武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

025. NACK掲示板 アールヌーボーについての記述

2018-10-20 | 独言(ひとりごと)

 この夏はユーロ2004とオリンピックの話題で「NACK掲示板」は盛り上がりを見せました。9月に入ってからはアールヌーボーで盛り上っています。掲示板は100通を越えると消えてなくなります。なくしてしまうには惜しい興味深く格調高い記述が続きましたので、ここに無断転載して残してみたいと思います。無関係の記述は削除しています。投稿者の皆さん有難う御座います。尚、掲示板とは逆の配列になっています。読みやすい様に古い順から入れています。

今度は台風お見舞い 投稿者:  投稿日: 9月 9日(木)00時41分1秒

 台風18号は猛威を奮いましたね。お見舞い申し上げます。
 貨物船が座礁したり、トラックが横倒しになっている映像を見ましたが、木南さんは大丈夫でしたか?
 19号も続いて控えていますのでご用心下さい。
 8月もいつの間にか終り、9月が早くも1週間が過ぎました。
 ポルトガルでは9月中旬の新学期に備え大型スーパーでは学用品のバーゲンセールをやっていて、親子連れや学生などがどっさりのノートなどを買い揃えています。
 それに混じって僕もスケッチブックを15冊買い込みました。
 今月末日よりフランスに行きます。
 今年は藤井先生のリクエストにお応えしてロレーヌ地方のナンシーという町に行く予定を立てているところです。そこで「日本美術(高島北海)がフランスに与えたアールヌーボーへの影響について」を観てくる様に…との藤井先生からの課題です。楽しみです。
 今年は例年より1ヶ月早い展覧会ですので気温もまあまあではと期待しています。
 でもその前に今手懸けている30号、20号の目途を立てたいと少し焦っているところです。

 投稿者:Kinami  投稿日: 9月 9日(木)19時51分6秒

 台風18号は広範囲に爪あとを残したようですね。ニュースによると、中国電力の3割が停電状態になったそうだし、神戸の国道2号線が冠水してました。
 私は夜中に台風の風雨が過ぎてから仕事に出発して大丈夫でした。でも台風の強風の中で建築中の現場の備えをしてたり、我を忘れて家屋や仕事の事が心配でやむなく事故に会われた人は大変でしたでしょう。
 また今度の地震で愛知県では4センチ地盤がズレた所があったそうで参ってしまいます。

 さて武本さんの今度のロレーヌ地方の訪問は面白そうですね。フランス・ロレーヌ地方は学校で習った「最後の授業」のドイツ国境に近い地方なんですね。「高島北海」?なんか聞いたことが有るようなないような。日本画の技法などをフランスで伝えた人ですか?。また色々伝えて教えてください。楽しみにしてます。


 思うに極端に言って、かたや人物・写実の西洋美術と、風景・抽象的認識の日本美術の価値観の出合いみたいな事があったやろなあ。
 なんか急に美術館に行きたくなりました。とりあえず堺のアールヌーボーのミュシャ美術館と、中之島の東洋陶器美術館には行っておこうかなぁ。秋ですし…。

高島北海 投稿者:  投稿日: 9月10日(金)05時16分12秒

 「高島北海」については藤井先生の手紙の一部を無断転載します。

 (中略)ポンタヴァンリポートの続きを考えていますか?

 ナンシー派、エミール・ガレ、アールヌーボー。
 地図を見るとパリより川上にその地はある。ロレーヌ地方、鉄鋼の町ナンシー。

 兵庫県生野銀山に明治の頃、お雇い外国人で鉱山、森林の指導にやって来た外国人の一人(コワニエ)に付いてフランスのナンシー森林学校に留学3年、この間にエミール・ガレと交流があってアールヌーボーに影響を与えた高島北海という画家(水墨をたしなむ役人と云うべきか)が居た。
 きっと北海の花鳥風月の墨絵が沢山ナンシーにあるのでは?
 片言のフランス語でどこまで日本画を談じれたか?どれほどのグループだったのか?

 ポンタヴァンの意味の理解は武やんのリポートを機に「物の表面に当る光を描写していた印象派に絵画は表面の写しではないよ。絵画ですよ。表現ですよ。」たったそれだけのことですが、大切な運動だったことが理解出来て大変有難かった。(中略)(恐縮です-武)

 黒田清輝や久米桂一郎のように仏国から持って帰って来た美術に対して置いて来た美術がどう西洋美術を変えたか?
 浮世絵が変えたその後?へ、そういう感心があるのだが。(後略)

