住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

364 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (51)

2007-05-25 23:39:35 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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364 ニニギノ尊(2)


 是に詔らさく、「此地は韓國(からくに)向かい、笠紗(かささ)の御前(みさき)に眞來通(まきどお)りて、朝日の直(ただ)刺す國、夕日の日照る國なり。 故、此地は甚(いと)吉(よ)き地」と、詔りて、底津石根(そこついわね)に宮柱布(ふ)斗(と)斯(し)理(り)、高天原に氷椽(ひぎ)多(た)迦(か)斯(し)理(り)坐(ま)しき。

「韓國(からくに)向かい」は二通りに解釈できる。
一つは朝鮮半島に向かい合っていると言う意味だ。朝鮮半島が見えるわけではないが、北に朝鮮半島があることは分かっている。
南は「笠紗(かささ)の御前(みさき)に眞來通(まきどお)りて」
笠紗(かささ)の御前(みさき)とは薩摩半島の先端に笠沙というところがあり、それ、または薩摩半島全体を指していると思われます。そこまで、見通せてということだろう。

北、南、の次は東西、「朝日の直(ただ)刺す國、夕日の日照る國なり。」、東西に障害物なく国見が出来たことでしょう。
「韓國(からくに)向かい」のもう一つは、霧島連山の韓國岳のことです。
久住山から100km強有りますが、九州で1番高い山と2番目に高い山ですから、途中に阿蘇山があっても、天候さえよければ見えるでしょう。
その先の笠沙の御崎は、そこにあることを知っているので、見えるはずだと思えば、霞か雲はそれかもしれないと思えるでしょう。
東西は上に同じです。
いずれにしても、ここに立てば筑紫の国全体が一望に見渡せると言うことです。
自分の治める国の広がりを知り、実感することは極めて大切なことです。
 天草に居て頭の仲で考えるとでは大違いでしょう。


故、此地は甚(いと)吉(よ)き地」と、詔りて、底津石根(そこついわね)に宮柱布(ふ)斗(と)斯(し)理(り)、高天原に氷椽(ひぎ)多(た)迦(か)斯(し)理(り)て坐(いま)しき。
底津石根(そこついわね)に、岩盤に、
宮柱布(ふ)斗(と)斯(し)理(り)、宮柱を太くし、
高天原に氷椽(ひぎ)多(た)迦(か)斯(し)理(り)て坐(いま)しき。高天原同様に床を高くして住まわれた。

氷木(ヒキ)、氷椽(ヒギ)は何だろう?
水面に氷が張ったように、床一面に磨いた板を平に敷き詰めるので氷木と呼んだのではないかと、guuchanの想像だ。
鉄の道具が漸く現れた時代、磨いた床板は、最先端技術であっただろう。

「ふとしり」、「たかしり」は「太しり」、「高しり」だろうが、「しり」という日本語の使い方が分からない。

これと全く同じ表現が、大国主之命が、自分の住む宮を、高天原同様にしてくれというところで出てくる。

天つの御子の天津日繼(あまつひつぎ)知らす登(と)陀(だ)流(る)天の御巣(みす)の如くして、底津石根(そこついわね)に宮柱(みやばしら)布(ふ)斗(と)斯(し)理(り)、高天原に氷木(ひぎ)多(た)迦(か)斯(し)理(り)て治め賜わば、、、






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6 コメント

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ニニギノ尊 (かのこ)
2007-05-26 11:00:46
guuchanさん今日は。
二つの説面白いですね~。
かのこは一の説の様に思えます。
やっぱりあの頃も韓国の事を意識せずにいられなかったのでは・・・?。
でもそのころ韓国といっていましたでしょうか・?。
変な質問でしょうか・・?。
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かのこさん~こんにちは (guuchan)
2007-05-26 14:27:44
 その頃韓國はあったのか?
 
 するどい!
 good question ですね。

 guuchanもそのことには思い及びませんでした。
 で、ちょっと調べてみると、次のような文に行き当たりました。

 「朝鮮半島南部は、古來辰國と呼ばれし地域にしてやがて分れて馬韓、辰韓、弁韓となれり。馬韓は後の百濟にして五十餘國、辰韓は後の新羅にして十二國、弁韓は後の任那にして十二國あり。
          (朝鮮史散策 岡崎久彦)」

 三韓の方が百済、新羅、任那より古いのですね。
 韓国という言葉が使われていることに記事が書かれえた時代を偲ばせる物がありそうです。

 重要なヒントをありがとうございました。
 

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???さん~こんにちは (guuchan)
2007-05-26 14:52:01
 済みませんでした。

