Sydney Yajima


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2年前

2011-03-19 11:01:39 | フリーメーソン
私が フリーメーソンのロッジの司祭 ウォーシュフル マスターを引き受けた 二年前の写真だ。
あれから、ずいぶん多くのことが、変わってしまった。
今から思うと、あのころが懐かしいし笑っている自分の顔が憎くもある。

そもそも、人が死ぬということに、対面を切って 今ほど身近に 向き合うということが無かったような気がする。
死ぬということは、もちろん概念のなかで分かっていたつもりであり、そのことについて、よく考えたつもりでいたけれど、今ほど、目の前で、まざまざとむごたらしく、むきだしで、おぞましい形で見たことは なかった。
それは私だけではなく、多くの日本人にとってもそうなんだろう。

今、私が自分の立場で できることは、もしかしたら、多くの日本に住んでいる日本人とは違うかもしれない。
もしかしたら、シドニーに住んで 調子こいてんじゃねえ。などと言われるかもしれない。
しかし、言い訳になるかもしれないが、それは、運命と多少の偶然と、それらの不思議な縁の中で 星が回っているように、私がシドニーにいるというだけの話で、もしかしたら、私は釜石にいたかもしれないのである。(これは あまり詳しく言いたくはないが、本当にその可能性は、過去の私の人生のなかにあるのだ)
そして、私も被災者の一人に数えられていたか、もしかしたら、行方不明の一人になっていたかもしれないと思う。
また、そのころに、お付き合いをしていた人が、どうなったのか など、いまさら30年もたって、考えても、複雑で泣きそうにはなるけれど、すでに 私は15年も結婚生活をしていて、その人のことなど、考えることさえ、実を言うと、このことがあるまで、なかった。
考えることさえ、罪だと思っていたからである。
今も、心のどこかで うずく傷のようなものが、心配をしているが、家族にはそんな表情をみせてはいけないことも 分かっている。
ただ、無事を祈りたいし、できるなら、飛んでいって様子をみて、助けて上げれるものなら・・・と思う気持ちと、現実には三人の子供がいる自分の家族を守る父としての自分の立場と、責任、その重さには、何事も変えられないということも、十分に分かっている。
だから、こうして、せめて、心の中で 祈り、自分がこのシドニーに住んでいる。不思議なめぐり合わせや、多くの兄弟たちの親しい言葉に、いつの間にか、癒されているのである。
私は、卑怯な人間ではないだろうか?
とふと 自問自答してみる。
シドニーにいて、この日本の国難のときに、ぬくぬくと暖かいベッドに寝て、偽善のようにチャリティーで いくばくかの金を払って、それで、お前は、人間として正しいと思っているのか?と・・・
私は、何度も なにか人生の危機らしきものにあい、それは人並みの程度であったのか あるいはそれ以上であったのかは、比べる術もないけれど、それなりに、自分の機知で乗り切り、うまくやってきたと思う。
そうだ、お前は良く頑張ったじゃないか と自分に言い聞かせ、それが、しかし、今 一体なんの役に立つ?と自分に問いかけてしまうのである。たかが、お前はおまえ自身のために、やってきただけじゃないか。そして、それを何かエライことをしたつもりになって いい気になっていただけじゃないか・・・と。

むしろ、裸の自分にもどって、もう一度駄目になった自分を、やり直したい衝動にさえかられるが、いまさら、戻れない。

それは家族というものがいるからであり、また、仕事や、将来の自分のやりたいことや、勉強や、そのための自分で作ったロードマップや、それらの統括できるかどうかのチャレンジ、時間軸のなかでの己の残された人生など、様々なことが交錯し、そんなことを考えて、もはや、一歩も踏み出せないでいるのだ。

一歩踏み出せば、家族が犠牲になり、仕事が犠牲になり、生活が犠牲になり、そして様々な、何十年もかけて作ってきた自分の仮面が、なくなってしまうという不安は、とても人に見せられないほど ぶざまで、教養のかけらもない、野蛮で 粗野なものだ。

私は、所詮、そんな人間なのだ。

だが、それでも、そのなかで生きていくしかないのである。
なんと、小さい人間なんだろう。

うんざりするほどの自己批判をここで展開することで、もしかしたら、私は自分の中の鬱憤を晴らそうとしているのかもしれない。
そんなことを、ここで展開し公表したところで、自分の恥の上塗りであり、誰一人助けられるわけでもなく、ただ、言い訳をしているに過ぎないのに。
分かっているんだ。
分かってる・・・



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