今回は昨年の旅の続きミレー。それとバルビゾン派。パリ周辺、イル・ド・フランスを歩いてみようと計画をたてた。
計画をたてるとどうもあれもこれもと欲張ってしまう。
結局、ミレー、テオドール・ルソーそれに印象派のシスレー、ピサロ、モネ。黒田清輝、佐伯祐三などに関わりのある土地を歩いてみることになった。それにフォンテーヌブロー派も加わるのだろう。
2006/11/06(月)あさ霧雨、曇りのち晴れ/Setubal - Lisboa - Paris – Fontainebleau
今回はムッシュ・Mの自宅まで行かなくてもド・ゴール空港まで出迎えてくれることになったので楽ちんだ。
でも飛行機が1時間も遅れたので心配したが、ムッシュ・Mは到着口で気の毒に長い時間待っていてくれた。
しかもちょうど息子さんがリオンから3時にパリに帰って来られるので出迎えるとのことで、少々早いけれどその足で、僕にとっては好都合にパリ・リオン駅までクルマで送って下さった。
お蔭で飛行機が遅れた割には予定の列車でフォンテーヌブローに着いた。でも何をする暇もない。
それに寒波がやって来ているのか、ことのほか寒い。
明日、明後日のレンタカーの予約に行ったが2軒のレンタカー屋も明日は予約でいっぱいとのことで、明後日、1日だけの予約になった。
暖かいムールとポンフリそれにビールで早い時間に軽く夕食。デザートにチーズ盛り合わせとワインを追加。イル・ド・フランスの南、ボージョレ地方の白。口当たりが良い。
01.ムールのワイン蒸しとフリット
今朝は4時起床だったので、早くホテルで休みたい。
ホテルはインターネットで予約をしておいた。やはりパリよりは安い。そして広い。まるでポルトガル人のように太った娘が愛想良く、くるくるとよく働く。
部屋の目の前は趣きのある郵便局の建物で、そのすぐ後ろからフォンテーヌブロー宮殿庭園の入口があった。
予約は1晩だけだったが、まあ悪くはないし、レンタカーの予定が狂ったので、幸い空いているとのことだったし、3日ともこのホテルに泊ることにした。
02.フォンテーヌブローで泊ったホテル
2006/11/07(火)朝霧曇り時々晴れ/Fontainebleau - Moret sur Loin – Fontainebleau
朝食は満席。ホテルの部屋も満室なのかも知れない。部屋が取れて運が良かった。
朝早くからフォンテーヌブロー宮殿の庭を散策、霧に包まれて美しい。白鳥などの水鳥が寄ってきたがやる餌がない。身体が芯から冷え切る。1日空いたのでフォンテーヌブロー宮殿を見学しようと思ったが、きょう火曜日は休館日。
03.朝霧のフォンテーヌブロー宮殿
朝市がでていたので、ひととおり見て回った。魚屋にしろ八百屋にしろ、フランスの市はどこも、飾りつけに手をかけていて見ていて楽しい。やはりセンスの良さを感じる。
レンタカーで行くつもりだったシスレーゆかりの地、モレ・シュル・ロアンだけは列車で行くことにする。時間がゆっくりなのでフォンテーヌブロー・アヴォン駅まで歩いたがこれが後々までたたった。
04.フォンテーヌブロー・アヴォン駅と市内行きバス
2駅でモレ・シュル・ロアンの最寄り駅 <Moret Veneux les Sablons> 駅に着いて、通りかかった人にモレ・シュル・ロアンの町を尋ねると、歩いて20分程とのことだったので歩いた。もっともバスもタクシーも何もないので歩くしかないが…。