アールヌーボー作家ミュシャ美術館で、"美術を伝えた人"についても感銘した 投稿者:Kinami  投稿日: 9月12日(日)02時14分57秒

 もの思う秋ですね…。
 私は堺出身の与謝野晶子の活躍した歌誌「明星」で表紙・挿し絵に盛んに取り入れられた当時ヨーロッパでも流行・最新のアールヌーボー作家ミュシャの、世界で最初の専門美術館を堺市が開いたと数年前聞いて気になってました。
 さてこの度そのJR堺市駅前・堺市立文化館内ミュシャ館に行ってきました。ミュシャに付ては大変良かっので又、後日談として、ここではこのミュシャのコレクションを寄贈した故土井君雄と、アールヌーボーについて貰った資料から抜粋します。

 《アールヌーボー》…「新しい芸術」を意味するフランス語です。19世紀末から20世紀初めのヨーロッパを中心に世界中で流行した装飾的な美術・工芸スタイルの呼び名です。しなやかに流れる曲線、花の装飾などが特徴で、工芸、彫刻、建築と、生活のあらゆる分野の造形に取り入れられました。アールヌーボーには様々な要素があるなかで日本美術の影響がとくに顕著です。大胆な構図、太い輪郭線などは浮世絵からの影響といわれています。
 19世紀末、衰退のきざしが見えはじめたヨーロッパ文明が、異質な文化を取り入れることによって再び活力を得る試みがアールヌーボーであったと考えることができます。…
 《ドイ・コレクション》…500点におよぶミュシャ・コレクションを築いたカメラのドイ創業社長の土井君雄氏は、世界で初めてミュシャ美術館を日本に設立することを念頭において、ミュシャの子息イジー・ムハ氏と常に協力連携しながら、初期から晩年にいたるあらゆるジャンルのミュシャ作品を系統的にしゅう集されました。70年間行方が知れなかった中期の代表作や‥世界の宝と注目されている作品がオークションにかけられた時にも‥作品がコレクションに加わるようイジー・ムハ、土井君雄氏の努力によって実現されました。…

 僕もカメラのドイで買ったり、経営状態が悪いことなど伝え聞いてたのですが、良い事をされたなぁと思いました。

ミュシャ 投稿者:  投稿日: 9月12日(日)20時45分30秒

 日本には何でもあるのですね。ミュシャの美術館まであるとは驚きました。
 しかもJR堺市駅前。加藤正雄の庭先ではないですか~。
 僕は今までアールヌーボーは体質的にあまり好きではなかった(一応クリムトとエゴン・シーレの画集(ポルトガル語版)はバーゲンセールで買って持っているのですが殆ど開いたことがない)のであまり知りません。
 今回の藤井先生からの課題でこの際少し勉強をしたいと思っているのですが~。
 ガラスのガレ。ドーム。ティファニーなどは日本のたくさんの美術館にあっていやというほど観ました。
 米子の足立美術館や鹿児島の長島美術館。児玉美術館など個人美術館にはとりわけたくさんあった様な気がします。

 高島北海は下関市立美術館にたくさんコレクションがあるそうです。
 僕はどちらかと言うとアールヌーボーの運動がボナールやヴィヤールとどう関わったか?に興味があるのですが。
 今東京では大規模なマチス展が開催されているとのことですが、そのマチスにどう関わったか?にもです。
 木南さん。ミュシャに付いてデータ、感想など「掲示板」で詳しくお知らせ下さい。

 そうですか~、カメラのドイがミュシャですか。
 ちなみに児玉美術館と三宅美術館は医者です。
 ゴッホで有名になったウッドワン美術館は材木です。
 足立美術館は(不動産?)何だったか忘れましたが、長島美術館はパチンコです。
 以上どこも素晴らしいコレクションです。

アールヌーボーとバウハウス 投稿者:サカミチ  投稿日: 9月12日(日)21時36分52秒

 この夏は26日間かけてヘルシンキからパリーまで旅をした。ワイマールのバウハウス博物館、思ってたより面白なかったけど、初期バウハウスがアールヌーボーの影響を受けていた事に気づいたことは収穫やった。ナンシーのナンシー派美術館、主にガレの作品やけど、やっぱり凄い感激やった。ミュシャ美術館プラハにあるけど、ミュシャはやっぱりプラハで見るべきやで。

アール・ヌーボー 投稿者:公下道子  投稿日: 9月13日(月)03時46分3秒

 情けない事に、美術の知識が全く無い私は、昨日まで「アールヌーボー」って一体何?と思っていましたが今日、本棚にある留理の高校時代の教科書(デザイン史)を読んで少し解かりました。
 ナンシー派、高島北海、ガレ、ティファニーのガラス器、・・・等最近NACK掲示板で目にした言葉もアールヌーボーの項を読んでいると次々と出てきましたので、一層解かりやすく楽しいでした。
 武本さん。
 先日(9/10)、「VITの独言」サイトのエッセイ「ヌエネン時代のゴッホ」と「佐伯祐三の足跡を訪ねて」と「ボンタヴァン旅日記」の3篇をじっくり読ませていただきました。読解力が遅いので2時間程かかりましたが、とても興味深く、楽しく読ませてもらいました。ぜひロレ-ヌ地方、ナンシー旅行記も書いて下さいね。

