まとめて読みたい方は、上の「もしも、徐福が、、、(カテゴリー)」↑ をクリックしてください。 目次は、ここをクリックしてください。 | |
536-1 弓月の君(11) 帯方郡は公孫氏が支配していたが、AD238年に公孫氏は滅ぼされ、魏の郡国制度に組み入れられた。 帯方郡太守は頻繁に代わった。 正始元年(240)、はやくも3代目となったが、弓遵という人が、帯方郡の太守となった。 新太守となった弓遵は、魏の明帝の詔書・金印紫綬を配下の梯雋に持たせて卑弥呼のもとへ送った人である。 倭に対して好感を持っていたに違いない。 ところがこの弓遵はAD245年、郡内の韓族の反乱にあって戦死する。 この弓遵が弓月国と関係があったのではないかとguuchanは想像している。 弓遵の在任期間は比較的長く240~245年であったが。245年には戦死したのである。 戦死しなければもっと長い在任を半ば約束されていたのかも知れない。 弓遵は魏の国内に居た一族郎党と共に、帯方郡に新しい国を作ろうと、手元に呼び寄せていたのではないだろうか? しかし、弓遵が戦死して、太守は新しく任命されて本国からやってきた。弓月の一族郎党は留まって、代々の太守の下、協力していた。 AD313年に高句麗が楽浪郡を支配下に置くと帯方郡も浮き足立って自壊してしまった。 帯方郡は政治的には、馬韓(百済)に預けられたと思われる。 しかし、半島の情勢は不安定で、北方の高句麗が、いつ帯方郡に攻めてくるか分からない。 弓月一族の財産生命の安全は保証されなくなった。安全な土地を求めて、百済、伽耶國、新羅国などに分散して住んで様子を見ただろう。 しかし、新羅国は好ましい国ではなかったと思われる。 贈られたか奪ったか大量の財宝だけは、新羅は懐に納め、見返りに土地を与え国を作らせるような優遇はしなかったと思われる。 そこで、先にも述べた、AD320年、功満王が倭に来て、仲哀天皇、神功皇后に逢って。 「新羅に自分達の奪われた財宝がある。それを取り返せば差し上げますという」提案が為されたと思われる。 そうでなければ、新羅が急にそんなに富む訳がない。 そこで、神功皇后は新羅に攻め入って、その財宝を出させたのだろう。 それから85年、弓月王が倭を訪れた。 しかし、85年というのがちょっと長すぎるような気がする。 60干支一巡り分遅くなっているのではないかという気がする。 AD405年なのか?AD345年の可能性がないのか? よく、見てみる必要がある。 AD345年であっても、AD32O年から25年も経っていて、長いと思えるのだ。 また、弓月の君が功満王の子とされている。 子の意味が子孫ということも考えられなくはないが、直ぐの子であればなおさら80年の間隔は開きすぎだ。 |
最新の画像[もっと見る]
- 令和二年、あけましておめでとうございます 5年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 946 ETに出会う 10年前
- 945 四つ葉のクローバー 11年前
- 945 四つ葉のクローバー 11年前
- 944 節分草 11年前
しかし、時間があるときには、燃えないというか、その気にならないのですよね。
切羽詰ってくると、しかたがない、と滑り込もうとする。
悪い習慣です。
好きなことは、いつでも燃える。
仕事は好きでないといけないですね。
それは無理だ、好きなことが仕事になるのが良いですね。
更新されていないので、お忙しいのだろうと
思いつつ、
そんななかでコメントを残していただけるのを
感謝しています。
こちらもあと10日の追い込み仕事中です。
秋から冬、静かな野原と違い、人間はなぜにこんなに忙しいのでしょうね。
ホントに関係あるのかなあ。
ハイ、更新も考えないではないですが、朝鮮半島は五里霧中です。
お茶が出るといいですがねえ。
お二人で蛍に関して学術的なそして
面白いお話をしていらっしゃいますね・・。
蛍に石灰が関係しているのですね~。
へ~・・と興味津々で拝見しました。
お勉強になりました。
息抜きにどうぞどうぞお茶は出ませんが・・・。
山口県はそうですが大分県は如何ですかねえ?
友田川も綾羅木川も昔はホタルが一杯いたといいます。
必ずしも石灰岩でなくても、水質が綺麗で、カワニナが育つような環境であれば良いのではと愚考しますが。
詩は、書き下ろしです。
自然さんの写真を見て、活動を想像していたら自然に出てきました。
童謡のようなつもりです。
児戯ですが、でも、何か心に懐かしく思えるところがあるような気がして、、、。
焦るのは悪いですね。
いい仕事は何にも出来ません。
焦らないでいいように、余裕を持ってかかればいいのですが。
息抜きに、花の地図を見に行き居ま~す。
ホタルの文献を沢山読む機会が増えておりまして、
それからすると山口県の川はホタルの住める環境からして全体に広いと感じます。
なぜ、ホタルは石灰岩から出る水の下流が多いと!
詩のプレゼントありがとうございます。
時間が取れたらホタル恋なんていう名の歌詞を作り誰かに作曲してもらいたいと思っています。
そのときはコンサルをお願いします。
一番の忙しいことでしょうね~。
コメントをありがとうございました。
百済ない?
源氏?
高句麗?
節介?
自然さんのコメントには、いろいろと掛詞が入っているようなので用心しながら見ています。
豊田町の上流、豊田湖、そこに流れ込む水は?
隣が美禰町ですから、石灰岩もあるかもしれません。
それとホタルはどんな関係?
幅の広い川は、狭い川に対する皮肉?
私が話す内容などくだらないと思われるだろう。
何せ貴方には豊田町に源氏ホタルのミュージアムがあり、かなり幅の広い川でもホタルが飛んでいるからです。こうくり考えてみましたが上流には石灰岩の山地があるのでしょうか。
中国は魏から五胡十六国時代に入り、くるくると王朝も変わるので倭や朝鮮に関する記事が乏しくなり比較が難しくなります。
朝鮮半島も同様です。
日本も、古事記、初期の編纂にそれらを参考にしながら、編纂したと思われるのです。
朝鮮半島は逆に日本の古事記や初期を参照しながら編纂した可能性もあります。
guuchan自身も自信を失っています。
ややこしいです。
そして 弓月の君....今日は ややこしくて..ハィ.
難しかったで--す.
又 遊びに 来ます.
漠然とでいいですよ、朝鮮半島の情勢を理解していただければ。
朝鮮半島は中国、高句麗、日本に囲まれて、しかたのない運命を辿ってきました。
それは現代でもあまり変わっていないと思います。
弓月国に関しての思いは
きっとそうでしょうね・・。
朝鮮半島もいろいろ歴史があったのですね。
知らない世界を垣間見た気がしました。
そして日本とも係わりが深かったのですね。
今日はコメントを書くに難しかったです。