松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

山鳥の ほろほろと鳴く 声聞けば

2009-01-29 | インポート

山鳥の ほろほろと鳴く 声聞けば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思う    行基

掲示日 H19.8.10

八月は月遅れのお盆です。お盆は亡き祖先の霊を迎えて慰める行事です。

そんなお盆のことばとして行基菩薩の歌をおくります。行基(668~749)は、奈良時代に聖武天皇の帰依をうけた高僧です。奈良の大仏建立で勧進(建設費用を募ること)に功があったとして、聖武天皇から大僧正位と大菩薩の号をたまわります。菩薩とまでいわれた高僧には申し訳ないけれど、今ふうにいえば、国家の大プロジェクトをまかされて、トップセールスに全国を歩きまわった創業者だといえば、その存在の大きさがわかっていただけるでしょうか。

標記の歌は、大仏行脚の途中でよまれたものでしょうか?疲れ切った旅の身体に、亡き両親が山鳥の声に託したのは何なのか。はげましかなぐさめか。それともアドバイスか。

さて、今年の夏、七月は長期予報を裏切ってくれて涼しかったのですが、八月になって暑いことあついこと。猛暑日とやらの新語が連発されるなかで、お盆の仕度をしています。これって、ご先祖さまが私たちに発しているメッセージでしょうか。暑さに託して、地球温暖化の警告を発しているのでしょう。


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仏教経典が教えるダイエット

2009-01-29 | インポート

07911_005 人はみずからを深く思い

量を知って食をとるべし

さすれば苦しみ少なく 老ゆることおそく

壽(いのち)ながからん

『雑阿含経』42 掲示日 H19.9.1

今月のことばは、仏教経典が教えるダイエットといったところでしょうか。

釈尊の時代のことです。ある日、コーサラ国の王様パセナーディは釈尊の説法にやってきます。王はひざまづき、釈尊に敬意を表します。美食家の王は今で言うとメタボリック症候群。肥満に高血圧に高脂血。ひたいから汗は流れ、呼吸は荒くはずんでいます。そんな王に釈尊は一つの詩をあたえます。

人はみずからを深く思い(人當自繋念)

量を知って食をとるべし(毎食知節量)

さすれば苦しみ少なく 老ゆることおそく(是即諸受薄)

壽(いのち)ながからん(安消而保壽)

-増谷文雄著『仏教百話』筑摩書房刊-

王は恥じて、おそばに仕える少年にこの詩を暗唱させます。そして、毎食毎に詩を唱えさせたといいます。その効果があって、王は健康を取り戻したとか。でもねー、だれもわかってはいるけれど、「みずから深く思わずに、衝動で量を知らずに食べたり飲んだりする」からダイエットが必要になるわけですから。

ところで、釈尊が王に与えて詩のなかで注目したい漢字が一つあります。「寿」という字です。仏教経典では「寿」を「いのち」とよむのが通例です。白川静先生の字源辞典『字統』も「いのちながし・ひさしい」とよんでいます。いのちがながくてひさしいからおめでたいのでしょう。

さて、めでたさを欲張りすぎたのが古典落語の『寿限無』です。ご存じのとおり、熊さんに初めて生まれた赤ちゃんの名が「じゅげむじゅげむ……」。良い名前を欲張りすぎたものだから、長くなってしまって、名をよぶうちに金ぼうの頭のコブも治ってしまったという落語。

いのちに限りがないわけですから、これほどめでたいことはない。でも、人の「いのち」には限りがある。なのに寿限無だという。落語の他愛もない話なのか。それとも、限りがない「いのち」があるのか。あるとすれば何なのか、は別の機会に書きたいと思うのです。


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静かに行く者は

2009-01-29 | インポート

100_0021

静かに行く者は 健やかに行く

健やかに行く者は 遠くまで行く

城山三郎著『静かに健やかに遠くまで』より 掲示日H19.10.1

今月の言葉は3月に亡くなられた作家城山三郎氏のエッセイ集『静かに 健やかに 遠くまで』(新潮社文庫刊)に紹介されていることばです。もともとはイタリアの経済学者パレードがモットーとしていた言葉だといいます。

静かに行く者は 健やかに行く   Chi va piano,Va sano

健やかに行く者は 遠くまで行く   Chi va sano,Va lontano

「原語はローマ字読みで気持ちよく口ずさむことができ、くり返すうち、意味まで伝わってくるような気がしてくるではないか」とは城山氏の評ですが、仏僧の私がこの言葉を読んで思い出すのは次のような経典の一節です。

河底の浅い小川の水は音を立てて流れるが、大河の水は音を立てないで静かに流れる。-中村元著『ブッダのことば/スッタにバータ』岩波文庫刊-

仏教経典のなかでも最古のスッタにバータと一九世紀生まれの経済学者の言葉が同じ響きに聞こえるのはわたしだけでしょうか。

ところで、城山三郎氏の遺作で、今(平成19年秋)、もっとも売れているのは、『落日燃ゆ』のようです。『落日燃ゆ』はA級戦犯として処刑された広田弘毅元首相の物語です。広田は東京裁判で、すべては自分のしたことと語り処刑判決に殉じ、静かに遠くへ行ったのです。広田をはじめとして有名無名の何人もの人が戦の責任を問われて拘留され処刑されのは巣鴨プリズンです。昭和40年代にそのすべてが取り壊されて、現在では一部分が東池袋公園になっています。池袋駅から歩いて10分ほどのところにある公園は、入り口にセコイアの並木が植えられ、一角におにぎり型の記念碑がたっている。記念碑はサンシャインビルを背景にして、表には「永久平和を願って」と刻まれ、裏面には「第二次世界大戦後、東京市ヶ谷において極東国際軍事裁判がかした刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された(後略)」とあります。

なんで、戦後生まれの筆者がこんなことに詳しいかというと、わけあって四年ほど前、現地へ行って見て、その雰囲気を味わってきたからです。実際に見て感じてくると、下手な文章でも少し厚さがでてくるものです。

さて、先にご紹介した中村元著『ブッダのことば/スッタにバータ』にはこんな言葉もおさめられています。

みずから知っているのに多くのことを語らないならば、(略)かれは聖者として聖者の行を体得した。

余計な解説とおしゃべりはこのくらいにして、良い言葉は静かに味わうのがよろしいようで!