ナンシーのホテル 投稿者:  投稿日: 9月13日(月)18時37分1秒

 サカミチさんはけっこうヨーロッパに来るのですか?ヘルシンキ(ストックホルム)からパリ間というとかつての僕が何度となく往来した懐かしいコースです。プラハを含めてです。今夏サカミチさんがナンシーにまで行ったとは驚きました。僕は以前には行ってないと思います。ストラスブールとランスには行ってますがその中間のナンシーは今回が初めてのはずです。あまりアールヌーボーに興味を持てなかったからかも知れませんが、その当時は本当に情報がなかった。現地に行って初めて「あーこんなところにこんな物がある」と言った感じでした。
 ところでナンシーではホテルはどこを取りましたか?僕たちの今回の旅はパリが3泊、ナンシーが2泊、ストラスブールに2泊を予定しています。パリは10年来ルクサンブールに馴染みのホテルがあってそこに泊まります。ストラスブールは駅前のキリヤードホテルを考えています。ナンシーが問題ですがもし良いところを知ってたら教えて下さい。二つ星程度で予算はWで80ユーロ程までであれば良いのですが。ナンシーにはホテルはたくさんありましたか?
 公下さん。3っつもの旅行記を一度に読んでくれたのですか。読みづらい文章で肩が凝ったでしょう?今度のナンシーも一応レポートはするつもりですが、さてどんな旅行になるでしょうか?
 サカミチさんも旅行記をNACK誌の原稿として纏めたらいかがですか?
 木南さんも、最近観た美術館の感想文を纏めてNACK誌用に書いて下さい。

東京の「マチス展」はいつまで?何処の美術館でやってるのですか? 投稿者:Kinami  投稿日: 9月13日(月)22時09分37秒

 武本さん。東京で「マチス展」をやっているのは本当ですか?ぜひ行きたいのですが、日程・場所はわかりますか?
 9/18~12/12 ピカソ展(躰とエロス)東京都美術館は知ってたんですが‥。正しくは=東京都現代美術館
 また東京のどこかの美術館で『長谷川等伯・松林図屏風』が見られる所だれか知りませんか?近代美術館かなぁ?
 マチス・松林図屏風・ピカソが見れたら見に行きたいので、誰か知ってたら是非おしえてください。
 え~っと又あらためて、チェコ出身とフランス・ナンシー出身の、ミュシャとガレの話題を書き込みしてみます…。

画像が 投稿者:  投稿日: 9月14日(火)05時48分59秒


 マチス展はつい先日のNHKのニュースの中で皇室の人とフランス大使が一緒にテープカットをしている場面を見ましたが、どこの美術館で何時までは見ていませんでした。スミマセン

木南さんへ 投稿者:公下道子  投稿日: 9月14日(火)10時02分54秒

 マチス展の場所・日程などをYahoo検索しましたので、転記致します。

 マチス展(Henri Matisse Process/Variation)
 国立近代美術館(東京・上野公園)正しくは=国立西洋美術館
 9月10日(金)~12月12日(日)
 9:30~17:00 金曜日:~20:00
 *入館は閉館30分前まで
 休館、毎週月曜日
 (ただし、月曜日が祝日、又は祝日の振替休日となる場合は開館し、翌日の火曜日が休館)マチス没後50年を記念し、ボンビドゥーセンター・国立近代美術館とマチスの遺族の全面的な協力を得て世界各国の美術館から作品が出品されます。
マチス芸術の傑作と言われる挿絵本ジャズの原点シリーズ全20点が日本初公開されるほか、140点以上に及ぶ「油彩、切り紙絵、素描、版画、彫刻」が一堂に展示されます。

ナンシーの宿 投稿者:サカミチ  投稿日: 9月14日(火)21時40分45秒

 ヨーロッパと言っても、ほとんどが中、東欧です。80ユーロもあれば宿探しには苦労しないでしょう。ナンシーは駅前にFLORE 二っ星で40ユーロ、PIROUX二っ星で42ユーロと結構安いホテルが何軒かあります。
 以前、ナンシーに行った時はメインストリートの Reu St.GeorgeのHotel Americain に泊まりました。星二っで当時250FFr(4400円)設備の良さに比して割安感でした。今年は街の中心にある、スタニスラス広場の近くの Hotel Les Porte D'Or 二っ星で50,60ユーロに泊まりました。まあまあと言ったところです。快適でした。
 今年はスタニスラス広場の大々的な工事中であまり期待はできません。
ナンシー派美術館へは行くべきでしょう。入館料は4,60ユーロ、チケットは全日有効です。
 火、木休み、第一月曜日は10時から13時30分まで無料です。
観光案内所は駅にはありません。スタニスラス広場の一角にありますので歩いて行ってください。
 地図、ホテルリスト、博物館リスト全て無料です。パリーでは常宿はルクサンブールですか。僕は何時も東駅近くの Hotel Liege Strasbourg 泊まります。快適ですが、以前は40ユーロだったのが65ユーロに値上がりしました。経済的な旅を考えれば65ユーロはちょっと考えモノです。
 ストラスブールは駅前より街の中心で宿を探した方が良いと思いますが。
 マチス展は国立西洋美術館です、近代美術館ではありません12月12日まで開催しています。ピカソ展が東京都現代美術館でフィレンッエ芸術都市の・・・展が同時期に東京都美術館で開催です。
 バウハウスとアールヌーボーを比べたら、日本人の感性に合っているのはアールヌーボーだと思うのですが、いかがですか。

