2月15日は涅槃会(ねはんえ)です。涅槃のもともとの意味は「消滅する」。そこから転じて、釈尊の入滅をさすようになります。今月のことばにしたのは、2018年8月初版の馬場紀寿著『初期仏教』(岩波新書)の下記の一節から引きました。
四五年にわたる伝道活動の後、ブッダはマガダ国の都ラージャガハ(ラージャグリハ)から最後の旅に出発し、世話係のアーナンダとともに街や村を巡りながら、ヒマラヤ山麓の方角へ北上した。鍛冶工チュンダが喜捨した食事を食べた後に、下痢を患い、故郷のそば、クシナーラー(クシナガラ)という村で没した。最後の言葉は、
形成されたものは、滅することを性質とする。怠ることなく成し遂げよ。
(『長部』一六「大般涅槃経」)
だったという。八〇年の生涯だった。
特定の宗派教団に都合のよいブッダ像ではなく、その人の本当の姿は、何だったのかに近づこうとした本です。だからでしょうか。「形成されたものは……」の一節が少し硬質な言い回しと感じる方には、山田風太郎著『人間臨終図鑑・下巻』(徳間書店)にある次の釈尊最後をご紹介します。
ネパールの一王族の太子として生まれながら、二十九歳で出家し、三十五歳で悟りをひらいた釈迦ーゴータマ・シッタルタは、以後、ネパールからインド北部を伝道し、八十歳のとき、その旅の途上、クシナガラ近くで病んだ。信者の捧げた茸の食あたりであったという。死期の近づいたことを悟った釈迦は、弟子のアーナンダに命じて、サーラ樹(いわゆる沙羅双樹)の林に縄床を敷くことを命じた。
釈迦は、頭を北にし、右脇を下にして横たわり、手で枕し、両足を重ねて臥した。そして弟子たちに、なお心をゆるめることなく修行するように告げて死んだ。二月十五日夜半であったといわれる。
このとき風はやみ、鳥獣は声をとめ、樹木も液汁を流し、木々の花は散ったという伝説がある。
釈迦の生死の年代については諸説があるが、最も学問的な年代説と認められている中村元説による。
木のもとに臥せる仏をうちかこみ象蛇どもの泣き居るところ 子規
『人間臨終図鑑』は上下巻あわせて九百ページに及ぶ大著です。古今東西九百人にもおよぶ人物の最後を記しているのですが、このブログを書くために、久しぶりにわが書棚から取りだして、ページをめくってみました。見落としていたのか、忘れていたのか、章立てに、それぞれちょっとした言葉がそえられています。たとえば、「八十歳で死んだ人々」のところには、アナトール・フランスの「死ぬとはとっても手間のかかるものだな」がそえられているといった具合です。
他の言葉もみんな面白いので、ちょっとひろってみます。
〈「知らず、生まれ、死ぬる人、いずかたより来たりて、いずかたへか去る(鴨長明『方丈記』十代で死んだ人々の項)」
〈「親も、友達も、みんな死んでゆきました。それくらいのこと、私にだって出来るでしょう」(田中澄江。四十六歳で死んだ人々の項)〉
〈別れの日。行く人「やれやれ」。送る人「やれやれ」(山田風太郎。九十六歳で死んだ人々の項)〉
もっと、紹介したいのですが、このくらいで。
なお、『人間臨終図鑑』の続編とも思われる関川夏央著『人間晩年図鑑』(岩波書店)というのも、平成28年に出版されています。
というわけですが、なんでこれが涅槃会と関係があるのかと聞かれると……、困ってしまう。
なおなお、先月のことば、伊藤比呂美訳「四弘誓願文」は、4年前の平成29年2月に掲載済みでしたね。いよいよ、脳がアルコール漬けでボケてきたようであります。