 口は災いの元ですね。
 またまた、繰り返してしまいました。

 今までにも、経験してきた失敗です。

 傲慢になっていました。

 許せるものなら許してください。
  
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削除された。 (縄文人)
2007-05-26 17:19:15
キリスト信奉者殿

削除されてしまいましたのでカキコします。
貴殿から、削除もしないのに、
「削除するとは何事ゾ・・・」とお叱りを受けたり、再三するどいパンチを受けました。
したがって,殆どコメントは貴殿に打電しなかった。
あなたの人間性から、何時かはこのようなことが来るものと。

 他人のblogに入り込んで、メッタ切りをする
キリストも泣いているだろう。
キリストとはこういうものだったのか・・・・。



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縄文人さん~こんにちは (guuchan)
2007-05-26 21:36:54
 まじめに議論したいのなら、削除しません。

しかし、それなら、他の人にも少し分かるように内容を補ってコメントします。
 
縄文人さんがコメントに賞を出すというのを見た時、何かしら嫌な気分になりました。

そのモヤモヤがはっきり分からないまま、それを整理するつもりでコメントを書きました。
何の損得も無いから、自由に友達づきあいが出来たのです。
 なまじっか賞を出すなどと言われると、自分が餌場に集まる鯉の一匹みたいに思えました。邪念が入って自由な楽しさがなくなります。それが惜しいと思いました。
ですから、賞欲しさに書くのも嫌だし、賞を気にしながら書いていると思われるのも嫌だ。賞を貰うのも、貰わないのも気分悪いから、もう来ないと書いたのです。

それほど親しくなかったら、黙って来なかったでしょう。

しかし、親しいと思っていました。通じると思っていたのです。
来たくないと言うのが本音ではなく、表彰制度が撤回されるのが望みだったのです。

客人のコメントを審査するなど僭越だろうと書きましたね。集まった客人にエサをやるからもっと芸をしろ言われているよう邪推したguuchanのひねくれた性格の所為ですね。
グサッと来たかも知れませんね。無用の挑発的言辞でした。

ブログ開設2周年のお祝いの席で、お祝いを言うどころか発表された新企画にけちをつけられたのだから、怒るのも無理はありません。
guuchanが大変軽率でした。

guuchanのコメントだけ削除して続けたらよかったのに。

 親しいために起こった兄弟喧嘩みたいなもの、半分は正当性を主張します。行きすぎがあったことは認めます。ごめんなさい。許せる時が来たら許してください。

 
返信する
無題 (縄文人)
2007-05-27 06:24:54
過去のコメントの中に於いて、
1、地方独特の民謡を掘り起こして教えてくれた人
2、野菜栽培のテクニック、ノウハウを事細かに指導してくれた方
3、新茶を送ってくれた方、野菜の種を送ってくれた方、
4、その地方の絵葉ガギをセットで送ってくれた方・・・
他にもありますが文面を省略。
これを感謝、感動、出会いのすばらしさといわなくて何と言うのだろう。
出会い、コメントから発した1例である。

≧自分が餌場に集まる鯉の一匹みたいに思えました

あちこちにとんでもない語彙が乱れ飛んでいた。

 タイトル回数を間違えた事でも、切り刻んで捨てるような言葉が、そうとうな行数に渡り書かれていた。
心外でした。
 貴殿は、歳はおいくつになられるか知れないが、とても聡明でしかもキリスト信奉者だから間違いはないと思います。当方無学の70歳ボケが始まった老人です。
間違いはいけないが、それを取り上げて徹底的に解剖して捨てるような言い回しをしていた。
最後に『それでは、お世話になりました・サイナラ』というセリフが書かれた、長い30行ほどはあったであろう。
心に釘を刺すような言い回しがあちこちに乱れ飛んでいた。

 blogはあくまでも自己責任の原則
名誉・信用・プライバシー等の人格的権利その他一切の権利の侵害などが第3者に生じたときそれなりの救済方法がある。
誹謗中傷はいけない。

若し当方のblogの内容がそわない場合は、接続しなければいい、投稿しなければよい。
・・・・・と、いうきわめて簡単な方法である。
 最近貴殿に対しては、殆どコメントを発していない。内容が合致しないからであッた。
また、貴殿は、わがblogに入るに際して、blogerの友を介して、是非やり取りしたいという最初の出会いであった。捨てセリフを残して去っていく。
これが貴殿の人格、人間性、キリスト信奉者かと思うと残念で残念で仕方がない。

★ 人まえに 思案もなくて ものいうな 
        言いていわぬに おとることあり

この言葉を添えてこの件については終わります。
今までの教えを感謝します。
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