ナンシー、ガレのこと 投稿者:Kinami  投稿日: 9月15日(水)22時28分54秒

 サカミチさん、公下さん、マチス展の情報ホントにありがとうございます。
 武本さん。僕が立ち読みしたりして仕入れた情報では、ナンシーは街自体が19世紀末のアールヌーボーの雰囲気でその時代のそうした建築が沢山あるようですね。
 エミール・ガレはナンシーに生まれ、ガラスや陶器の職業の父により各地で勉強する機会を得てパリで成功した。その後ナンシーにずっと戻ってガレによってナンシー派を名乗り多くの作家とそれを享受する市民と共にこの地でのアールヌーボーが興隆したらしい。
 当時のナンシーは普仏戦争によってフランスのアルザス・ロレーヌ地方がプロシアに領有された時、ナンシーはそこから25キロのところでフランスに残ったらしい。領有地域から逃れてきた人や移民で人口が増加、とくに若い独身者の比率が高く活況を呈したらしい。…
 サカミチさん、確かにアールヌーボーは具体的に「ガレのキノコのようなガラス・スタンド」とか、誰それの宝飾品とかイメージしやすくコピー品を含め手に入れられたりで日本人に愛好されるところですね。でもバウハウスの活動は、建築やデザインの世界での隅々に影響を与えているでしょう。ん~だからこそもっと知りたいですねぇ。
 アールヌーボーとバウハウスの関係?ワイマールはバウハウスの活動の中心地とかあったんですか?…何か教えてくださいナ。

ミュシャについて 投稿者:Kinami  投稿日: 9月19日(日)11時34分9秒

⇒ミュシャ館‐鑑賞のしおりより…

《アルフォンス・ミュシャ(1860~1939)》
 アールヌーボーを代表する画家としてしられているミュシャはチェコのモラビア地方のイバンチッツェに生まれました。ミュシャはウィーン、ミュンヘンで絵の勉強をしたあと、パリに出て大女優サラ・ベルナール主演の「ジスモダン」のポスターを制作、一躍その名がパリの街に知られるようになりました。
 ミュシャの作品はしなやかな流れるような曲線と美しい色彩の装飾スタイルが特徴で、ビザンチィンやケルトの装飾文様、祖国チェコの装飾様式が取り入れられているほか日本の浮世絵からの影響が見られ、日本人に親しみやすくなっています。‥中略‥
 すぐれたデザイナーであるミュシャは、グラフィック・デザイナーだけでなく、あらゆるデザインの分野に作品を残しており、『装飾資料集』『装飾人物集』はデザインの教本として今も高く評価されています。
 晩年、プラハに帰ったミュシャは、祖国チェコとスラブ民族への思いをあらわにした油彩やデッサンを多くてがけました。これら晩年の作品には、スラブ独特の象徴的な表現が見られてたいへん興味深いものです。

 ⇒私の感想は…、ヨーロッパにあってギリシャ・ローマとはだいふ違う、理想的人間・魅力としての女性美だなあと感じました。またミュシャには憂いはあっても世紀末的退廃美は感じられないように思われ、パブリックに語りかける作品だなぁ。
 素晴らしい作品に感銘しつつ、とにかく創作のエネルギーに参ってしまいました。工房でリトグラフの下絵を描いてた時は毎日15時間も仕事してたそうだ。彫刻家ロダンと友人だった。6×8メートルもある大作20点からなる「スラブ叙事詩」を18年かけて制作しプラハ市に寄贈した。1918年チェコ独立の時に、新しい国のために国の紋章、紙幣や切手、警察の制服などを無償でデザインしたそうだ。

ついでにマチス展もと 思ったけど・・・ 投稿者:グラッチェ  投稿日: 9月20日(月)01時27分25秒

 こんばんはグラッチェです。NACKの後輩の屋嘉部君から新制作展の招待状を、いただき今日 上野公園の東京都美術館へ、彼の絵を見に行って来ました。彼の絵を見るのは20年ぶりかも?個展やグループ展の案内をよく送ってくれたのですが、なかなか行けませんでした。うまく時間がつくれたので出かけてきました、ついでにこの掲示板で話題のマチス展もと思い・・・。新制作展は、若い作家が多いようで元気なエネルギィーであふれていて楽しい時間を、過せました。屋嘉部君の絵は、学生当時と変わらずキャンバスに物を貼り付けるレリーフ調の手法ですが、当時より格段に洗練され色調も明るく楽しい気分にさせてくれました。次回のNACK展のアイデアや制作意欲の元気は、もらったのですが気温30℃のなか歩きつかれて体はクタクタ、そんな訳でマチス展は次回 木南と見ようかな。新制作展は、10月3日までやってるそうです。ゲイジュツの秋です皆さんお出かけを・・・

