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462 卑弥呼と天王家との関係(3) 一方、天孫降臨(BC140頃)から、天皇即位(BC61)までの約80年間、倭(九州、四国、中国)の統治の実権は誰が握っていただろうか? ニニギノ命以下は東征のプロジェクトを任された軍事集団である。徴兵、訓練、造船、偵察など軍事行動の準備が主たる任務であったろう。 出身母体である倭国はニニギノ命らのプロジェクトを全面応援しただろうが、実質的統治は天草政府にあって諸要求に応えたであろう。 したがって、東征軍は後顧の憂いなく東征に専念できたのである。 また、近畿に進出した後も、多くの兵や役人等に給料を支払うのに、新たな支配地からばかり税金を取るわけには行かないのである。 そうすれば、そこの住民にとって、二重に税を取られることになり反乱がおきる。 従がって、いわゆる天領(直轄領)である従来からの自分の領地からの補給を受けたに違いない。 こうして出来た大和政権であったが、その主目的は未だに全国の統一である。 特に、関東、東北を視野に置いていたのは当然である。 大和盆地に都を置くのも、東、北を視野に置いているからであった。 その間も、倭(九州、四国、中国)は政権の支持母体として、半ば独立の形を保っていただろう。 天皇は、国の安定を計るため、各豪族の姫を側室にして子を産ませ、その子らは、その部族や中央で重要な地位を得た。 そのような政策を取り、各豪族と姻戚関係を結ぶことで、相互に安全、安定を図った。 一国家一家族主義である。この辺りから天皇皇后を国父、国母とする思想も自然に出て来る。天皇は親であり、全国民はその子である。 国民は全て兄弟なのだ。 倭は特に天皇の出身母体であり、天皇を支える一大勢力である。そのトップを押さえることは極めて重要である。 天皇は自分の娘などを女王として倭王に据えた。 それが倭王であり、卑弥呼であろう。 当時倭王は、中国から公認された王であった。 それは歴史的に至極自然のことである。 なぜならば、徐福らは秦の始皇帝によって派遣された軍団であり、日本を秦に帰属する領土として、始皇帝に捧げるために整えられ派遣された軍事統治の集団であった。 しかし、派遣の年に秦は滅んでしまい、中国は大混乱に陥ってしまった。 命令した当事者が無くなってしまったので、復命するところがなくなった。 彼らは中国との交易を必要とした。中国語も分かる。 中国に行ったとき、それ相当の処遇を受けたいから、それぞれ、貢物を持って時代時代の皇帝に接見を求めた。 また、中国皇帝から認められていれば、中国から国が攻められるという心配はなくなる。 また、中国における交易活動も容易であったろう。 紀元前は集団で、中国に行っても、それぞれが国王を名のっていたと思われる。 倭国のそれぞれの小王を束ねる倭王が明らかになったのが、AD57年に授与された金印、漢倭奴国王である。 これは漢の倭の奴国王(カンノワノナコクオウ)ではない。そんな小さい領域の国に金印を与える理由がない。 銀、もしくは銅印で十分である。 漢の倭奴国王(カンノワドコクオウ)という意味である。奴(ド)は匈奴という時と同じく、匈(フン)族の匈に奴をつけて、匈族全体の王としたのである。 倭奴は匈奴と同じく、倭族全体の王という意味で、それゆえに大王に相応しい一個の金印を与えたのである。 鋤友命/懿徳④(イトクテンノウ)の時代BC1~AD64に相当する。 (続く) |
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気楽さんの心配してくださったコメント欄に書きましたが・・。
以前から違和感があった歯の被せてモノが取れ
翌日お料理教室が済んだ後の午後
歯科医院にTEL入れると
忙しいので痛くなければ連休明けにして欲しいと
の受付の返事でした。
それでもと言えなかったので火曜日を約束したその夜
つい硬いものを噛んでしまい
一部が欠けてぐらつき痛くなってしまいました。
それで翌朝行った訳です。
その日の内に何としても行っておくべきであったとの
反省と ちょっと歯科医に不信感を持ってしまいました。
それでも欠けたのが1/4だった為1本抜かなくて済みました。私ごとですみません。
名前の長い理由が良く解りました。
今日も良く解りました・・・と言う事は天皇家は徐福の末裔となるのですね~。
このあいだの北朝鮮説とは全然違いますね。
徐福が秦の始皇帝から逃げてきたと言う説が
PCの中にもありましたが そうでもないようですね。
面白くなりました。
徐福も皇帝を騙したなどといわれていますが、不老長寿の薬だ、仙人だと言うような話を始皇帝ともあろうものが信じるとは思いません。
健康についての関心が高かったとは思いますが、、。
天皇家の祖が徐福かどうかは分かりませんが、徐福集団の一人であろうということは間違いないと思います。
史記に有るとおり、徐福が平原広沢を得て王となったというのが本当なら天皇の祖という可能性も高いです。
徐福集団の中に、徐王や始皇帝の子孫など入っておれば、それらが天皇家の祖ということも考えられます。
徐福抜きに魏志倭人伝も記紀も解釈できないと思います。
明日(今夜)をお楽しみに。
なんとなく歴史の流れの中の時間が想像つきはじめました。
雄大な歴史の流れの中で、習ったのは、ピンポイントだけなんですね。
その背景を学ばないと歴史の面白さは感じられないのだと納得。
歴史って人間くさいものなんですね。
卑弥呼誕生まで お見事でした....
紀元前の 時代も 色々な 出来事が有り....
その当事 お気楽が いたら 国王も夢ではないぞと
楽しみながら 読ませて 戴きましたよ...
***国王..今夜 夢見ます..ハッ..ハッ..ハ...
又 遊びに 来ます.
1945年8月15日第二次世界大戦終戦。
などと学校で1行習ったとて何の知識になりましょう。
戦争とはどんな戦争だったのか、戦争はどうして起こったのか、どうして防げなかったのか。など知らなくてはそれと現代との関係も分かりませんし、また、案外60年も経った今日でもその影響が色濃く残っている点が多々ありますよね。
2000年前の出来事でも何故それが起こったのかを考えていくと分かって来ますし、その影響が意外とはっきりと今日まで残っていることに驚きます。
卑弥呼は九州に居たのか、大和に居たのか、いよいよ今夜です。
ですが、若し王になったら、良い王になれるように日頃から、修養を積んでおくことが大事かと思います。
魚釣りをしていて、ひょっとして竜宮城に行かないとも限りません。
そのとき、乙姫様に惚れられたら、竜王山にでも一緒に住もうなどということにならんとも限りません。
なかなか血筋がよさそうですから、分かりませんぞ。
お気楽さんも徐福の血を引いているかもしれません。お孫さんを見ているとそういう気がしてきました。