浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】高田昌幸『真実 新聞が警察に跪いた日』(柏書房)

2012-11-17 19:58:05 | 日記
 全国各地の警察が税金を裏金として蓄積し、私的なことにもつかっていたことが暴露されてからもう何年も経過する。北海道新聞もまた、北海道警察の裏金作りについて精力的に取材し、厳しく道警に突きつけた。その内容は、『追及・北海道警「裏金」疑惑』 (講談社文庫)で読むことができる。ただしもう刊行されていないので、古本で購入するしかない。

 高田昌幸さんは、その北海道新聞の記者。道警追及の中心にいた人だ。

 しかし、その連載記事が数々の賞をとり、一段落した後から、道警の「報復」が始まった。その動きの中で、北海道新聞社が、道警に跪いてしまうという信じられないことが起きた。

 この本を読んで、一度権力に跪いてしまった北海道新聞は信用できないと思ってしまう。おそらく北海道新聞は、権力がいやがる調査報道は絶対にしないだろうと思うと、北海道新聞はジャーナリズムとしては死んだも同然だと判断するしかない。

 高田さんは、その動きを、関わった人物の実名をあげ、それぞれがどういう行動をとり、どういうことを言ったのかを詳細に明らかにしながら“真実”を明らかにしていく。

 しかし組織の力は凄まじいものだ。一人ひとりの組織に属する人間はそれぞれ良い人もいれば悪い人もいるのだが、その総体としての組織は、そうした違いをなくして、組織としての論理でもって倫理も正義もかなぐり捨てて生き抜こうとする。そうした組織のおぞましさが描かれる。

 刊行は今年3月。今年6月だったか、私と寸又峡に遊んだもとジャーナリストが、この本に実名で登場していた。驚いた。

 ジャーナリスト志望の者は、読むべき本である。
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新聞

2012-11-17 13:35:23 | 日記
 新聞を読んで腹を立てる人がいる。腹を立てても仕方がない。なぜなら新聞やテレビは、権力の走狗なのだから。既得権益をがっちり握っている勢力の中に、しっかりと組み込まれているのだ。

 したがって、相対的にどの新聞がよいのかを判断していくしかない。そうなると、もう『東京新聞』しかない。もちろん、地方には『琉球新報』や『沖縄タイムス』などをはじめ、気骨のある新聞社もあるにはある。

 『朝日新聞』には、私はもう10年ほどまえに愛想を尽かしている。まだ『朝日』を購読している人がいるが、もう『朝日』に購読料を払って支えるべきではない。彼らの社論は、『読売』、『日経』などと同じで、ただ一部の記事や文化欄にリベラルな読者が喜びそうなものを載せて、何とかリベラルな読者を引き留めようとしているのだ。それに騙されてはならない。

 今、もと北海道新聞の高田昌幸氏が書いた『真実 新聞が警察に跪いた日』(柏書房)を読んでいるが、まさに新聞の多くは、権力に跪いているのだ。

 
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火付け強盗の輩

2012-11-17 09:09:47 | 日記
 「日本維新の会」などという政治団体への注目度が高いようだ。現在のマスメディアは、まったく理性的ではない。テレビメディアなどで注目される「時流」に乗る「事件」を追いかけて、その「事件」をとりあげさらに「時流」を増幅させる。人びとの情報入手先はテレビや新聞なので、そこで騒いでいる「事件」が自然に頭の中に入っていく。しかし「事件」は一時の動きなので、人びとがそれに飽きてきたらいつのまにかメディアも取り上げなくなる。まさに泡のようなものである。

 さて、明治維新については最近スケールの大きい歴史書が発刊された。宮地正人氏の『幕末維新変革史』(岩波書店、上・下)である。一冊3200円。購入すべきかどうか迷い、とりあえず図書館から借りてみた。読み始めて、これは買って読まなければならないと思った(だからすぐに返却した)。現在の研究の到達点をみごとにとりいれた名著である。

 さて、「日本維新の会」の人びとは、「明治維新」あるいは戦争前夜に叫ばれた「昭和維新」ということを、どれほど調べているのだろうか。ただ幕藩体制が倒され、新しい政治体制が生まれたという現象だけを見て、幕藩体制を倒す側であった「志士」たちにみずからを重ね合わせてみているのだろう。

 だが「志士」は、テロリストであった。昨日書いたようにまた彼らは「殺人者」でもあった。幕藩体制支配を不安定化させるために、幕末の「志士」たちは、火付け強盗を働くなど、江戸を混乱に陥れようと策動していた(特に薩摩藩はひどかった)。彼ら「志士」たちの行状を探ってみるが良い。たとえば藩からもらった留学費用を遊郭で費消してしまったり(これは長州藩。長州藩=山口県は安倍自民党総裁の出身地)、外国人の館を襲撃したり、あるいは金儲けのために詐欺めいたことをしたり、とにかくふつうの人間がしないようなこと(=犯罪)を犯していたのである。そういう輩がきちんとした政治体制をつくれるわけがない。

 徳川慶喜が大政奉還した後、全国の支配者であった徳川家は静岡を中心とした藩に下向してきた。静岡県内には、現在の静岡市や沼津市を中心に旧幕臣が入り込んできた。だが、新しい政治体制をつくりあげるなかで、どうしても中核となる人材が必要となった。テロリストだけでは、きちんとした政治体制なんかできるわけはないのである。

 そこで、テロリストたちは、旧幕臣を官僚機構のなかに取り込んでいった。静岡県内に下向してきた旧幕臣は、少しずつ東京へと移転していった。

 その事実は、樋口雄彦氏の研究書に詳細に描き込まれている。『箱館戦争と榎本武揚』(吉川弘文館)、『第16代徳川家達』(祥伝社新書)、『旧幕臣の明治維新』(吉川弘文館)など。

 表で騒いでいる者たちに、きちんとした政治なんかできるわけがないのだ。「維新」ということばは、「改革」を叫ぶ者たちに「愛用」されることがある。「昭和維新」がそれである。何をどう改革するのか、それを問わないで、「維新」ということばに情緒的に動かされることがないようにしたい。
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