まとめて読みたい方は、上の「もしも、徐福が、、、(カテゴリー)」↑ をクリックしてください。 目次は、ここをクリックしてください。 | |
古代を訪ねる旅 1月17日~19日、八女、熊本、天草、島原、佐世保のドライブ旅行に出かけた。 下関を9時少し前に出発。 一路九州自動車道を南に下る。 第1日目の最初の目的地は岩戸山古墳。 | |
560-1 筑後平野 鳥栖を過ぎると、気がついたら広い平野を走っていた。 | |
560-2 岩戸山歴史資料館 民家の間の狭い道を入っていって辿りついた。 | |
560-3 童男山古墳の石棺 童男山古墳には廻れなかったが、その石棺が資料館の入り口横に展示されていた。 童男山古墳は徐福の墓とされている。 | |
560-4 展示室で 資料館の館長さんが丁寧に説明してくださった。 白い壁が逆さに映って居るのが目障りだ。 | |
560-5 岩戸山古墳 日本書紀などにある、528年(継体天皇)の物部麁鹿火(もののべのあらかい)に滅ぼされた磐井(いわい)の君の墓とされる。 別区があることが風土記に記されているので、これが磐井の墓であることは明らかとされる。 円墳側の上にくっついている四角いグランドが別区である。 | |
560-6 武装した武人 左下兜を被った頭だ。その後ろは首の折れた馬。 | |
560-7 埴輪 鞍上の人、馬等の埴輪を見ると渡来人であろうとの想像がつく。 | |
560-8 イヤリング 出土品の中にはこんなものも、イヤリングと説明された。 | |
560-9 イヤリング拡大 朝鮮半島からの来たと言うような説明があったが、これはシルクロードを通ってきたものだ。 いわゆ秦氏(ホータン)の可能性が大である。 朝鮮半島を通って来たとしても、長く半島に留まって長く使用されていたというようなものではなく、経路として通り秦氏らと一緒に渡来した可能性の方が高いと見る。 | |
560-10 古墳 古墳はこの上らしい。 | |
560-11 岩戸山古墳 神社が守っている。 この丸い石が山肌を覆っているのがめずらしかっら。 | |
560-12 山肌を覆う石 このような石が古墳築造の当初からあったのだろうか? | |
560-13 別区 別区の説明盤 | |
560-14 別区 遠くに石像のレプリカが並べてある。 | |
560-15 石像 昔はどんな風に配置されていたのだろうか? 岩戸山古墳については詳しいホームページもある。 |
最新の画像[もっと見る]
- 令和二年、あけましておめでとうございます 5年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 946 ETに出会う 10年前
- 945 四つ葉のクローバー 10年前
- 945 四つ葉のクローバー 10年前
- 944 節分草 11年前
19日に帰宅しましたが、その夜から、教会やら、さくら友の会の宿題に追われておりました。
また資料整理も大変です。
大変充実した度になりました。
お祈りありがとうございました。
充実した旅の様子、写真からも伝わってきました。
さぞかし感動を存分に味われたことと、想像しています。
どうぞ、お疲れでませんように。
(きっと写真枚数も膨大なんでしょうね)
ソゥソゥ ふるきを尋ね 新しきを知る...古代の旅
岩戸山古墳 お気楽も 画面観光 楽しみましたよ.
ハニワ...イャリング...石像...お見事でした
又 遊びに 来ます.
それも家内と交代での運転ですから疲れはありません。
行く先々で出会いがあり、まさに神様に導かれているという不思議さを感じながらの旅でした。
邪馬壹国は天草に間違いないという確信が更に強まりました。
収穫多い度でした。
また行きたいと思っています。
明日は熊本です。
また楽しんでください。
先ずはお帰りなさい。
収穫の多い旅だったご様子何よりでした。
岩戸山古墳・・・こそが徐福とのこと・・。
埴輪は初めて見る姿でした。
十字の形にもみえましたが・・・?。
それに珍しい形状の古墳でした。
丸い石も面白いですね。
何と言ってもネックレスあらイヤリングでした?。
精巧に出来ていますね
今と変わらない程。
驚きでした。
次回も楽しみにしています。
岩戸山古墳は磐井の墓です。
528年に継体天皇のとき滅ぼされて死にました。
徐福の墓といわれるのは、童男山古墳で、ここからたしか10km位東です。
しかし、博物館にその童男山古墳からでた石棺が飾って在りました。
別区がある古墳はここだけだそうです。
そういう意味では珍しい古墳ですね。
九州では最大だと言われています。
磐井の血筋はやはり徐福集団の一つだろうと思っています。
イヤリングにしては大きすぎますかね?
じゃあ、ペンダントだったのかな?
この黄金の装飾品は滅多にここに飾られないそうです。
貸し出しの希望が多くて、13日に帰ってきたばかりだということでした。
今回のレポートで今までの良くわからない人もなるほどとうなずけました。
金のイヤリングもすばらしい遺品だと思います。
お留守の間に訪問しました。
良いところでしたが
雪はよいよい帰りは怖いたびでした。
今回は、こういうことでしたが、またいつかきっといい機会が訪れることでしょう。
黄金の装身具、見ることが出来てラッキーでした。
これは、他所の博物館からの借用希望が多く、始終貸し出されて、滅多にここにないそうです。
この資料館を訪れて、この装身具があるとないとでは、非常に違ったものとなったことでしょう。
今朝は4℃です。
そちらはいかがですか?
今回の写真、何か不思議ですね。
いわゆる、日本的でないですね。面白いです。