住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

527  「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (111)

2007-11-28 21:47:05 | もしも、徐福が日本に来ていたら
 

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527-1 弓月の君(4)


人質が逃げたことについて、朝鮮半島側の記録はあるのだろうか?
三国史記の新羅本紀と百済本紀を引用する。

ーーーーーーー
新羅本紀第三・第十八代 実聖 尼師今(在位 AD402-417)
元年(AD402) 元年 三月 與倭国通好 以奈勿王子未斯欣為質
元年 3月、倭国と好(よしみ)を通じ、、奈勿王の子・未斯欣を人質にした。
未斯欣(みしきん)は日本書紀では微叱許智(みしこち)と記されている。
三国遺事・奈勿王条では美海(みめ)、末吐喜(みとき)、末叱喜(みしき)、などと記されている。
ーーーーー-ー
新羅本紀第三・第十九代 訥祗 麻立干(在位 AD417-458)
2年(AD418) 二年 春正月 親謁始祖廟 王弟卜好 自高句麗 與堤上奈麻還來 秋 王弟未斯欣 自倭國逃還
2年(418) 春正月に、王自ら始祖廟に拝謁した。
王の弟卜好が堤上奈麻と一緒に高句麗から還り来る。
秋に王弟・美斯欣が倭国から逃げ還った。


三国史記には上記のような類似の記事が有る。名前も良く似ているので、日本書紀の神功皇后の巻に対応していると思う。
また、その前後に人質を記した条項は無い。
しかし、少し年代が違う。また、人質の期間も違う。

また新羅本紀には
13年(AD368) 十三年 春 百濟遣使 進良馬二匹

13年 春、百済は使者を派遣して、良馬二匹を捧った。
とある、


そして百済本紀に
二十一年 春三月 遣使聘新羅
 二十三年 春三月丁巳朔 日有食之 遣使新羅 送良馬二匹

二十七年 春正月 遣使入晉朝貢 秋七月 地震

21年春3月新羅に使節を遣わした。 
23年春3月日蝕があった。新羅に使節を遣わして良馬2匹を送った。
緑字は、三国史記の百済本記である。

ところで、
中国の史書、晋書、四夷伝には次の記事がある。

武帝太康元年、二年,其主頻遣使入貢方物,七年、八年、十年,又頻至。太熙元年,詣東夷校尉何龕上獻。咸寧三年復來,〔一〕明年又請内附。


武帝太康元年は西暦280年である。
百済本紀の近章古王27年は西暦280年のことを言っている可能性がある。
これから逆算していくと、新羅に良馬2匹を送ったの百済本紀の近章古王23年は276年になる。
そして馬を受け取った新羅本紀の13年が276年になる。
つまり、新羅本紀の推定西暦は
368-276=92
すなわち92年繰り下がることになる。
すると、人質として倭に在った王子未斯欣が逃げ帰ったとする
新羅本紀の実聖 尼師今の元年(AD418)は、それから92年遡る可能性がある。
するとAD326年になる。
しかも、三国史記の王の年次には一年の相違があることが指摘されている。
一年繰り上げねばならないのだ。
すると、これはAD325年になり、ピッタリ日本書紀の神功皇后五年(AD325)と一致する。

まるで、点と線のように一致するのは、偶然だろうか?

しかし、そうすると、新羅の王の生存期間を全部92年動かすことになるのではないか?
それは、どうか?
しかし、三国史記の編纂は1145年に完成している。
これはまた重大な問題だ。



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8 コメント

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夜も更けて。 (るな)
2007-11-28 22:53:15
guuchanさん、今晩は。
最近、仕事漬けでゆっくりブログを拝見できず、
いっぱいご無礼しています。すいません。
時間つくって、ゆっくり読ませていただくのを
楽しみにしています。

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歴史 (ゆっきん)
2007-11-29 06:32:19
同時代と思われる事件を軸にして比較すると、各国の歴史に取り組む姿がわかり面白いですね。

領収書に記載された日から行動を推測するようで
松本清張の世界ですね。
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るなさんーこんにちは (guuchan)
2007-11-29 07:25:34
 お忙しいようですね。
 こちらは文字ばかりで、読むのもまたエネルギー要ります。
 また、特殊な世界ですから、古代にあまり興味が無いと読むのも大変です。
 気が向いたら、覗いてみてください。

 こちらのことは気にしないで、気楽に気が向いたときに覗いてください。
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ゆっきんさん~こんにちは (guuchan)
2007-11-29 07:34:45
 領収証の日付の照合、犯罪捜査、松本清張。
 10年前だと、インターネットは始まっていても、ネット上に此れだけのデータは無かったと思います。

 今や、清張もホームズも集めることが出来なかったデータが、まるで、自分の本棚に並んでいる以上にやすやすと検索して見ることが出来ます。

 ネットサーフィンを楽しんでいます。
 
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昨日の説明 (かのこ)
2007-11-29 10:27:09
guuchanさん今日は。
昨日のコメントのお陰で
森の霧が少し晴れました。
徐福より後のお話なのですね・・。
何となく個人的にそれで・・・と
思うことがあります。

三つの国の歴史照合は
至難の技ですね・・。
根気が要りそうですね
それが出来たらノーベル賞ものかもですね。

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かのこさん~こんにちは (guuchan)
2007-11-29 11:13:27
 疑問だらけ、謎だらけです。
 それで、昔から、いろんな説があるし、解釈がありますね。
 そして、歴史書を直ぐに神話だ、伝説だ、誤記、偽書だと、都合の悪いものは否定してしまいます。
 
 今、ネットを通して、それらを一望に出来るところに立っています。
 今まで、見えなかったことが見えてきても可笑しくない、絶好のチャンスなのかもしれません。
 つい時間を忘れて、読みふけってしまいます。
 
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guuchanさん...こんにちは. (お気楽で--す.)
2007-11-29 17:07:26
そぅソゥ 神功皇后....良くわからないが....
 日本に 600前後の 神功皇后を祭った 神社あり
 と 思うに この皇后は膨大な 力をもっていたようで すね....
 そぅソゥ 一宮の 住吉神社も 神功皇后 祭ってます
 神功皇后を 再度 調査したいです..楽しみです...
又遊びに 来ます
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お気楽さんーこんにちは (guuchan)
2007-11-29 17:56:38
 神功皇后、実在じゃないんじゃないかと言われていますが、guuchanは実在だと思っています。
 
 神功皇后調査してください。
 何か発見があるかもも知れません。
 
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