住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

335 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (31)

2007-04-30 00:26:20 | もしも、徐福が日本に来ていたら

まとめて読みたい方は、上の「もしも、徐福が、、、(カテゴリー)」↑
をクリックしてください。


目次は、ここをクリックしてください。 

間もなく出発です。
水曜日は、ブログは、多分、御休みです。
御訪問ありがとうございます。


古事記序文 5頁目
於焉惜舊辭之誤忤正先紀

之謬錯以和銅四年九月十八日詔臣安萬侶撰録稗田阿礼所誦之
勅語舊辭以獻上者謹隨詔旨子細採(手偏+庶、セキ、ひろう)然上古之時言意並
朴敷文構句於字即難已因訓述者詞不逮心全以音連者事
趣更長是以今或一句之中交用音訓或一事之内全以訓録即
辭理(逮、しんにゅう+台、タイ、およぶ)見以(經の糸偏でなく言偏、コウ)明意况易解更非注亦於姓日下謂玖沙訶於名
帶字謂多羅斯如此之類隨本不改大抵所記者自天地開闢
始以訖于小治田御世故天御中主神以下日子波限建鵜草葺
不合命以前爲上卷神倭伊波禮毘古天皇以下品陀御世以前爲

guuchanの読み下し

焉(ここ)に於いて、舊辭之誤を惜しみ、先の紀の謬錯を正すを忤(さから)う。
和銅四年九月十八日臣安萬侶に稗田の阿礼の誦ずる所之勅語舊辭を録し選び以って献上せよと詔有れば、謹(つつし)みて詔(みことのり)の旨に隨いて子細を 採■(手偏+庶、セキ、拾う)(さいせき)す。
然り、上古の時言える意を並朴(へいぼく)して敷文(ふぶん)し、構句(こうく)す。
字に於いては即ち已(や)み難(がた)し、訓に因りて述ぶれ者(ば)、詞(ことば)は心を不逮(つかま)えず。
全て音を以って連ぬれば、事の趣は更に長し。是を以って今或る一句の中に音訓を交え用いる。
或る一時の内、全て訓を以って録し即ち辭理(じり)を(逮、しんにゅう+台、タイ、およぶ)び見て(經の糸偏でなく言偏、コウ)を以って意を明らかにす。
况(いわんや)、解し易き、更に注するに非ず。亦、姓に於いて日下を謂う玖沙訶(くさか)、名に於いて帶字を謂う、多羅斯(たらし)。此の類の如きは本に随い改めず。
大抵記する所は、天地開闢より始まり、小治田の御世を以って訖(おわり)とする。故に天の御中主以下日子波限建鵜草葺不合命以前を上卷と爲す。神倭神倭伊波禮毘古天皇以下品陀御世以前を中巻と為す。

guuchanの解説

ここに、舊辭之誤を(知りながら、手間隙を)惜しんで、先に発行された日本書紀の誤謬錯覚を正すのを逆らった。
逆らうというと、誰かが誰かに逆らう印象がある。忤(さから)という字は、読みは分かったが、もっと詳しい意味を知りたくて、普通の辞典を見たが、載っていないようだ。正すのを中止したという意味ぐらいにとっておく。
それにしても、中止をしたのは誰だろう?
また先の紀は、日本書紀のことと解釈した。既に出来ていたと思われる。
天皇(元明天皇)しかない様に思う。古事記の一応の完成でよしとしたのだ。
先代の天皇が詔して始められた時、すなわち稗田阿礼が28歳だったとすれば、元明天皇が詔してまとめを命じられたときは711年で稗田阿礼が53歳です。
稗田阿礼は720年に62歳で亡くなっています。
 25年も仕事をしていたのでは早くまとめさせるのも当然です。
 日本書紀の訂正にまで手を付けていたのでは、まとまるものもまとまらなくなってしまうでしょう。


和銅4年9月18日(711年)臣安萬侶に稗田阿礼が口で話す所の勅語舊辭を選び記録して献上せと詔(みことのり)されたので、謹(つつし)んで詔(みことのり)の旨に随って、仔細を採録した。
然り、上古の時の言の意味を朴(ありのまま)に並べて文にし、句を工夫した。
字に於いては、やむを得ず、訓で述べれば、詞(ことば)は心を伝えない。
全て音を以って連ねれば、事の趣は更に長くなる。そういうわけで、今、或る一句の中に音訓を交えて用いたり、或る一事の内に、全て訓を以って記録し即ち辭理を及び見て(經の糸偏でなく言偏、コウ)を以って意味を明らかにした。
況や分かり易いもには更に注はつけなかった。亦、姓に於いて日下は謂う玖沙訶(くさか)と謂う、名に於いて帶字を謂う、多羅斯(たらし)、此の類のものは、本(もと)のとおりとして改めなかった。

大方、記したのは所は、天地開闢より始まり、小治田の御世までとした。故に天の御中主以下日子波限建鵜草葺不合命(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)以前を上巻と為す。 神倭伊波禮毘古(カムヤマトイワレコ)天皇以下品陀御世(ホムダノミヨ)以前を中巻と為す。




最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
心へんに午 (ゆっきん)
2007-05-07 10:17:31
「十七条の憲法」第一条にありました。

一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。

一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ

「いさかい」と解釈されてます。guuchan
からみれば、こなしすぎでしょうが。
返信する

コメントを投稿