リスボンの美術館 投稿者:  投稿日: 9月20日(月)05時42分1秒

 木南さんのミュシャ報告に感化されて今日はリスボンまで出て美術館に行ってきました。グルベンキャン美術館というポルトガルでは最大コレクションの美術館です。 日曜日なのでクルマは空いていますし、駐車場もただです。それに何よりも良いのは美術館が無料だと言うことです。何度も行っている美術館ですが行くたびに展示物が少しづつ入れ替わっていて楽しめます。メインの館と現代美術専門館に分かれていますが今日はメインだけにしました。エジプトからギリシャ、ローマそれにペルシャの織物や陶器に素晴らしい物が多くありました。絵画では以前行った時はドラクロアが何点か良いのがありましたが、今日はレンブラント、ルーベンスなどの大作、近代ではコロー、ドービニーの秀作、珍しいところでミレーの冬景色のパステル画、それにモネとマネ、ドガ、ルノアールと言ったところまでです。以前は浮世絵のコレクションのコーナーがあったのですが、今日はその代りに漆塗り蒔絵の重箱や硯箱、印籠のコレクションがありました。以前は気が付かなかったのですが、この美術館の特色として、アールヌーボーのRene Laliqueと言う人の部屋がありました。皆さんご存知でしたか?デザイン的には素晴らしいものでしたし、宝石をふんだんに使っていて豪華なものでしたが、モティーフに蛇とか蝿とかが多用されていてちょっとグロテスクな部分もありました。どんな人が使っていたのでしょうか?ゾラの小説に出てくる様なアクの強い貴婦人などが使っていたのでしょうか?

美術鑑賞のこと 投稿者:Kinami  投稿日: 9月20日(月)22時13分42秒

 NACKのホームページのミュージアムの所をみて国立博物館のページの検索で長谷川等伯の松林屏風を見ることができました。現代美術・ミニマルアートとして見ても凄い絵だなあ。やっぱり実物を見たいなあ…。良いらしい。
武本さん。ミュージアムのコーナー良いですねぇ。ありがとうございます。ルイ・ラデック分かります。それにしてもタダで美術館に入れるかあ。いたずらや盗られたり大丈夫なんですかね。
 グラッチェさん。10月10日頃マチス展どうかなあ。しかし東京だけでも美術館を全部、堪能しようとしたら一週間ぐらい必要やなぁ。やはり年齢を経ると広い目で色々関心がもてますね。
 でも一番自分に引きつけて関心があるのは、マチス・ピカソ・後期印象派やなぁ。藤井先生に連絡とるべえねぇ…。掲示板リアルタイムで見てられないから…
 屋嘉部さんの作品はNACK展で印象に残ってます。頑張っているなあ。あぁ見たいけどなぁ。

知識を得る楽しみ 投稿者:公下道子  投稿日: 9月21日(火)16時24分9秒

 NACKの皆さんのお陰で、今まで全く関心の無かった事にも目を向けれるようになり、新たな事を知るきっかけ、知識を修得する楽しみを与えていただき本当に有り難く思っております。
 昨日は検索サイトでルネ・ラリックのページを数件開いて読んでみました。
 各ページの中から抜粋した文章を適当に纏めて転記させてもらいます。
 間違ってる部分は修正願います。

 ルネ・ラリック(Rune Lalique) 1860~1945
19世紀末から20世紀にかけてヨーロッパで興隆したアールヌーボー、アールデコの両装飾様式にわたって活躍し、1900年パリ万博でも高い評価をうけるなど、宝飾品クリエイターとして一世を風靡しました。
 彼の主に得意とするものは、日本でも名を馳せることになった優美なガラス瓶や花瓶などに装飾していくものが代表的で、それ以外にもプラチナやダイヤモンド、金、七宝細工、獣角、半貴石などを巧みに絡ませ、主に女性や動植物をテーマにした独創的なジュエリーの数々を生みだしました。
 ラリックの代表的技法としては、既に技法として登場していたフロント加工という酸を使ってガラスの表面を腐蝕させて艶消しを行う技法を、ラリック自身が改良を施し、使う薬品の調合や腐蝕時間を工夫することで、微妙なトーンを生みだす技法を開発し、それを好んで使用していました。
 この技法により、グラスに天使の羽根が描かれた「アンジュ」「ナプスベリ-」など複雑な陰影を表現しなければならない作品など、数多く生み出していきました。
後期はオブジェや宝飾品、建築など幅広くに渡ってガラス工芸の可能性を広げ、型吹き成形やシール・ベルデュといった技法を研究開発して、ガラス工芸の裾野を広げながら大量生産の道にも貢献していきました。
 ラリックの偉大な才能と功績は、息子マルク、孫娘のマリークロードへと受け継がれ、現在もMOF(フランス高級職人=日本でいう人間国宝級の腕前の職人)を何人も抱えながら、ジュエリー、ガラスなどを全般に扱うラリック社という会社を創設し、機械を全く使わない手法が今でも活かされています。
 ラリックの作品はパリのオルセーやリスボンのグルベンキアンなど主要な装飾美術館でお目にかかれます。

