船乗りが北の方向を見失なっても羅針盤の針がおしえてくれる。
久米是志著『「ひらめき」の設計図』小学館刊より
「ひらめき」の設計図 | |
久米 是志 | |
小学館 |
ずいぶんと日の暮れるのが早くなってきました。12月6日が最も早く日が暮れて、最も遅く夜が明けるのは1月7日頃のようです。
冬至は昼の時間がいちばん短い日であって、日の出日の入りの遅い早いは別なんですね。
禅宗には冬至を祝う風習があります。一陽来復。陰がきわまり暗くなり、あとは明るく陽になるから祝います。「極まればすなわち変ず」と同様の気分でしょうか。
今月のことばは元本田技研社長の著書『「ひらめき」の設計図』から引用しました。それならば、久米是志さんの言葉と紹介すればよいのですが、久米氏も恐らく孫引きなのです。以前、「孫引きでも原典にあたるようにしています」なんてかっこう良い事を言ってしまったけれど、今回は孫引きの孫引きで極まったから、冬至の月のことばとして相応しいかと思ったわけです。
『「ひらめき」の設計図』の第四章の巻頭言(192頁)に冒頭の言葉を掲示して、エミリー・ディッキンソン(1830~1886)の言葉としていますが、それは『Zen and the Brain(禅と脳)』ジェームス・オースチン著27章巻頭言より、と引用先を明らかにしています。それで、エミリー・ディッキンソンもジェームス・オースチンも皆目わからないので、孫引きのままご紹介しました。
「おまえの人生には行く手を指し示してくれるものがあるのか」といつた意味でしょう。
ところで、久米元社長には一度お会いしたことがあります。会うといってもいろいろあるけれど、修行道場の副司寮という来客の応対をする和室でお茶をお出ししたことがあります。なんでそんなことがあったかというと、ひみつ。
そんなわけで、親しみがあZて、著作を何冊が読んでいるけれど、もの凄く仏教を学んで自分化されています。たとえば、次のような一節を引用します。
「技術創造の世界にあって、世のため、人のため、仲間のために寝食も忘れて無我夢中になっているときの心の状態は禅定に通じるものがあり、それを言葉で表現するなら、次の一言を選びたいと思います。ーもの 来たりて 吾れを照らすー西田幾多郎」(前掲著233頁より)
「もの来たりて吾れを照らす」って一陽来復と同じではないかなぁー。すごいでしょ!おわり。