教えられたとおりに線路沿いに歩いてインター・マルシェのところで右に曲がった。曲ったところにモネ、シスレー、ルノワールの肖像画が描かれたホテル・レストランがあった。
05.シスレーの肖像画があるレストラン
06.モレ・シュル・ロアンの町門
町の入口、町門の手前にインフォメーション。でもあいにく昼休みで閉まっていた。町門を入ってすぐに町役場や郵便局などがある中心広場。さらに1本道のその先に出口の町門があり、そこにロアン川が流れている。
水量が多い。石橋の両方に水車小屋、それに洗濯場もある。ロアン川に影を落す様々な色あいの木々、水鳥、カテドラル、町門。静かな町だ。静かだと思っていたら、なるほど昼休みでどこも閉まっている。でも小さな美しい町だ。曇っていたのでシスレーよりもドービニーのイメージの風景だ。これが晴れていれば、いかにもシスレーの絵そのままだろう。
07.モレ・シュル・ロアン
昼食にレストランに入ったが町の人たちでいっぱいでなかなか順番が来そうにないので別の店、人の良さそうな親爺が暇そうにしていたカバブ屋に入る。
フランスでカバブ屋に入ったのは久しぶりだ。安くてお腹が一杯になる。それに案外と旨い。たまにはカバブも悪くはない。
08.モレ・シュル・ロアンの中心広場
帰りインフォメーションが開いていたので、駅までバスがないのか尋ねたがやはりないという。そこでシスレーの絵葉書を買う。オルセー所蔵のシスレーの代表作の一つだがここ<モレ・シュル・ロアン>がモティーフだとのことだ。
夕食はフォンテーヌブローで温かいシュークルートを食べる。なぜか今回の旅では「生牡蠣と中華は食べない」とMUZが宣言している。
2006/11/08(水)晴れ時々曇り/Fontainebleau-Barbizon-Milly la Foret-Grez sur Loin-Fontainebleau
ホテルで朝食後、9時にレンタカー屋へ。
バルビゾンにはほんの20分程で到着。
町の入口のところに「晩鐘」の看板がある。そこであの名作が生まれたのだろう。
1972年、パリに住んでいた時に日本人留学生の仲間たちを誘って、僕のフォルクスワーゲンマイクロバスで1度は来たことがある。
あの時一緒に来たSさんはその後、画家と結婚されてYさんとなり今はドイツに住んでおられる。
学生運動で休校状態だったので、その暇にフランス語の勉強に来ていると言っていた、剣道の達人で東大生だった彼は今、どうしているのだろうか?
人の顔は懐かしく思い出されるが、バルビゾンの町にその当時の面影は全く覚えていない。初めて来たのと同じだ。
早く着きすぎたので、ガンヌの旅籠もテオドール・ルソーのアトリエもまだ閉まっている。インフォメーションもまだだ。
天気もよく朝日を浴びた蔦の紅葉などを楽しみながら、ぶらぶら歩いているとミレーのアトリエの前にでる。
09.ミレーのアトリエ
ここだけは9時半開館なので観ることができた。
壁にはミレーのデッサンや印刷物、バルビゾン派の画家の作品、ルソーの作品も所狭しとかけられている。
観終わって外に出ると受付の女性とミレーにそっくりなおじさんが話していて驚いた。
ミレーの孫かひ孫かそれとも<そっくりさんチャンピオン>だろうか?