ルネ・ラリック 投稿者:Kinami  投稿日: 9月21日(火)19時45分0秒

 ルネ・ラリックの情報、公下さん有難うございます。ルイ・ラデックじゃなくルネ・ラリックでしたねぇ。僕はテレビ番組「開運、なんでも鑑定団」をなんとなく見ていて、ラリックやガレの作品を見て、その中の解説で知ることになったりもしますが…。
 たしかラリック作品で自動車の先端部に付ける羽根の形のアイテムなんかが思い浮かぶ。…現在はラリック社なんですか。勉強になりました。

日曜の美術館 投稿者:  投稿日: 9月22日(水)05時24分9秒

 木南さん。欧米には結構日曜日に無料になる美術館はありますよ。
 リスボンでもグルベンキャンに限らずほとんどの公立美術館は毎日曜日は無料です。
 無料と言っても普段と同じ様にガードマンが居ます。それに入口で入場券のもぎりも居ます。切符売場で入場券を貰います。貰いますけど料金は払わない訳です。それに簡単な冊子というか、写真入りのパンフの様なものも貰います。
 例えばパリでもルーブルにしてもオルセーにしてもポンピドーにしても第一日曜日は無料です。
 モナリザもミロのビーナスもゴッホの「オーヴェールの教会」でもアングルの「泉」でもその日は無料で観ることが出来るのです。
 かといって人垣で作品が見えないと言うことは絶対ありません。普段と変わりません。
 それだけをとっても何ヶ月かパリに住んでみる価値はあります。
 無料の日でなくても入場料はそれ程高くはありません。
 それに学生や児童たちが先生に引率されて、美術館の床に座って名画の前で写生をしているのに出くわしたりします。
 ごく幼い頃から名画と触れ合っているのです。市民と名画は本当に身近な所にあるなあと感じます。
 名画は美術館の物でも一部の特権階級の人の物でもないのです。誰でもが平等に鑑賞する事が出来る物なのです。
 日本の美術館もそれ位のことは考えても良いのではと考えさせられます。
 公下さん。ルネ・ラリックの検索を有難う御座います。勉強になります。グルベンキャン美術館がそれほどルネ・ラリックの有数な美術館だとは驚きました。

多くの美術館で・・・ 投稿者:公下道子  投稿日: 9月23日(木)12時30分56秒

ルネ・ラリックの作品を所蔵・展示している美術館を列記紹介しているページがありました。

パリ装飾美術館> ラリック作品の世界的権威。宝飾品からガラス作品まで幅広くコレクションを所蔵。
オルセー美術館> パリ装飾美術館と並びラリック宝飾作品の権威。
カル-スト・グルベキアン美術館> 豪商カルースト・グルベキアンの膨大なコレクションをもとに設立された美術館。グルベキアンはルネ・ラリックの最大のパトロンでもあり、ラリックの宝飾品をはじめ多数の作品を所蔵。
The Coming Museum of Glass> アメリカ最大のガラスミュージアム。
The Utah Museum of Fine Arts> ユタ州立大学美術館。
北海道立近代美術館> ガラスコレクションでは定評があります。ガレ、ドーム、ラリック、をはじめ国内外のガラス作品を所蔵。

東京都庭園美術館> 旧朝香宮邸を美術館として開放しており、正面玄関の内扉がルネ・ラリック作として有名。
北澤美術館・新館> 長野県諏訪市にある。ガレ、ドーム、ラリック、の三大ブランドを擁する世界最大のアールヌーヴォ・アールデコ・ガラスコレクション1000余点の中からそのつど、作品を選んでテーマ性を持たせて企画展を開催。
ガラスの丘美術館> 長崎県佐世保市にある。ルネ・ラリックのガラス作品を常設展示している。
伊豆ガラスと工芸美術館> ラリックの他、ガレ、ドーム、ティファニーの作品もある。
神戸北野美術館> アールヌーボー、アールデコ期のガラス作品を常設展示。
トヨタ博物館> 自動車メーカーのトヨタの博物館。ルネ・ラリック・マスコットギャラリーとして公開。ラリックが製作したガラスのカー・マスコットも展示。
湘南江ノ島香水瓶美術館> ラリックをはじめとしたアールデコ、アールヌーボー期の香水瓶を展示している。ラリックの香水瓶コレクションは国内でも屈指の質である。

