階下のラジオからファドが流れてきている。
アマリアの「カモメ」だ。
「カモメのように自由に空を飛べたら~。」といった内容なのだろうと思う。
朗々として、なかなか哀愁をおびた好きな歌の一つだ。
日本でもカモメを歌った唄は多い。
1.
カモメは波止場など身近なところにいるし、又鳴き声に哀愁を感じて唄になりやすいのかもしれない。
身近なところだけではなく、絶海の孤島などにも生息しているのだろう。種類も多いようだ。
トウゾクカモメという恐ろしげな正式名をもつ種属もいるくらいで、意外とどう猛で、ペンギンやツノメドリの雛や卵を狙ったりする。
波止場では群れになり残飯を漁ったりもしている姿は近寄り難く恐ろしくもある。貪欲な雑食だ。
白いことが得しているのかも知れない。黒かったらカラスと変わらないのかもしれないが、カラスと違う点は人を襲ったりはしない。カラスよりは少し臆病なのだろう。近寄るとすぐに遠ざかる。
2.
カモメが我が家のベランダの前を悠々と旋回している。
何かを狙っているのかも知れないと思って見ていたら、隣の建物のおばさんが毎朝、鳩に投げ与えるパンくずのところに2羽が舞い降りて食べている。鳩はさすがに恐いのだろう。電線に止まって見守って降りては行かない。カモメが翼を広げるとかなり大きく、上下左右に自由自在に飛び回る。
3.4.
我が家から波止場までは直線距離で1キロたらずだろうか?
春から秋の間はここまで来ることはないが、毎年冬になればやってくる。海が荒れて餌が取れないのかも知れない。
セトゥーバルでは鳩に餌をやる人は多いが、カモメに餌をやっている姿を見かけたことがない。
いや、漁師が漁をする準備で仕掛けた餌の残飯を放り投げているのを、待ちかまえて食べたりはしているから、好むと好まざるに拘わらずカモメにも餌を与えているということになるのだろう。
かつてストックホルムに住んでいた時には、パンくずを持ってよく波止場へ出かけた。パンを放り投げるとカモメは空中でキャッチするのだ。まことに巧いもので、殆ど海面に落ちることはなく、それが面白くて餌やりに時々出かけたものだ。
5.
今、世界中で鳥インフルエンザが大きな話題になっている。広がる原因の一つに野鳥が揚げられている。渡り鳥には国境がなく、北から南に、南から北に移動する。まさにフリーダム(自由)の象徴だ。
それが恐れられているのだ。
鳥インフルエンザ・ウイルスが鳥から人へ、人から人へと変異すると大変なことになるらしい。
何でも世界中で何百万もの人が犠牲になるとシュミレーションされている。我が家も非常事態に備えて、乾パンなど食料と普段食べる事のない、桃の缶詰めなどを備蓄した。この先、どうなるのか取り越し苦労に終れば良いのだが…。
6.
かつて人類は鳥が自由に空を飛ぶのを見て、その翼を手に入れたいと願った。
レオナルド・ダ・ヴィンチなども多くの設計図を残している。まだ自転車もない時代、その自転車や軍用車両などの設計をしているのだが、ヘリコプターのようなものまでも設計しているのには驚かされる。
ヤマハが軍用に転用可能な無人ヘリコプターを不正に中国に輸出して問題になっている。
自転車屋のライト兄弟が操縦可能なエンジン飛行機を開発して初めて空を飛ぶことに成功したのが、1903年12月というから僅か100年あまりの歴史だ。しかも初めは百数十フィートだけ空中を飛んだのに過ぎない。
それから後の進歩は想像をはるかに超えためざましいものがある。
戦争がそれに拍車をかけた。
人類はいつの時代も残念ながら戦争によって飛躍的に進歩を遂げることになってしまっている。今、北朝鮮やイランが原子力開発をしているのに世界中が注目している。
そんな中、原爆保有大国はウイルスやバクテリア、遺伝子など目に見えないものの研究に力を注いでいる。野鳥にばらまけば兵器にもなりうるのかも知れない。かつて軍用に伝書鳩を飼育したのとは訳が違う。
音速をはるかに超える戦闘機や巨大なエア・バス、ジャンボなど、今、人類は確かに大空をも征服したのかもしれない。
しかし自由に!とはまだ言い難い。
小さなネジ1本で大惨事とも隣り合わせだ。
それにまだ上下左右自由自在のカモメの翼とはすこしかけ離れている。
もちろんカモメにはカモメの言い分があるだろうし、カモメの苦労もあるのだろう。
人類はカモメの翼は手に入れないほうが地球の為には良いような気もする。
でも鉄腕アトムのように自由に空を飛ぶ事が出来る様になるのももうすぐそこまで来ているのかも知れない。
VIT
7.写真は全てセトゥーバルのカモメ
ポルトガルギターの湯浅隆さんから渡辺真知子さんと打ち上げか何かで一緒に飲んでいる写真と共に『渡辺真知子のかもめが翔んだ日』がネットで送られてきた。「カモメのつながりで…」というコメントが書かれて。最近レコーディングしなおしたものらしく、バックに湯浅氏のポルトガルギターがフューチャーされている。この曲に何とぴったりだ。唄の途中はスペイン語で歌われているのだが、これがポルトガル語ならもっと良かったのに…。しかしこのページをアップして僅か19分後に送られてきたのには驚きである。今や人類自らが飛ぶ必要はなくなったのかも知れない。代りに電波が飛んでくれる。湯浅さん有難う御座いました。
(この文は2007年4月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)
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