武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

023. アトリエの BGM

2018-10-19 | 独言(ひとりごと)

 何度も再放送されている、棟方志功のテレビドキュメントの中で棟方自身が「私の身体の中には津軽三味線のリズムが流れているのですよ」と言っていた。
 棟方志功の版画を観ればそのリズムが良く判る。
 その事が僕にはもの凄く羨ましくて、僕にもそんなリズムが身に付かないかな~。と常に思っている。
 津軽三味線と言っても、近頃流行の吉田兄弟ではない。
 吉田兄弟の音と言ったら、ただギャンギャンとけばけばしくて耳を被いたくなる。
 かつての寺内タケシのエレキを思い浮かべるが寺内タケシの方がまだましだ。
 僕が昔聞いていた津軽三味線の高橋竹山などはもっと音色に深みと渋みがあって心に沁み渡ってくる。
 棟方自身の身体にはどの様な津軽三味線の音が流れていたのだろうか?

 父もアトリエでは必ずFMラジオを聴きながら絵を描いている。
 ゆったりしたクラシック音楽などが多い。
 でもラジオ番組任せでこだわりはない様だ。

 高校の美術部の同級生で絵筆を持つと必ず「きっさまっとおっれっと~わ~ぁどーきっのさーぁくーぅっらぁ~」と歌いだす奴がいた。
 お父さんが看板屋さんで、父親の背中を見て育ったのだろう。
 彼も又、ある意味で身体にリズムがしみこんでいた。

 ポルトガルの絵を描き始めてしばらくはファドばかりを聴きながら絵を描いていた。
 アマリアは好いのだが歌声が高くてBGMとしてはキツイ。
 ファドも幅広くある。明るいものよりどちらかというと暗くて、歌っていると言うより消え入る様に唸ってるだけ…と言ったものが好きだ。
 そうなると絵など描いていられない。
 ついつい聴き入ってしまうのだ。
 アルフレッド・マルセネイロなどがそれだ。

 ポルトガルの絵を描いているがポルトガルの音楽にはこだわらなくなってきている。
 最近はナット・キング・コールとかフランク・シナトラのスタンダードが心地良い。

 二年ほど前にポルトガルのテレビでノラ・ジョーンズをやった。
 それまでその歌手のことは全く知らなくてその時初めて観たのだが、ピアノの弾き語りでアコースティックのスタンダードが新鮮で、「すぐにCDを買おう」かとも思ったがポルトガルで買ったらたいていの場合歌詞カードは付いていない。
 出来たら歌詞カードが付いている方が良い。

 だから帰国の際に「日本で買おう」と思っていた。
 そのうちに「それ程でもないかな~」と思い始めて「中古店で出てからで、まっいいかっ。」と言う事になった。
 その後何枚かのCDが出ているようだが…。別にそれ程の興味もないし情報はいらない。

 今年帰国した折、宮崎であちこち中古店を見て回った。
 最近は大型古書店の一角でCDのコーナーがある。
 どこも「ノラ・ジョーンズ」のスペースはあるがCDはなかった。
 目指すは最初のCD「Come Away With Me」である。
 「大阪でならあるだろう。」と期待していたのだが、結局、時間もなく新品を買うことになってしまった。
 それなら、1年前に買っておいても同じだったのだが…

 そしてそれを今、毎日絵を描きながら聴いている。
 「それ程でもないか」は見事外れた。
 選曲。歌声。楽器の音。編曲全て聴けば聴くほどに気に入っている。
 絵を描く時のBGMとしても邪魔にはならない心地よさがある。
 と言っても「I've got to see you again」の曲などになると、ついつい絵筆を止めて聴き入ってしまう。
 そして心に沁み込んでくる。
 「ノラ・ジョーンズ」の音色とリズム。
 さて僕にはどんな絵になって現われ出て来るのだろうか?

VIT

 

 

(この文は2004年8月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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