ふりつもる み雪にたえて いろかえぬ 松ぞををしき 人もかくあれ 昭和天皇御製
御無沙汰です。もう少し更新していると思っていたのですが、作年の五月以来とは、当人もビックリ。というわけで、遅くなりましたが、今年のお正月の言葉です。
昭和天皇の御製です。昭和天皇は膨大な数の和歌を遺されて、和歌集もあるらしのですが、ちょっと高価なので手許にはありません。この歌は孫引きです。何からの引用の引用かというと、平成23年4月28日付け日経新聞・社説に大震災に関連して「新しい巡幸が果たす役割」と題して、紹介されていました。
「万全ではない健康状態のなか、天皇皇后両陛下が骨身を惜しまず被災地や救援・復興にあたる人に心を寄せる姿にその答えを見いだし、励まされた人も多いだろう。お二人への敬意を新たにしたい」という記事で引用されていた昭和天皇の御製です。
御製に対するコメントはともかくとして、白砂青松といい雪と松といい、松は日本の美意識の定型原型になくてはならない存在です。私の寺も松岩寺です。禅語にも松の字はよくでてきます。私が平林寺という修行道場にいた頃の老師(ろうし=修行僧の指導者)は、「風吹けども動ぜす天辺の月、雪圧(お)せどみくだけ難し、澗底の松」という禅語を引いて、風か吹いても雪がふっても動ずることなく、雄々しく坐禅するのだ」と叱咤激励されていた。叱咤激励の言葉にも季節感があって、この禅語を引かれるは冬が常だったと記憶しています。
冬ですから平林寺にも里の雪がふります。里雪ですから重いのです。そんな雪で松の枝が折れてしまいます。結構太い枝が折れて、その片付けをしながら、「やっぱり雲水(うんすい=修行僧)がきちんと座らないから、境内の松もおれちゃうんだ」なんてわけのわからない納得をした自虐的な思い出があります。あの頃、松喰い虫にやられて境内の松も随分と弱っていたのでしょう。その後、松食い虫にやられて雑木林の松はほとんど全滅なのではないでしょうか。
そんなわけで「くだけ難し、澗底の松」なんて言葉にはあまり良い思い出のない私ですが、好きというかなるほどと思った言葉に「貞松」があります。松の操です。松の操って何かというと、一年中同じ緑色ではなくて、たまには黄色くなったり新緑の淡い緑色になりたいだろうに、木念として色を変えることがない。これが松の操、「貞松」というらしい。松だって、「色を変えたいだろうに」、という発想が面白いとおもいませんか。でも、色を変えぬところに永遠の生命を感じて、お正月の飾りになるのであって、色が変わっては有り難くない。
ところで、1月13日に京都へ行きました。少し暇があったので、バスに乗って嵯峨野へ足を向けて、「森嘉」でお土産に豆腐を買いました。渡月橋から歩いて行ったのですが、民家の門にまだ松飾りがみんな残っている。関東地方では1月7日くらいには松飾りはかたずけるのではないのかなぁー。京都はいつまで松飾りをしておくのだろうか。狭い日本でも千変万化、いろいろです。