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522-1 帯方郡(3) 帯方郡の滅亡 手っ取り早く、ウィキペディアの表現を借りると 泰始元年(265)、魏の重臣であった司馬炎(懿の孫)が魏の元帝から禅譲を受けて西晋を興すが、その新しい王朝の繁栄も長くは続かず、永康元年(300)、身内の八王の乱ですっかり混迷状態に陥った。 この時代、帯方郡に属する県は、帯方・列口・南新・長岑、提奚、含資、海冥の7県であった(『晋書地理誌』)。 建興元年(313)、遼東へ進出した高句麗が南下して楽浪郡を占領すると、ひとり朝鮮半島南半に孤立した帯方郡は雪崩をうって瓦解。 その民や財貨、技術、文化は、近接する馬韓・弁韓・辰韓によって広く吸収され、次の時代の百済・伽耶・新羅という新しい国々を育む豊かな土壌となった。 本国(魏)の力が弱くなって、朝鮮半島の根元にあった楽浪郡が高句麗に占領された。 すると、その南の帯方郡は孤立無援になった。 海を渡って本土から楼船による兵士の供給がなされれば、十分その権威を維持できたであろうが、本国が滅んでしまっては、帯方太守もただの役人に過ぎない。 本国の威光がなければ、地元住民を徴用して兵にする力も無い。 自分たち、漢民族の居住者にとって身の安全を守る手段は、 1.出身国(西晋)に帰る。 2.高句麗に降る。 3.馬韓、弁韓、辰韓、もしくは倭に逃げて身分を得る。 の3つである。 1.出身国に帰る それには、迎えの船が欲しいが、もう、当てにはならない。 帰れるものは、還ってしまっていたであろう。 2.高句麗に降る それには帯方郡治に居たまま、何時来るか分からない高句麗軍を待つことになる。 それまで、無政府状態の中に居ることになり危険だ。 また、高句麗に降っても、どのような処遇を受けるか全く分からない。当然財産などは没収されるだろう。 下手をすれば、首を切られかねない。 3.馬韓、弁韓、辰韓、もしくは倭に逃げて身分を得る。 おそらくこの方法が、最も現実的に見えたであろう。 少なくとも、どの国に行くか、自分達で選択できるのだ。 とはいえ、直ぐに身が処せたとは思えない。 このような場合、大抵はなるようにしかならないのだ。 帯方軍の太守は、治安維持のためにも隣国の馬韓に帯方郡の統治を委ねたと思われる。 本国が再び力を得て返せということになったときにも、それは侵略でなく、一時的に合法的に代理統治を行ったという名分が立ち、感謝されこそすれ戦争になる危険は少ない。 ここに馬韓は帯方郡に進出し、馬韓と帯方郡を合わせた百済(韓国読みペクチェ、日本語読みクダラ)を建国した。 このとき、倭は百済を支援している筈である。 すなわち馬韓、弁韓は徐福時代から、徐福集団の一部が分かれて築いた国であり、出雲の神の会議にも出席していたであろうからである。 支配階級は姻戚関係にあったと思われる。 前方後円墳が存在することもそれを物語っている。 馬韓、弁韓はいわば大倭連邦の国であり、あるいは辰韓もそうであったかもしれない。 少なくとも、新羅となった後に、一時的にはそうであったのである。 残留漢人たちの百済の中での処遇はどうであったのであろうか? 処遇問題、あるいは高句麗との戦争などの不安、日本側からの誘い、等があって、その一部が日本に大勢移住してきたと思われる。 弓月の君の集団はそれではないだろうか? |
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1番初めにコメントを書くのは。
うれしくて!うれしくて。
今日の本題は難だったか忘れてしまいました。
かぐや姫の物語に出てきそうな美しい名前ですね。
日本と大陸との深いつながり、随所に出てきます。
このあと歴史はどんなふうに進んだんでしょうか。
なんでも自由に書けるような気がします。
しかし、本題も忘れてしまうようでは、ちょっと有頂天になりすぎで、難があります。
ぐっすり寝ましたかな?
今日は落ち着いて気持ちよく過ごしましょう。
相当ロマンチックですね。
弓月の君という優雅な名を与えたのは誰でしょう。
次はそれを探る旅に出たいと思います。
今日の説はありうる説でしょうね~。
自分に置き換えてみても 倭の国に安全と希望を求めて行ったと思います。
日本は百済と交流があったと聞いています。
それはそういう事なのでしょうね。
時代が違いお話は別ですが
過日朝鮮通信使のTVを見ましたが
嘘から出て誠・・かけ引き・プライド
知らない事が沢山分って興味深かったです。
「戦争の中国には帰りたくない。ここに居ても、やがて北から高句麗が来る。海を越えて倭という国に行けば、そこには広い土地がある。海を隔てているので、中国も高句麗も攻めて来ず戦争が無いだろう。
倭に行こうと思う。」
という話しを聞かされれば、
倭がどういう国か知らなくても、平和に暮らして行けると希望を持ったのではないでしょうか。
ひょっとしたら、そういう人たちの子孫かもしれませんよ。