続。高島北海 投稿者:  投稿日: 9月25日(土)05時18分44秒

サカミチさん。
ところでもう一つ質問ですが、ナンシーで高島北海の作品は観ましたか?ガレと交流があったと言う話はいろんな情報で出ていますが、果たして高島北海自身の作品がナンシーで観る事が出来るのかに付いては見つかりません。もしあるとしたらどの様な作品が何点くらいありましたか?まあいずれにしても全部観る予定ではあります。下関市美術館を検索して3点ほどの作品写真は観ましたが。

エミール・ガレと高島北海 投稿者:公下道子  投稿日: 9月28日(火)02時54分40秒

エミール・ガレと高島北海の事を知りたくて、大阪市立付属図書館へ行きました。
世界ガラス美術全集(アールヌーボー・アールデコ)にエミール・ガレの事が詳しく載っていました。
ガレの偉大さ、高島北海との出会いなど、私なりに理解できた内容の部分を、抜粋してメモ帳に書き移してきましたので転記させてもらいます。

フランス革命100周年記念を期して開かれた1889年のパリ万国博は、崩壊寸前のフランス政府、破綻に瀕した国家経済、アナーキストのテロの横行、退廃の限りをつくした首都パリを背景に、あらゆる憂いを吹き飛ばさん勢いで実行に移された。(中略)
そのパリ万国博にエミール・ガレが出品した作品の総点数は、その熱気に十分に応えられるだけの膨大な量であり、素晴らしい作品群だった。
陶器は合計200点、ガラス器300点、家具17点、装飾用衝立や玄関口、高さ8mもある多角形のパビリオン等々、又大型のビュッフェや食器棚なども陳列された。
1点が2tもある巨大なキャビネット、陶器やガラス器の30mに及ぶ陳列ケースもガレ工房で作られたものが使用された。(中略)

この時の出品内容は、腐敗した官僚政府に対する憤りと非人道的な社会行為に対する悲しみと怒りを表現した一連の「悲しみの花瓶」シリーズをはじめ、自然主義、象徴主義を見事に表現した日本美術への憧れと、それから触発を受けた「ジャポニスム」作品、日本様式の作品シリーズなどが、主体であったと思われる。(中略)
世の中の混沌と退廃に対して、ガレは真っ黒な花瓶を作り、そこに腐敗と病毒の象徴ゴキブリを描き込み、真っ暗闇の中を夜の禿鷹であるコウモリが眼をぎらつかせて飛交う様を描き、それでも足りなければ、善の象徴であるペリカンが悪の象徴である竜と闘い退治する様などを描いた。(中略)
1884年~1889年に至る間に、ガレの身辺に起った大きな日本的な出来事と言えば、ただ1件のみで、高島得三(北海)のナンシー留学と、高島とガレの交流であろう。
高島得三は明治政府の農商務省の役人で森林学を専門とする植物学者であり、また若くしてナンシー出身のお雇い外人コワニエから鉱山学とフランス語を習った能弁なフランス語の達人であり、なおかつ日本画、洋画の才能と該博な日本美術の知識をもった人物だった。
大いなるプライドを持って渡欧した36才の円熟期の高島が、39才の精力的な活動期のガレと接触する事によって何が起ったか。(中略)
ガレは古典に親しみ、詩作にふけり、植物学を学び、ワイマールに留学して鉱山学と美術史を学んでおり、1878年のパリ万国博出品作の「鯉魚文花瓶」などにみるように、早くから日本美術への関心を高めていたジャポニストであった。
高島は、ナンシー留学してまもなく、その画才を披露して、ナンシー美術家や文化人のサークルに仲間入りをするが、やがて彼はガレに「植物名彙」を贈り、それに対してガレは自分の名刺に謝辞を書いて返礼したものが今日高島家に残されている。(中略)
ガレの凄まじいばかりの芸術意図と、常に人間との関わり、社会との関わりを全身に受けとめて行く豊かな人間性が、その表現形式としての日本的な自然主義と結合した時に生み出されたのが、1889年万国博の出品作品だった。
そして、あらゆるグランプリやゴールド・メダルを獲得してヨーロッパの熱い注目を浴びガラス芸術を一挙に時代の花形に押し上げ、崇高な芸術ジャンルの仲間入りをさせる事が出来たのだった。
まさに1889年はガレの生涯の中で最高に生きた瞬間であっただろう。
言うまでもなく、ガレの作品に対する賞賛はパリを中心にして津波の様に世界中に広がっていき、やがて続々とその追従者が誕生してくる事になるのであった。(後略)
「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展 投稿者:公下道子  投稿日: 9月28日(火)11時33分55秒

