「言志四録」心の名言集 | |
細川 景一,久須本 文雄 | |
講談社 |
4月のことばは、江戸時代の儒者・佐藤一斎の著書『言志四録』からの引用で「自己に厳しく、他人に優しく」といった意味でしょうか。佐藤一斎(1772~1859)は江戸時代幕府直轄の教育機関昌平黌のトップを務め、坂本龍馬や勝海舟、吉田松陰といった幕末の志士に影響を与えた人です。西郷隆盛は『言志四録』から特に気に入った百一条を選んで『手抄言志録』としてまとめ、座右の銘としたようです。
それほどの人の言葉なのですが、寺の今月の言葉として紹介するには少しばかり、ためらいました。なぜならば、儒者だから。
江戸時代に仏教排撃の立場から神仏習合を否定したのが、藤原惺窩(せいか)・林羅山・中江藤樹・山鹿素行・山崎闇斎らといった面々。佐藤一斎はその正統な末裔だから、仏教寺院の掲示版などにその言葉を紹介したら、黄泉の国で「ビックリポンや」と目を覚まされても困るので、ためらったという次第です。
同様のことを福岡のN師が話されていたのを聞いたことがあります。どういうことかというと、「最近の臨済宗の布教師さま方は、よく道元禅師の言葉を引用するけれど、道元はきびしく臨済の禅を批判した方だから、安易に使うのは如何なものか」と。
道元の言葉も使いやすいですね。「仏道を習うというは自己をならうなり」とか「春は花夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて冷すずしかりけり」なぞ。
批判されたからといって憎しみはないけれど、批判したからには、臨済の禅とは異なる気分が言葉の深層に流れているはずです。とするならば、安易に使うのはどうなのだろうか。
ことばがそれを発した人物から離れて独り歩きしているから、安易に使うとヤケドしてしまう。
さて、今月の言葉には元の句があります。中国は後漢(947~950)の傅毅が書いた「舞賦」に次の一句があることを「日本国語大辞典」が教えてくれました。「気は浮雲の如く、志は秋霜の如し」。浮き雲が春風に脚色されたわけだけど、浮き雲の方が個人的にはすきかなぁ。
ところで、「言志四録」情報です。たくさんの関連本が出版されています。その中から、なぜ細川景一監修・久須本 文雄訳(講談社刊)を冒頭で紹介したかというと、細川景一というのは、妙心寺派元総長で東京・龍雲寺の前ご住職だからです。細川師は佐藤一斎の末裔だと何かで読んだ気がするのですが、浮き雲の如くその記憶も飛んでいってしまった愚人節(エイプリルフール)でございます。