これまた7日までの「ヴィデオを待ちながら
映像、60年代から今日へ」展へ
国立近代美術館に週末行ってきた。
60年代videoの技術を使った
アート作品が生まれた時点から
現代までたどる企画。
オブジェをなくしてvideoという
新しい媒体にアートを託していった
様子が懐かしい感じ。
☆
ビル・ヴィオラの「映り込む池」は
3台のvideo cameraで撮った
池、人々、回りの樹木の風景を
合成して、ちょっと笑える不思議な
作品で面白かった。
ペーター・フィシュリ&ダヴィッド・ヴァイス
の割と好きな映像「The Way Things Go(事の次第)」
もあった。ドミノ倒しの30分間なんだけど、
20テイクした編集モノだと知ってちょっとがっかり。
ダン・グレアムの「向き合った鏡と時差を持つ
ヴィデオ・モニター」は楽しかった。
部屋に置かれた2つの鏡と5秒時差のある
ヴィデオモニターの間を歩くと、
その姿が時間差で映るという作品。
やっぱイタラクティブなアートが
好きだなぁって実感する。
開祖ナム・ジュン・パイクが無いのは
片手おちだったのでは?
☆
videoはラテン語で「私は見る」を意味する
って知って驚いた。
audioは「私は聞く」のラテン語だし。
photographはラテン語はなくて、
イギリスの天文学者ジョン・ハーシェルが
創案した「光の画」の意味なんだけど、
「写真」という訳が定着して、意味が曲がった。
そのことはまた項を改めて。
映像、60年代から今日へ」展へ
国立近代美術館に週末行ってきた。
60年代videoの技術を使った
アート作品が生まれた時点から
現代までたどる企画。
オブジェをなくしてvideoという
新しい媒体にアートを託していった
様子が懐かしい感じ。
☆
ビル・ヴィオラの「映り込む池」は
3台のvideo cameraで撮った
池、人々、回りの樹木の風景を
合成して、ちょっと笑える不思議な
作品で面白かった。
ペーター・フィシュリ&ダヴィッド・ヴァイス
の割と好きな映像「The Way Things Go(事の次第)」
もあった。ドミノ倒しの30分間なんだけど、
20テイクした編集モノだと知ってちょっとがっかり。
ダン・グレアムの「向き合った鏡と時差を持つ
ヴィデオ・モニター」は楽しかった。
部屋に置かれた2つの鏡と5秒時差のある
ヴィデオモニターの間を歩くと、
その姿が時間差で映るという作品。
やっぱイタラクティブなアートが
好きだなぁって実感する。
開祖ナム・ジュン・パイクが無いのは
片手おちだったのでは?
☆
videoはラテン語で「私は見る」を意味する
って知って驚いた。
audioは「私は聞く」のラテン語だし。
photographはラテン語はなくて、
イギリスの天文学者ジョン・ハーシェルが
創案した「光の画」の意味なんだけど、
「写真」という訳が定着して、意味が曲がった。
そのことはまた項を改めて。