浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】西村時夫『私の履歴書 「らい予防法」をこえて』(皓星社)

2012-11-08 22:14:13 | 日記
 みずからの人間観を根底から揺り動かす本である。値段は2700円、ぼくは購入した。図書館で借りて読もうと思ったが、静岡県内の図書館には一冊も入っていない。どうしたことか。

 アマゾンでは、3冊が中古品として発売されている。送料込みで656円だ。

 西村時夫は本名ではない。本名は、西田博司。御殿場市にある国立のハンセン病施設・駿河療養所に入所したとき、父から与えられた名だ。西村が入所したのは、1956年、中学二年生の時だ。愛知県に生まれた西村は、ハンセン病と診断され、駿河療養所に送り込まれた。

 1947年からハンセン病の特効薬プロミンが日本でも使用され、すでにハンセン病は不治の病ではなくなっていた。ではなぜ、西村は駿河療養所に送り込まれたか。それは、日本政府がハンセン病者を隔離し、そこで生活させることによって(治療をするのではなく)「絶滅」をはかっていたからである。法律的には、1931年に制定されたらい予防法が生きていたからである。

 駿河療養所は、1944年傷痍軍人療養所として開設されたところだ。

 そこへ送り込まれた西村は、様々な経験をする。人間としての尊厳を踏みにじられ、病に冒されながら、必死に生きる。

 その経験から生み出された西村の文章や、講演での語りは、読む者の魂を揺り動かす。それは、厳しい境遇の中を、主体的に生き抜いてきたからである。

 西村は、2004年肺がんで亡くなった。しかし、西村のこの本は、永久に生き続けていくことだろう。

 この本を読むことにより、私たちは戦後におけるハンセン病者への厳しい差別、西村をはじめとした人びとの人間の尊厳をめざした闘い、そして2001年の判然病国賠訴訟における熊本勝訴判決以後の動きなどを知ることができる。

 ボクは、静岡県の歴史に、ハンセン病者の置かれた客観的な状況と、ハンセン病者たちの主体的な闘いを描こうと思う。そのために、この本はとても有益である。
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