大阪・中ノ島に完成した国立國際美術館新館オープンを記念して「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展が2004年11月3日(水・祝)~12月19日(日)に開催されます。
武本さんが先日増設して下さった「MUSEUM」Linkのページから「国立國際美術館」を検索しましたら、載っていました。
「開催趣旨」や「開催概要」など詳しく記載されてありますので、ご覧下さい。

勤続30年 投稿者:  投稿日: 9月28日(火)16時34分11秒

昨日、妹からメールが届いたのですが、勤続30年のご褒美に休暇が貰えたのでニュージーランドに行くそうです。思えばその妹もNACKの合宿で尾道に行った時は参加したのですよ。僕は大阪芸大生で妹は生野高校で美術部に入っていました。その後大学を経て教師になって、勤続30年とは驚きです。僕も歳を取る筈です。
公下さん。わざわざ大阪市立図書館まで出向いて調べて頂いて有難う御座います。ますますナンシー行きが楽しみになってきました。
木南さんはマルセル・デュシャンなどをどう思いますか?僕はあのあたりから体質的に受け付けない様になっています。最近はどうも新しい物よりも古い物に眼が向いてしまいます。だから美術館でもデュシャンなどの前は素通りするのが常でしたが、藤井先生が楽しみにされていると言うのであれば、僕ももう少し真剣に観てみなければなりませんね。

益々興味わく 投稿者:Kinami  投稿日: 9月28日(火)22時07分55秒

 公下さん、《ガレと北海、国立国際美術館の情報》ありがとうございます。ガレが北海に会う前からジャパニズムに憧れを持ってたこと、彼の作品の重厚な色彩に秘められた精神のありかたが興味深かったです。
 高島北海もあの時代の山口県(長州)出身の内務省役人として、兵庫県生野鉱山の開発にあたりその後フランスまでついてった。木戸孝行、山県有朋、伊藤博文の周辺を生きた明治維新の渦中の役人ですね。苛烈な意欲と精神に生きたんだろうな。そんな人の花鳥風月画ってどんなんですか?日本に帰って画家になったらしいし…。興味深いです。
 まだ検索ページは見てないのですが、国立国際美術館(新館)は現代アートの企画に積極的な予感がして楽しみです。でもこの無味乾燥な美術館の命名なんとかなんないですかぁ?
 武本さん。デュシャンはあの便器をそのまま美術館に出品した人ですねぇ。ダダイズム(破壊主義)というかシュールリアリズムの先駆けとなったとか‥。
 僕は美術品の価値としてはないだろうし、欲しいと思いません。その作者の精神のあり方に感動したりするから好きですし興味深いです。オノ・ヨーコや高松次郎や赤瀬川源平とかあの辺も興味深いです。詳しくないですが。
 でも見ていてウットリして作品が欲しいと思うのはマチスですね。特に1923年頃のニースの頃ですね。買えないから、自分で描くみたいな面もあるんですよ。

維新 投稿者:  投稿日: 9月29日(水)06時58分27秒

木南さんの意見に同感ですね。僕は基本的には現代美術はおおむね好きなのですが、好きな作品と嫌いな作品がはっきりしている様に思います。印象派以降いろんな美術運動が起こりました。そしてそれは必然性があったのだと思います。ダダ、シュールレアリズム運動もその最も大切な運動だったのかも知れませんね。運動の趣旨は理解できます。僕が浪高生の頃に読んだ岡本太郎の「今日の芸術」の内容にも共感を持ちました。でも岡本太郎の作品はどちらかと言うと好きにはなれません。ダリの作品もおおむね嫌いです。(中には好きなものも少しはありますが。)キリコやマグリットなら由としましょう。現代美術でもイヴ・クラインとかニキ・ド・サンファール、ティンゲリー、ローシェンバーグ、ロスコ、サム・フランシスなどは好きですが、便器を並べたり、電気掃除機を陳列したり、既成の人形を動かせたりと言ったのは好きではありません。草間弥生も嫌いです。日本で今流行のぺコちゃん漫画の様な作品も嫌いです。僕の頭が硬いのか、ついていかないのかも知れませんね。よほど広い屋敷を持っていても欲しいとは思いません。具体は吉原治良、白髪一雄などおおむね好きです。思想や手段は同じでもやはり出てくる作品に好き嫌いが出てくるのです。でも好き嫌いは別にしてこれからはしっかりと観たいと思います。
高島北海は木南さんがご指摘の様に動乱の長州藩ですね。うかつにも結びつきませんでした。昨年、司馬遼太郎の「竜馬が行く」を全巻を通して読んだところです。皆さん読まれましたか?面白い小説です。高島北海がナンシーに行ったのが明治18年、36歳ですから18歳の多感な年に維新だったのです。そのあたりと併せて観なければなりませんね。
話はがらっと替わりますがイチローが新記録を達成するのは僕がナンシーにいる頃でしょうか?


さて、来月は「ナンシー、アールヌーボー紀行」の予定です。VIT

 

(この文は2004年10月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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