    


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生みたての卵掌におく秋の暮れ

2009-01-29 | インポート

07111_2 生みたての 卵掌におく 秋の暮れ     中川宋淵

              掲示日 H19.11.1

今月のことばは、中川宋淵老師(なかがわ・そうえん)(1907~1984)の第一句集『詩龕』に所収の俳句です。老師の略歴を、『現代俳句大辞典』(三省堂刊)から引用してみます。

山口県岩国生まれ。本名基(さとし)。東京帝国大学国文科卒。臨済宗の僧、1931年山梨県塩山市の向嶽寺で得度、静岡県三島市の龍澤寺山本玄峰の元で禅を究め同寺の住職となる

宋淵老師は『近代昭和・平成禅僧伝』(春秋社刊)にその名をとどめる名僧であり、俳句辞典にもプロフィールが紹介される俳人でもあるのです。

さて、私が尊敬する先輩・秋田県開得寺住職新野建臣が、この句にに次のような言葉をそえられています。

生みたての卵は温かいものです。秋は日暮れになると、急に裾寒くなりますから、卵のぬくみが一層身に染みます。卵という小さな生き物、ひいては生き年いけるものへの老師の心の温かさが感じられます(臨済会報H18.7.1号)

新野師のお寺は秋田県の八郎潟の近くにあります。訪ねてみたいと思いながら、未だに果たせずにいるのですが、秋の東北はきれいでしょうね。でも、東北の秋はかけ足でやってきて、すぐに冬に突入する。そんな地に住んでいる新野師の「秋は日暮れになると、急に裾寒くなる」という言葉には迫力があります。

ところで、中川宋淵老師と秋、とくれば次の詩が思い浮かびます。

ほろわろと/秋のひざし/手にうけて/もったいなくて/もったいなくて/穂すすきも/桔梗も/かるかやも/みんな風に/うごいている(松原哲明著『般若心経を語る』NHK「こころの時代」テキストより)

引用したテキストからもわかるように、この詩は松原哲明師が著作や講演法話でたびたび紹介されています。実をいうと、「今月のことば」に最初はこの詩を掲載しようと思いました。でも、全文を載せるには長すぎるし……。と、思って冒頭の俳句になったのが、今月のことばの周辺です。


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吉日に悪をなす

2009-01-29 | インポート

吉日に悪をなすに必ず凶なり

悪日に善を行うに必ず吉なり

吉凶は人によりて日によらず  徒然草91段  掲示日H19.12.1

晩秋のある日、ある場所で同行の先輩と世間話をしていました。その方とは年に数回会いますが、格別親しくもないけれど、敬遠するなかでもない。私が尋ねました。

「いつもお元気ですね。おいつくになられました?」

「うーん、六十五になった」

と、先輩。

「へぇー、まだ六十五歳だったんですか」

と、変な驚きかたをする私。なぜ変な驚きかたをしたかというと、初めてお会いしたのは二十年以上前だと思うけれど、その頃から六十五歳くらいの方だと思っていたからでした。昔から老けて見えたのが、年相応になっただけ。ずいぶんと高齢だと思っていた人が意外と若かったり、若いと思ったいた人が高齢だったり。そんな経験ありませんか。

同じように、古い習慣だと思っていたことが、歴史の浅い慣わしだったりすることがあります。

新しい年のカレンダーを用意する季節になりました。最近は、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口という六曜が記されたカレンダーが少なくなったようです。そもそも、六曜の起源は中国・唐の時代とか。日本にもたらされたのは、十四世紀で今のようなかたちになったのは、幕末だといいます。でも、江戸時代までは、立春・夏至などの二十四節季がメインで六曜を気にする人は少なかった。明治になり吉凶付きの他の暦注は迷信だと禁止されますが、不思議なことに六曜だけは引き続き記載されます。この文章を書くために少しばかり資料を探してみたのですが、「六曜に人気が出たのは昭和二十年以降」などと書いてあるものもありますから、意外に歴史の浅い新しいものなのです。

さて、今月のことばは『徒然草』91段です。兼好法師(1283~1350?)はいいます。

吉日でも悪事をはたらけば凶。忌み日でもよしことするには常に吉。良いも悪いも人によるのであって、日によるのではない

この一節は九十一段の結びの言葉で、冒頭では次のように書いています。

縁起が悪い日に企てて失敗したものの数と、良い日を選んでやっても成就しなかったものの数を数えてみるがいい。きっと同じになるはずだ。なぜなら、無常変易、この世は常に変化するのだから

筆者自身も、大安だろうが仏滅だろうが、まったく気にかけません。カレンダーに六曜などなくても困らないのですが、仕事がら友引の日だけはしっておきたい。友引といえば『平成サラリーマン川柳傑作選』に次のような川柳がありました。

友引に葬式休暇とるうかつ

兼好法師がこの句をよんでどう添削するでしょうか。兼好は添削どころか意味がわからないでしょう。法師が生きた平安時代には、友引などなかったのですから。

古い習慣だと思っていたことが、歴史の浅い新しい慣わしだったりすることが多いのです。


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