一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
中村元訳『スッタニパータ』(岩波文庫)145
新しい年の写真は壇家の千田完治さんの撮影です。撮影の詳しい状況は知らないのですが、朝日のようにも見えるし、夕日かもしれない。
さて、この数ヶ月、経典からの引用がない。ならば、お正月らしいことばを経典に探しました。「幸福で安穏で安楽であれ」。お正月らしいでしょう。単純簡単明瞭な一句です。なぜ、複雑でないかというと、出典は仏教経典の中でも最も古いといわれる『スッタニパータ』だからです。古いということは、後世の手垢がついていない。おのれの主張に合うように釈尊のことばを脚色してないから、明快なのです。言ってみれば、防腐剤もはいらず、瓶にはラベルも貼ってない、蔵出しの生一本といったところでしょうか。この辺の事情を、中村元博士は岩波文庫の解説で次のように綴っています。
この『フッダのことぽ(スッタニパータ)』の中では、発展する以前の簡単素朴な、最初期の仏教が示されている。そこには後代のような煩項(はんさ)な教理は少しも述ぺられていない。ブッダ(釈尊)はこのような単純ですなおな形で、人として歩むべき道を説いたのである。かれには、みずから特殊な宗教の開祖となるという意識はなかった。修行者たちも樹下石上に坐し、洞窟に瞑想する簡素な生活を楽しんでいたので、大規模な僧院(精舎)の生活はまだ始まっていなかった。
いいでしょ。仏教の青春時代です。しかも、「この言葉は現代のアジア仏教圏では非常に重要な意義をもっている」といいます。たとえば、
スリランカでは、結婚式の前日に、僧侶を幾人も招待して、祝福の儀式を行う。その場合に僧侶は、この『スッタニパータ』のうちの「こよなき幸せ」の一節(注=幸福で安穏で安楽であれ)を唱え、つづいて説教を行い、若い二人が新たな人生の旅に出で立つに当っての心得をさとし、祝を述べる。
現代でもアジア圏で生活に息づいている仏教の青春時代の言葉をご紹介して、新年のことばとします。