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352 鳥居 神社には鳥居がつき物だ。 鳥居について、鳥の止まり木の格好をしているから鳥居だとか、神は鳥になって来ると考えていたから鳥居だとか、鳥に関係する回答は、珍答の部類だろう。 guuchanの推論。 敷居、鴨居、鳥居などと横に走る木材に居の字が付くのは偶然だろうか? 是は単なる音合せだと思う。 「敷居」は「仕切り」、仕切り木」「仕切り材」などから来ていると思う。 「仕切り木」、「仕切り材」の「木」や「材」は、現場の状況では省いて「仕切り」だけで十分通用すると思う。 「SIKIRI」という発音においては「RI」は「(R)I」に容易に変化する。 「SIKIRI」→「SIKII」になって、後から「敷居」という字が当てられたと思う。 「鴨居」はどうだろう。鴨とは関係なさそうだ。 「KAMOI」仕切りの逆の変化をたどってみよう←「KAMORI」←「KAMORIGI」 ←「かもり木」←「かむり木」←「冠木、頭木、被木」 戸、障子の頭の方に来る横木だから頭や冠や被るなどから来たと思う。 鴨居を音を当てて洒落た専門用語を作り出したのであろう。 「鳥居」はどうだろう、鳥なんかに関係なく門、ゲートとして物の方が先に作られた。 天人のための御用地を自然の地形や、あるいは仮に注連縄などを張って、そこが天人の御用地であることを宣言した。 その入り口に鳥居形の門を作った。 「取り入れ口、取り入れ門」だ。現代語だとそうなるが、それは「取り入れる」というからそうなる。 「取り入るる」なら「取り入り口、取り入り門になる。」 つまり仕切り内の土地は天の地に取り入れられたのだ。 「TORIIRI」→「TORII(R)I」は前述の通りだ。 この音に鳥居という字を当て「とりい」と読ませることになったと思う。 デザインは最も簡単、しかも堅牢である。よく見ると「天」という地に似ているだろう。 天の字を、デザイン化した見事な門だ。グッドデザイン賞ものだ。 鳥居の形状は、凝って来ると、一番上の木を上向きに反らせて、ますます天の字を思わせる。 ここに書いた以上に根拠があるわけではない。だが、今までに見たどの説にも、これほどの根拠はなかった。 成立の順序は案外「鳥居」、「敷居」、「鴨居」の順序かもしれない。「敷居」「鴨居」は大工の専門集団が生まれないと必要にならないだろうと思われるからだ。 |
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神社の中で衣服を剥ぎ取って、死体を鳥につつかせたという話も聞きません。
神社と鳥居は密接な関係です。
どこかの宮司というかたが、そういう考えを述べておられるようですが、鳥居という文字から発送したもので、説得力には欠けると思います。
ゆっきんさんが本気でそう思うというのであれば、もっと議論してもいいです。
姓と屍は関係ないと思います。
屍は音はシでしょうし、倭語では枯れ骨(コウホネ、コウボネ)だったろうと思います。
「あそこにシがあった。」といっても通じない。
シ・コウボネというように同義語を重ねた語は沢山あると思います。
姓は天皇から賜るもので、被る名(コウブルナ、カブリナ)の変化のカバネだろうとguuchanは思います。
あのあたりは言葉もかなり違うし、まるでアイヌの言葉のような漢字が使ってありますね。
風葬自身はインド、から経由してきたもので朝鮮南部にもあったそうですね。
琉球は明治以前まであって、洗骨は今でも行う地域もあるようです。姓(カバネ)は骨から始まったとの話もありました。
ここはなしでは「衣服を取る」(とりい)ところと書いてましたよ。死者の旅たちへの入り口なんでしょうか。
大木などに竹加護でつるした場所を示すものだとも書いてありましたが、烏なんぞがとまってたでしょうね。
はいボチボチ頑張ります。
敦煌+宗+...を合わせて 新しい 西夏の辞典を
作る場面が ありましたよ.....
耳と心=聞く...と言ううに..今日の日記 御見事でした.
無理せず 程ほどに...
又 遊びに 行きます.