写真 千田完治
君看よ双眼の色 語らざるは 愁いなきに似たり 作者未詳
この言葉はわりと有名で、良寛さん(1758~1831)も、「君看雙眼色 不語似無憂」の十文字を筆にされて墨跡として遺っているようですから、ファンも多い。拙訳すれば、「言葉もなく、涙もないのは、哀しみがないからではありません。わたしの二つの眼をみれば深い哀しみがわかるでしょ」
だれの言葉かというと、白隠禅師(1685~1768)の著作『槐安国語(かいあんこくご)』にこの十文字があることから、白隠の言葉とする記事がネットにあふれているけれど、間違い。なぜなら、白隠以前の『禅林句集』という、禅語のアンソロジーにすでに収められているから、白隠ではない。
白隠ではなく作者が特定できない事情を鎌倉円覚寺・横田南嶺管長さまが、円覚寺ホームページの「管長のページ・2021.11.12」 https://www.engakuji.or.jp/blog/34460/ で詳しく書かれているから、そちらをご覧ください。 管長さまとは異なる味わい方をしてみたい方には、相田みつをの詩「憂い」を紹介している禅文化研究所・ブログ禅@https://www.zenbunka.or.jp/zenken/archives/2016/06/160621.html をのぞいてみてください
ネットでも信じて良い記事と、信じてはいけない記事があるから、ご要心。もっとも、ネットに限らず、目に見えるすべてがそうですが。
さて、最後に「君看よ双眼の色 語らざるは 愁いなきに似たり」のファンのひとりに作家の芥川龍之介(1892~1927)がいます。どういうファンかというと、小説『羅生門』の初版本の見返しに「君看雙眼色 不語似無愁」が印刷されています。国立国会図書館デジタルコレクションで https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088339 百年以上前の初版本を映像として見ることができます。「君看よ……」の十文字が印刷された次のページをめくとると、「夏目漱石先生の霊前に献ず」とあることから、龍之介は文学の師匠であった漱石が亡くなった喪失感と悲しさを、漢詩十文字に表したのでしょう。
漱石が亡くなったのは、大正五年十二月で、『羅生門』の初版は翌年の五月。龍之介が「君看よ」の漢詩を知ったのは、白隠禅師の著作からか、あるいは『禅林句集』からか。それとも、良寛の墨跡か。もしかしたら、十文字の原作者により近いところから引っぱってきたのかもしれません。芥川龍之介の研究者ならば旧知のことなのでしょうか。教えて!