武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

079. 松 -Pinhal-

2018-11-14 | 独言(ひとりごと)

明けましておめでとうございます。

 門松などポルトガルに来てからはイラストか写真でしか見ることは出来ませんが、お正月の確か7日くらいまでを「松の内」と言うのでしょう。松と言えば日本では何だかおめでたい。

 冬も緑のままだし、長寿の象徴。なにしろ「松竹梅」の松。すし屋でも「松」で注文すれば豪華。時々、松より梅を上等にしている食堂などがあって戸惑うこともあるが…

 母校の高校の文化祭で毎年有志による能、狂言が催されていた。そのバックに掲げる絵は美術部の仕事だった。必ず松を描かなければならない。講堂の舞台いっぱいになる大きな松の木を泥絵の具で描く。高校生には難しく最後には顧問の先生の手が入った。
 僕には今でも難しいが…

ポイントを当てると初日の出が昇る様にアニメを作ったのだが、ブログではそれが残念ながら機能しない。

 松の木には何でも世界で120種類程もあるらしい。もちろんポルトガルにもある。
 ポルトガルには経済樹としてはコルク樫、オリーヴ、ユーカリなどが植えられているが、もしかしたら松が一番多い様な気がしないでもない。

 クリスマス・ツリーは普通モミの木だろうと思うが、僕たちがポルトガルに来た当初にはクリスマス前になると小型トラックの荷台いっぱいに松の枝を積んで売りに来ていて「へえ~モミでなくても良いのだ。」と思ったものだ。

 我が家の南東には松の林があるし、ここから見えるサン・フィリッペ城の周りにも松がびっしりとある。それは植えられたものではなく、実生で自然に生えたものだ。
 何しろ丈夫ですくすくと見る間に成長する。実生で生えだしたばかりの幼木も見える。

 我が家の北側にあるお屋敷はかつては2~30本の松の大木で囲まれていたが、数年前全て取り払ってしまった。
 お陰でアトリエからパルメラの城がはっきりと見えるようになったので、今、我が家からは二つの城が見える。

 サン・フィリッペ城の周りの松林は僕たちが住み始めた当初はそれ程でもなく、むしろオリーヴの木が目立っていたほどなのに、今ではオリーヴの木に松が覆いかぶさって殆どオリーヴはなくなってしまい、松の木だけが勢いを強めている。
 そろそろ間伐や枝打ちなどの整理をしなければ、もし火でも付けば大変なことになると心配になってしまう。

 我が家の南東の林には100本程の松の木があったが、じょじょに切られて今は大木5本だけが残されている。
 それでも野鳥たちにすればオアシスらしくて、白小鳩の幾家族かが住み着いているし、メルローも飛び交って美声を聞かせてくれる。
 季節には様々な野鳥の中継点にもなっている様だ。何しろ5階建てのビルよりも背が高い。

 毎月、第2日曜日に大規模な露店市が開かれるピニャル・ノヴォには必ず訪れる。
 ピニャルとは松という意味で、ノヴォは新らしい。日本語に訳せば新松市(ニイマツシ)となる。

 確かに町の周辺には松の木がたくさん植えられている。
 露店市周辺に新たに整備された駐車場にも松が植えられ、既に日陰を提供している。
 ピニャル・ノヴォという名前だから松を植えるのも納得だが、セトゥーバルのサド湾沿いの公園にも松が植えられた。「何故だろう?」と疑問に思ってしまう。日本の松の様に枝を整えることはしないで暑苦しく延ばし放題。

 クルマで1時間ばかり走った、サド川の上流にあたる古くからの町アルカサル・ド・サル(塩の宮殿)。そこの名物は塩ではなく、甘~い松の実を使ったお菓子である。松の実を砂糖で固めたものと、蜂蜜で固めたもの。訪れるたびに買うが少々甘すぎる、昔懐かしい様な素朴なお菓子。素朴な馬糞紙で包んでくれる。

 その周辺にも当然のことながら松林が多い。時々松脂(まつやに)を採取している林を見かける。幹にV字型に切り込みを入れその下に器がくくりつけられている。

 兄は子供の頃バイオリンを習わされていた。バイオリンの音はうるさかった印象があるが、もっと印象的なのは固形の松脂を馬の尻尾で作られたという弓にこすり付けていたことだ。兄もバイオリンを弾くことよりも、松脂を擦り付ける作業のほうが気に入っていたのかも知れない。

 我が家の南西にある5本の松の木の枝が先日も切られた。
 枝と枝が擦り合わさって焦げ目が付いていて、危険を感じた階下のマリアさんが役場に陳情したのだろう。
 役場の人間と役場から依頼を受けた業者が2人でやってきた。チェンソーを持った業者が高い木に登り10本ばかりの枝を切った。その切り口から松脂が流れ出していて、雨になると白っぽく浮かび上がる。

 油絵を描くときの溶き油は「ターペンタイン」または「テレピン油」ともいう。松の葉や松脂を蒸しその蒸留されたエキスがテレピン油となる。当然のことながら松の木特有の匂い?がある。嫌いな人も多いのかも知れないが、幸い僕はこの匂いが好きである。シンナーなら大変なことになるが、テレピンは無害なのだろう。
 僕はこのテレピン油に何十年もお世話になってきたことになる。今年2010年の1年。そして松の内の今日も、おめでたい松から摂れたテレピンの匂いに満ち満ちたアトリエで、仕事(絵を描くこと)が出来る幸せを感じている。

2010/01/01 VIT
今年は1月下旬に日本に向います。
高校美術部OB展が(下記)40年目40回展を迎えます。

 

        第40回NACK
2010年1月25日(月)~30日(土)
最終日は午後4時終了
大阪府立現代美術センター・B展示室
〒540-0008 大阪市中央区大手前 3-1-43 ℡06-4790-8520
地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目」駅下車1A出口

     1月28日(木)には武本が全日会場に居ます。


それに出品する為に早目の帰国です。
個展は(下記)3月1日から30日まで宮崎空港ギャラリーです。


武本比登志ポルトガル作品展
2010年3月1日(月)~30日(火)
最終日は午後3時終了
宮崎空港ギャラリー
〒880-0912 宮崎市赤江 宮崎空港ビル3F ℡0985-51-5111(代)

雨が降らない限り、毎週土・日の15時から17時までは会場に居ます。

ポルトガルに戻ってくるのは4月中旬になります。
次回のこのコーナーは5月1日の予定です。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

武本比登志


(この文は2010年1月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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