浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】マーティン・ファクラー『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)

2012-11-12 11:15:08 | 日記
 日本のマスメディアの「本当のことを伝えない」現実を批判の俎上にあげた本が出た。この本意書かれていることは、まさに「本当のこと」である。

 昨年3月11日以降の原発報道でやっと一般の人びとに知られた事実ー新聞・テレビをはじめとした日本のマスメディアは、「本当のこと」ではなく、政府や官僚機構、あるいは大会社(たとえば東京電力)が選択して流す情報を、そのまま、彼らの意向通りに「報道」する機関であること、この実態を示しながら厳しく批判する。

 なぜそうなるか。著者は「記者クラブ」の存在をあげる。

 きわめて閉鎖的なマスメディアだけによって構成される組織。政府機関や地方行政機関(市役所でも県庁)でも、あるいは商工会議所などでも記者クラブがある。

 そこでは、それぞれの社のブースがあり、電話や電気、コピーは使い放題。ときには世話係の女性がいて、お茶を出したり雑用をこなしてくれる(今は変わったかもしれない)。経費は、それぞれの機関がもつ。

 しかしその記者クラブには、フリージャーナリストや雑誌記者、外国の通信社や記者も入れない。きわめて閉鎖的なのだ。

 そうした便宜を図ってもらっていることも、日本のメディアの批判精神のなさの原因なのかもしれないが、著者はこの「記者クラブ」の存在を厳しく批判する。

 「記者クラブ」をなくしたら、おそらく日本のメディア産業は、ジャーナリズムへと脱皮できるかもしれない、それほど問題の多い組織なのだ。

 「ジャーナリストとは、基本的に権力寄りであってはならない。権力の内側に仲間として加わるのではなく、権力と市民の間に立ちながら当局を監視し、不正を糺していく」(130頁)

 その通りであるが、そうした記者は今はほとんどいない。サラリーマン記者で、権力やウエ(上)の者にへつらう情けない人間の集合体である。記者会見などでの質問を聞いてみるが良い、幼稚な何の意味もない質問を続けて平気である。

 さて本書は、紙を使った新聞の将来についても言及している。ニューヨーク・タイムスやワシントン・ポストなどアメリカの例をあげて説明しているが、これからはネットを利用したメディアへと移行していくだろうと推測される。

 独立性をもったネットメディアについていくつか指摘しているが、ProPublicaの独立系のネットメディアの紹介があった。

 http://www.propublica.org/

 まだアクセスしただけで読んでいないが、日本でも実現可能ではないかと思った。

 最後に、

A good journalist needs a sense of moral outrage.

という言葉があった。moral outrage は、庶民でも必要なことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする