以前にロマン・ロランの「ミレーの伝記」を読んでミレーの生まれ故郷にいずれ行ってみたいと思っていた。
それは「グリュシー」という小村で、ノルマンディーのシェルブールの近くにあるらしいことは判っていた。
僕の持っているミシュランのフランス全土地図には丹念に探すけれども見あたらない。もう少し大きな地図が必要だ。
いっきにシェルブールに行くのではなく、印象派の故郷ル・アーブル周辺にも寄っていくことにした。
ユージーヌ・ブーダンを観るのも楽しみだ。
※「ミレー」ロマン・ロラン著、蛯原徳夫訳、岩波文庫、1939年10月5日第1刷発行
2005/10/19(水)晴れ時々曇りのち雨/Setubal-Lisbon-Paris-Rouen
今回はフランス航空ではなく、ポルトガル航空を使うことにした。
フランス航空より20分遅く8時発だが、やはりセトゥーバルを5時の始発バスに乗らなければならない。
パリに着くのはド・ゴール空港ではなく、今回はオルリー空港である。
オルリーから北駅までRERで行き、メトロでジュール・ジョフリンまで乗り、ムッシューMの家に行く。
雨が降ったらしく、石畳が濡れている。それ程寒くもない。
ムッシューの手作りケーキと木の実のお茶をご馳走になる。
一番上階の部屋なので日当りが良い。窓から顔を出すとサクレクールの尖塔が見える。
ジュール・ジョフリンとサクレクールの中間とはまことに羨ましいロケーションだ。
100号を預けてまたメトロに乗りサン・ラザール駅に向かう。
この駅も印象派にはゆかりの駅だ。
モネは汽車の蒸気に煙るサン・ラザール駅を何度も絵にしているし、カイユボットはこの<ヨーロッパ橋から下の線路を覗き込む男>の面白いモティーフを描いている。
ルーアンまでの切符を買って、サンドウィッチと水を買い、大急ぎでホームへ走った。
まさにルーアン行きの列車が発車しようとしていた。
最後列に飛び乗って動き出した列車の通路を前に進んだ。
全ての2人席に1人か2人が座っていて2人並びの席は空いていない。
あきらめかけていたが、最前の車輌まで行ってようやく一つが空いていた。
早速、サンドウィッチを開いて昼食だ。
パリから30分程走った最初の停車駅マントラ・ジョリで殆どの人が降りてしまい、がら空きになってしまった。
マントラ・ジョリは佐伯祐三がノートルダムを描いた街だ。
代表作の一つで裏にはパレットを持つ立ち姿の自画像が描かれている。
ルーアンに着いて目指すホテルに向かった。
あのモネが陽射しの変化を描いたカテドラルのすぐ側にあるホテルであるが、予約はしていない。
01.ルーアンで泊ったホテル
ホテルに空き部屋はあった。しかも角部屋でカテドラルの威容が目の前にある。
02.ルーアンのカテドラル
03.「ルーアンのカテドラル」モネ/ルーアン美術館
さっそく、ルーアン美術館 [Musees de Rouen] に急いだ。
美術館の入場料は1人3ユーロ。二人で6ユーロである。20ユーロ札を出すとお釣がないという。「細かいのがありませんか」と言うので小銭を探したが5ユーロしかなかった。受付のマダムは3ユーロと2ユーロの入場券を作ってくれた。老人割り引きにしてくれたのだろうか?
閉館まで1時間半があったので充分観ることができると思っていたが、思っていたのより膨大なコレクションで、途中で時間切れになって追い出されてしまった。
夜は雨も降り出したのでホテルの下のブラッセリ-で定食を食べることにした。これが手頃で案外と良かった。地元のビジネスマンや家族づれの常連客でやがて満席になった。
2005/10/20(木)曇り時々晴れ/Rouen-Le Havre
昨日の続きの美術館を観る開館前に街を散策。ここのカテドラルのステンドグラスも立派だ。
04.ルーアンのカテドラルのステンドグラス
雨あがりの濡れた石畳が複雑な色を発色させて美しい。それに朝日が反射して街がいっそう美しく見える。この街もコロンバージュ(木骨煉瓦造りの家)の地域がたくさん残されている。
05.コロンバージュの家
06.ルーアンの町並
07.ルーアン大時計通り
美術館は受付を真ん中にして展示場は左右に分かれている。
08.ルーアン美術館入口
裏側では細い階段で繋がっているが、今日は昨日は観なかった反体側から観ることにした。釣り銭のいらない様に、丁度6ユーロを払った。昨日はイコンから始まって印象派くらいまでだったから、今日はそれ以降だ。
きょうは出口から入ったことになる。入ってすぐの3部屋目にモディリアニが2点あった。
09.モディリアニの展示室
この美術館の目玉の様である。
印象派以降ばかりかと思っていたら、ドラクロアなどの大作も展示されていた。中庭(と言ってもガラス屋根がある)にデュフィの横10メートルほどもある巨大な絵があった。
10.デュフィの絵
美術館を出て、その近くにある陶磁博物館 [Musee de la Ceramique] にも行った。
16世紀からのルーアンの陶磁とヨーロッパ陶磁の良い物が揃っている。陶磁器で作られた地球儀があったが、日本は北海道も九州もなくサツマイモの様な形であった。
11.陶磁の地球儀
その窓から、ジャンヌ・ダルクが幽閉されていたという、塔が間近に見えた。
12.ジャンヌ・ダルクが幽閉されていた塔
塔まで行ってみたが、その横の通りが石畳工事の最中であった。石が大きいのでポルトガルの石畳工事とはかなり違う。
ホテルに戻りリュックを担いで駅に向かう。
ルーアンからル・アーブルは列車がしょっちゅう出ているものと多寡をくくっていたが、駅に着くと次の列車までたっぷり2時間を待たなければならなかった。
13.ルーアン駅
駅から一旦出てカフェでシードル(リンゴ酒)を飲む。
駅でサンドウィッチとミッシュランのノルマンディーの地図を買う。地図を見ると、シェルブールから岬の突端への中間くらいの所にミレーの生まれた小村グリュシーを見つけることが出来た。ミレーの教区グレヴィルや役場のあるボーモンもある。
ル・アーブルでは駅から長い道を歩いた。ホテルがなかなか見つからない。ツーリスト・インフォメーションの標識を見つけて歩くが遠い。海岸まで出て、そこにようやく見つけることができた。市街地図を貰ってマルロー美術館の場所とホテルを数軒教えてもらう。
目指すホテルにやっとたどり着いたと思ったら満室であった。そのホテルで別のホテルを紹介して貰ったがすぐ側に何軒かあった。そのあたりには固まってあるようだ。部屋の後ろはマルシェ(市場)になっていた。
さっそく荷物を降ろしてマルロー美術館 [Musee Malraux] へと向かう。
この美術館にはユージーヌ・ブーダンのコレクションが220点もあるとのことで楽しみにしていたのだ。
14.マルロー美術館
入場料は無料であった。かつての文化大臣アンドレ・マルローを冠したモダンな美術館である。目の前は港でそれこそブーダンの絵にあるような空が広がっている。
15.マルロー美術館の前に広がるル・アーブル港
1階にはモネやピサロ、シスレー、ルノアール、デュフィ、ヴァン・ドンゲンなどがあり、2階に上ると先ず壁一面にブーダンの作品群があった。
殆どが小さな作品で細い金縁額で3段4段掛けで展示されていた。それは油彩には違いないがまるでデッサンの様なブーダンの息遣いまでが聞こえる様で素晴らしいタッチと色彩の数々に圧倒される。
16.220点のブーダン作品群
その他の壁にはあのモネの「印象-日の出」と比較されるべき日の出の作品群は殊更素晴らしいものであった。
17.ブーダンの作品
少し大きな従来から観ているブーダンらしい完成作も何点かあった。予想を遥かに越えてブーダンの素晴らしさにすっかり魅了されてしまった。いままでオルセーや他の美術館などで少しずつ観ていたのや、画集で観ていたのとは全く違ってブーダンの認識を新たにした展示であった。
その2階にはクールベやフラゴナールの作品も1点ずつ飾られていた。
2005/10/21(金)曇り一時雨/Le Havre-Honfleur
昨日は美術館に行くのに急いでいたので、ツーリスト・インフォメーションで次のオンフルール行きのバスの乗り場と時刻を聞くのを忘れていた。ホテルで聞いたら時刻表が一枚だけあって、調べてくれた。バスターミナルは駅の隣である。その時刻にあわせてバスターミナルまで30分程の道のりをのんびり歩いた。
発車時刻より30分も早くに着いた筈が、バスは今出たばかりだと言う。ホテルの主人は間違って教えたのだ。或いは時刻表が古かったのかも知れない。フランスの時刻表は複雑で見難い。
次のバスまで3時間も待たなければならない。オンフルールまでは30分で、すぐの筈なのに本数が少ない。
停まっているタクシーにオンフルールまでの値段を聞いたが、高くてバカらしいのでバスを待つことにした。
ル・アーブルのカテドラルを見ていないし、旧港も見ていないので行く事にしたが、途中で雨が降り出し風も強く折りたたみ傘では役に立たないので引き返した。
しかもこの折りたたみ傘は先日より骨が少し折れ曲がって開きにくくなっていた。
しかしバスターミナルでこのまま時を過ごすのは無意味な気がしたので、再びカテドラルを目指して歩いた。雨は小降りになりやがて止んでしまった。
旧港にはかつてピサロがイーゼルを立てた場所に標識が設置されていた。
18.ピサロがイーゼルを立てたル・アーブル旧港
旧港からカテドラルまで行って、新港に出るとそこはマルロー美術館のすぐ側まで来ていた。
19.ル・アーブルのカテドラル
昨日、着いた時は随分と遠回りしたものだ。
オンフルール行きのバスはすぐに高速道路の様なところに入り、やがてノルマンディー橋にかかった。なんだか、リスボンのヴァスコ・ダ・ガマ橋に似ている。橋を渡るころから再び雨が降り出した。
オンフルールに着いた時も雨が激しく降っていた。すぐにツーリスト・インフォメーションが目に付いたが昼休みで閉まっていた。そのまん前にホテルの看板があったので聞いてみることにした。レストランがホテルも経営していて、その二階が部屋になっていた。ブルーに塗られたコロンバージュの建物で部屋も悪くはなかったのですぐに決めた。
20.オンフルールで泊ったホテル
女将さんにブーダン美術館の場所を尋ねたら、「今、インフォメーションが開いた時間だから、先ず地図を貰ってきたら?地図を貰ってきてから教えてあげるから…。」と言ったが、なるほどと思った。
インフォメーションで地図を貰うのならそこで道順を聞いたほうが早い話だが、「インフォメーションで聞け」とは言わない。
てきぱきと要領を得て相手に不快感を与えず「なるほど」と感心した話だ。さすが、一級の観光地でホテル・レストランを経営しているだけの裁量を感じた。
ブーダン美術館 [Musee Eugene Boudin Honfleur] に着いた時は、昼休みがちょうど終わった時間で3分待ちで入場することができた。
21.オンフルール・ブーダン美術館入口
ここではブーダンの代表的な作品は少なく、まだスタイルが確立されていないのや、勉強時代の模写などがたくさん飾られていた。シャルダンの「赤エイ」の模写もあった。写真を撮りたかったが残念ながら、ここでは撮影禁止であった。
ブーダン美術館を出た階段道のところに「サティの家はこちら」の看板があったので、その看板に従って階段道を降りた。
22.サティの家
サティの家 [Maisons Satie] はまるでテーマパークか現代美術館の様に趣向を凝らした部屋部屋が作られていて大人も子供も楽しめる様になっていた。屋根裏部屋では白いピアノがサティの曲を自動演奏していた。
23.サティの屋根裏部屋の自動ピアノ
もったいないことに入場者は終始、僕たち2人きりであった。
24.オンフルール
夕食にはまだ時間があったので、オンフルールの港に面したテラスでシードルを飲んだ。
25.オンフルールのシードル屋
その前に広がる風景は、皆がよく絵にするところだ。
夕食はホテルの階下のレストランで生牡蠣付きの定食を注文した。シードルを1本空けたが飲み足りなかったのでワインも追加した。少々酔っ払っても部屋はすぐ上である。
気持が良かったので、夜のオンフルールを散歩した。夜景も水面に映して美しい町である。
26.オンフルールの夜景
1972年、最初にこの街を訪れた時、クルマが故障してそれどころではなかったのも、今になってみれば懐かしい思い出だ。
2005/10/22(土)曇り一時雨/Honfleur-Caen