カフェに入ってコーヒーを飲む。フランスのコーヒーの値段はポルトガルのちょうど倍だ。欧州通貨がユーロに統一されて価格が一目瞭然だ。
テオドール・ルソーのアトリエの前で開館時間を待つ。
10.テオドール・ルソーのアトリエ
時間になってもなかなか開かないなあ、と思っていてドアを押したら既に開いていた。
やはりテオドール・ルソーの絵とバルビゾン派の画家の絵。それにパレットが4~5枚展示してある。パレットには絵が描かれている。ユトリロ美術館にも同じようなものがあったのを思い出した。パレットにこびり付いた絵具に絵が現れるのだ。彫刻家が石の中に眠っている姿を見つけ出すのに似ている。
ガンヌの旅籠も美術館になっている。
11.蔦の紅葉が美しいガンヌの旅籠
ドアや家具などに当時の画家たちが絵を描いていて、それが残されている。
12.家具にも絵が描かれている。
13.寝室。
インフォメーションでミレーとテオドール・ルソーの彫像の場所を聞く。町はずれの森の中とのことだったので、クルマに戻りクルマで行く。森にはすぐに着いたが森の何処にあるのかがわからない。標識もなにもない。それらしき岩のかたまったところにあてずっぽうに行くとそこにあった。あちこちにきのこが生えていた。
14.バルビゾンの森の入口。
15.森の中のテオドール・ルソーとミレーの銅像。
グレ・シュル・ロアンに行く途中、少し回り道をするだけで、ジャン・コクトーが建てたチャペルのある、ミイ・ラ・フォレという町がある。そのチャペルにジャン・コクトーが眠っているというので寄っていくことにする。
16.ジャン・コクトーのチャペル。
クルマを停めて歩き出すとすぐに通りがかりのマダムが声をかけてくれてチャペルへの道を教えてくれる。町外れにあり、着くとちょうど昼休みだ。
町に戻り、町も見学し昼食もそこで済ます。午後からの開館時間になって再び行ったが開かない。よく見ると開館時間が表示された下に但し書きがあって、フランス語なので判らないがとにかく臨時休館らしい。
17.開館時間の表示。
僕たちが諦めて帰りかけた時、アノラック姿でハイキングか山歩きといったいでたちの初老の男女10数人とすれ違った。
入口で立ち止まってその看板を見、わいわい喋りながら通り過ぎて行った。開いていれば寄っていくつもりだったのだろうか?目的地はここではなさそうだ。このあたりにハイキングコースでもあるのだろう。
黒田清輝が住んだグレ・シュル・ロアンを目ざす。
どこを走ってもミレーやコロー、テオドール・ルソー、ドービニーの絵の中の風景のようだ。紅葉はそれ程でもなく、むしろ森は褐色と深緑、水辺も群青色で黒々としている。
グレ・シュル・ロアンに着いた。クルマを停めて教会の方に歩く。その隣に村役場があったが閉まっている。午後は何と4時からだ。ポルトガル以上に仕事をしない?お役所がある。
村役場のところに町の地図があったので「黒田清輝通り」を探したが見あたらない。
人通りがない。可愛らしい女の子が僕たちに「ボンジュール」と挨拶をしながら走り去った。
その次の通りの標識に [ Rue KURODA Seiki ] の文字を見つける。
18.黒田清輝通り。
小さな通りでその中ほどに黒田清輝が住んだお屋敷があって、フランス語と日本語でそう書かれた標識がある。
19.フランス語と日本語で書かれた標識。
今は誰かフランスの人が住んでおられるのだろう。
20.黒田清輝が住んだ屋敷
ロアン川まで行ってみる。趣のある石橋、それにローマ時代の廃墟の様な塔が聳えている。川向こうにサッカー場があるらしく、練習をしているのか、甲高い少年たちの声だけが賑やかに聞こえる。橋の上で風景を見ていると、女の子が2人自転車で通りかかり、やはり「ボンジュール」と言って走って行く。
河川敷に大きな柳の木が数本。その間にベンチがひとつ、若いカップルがキスをしている。浅井忠が「グレ・シュル・ロアンの柳」を描いている。
スウェーデン人画家・カール・ラーソン(1853-1919)<Rue Carl Larsson>通りの標識も見つけた。その時代北欧からの画家も多く住み制作に励んだ村なのだ。
この村でカフェにでも入ってゆっくりしたいと思っていたが、どこも開いていなかった。
21.ロアン川に影を落すグレの柳
グレ・シュル・ロアンからフォンテーヌブローはすぐの距離であった。途中、ガソリンスタンドの1軒もない。レンタカーは明朝の9時までだが、今日夕方までに返すことにした。レンタカー屋の近くまで戻っていながら、ガソリンを入れるためにフォンテーヌブロー・アヴォン駅まで引き返した。
夕映えで赤く染まったフォンテーヌブロー宮殿の庭を散歩。
22.夕映えのフォンテーヌブロー宮殿。
23.マロニエ並木と白鳥の湖。
050.イル・ド・フランス・旅日記(下) -Il de France- へつづく。
(この文は2006年12月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)
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