浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】堀川惠子『死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社)

2012-11-16 20:17:29 | 日記
 今日、車で沼津へ。その後弁護士の知人と共に駿河療養所に行った。その内容は書けないが、途中富士山が大きく見え、とてもきれいであった。遠州から見える富士山は大きくないので、大井川辺りからみえる富士山は、なかなか感動的である。

 沼津へ行く途中、県立中央図書館へ寄った。駿河療養所関係の資料を複写するためであり、またもう一つは『焚書』という本を借りるためであった。なぜその本を読みたくなったかを記すが、少し長くなる。堀川の本の中に永山裁判の無期懲役の判決を下した控訴審の担当裁判官の櫛渕理のことが記されていた。なかなか好人物の裁判官だったようで、「三島由紀夫事件」で裁判長をつとめ、「永山裁判」では右陪席をつとめた。彼は永山にこう尋ねたそうだ。

 「強力な帝政国家時代に、ボロボロの服を着て民主主義を叫んで、迫害に屈せずに中国を歩き回った人間が書いた『焚書』という本がある。読んだことがありますか」?李贅という人の著書です」

 永山は「これから読んでみます」と答えた。

 櫛渕は、後年こう語った(『文藝春秋』(1972年7月号))。

 「どうも日本人は異常なことをやる人に、拍手喝采する傾向が見えるようですなあ。ぼくはこれが日本人の大きな欠点だと思うんですよ。異常なことに情緒的に肩入れするのは悪い癖ですよ。(中略)明治維新のときもそうです。志士と称する法律的には殺人犯が革命をした結果、『勝てば官軍』でいっさいが許されてしまった。もしその考えを推し進めていくと、人間対人間が文字通り血みどろな闘争をする時代へ戻ってしまう。人間が長い間、築いてきた文化はどこへ行ったといいたいですね。近代的な法治国家において、クーデターは許されません」

 今の時代への警句となっている。ボクはよく明治維新を遂行したのはテロリストだと話していたはずだ。最近「維新の会」を名乗る集団が出現し、マスメディアや人びとが注目しているが、「維新」の担い手は、櫛渕が言うとおりである。理性的な眼で、しっかりと見つめるべきで、「悪い癖」が出ないようにしなければならない。

 こういう櫛渕が推薦する『焚書』を読んでみたいと思ったのだ。

 さて堀川の本の紹介を忘れている。この本は誤植が多いが、とても良い本である。ボクは一気に読んでしまった。最近、死刑判決が多く出されるようになり、厳罰化の動きが急である。ボクはそうした「時流」についていくのではなく、永山事件を知ることによりそうした「時流」が理性的なことであるかを考えてもらいたいと思うのだ。

 永山則夫の事件を、私たちは裁けるのか、という問いである。この本を読んで考えて欲しい。
 

 
コメント
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