雪の結晶などを研究した故・中谷宇吉郎博士のことを書い
た時に、博士と雪の映画制作を行い、雪や結晶の撮影に生
涯を尽くされた吉田六郎さん(1919~95)のことに触れた。
どんな方だったのかとアマゾンで探すと、谷川俊太郎さん
が詩をつけはった絵本『きらきら』が出てるのでゲット。
きれいだね
てんから おちてきた ほしみたい
きれいだね
とっても ちいさい ほんとうは
微笑ましいなぁ。写真を眺めているといつのまにか、
雪の結晶が大きいものにイメージしていることに気づ
かされられるから。
☆
吉田六郎さんは戦争高揚映画を作っていた日本映画社
に入社(1943)。戦後改組させられ、新生・日本映
画社に生まれ変わる。
若かった吉田さんは中谷宇吉郎の北海道大学低温研究
所に派遣されたのが、新しい運命の始まり。霜の結晶
を映像化した『霜の花』の製作に取り組む中で、企画
製作の東宝映画部が争議のため製作不能に。
撮影、製作チームの吉野馨治さん、小口禎三さん、吉
田六郎さんは日本映画社から機材を借用し、自費を出
し合って、零下10度の北大低温研究室にて立てこもり、
ついに完成したそうだ(1948)。すごい情熱。20分もの。
音楽は後にゴジラ映画に携わる伊福部昭さん。 英語版
をオスロ国際学術会議に出品したり、朝日新聞文化賞を
受賞している。たまに上映会が行われているから、観て
みたいなぁ。
☆
中谷宇吉郎博士はこの3人(吉野さん、小口さん、吉
田さん)や岩波書店小林勇さん、共同通信の記者・羽
仁進さんら共にその翌年、中谷研究室プロダクション
を設立したんだね(1949)。
翌(1950)年には岩波映画製作所となる。写真家名取洋
之助さんが参加し、岩波書店の「岩波写真文庫」の制
作を担当していく。このあたりはまたいつか。
☆
吉田六郎さんは科学映画監督として活躍。監督・演出・
撮影を一人でこなし、教育・科学映画史に残る作品を数
多く手がける。低予算のなかで、制作する方法を見いだ
したというか、確立していきはった。
『雪・結晶の観察』(1960東映)で「1光源2色照明法」
も開発。雪の結晶の標準的撮影法として定着しているそう
だけど、特に雪の結晶の中心部にあ る気泡の形の美しさに
ひかれて撮影したそうだ。
撮影は大雪山のふもとのの勇駒別荘に長期滞在し、雪洞の
中で行われた。方法を確立するとか、結晶のためなら寒さ
を厭わないとか、博士の薫陶を感じる。
勇駒別荘で撮影する吉田六郎さん
中谷博士没後も雪の結晶の写真を撮り続け、1000 点を超
える作品を遺している。
た時に、博士と雪の映画制作を行い、雪や結晶の撮影に生
涯を尽くされた吉田六郎さん(1919~95)のことに触れた。
どんな方だったのかとアマゾンで探すと、谷川俊太郎さん
が詩をつけはった絵本『きらきら』が出てるのでゲット。
きれいだね
てんから おちてきた ほしみたい
きれいだね
とっても ちいさい ほんとうは
微笑ましいなぁ。写真を眺めているといつのまにか、
雪の結晶が大きいものにイメージしていることに気づ
かされられるから。
☆
吉田六郎さんは戦争高揚映画を作っていた日本映画社
に入社(1943)。戦後改組させられ、新生・日本映
画社に生まれ変わる。
若かった吉田さんは中谷宇吉郎の北海道大学低温研究
所に派遣されたのが、新しい運命の始まり。霜の結晶
を映像化した『霜の花』の製作に取り組む中で、企画
製作の東宝映画部が争議のため製作不能に。
撮影、製作チームの吉野馨治さん、小口禎三さん、吉
田六郎さんは日本映画社から機材を借用し、自費を出
し合って、零下10度の北大低温研究室にて立てこもり、
ついに完成したそうだ(1948)。すごい情熱。20分もの。
音楽は後にゴジラ映画に携わる伊福部昭さん。 英語版
をオスロ国際学術会議に出品したり、朝日新聞文化賞を
受賞している。たまに上映会が行われているから、観て
みたいなぁ。
☆
中谷宇吉郎博士はこの3人(吉野さん、小口さん、吉
田さん)や岩波書店小林勇さん、共同通信の記者・羽
仁進さんら共にその翌年、中谷研究室プロダクション
を設立したんだね(1949)。
翌(1950)年には岩波映画製作所となる。写真家名取洋
之助さんが参加し、岩波書店の「岩波写真文庫」の制
作を担当していく。このあたりはまたいつか。
☆
吉田六郎さんは科学映画監督として活躍。監督・演出・
撮影を一人でこなし、教育・科学映画史に残る作品を数
多く手がける。低予算のなかで、制作する方法を見いだ
したというか、確立していきはった。
『雪・結晶の観察』(1960東映)で「1光源2色照明法」
も開発。雪の結晶の標準的撮影法として定着しているそう
だけど、特に雪の結晶の中心部にあ る気泡の形の美しさに
ひかれて撮影したそうだ。
撮影は大雪山のふもとのの勇駒別荘に長期滞在し、雪洞の
中で行われた。方法を確立するとか、結晶のためなら寒さ
を厭わないとか、博士の薫陶を感じる。
勇駒別荘で撮影する吉田六郎さん
中谷博士没後も雪の結晶の写真を撮り続け、1000 点を超
える作品を遺している。
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