人生が終わる時、最後まで自分では捨てられなかったものを、捨ててくれる人がいる。捨てないことも、信頼の証。 小説『捨ててもらっていいですか?』福田和代著より
撮影 千田完治
今月のことばは、福田和代さんの小説『捨ててもらっていいですか?』の一節です。文春文庫の『捨てる』という選集におさめられています。こんな小説です。
ある日曜日、ウェブサイトの製作会社に勤める朱里(あかり)は、1年前に亡くなった、祖父の1DKのマンションの片づけをはじめます。祖母は二年前に先立ち、後を追うように92歳でなくなった祖父でした。一緒に片づけるのは、、母と弟。父は、「職場も休みだが、祖父の遺品整理と聞いて、休日出勤があるからと逃げだしてしまった」。
片づけはじめてすぐに、後悔します。「カビくさい押し入れを開いたとたん、朱里は「うわあ」と叫んでのけぞった。遺品整理業者にお願いしたほうが良かったかな」、と。「こまごまとした日用品の多さとといったら、予想を遙かにに越えている」
そんななかから、「錆びて赤茶けた鉄の塊(かたまり)」がでてきます。拳銃です。祖父は太平洋戦争に従軍していたのです。終戦後70年も拳銃を隠し持っていたのは、なぜか。
「たしかに最初は、祖父のとんでもない「遺産」を目にしてショックだったし、迷惑千万だとも感じていた。警察に事情を聞かれるだろうし、うまく説明できなければ、面倒なことになる可能性だって、まったくないわけではない。しかし、考えてみれば、祖父は自分たちに後のことを任せてくれたのだ。祖父はきっと、おもちゃの宝箱に南京錠をかけながら、これを見つけた時の娘や孫の顔を見られないのが残念だと、考えていたことだろう。信じて後を任せられる人がいるって、幸せなことなんだ。
自分の娘や孫たちならきっと、問題を起こしたり、自分に恥をかかせたりせずに、丸くおさめてくれる。そう信じて、祖父はあれを残していったはずだ。」
そして、こう思うのです。
「自分ではなかなか捨てられないものって、たくさんある。だから、世の中にこれほど「上手なものの捨て方」や「片づけ」の方法論があふれているのだ。
捨てられないものが増えていく。そして人生が終わる時、最後まで自分では捨てられなかったものを、捨ててくれる人がいる。
捨てないことも、信頼の証。」
こんな小説の一節を今月のことばとしました。自分だけで人生を完結できるわけではない。最後はだれかに助けてもらわなければ、終わることができない。だというのに、「後の人に悪いから……」なんていうのをよく聞くけれど、それはおこがましいっていうの。掲載が少し遅れたのは、単純に忘れていたから。元気です。