中日新聞東海本社は、歩いて行ける距離にある。しかし、わたしは『中日新聞』東海本社版をとっていない。『東京新聞』を購読している。
その理由は、地域の記事を一面にもってくるという芸当をやるからだ。今日の『中日新聞』東海本社版の一面トップは、安倍派だった塩谷立が総選挙に立候補しないという記事である。
「塩谷氏 衆院選不出馬」がその見出しである。こんな記事が一面トップを飾っていいものか。『中日新聞』東海本社は、極右政党=自由民主党の広報宣伝機関か、といいたい。東海本社版を購読している人びとにもっとも伝えたい記事は、塩谷立が立候補しないということでいいのか。
『地平』10月号には、全国紙である『毎日新聞』が富山県への配達をとりやめることを報じている。『毎日新聞』は全国紙という性格付けから撤退するというわけだ。
新聞の購読者が減り続けている。新聞労連書記次長の伊藤明弘さんの「全国紙の生き残りは、オピニオンリーダーとしてのブランド価値をどこまで残せるかにかかっているのではないか」を引用しているが、朝日新聞社などはそうした価値を放棄しているかのようだ。
県紙は地元の政界や経済界などと癒着し、ブロック紙も同じ状況である。
「昔」は、朝日、毎日の全国紙記者には、鋭い問題意識をもったジャーナリズム精神を発揮する記者がいた。わたしも、そうした記者と仲良くなり、なかには今も年賀状を交換している人もいる。
全国紙記者も、地方紙の記者も、差がなくなってきた。
SNSなどの発達で、新聞購読者が大きく減少している現状を、『地平』10月号で片山夏子さんが危惧している問題意識を共有している。
新聞がなくなった状態、それはすでにアメリカの田舎で出現している。行政が勝手なことをやっても、監視の目がない。
行政権力や私企業が、かってなことをやる度合いが強まっているとき、新聞の役割は重要になる。だが、はたして今の新聞は、そうした機能を果たそうと努力しているだろうか。浜松市でも、市民運動の記事は、まさにベタ記事にしかならない。
これでよいのか。
【付記】今届いた今日の『東京新聞』一面トップは、「防衛特需の裏で 43兆円の行方 「潜水艦ムラ」癒着の構造」である。同じ中日新聞でも、東京本社の『東京新聞』と浜松の東海本社の『中日新聞』とは、まったく異なる。『東京新聞』を購読する所以である。