ブーダンやモネも描いているオンフルールのサント・カトリーヌ教会広場に今日は土曜日なので朝市が出る。朝食前に一度出かけたがまだ準備中の露店が多かった。野菜、果物、花、牡蠣、海産物、チーズ、ソーセージ、シードルもある。クスクスやパエリアの大鍋を準備中の店もあった。
「今日の昼はパエリアにしても良いな。」と思っていた。かつて、アルルの露天市でもパエリアを買ってTGVに持ち込み、パリまで帰る車内で食べたことがある。その時は満席で、パエリアの強烈な良い匂いが車内に漂うのに少々気が引けたものだ。今回はバスであるから尚更である。
ホテルに戻って朝食を済ませ丘の上のノートルダム・ド・グラス礼拝堂まで散歩した。昨日のル・アーブルが鳥瞰できる。
27.聖カトリーヌ教会前に出た朝市
再び朝市に寄った。聖カトリーヌ教会鐘楼の入口が開いていたので入場料を払って見学をした。
フランスには珍しく木造の教会だ。これと良く似たのをノルウェーのベルゲンで見た。ヨーロッパ最古の木造教会とのことであったと思う。でも教会とはいえ、これもコロンバージュには違いない。
随分人出も多く、店もすっかり揃っていた。山盛りにしてあった牡蠣もだいぶ少なくなっている。
パエリアの露店でも鍋の半分程は既に売れていた。やはりパエリアを買ってしまった。
28.パエリア屋さん
29.パエリア一人前
ホテルを出、バス停に早めに行き、港に面したベンチで早速パエリアを広げた。
バスの中でよりここの方が気持が良い。バスが来る前に半分を平らげてしまった。
カーンでは国鉄駅を中継して街の中心地までバスは入って行った。
バスを降りたところに数軒のホテルの看板が見える。
バス停のすぐ前のホテルで値段を聞いたが部屋を見るとあまりしっくりこないので、その筋向いのホテルも聞いてみた。そしてそこに決めた。
窓が大きく広場に面して、しかもこの街の観光スポット、女子修道院の尖塔が見える。
部屋でパエリアの続きを食べて、早速美術館に急いだ。
お城の敷地内にモダンな建物があり、そこがカーン美術館 [Musee des Beaux-Arts Caen] だ。
30.カーン美術館入口
ここでも古いイコンから現代美術までひととおり揃っている。
驚いたことにペーテル・ブリューゲルとロヒール・ファン・デル・ウェイデンの素晴らしい作品があった。
31.ブリューゲル
横にいた係りの人に写真を撮っても良いか?と尋ねたら、OKであった。
少し暗かったのと緊張したのとで、後で見ると手ブレがしていて惜しいことをした。
その他にもルーベンスやジェリコーそれにポルトガル人抽象画家・マリア・ヴィエイラ・ダ・シルヴァの作品もあった。
この画家の作品はフランスのあちこちの美術館でよく見かける。
ピカソなどと親交のあったその時代の画家だ。
美術館を出ると少し雨が降っていた。
雨宿りのつもりで美術館の前にあった、ノルマンディー歴史博物館 [Musee de Normandie] にも入った。以前に観たブルターニュ博物館とも微妙に違う。
また展示方法にもそれぞれ工夫が凝らされていてそんな違いを観るのも楽しい。
歴史博物館を出ると雨はますます強く降っていた。
ツーリスト・インフォメーションで市街地図と、バイユー行き列車の時刻表を貰う。
その頃には雨も上ったので、女子修道院まで散歩した。
32.女子修道院のトリニテ教会
ミサでもあるのだろうか?老人たちがトリニテ教会の中に吸い込まれる様に次から次に入ってゆく。僕たちは入るのを遠慮した。
来た時とは別の一段高いところを走っているお屋敷街の道を歩いて行くことにした。
若者2人がクルマを駐車して、大きなテレビをクルマから出した。どこかのお屋敷に運び入れるのだろうと思っていたら、休憩しながらどんどん下へ下へ運んで行って、やがて繁華街まで出てしまった。余程重いらしく息を切らして赤い顔をしている。2人とも背は高いがひょろっとして力はなさそうな青年であった。テレビを修理に出すのかも知れないが、それなら修理屋のまん前で一旦テレビを下ろしてからどこかに駐車すれば良いのに、と思って見ていた。
中心地まで出てしまったので今度は町の反体側にある男子修道院にも行ってみた。
33.男子修道院
ホテルに戻ると「前の駐車場にクルマは停めていませんか?」と聞く。「いいや」と応えたが、「明日は日曜日で大規模な露天市がこの場所で開かれます」とのことであった。
夜のうちから、露店準備のクルマが集まり始めていた。VIT
ミレーの生れ故郷・グリュシー村を訪ねて(下) へつづく。
(この文は2005年12月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)
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