・大木
 室岡第1地割地区は、矢巾町役場の南西約3kmのところ

 矢巾町役場西側道路を南へ、直ぐの交差点(右手に送電線の鉄塔が有ります)を右(西)へ

 約300mで一時停止を左(南)へ、県道120号不動盛岡線です

 約500mで「森のとちの木」を見て、更に南へ約600mで「県道120号線⇒」の標識に従って信号を右(西)へ

 約1.1kmで「⇐石鳥谷・県道120号線」の標識通りに丁字路を左(南西)へ

 約700mで東北自動車道の下を潜って直ぐ右へ、左手奥に

 東向きの本浄寺の参道です

 参道北側の駐車場に入りました

 三門です

 参道右手に親鸞聖人さまです

 背の高い若いメタセコイアのようです

 本堂です

 目的の「杉」は、本堂南側の境内端です

 町指定天然記念物の標柱です

 北東側から

 北側から、目通り幹囲は4.5m(目測)の大木です

 西側から見上げました

 では、次へ行きましょう



 2024・9・13・15・50
 
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