住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

242 教会の生け花

2007-01-22 08:34:00 | 教会の花

242-1 教会の花
昨日の安岡教会の花は、ちょっと斬新に感じた。
ニシキギの枯れ枝がいいと思った。
先日、その不思議な造形に感心したからなおさらだ。

生存に適するように、生物は進化によって、その特質を得たのだと言う人が居るが、ではニシキギは何のためにあのリブを獲得したのか?
それが生存に適していると言うならば、ニシキギ以外の木は、どうして枝にあのリブは付いていないのだろう。
あのリブは、いったいどういう理由で生存に適しているのだろう。
進化論は結果論に過ぎない。しかも、極めて不完全な理論で、ほとんどの事柄を満足に説明もできない。
それなのに、定説のように考えられているのはどうしたことか?
いつまで、こんな状態が続くのだろう。まるで中世のようだ。
まさに、神様が見えなくされたとしか考えようが無い。

242-2ニシキギの運命 

実はこのニシキギの枝は、近所のM夫人のお花畑で剪定され切り戻されて、焼却処分されるところで、捨てられていたのだ。
それが、教会で礼拝の講壇を飾る花となった。
実に数奇な運命なのだ。
馬小屋でお生まれになったイエス様を思わせるような運命だ。
神は馬小屋で生まれた赤子を用いて救い主とされたように、もはや無用の存在として切り捨てられた枝を講壇を飾る花とされた。

もはや役に立たない老人でも、きっと用いられるときがあろう。
そのときをただ待っていればよい。