運営委員長の岡野です。
東北関東大震災の後、何かメッセージを発信すべきだと思いながら、正直なところ、会の運営委員長として発言するにはさまざまなためらい――特に被災しなかった人間が安全圏にいてきれいごとを言うだけになってしまわないかという――があって、個人のブログに記事を書いてきました。
しかし、福島原発の事故のニュースを追いながら、これから放射性物質が日本列島全体に拡散することになるかもしれず(すでにある程度は漏れてしまっている)、日本人はもはや誰も安全圏にはいられない、国民全体が危機を共有することになるという意味でいやおうなしに事実としての「連帯性」が生まれつつある、そして、これから日本が真に復興するための方向性として、やはりこれまで私たちが提唱してきた「理念とビジョン」が不可欠ではないか、と改めて考えはじめています。
そこでまず、個人のブログに書いたことを一部転載して、会のブログの読者のみなさんへのメッセージとすることにしました。
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3月11日
日本人がこれまで体験したことのない大規模地震に見舞われました。被害状況をテレビの報道で見ていて、ほんとうに心が痛みます。
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
また、まだ救助されていない方々の一刻も早い救助を強くお祈りしています。
救助に当たっておられるみなさん、ほんとうにご苦労さまです、心から感謝します。
それにしても、これから救助作業が完了しても、長くて大変な復興の過程が待っていることを思います。これは、東北地方の方々だけで解決する・できる問題ではなく、日本全体で取り組むほかない問題です。
これだけ広範囲の被害が出たことが、もう、自由競争社会では日本はもたないことをいっそうはっきりさせたのではないでしょうか。
本格的な協力社会を創り出すことなしには、災害の復興も日本経済の復興も日本社会の復興もないのではないかと思います。
微力ながら、個人としても会としても、できることを、できるだけ続けていこう、と決心を新たにしてます。
3月17日
大震災からの日々、町の様子を見たり、ニュースを見たりしながら、良くも悪くもこれが日本人の国民的力なんだなあと感じています。
政界・官僚・財界・メディアが、ともあれ挙国一致体制的に危機に取り組んでいる姿を見て、感謝とともに、日本はまだまだやれるのかもしれない、という思いもします。(一部の責任逃れ的姿勢や自分は安全圏にいてご託宣を垂れるだけの悪しき評論家的言説も見られますが。)
感動するのは、原発事故をなんとか収束させようと命がけで取り組んでおられる方々の姿、被災地で必死に救助や復興にあたっておられる方々、ボランティアに行こうとしている若者たち、なにより混乱を起こすことなく支えあいながら耐えておられる被災者の方々の姿です。かつて阪神淡路大震災の時にも見られたことが、もっと大規模に起こっているようです。今のところ、報道をみるかぎり混乱に乗じた悪質な犯罪が頻発するといった現象もないことも、温和な日本人の国民性のためかと安心しています(まだ不安は残りますが)。
私自身もそうですが、私のまわりにも、せめて自分にできることはと考え、まずは義援金からなどなど、ただちに実行している人がたくさんいます。
もし、これから、こうした個々の善意を「社会的連帯のシステム」さらには「連帯・協力の社会システム」へと結集できるリーダーが現われたら、この大きな災いと犠牲をムダにすることなく次の世代の幸福へと転じることも不可能ではないという気がします。そうなったら、そうなってのみ、亡くなられた方々も浮かばれることでしょう。それが、私たちのやるべき「弔い合戦」なのではないでしょうか。
しかし、スーパーやガソリンスタンドで見られる「買占め」現象は、日本人の悲しいミーイズムの現われです。
今回の大震災は、大変な悲劇であることは言うまでもありませんが、あえて言えば、日本人全体を、これまでどおりのミーイズムやエゴイズムの集積から社会への崩壊へと向かうか、それとも方向を転換して新しい連帯・協力社会を構築して、本当に安心・安全な国を創りなおすのか、もはやあいまいな態度でいられない、はっきりと選択を迫られる、大きな分岐点に立たせたという意味があるのではないか、と考え始めています。
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ぜひ、みなさんのご意見もお聞かせください。
<3月17日付>
日経ビジネスonlineの3月17日付記事を読んで、河合薫さんの「大震災、孤立して諦めかけた私を救った“声の力”」という記事に共感しました。その記事のさわりの一部を引用します。
・(水戸)駅前で丸井の社員の方たちに誘導されて、どんどんと人がいなくなっていった時。誰とも連絡がつかずに、今、自分がここにいることさえ、知らせらなかった時。そして、しんしんと寒さが身にしみてきた時。
何と言うかうまく言えないのだけれど、瞬間的に自分の存在を忘れそうになってしまったのである。それは今まで一度も感じたことのない感情だった。
でも、そこで「大丈夫か?」とか、「こっちへおいで」とか、声をかけてくださった人のおかげで、ハッと我に返った。しっかりしなきゃ、と、気持ちが戻ったのだ。
水戸駅のホームで「移動しよう!」と声をかけてくださったおじいさん。震源は仙台だ、と声を上げて情報を提供してくれた20代男性。「どうした?」と声をかけてくれたバスの運転手さん。そして大渋滞の中、つくばまでタクシーを走らせ、ラジオをかけながら、崩壊する街を見ながら、声を出し続けてくれた運転手さん。
そんな声をかけてもらうことで、人の声が耳に入ってくることで、孤独感から解放され、しっかりしなきゃと、何度も背中を押された。
声をかけてもらうこと。声を出す人がいること。そのことのありがたさといったら、たまらなかったのである。
人間って、自分の存在に気がついくれる他者がいて、初めて自分でいられるんじゃないのではないだろうか。神戸の市長さんが「救ってくれたのは、人、でした」と語っていたのは、人は人とのかかわりなしには、生きられない。いや、生きられないのではなくて、生きようってことを忘れてしまう存在なんじゃないだろうか、と思ったのである。
<所感>
・人は自分一人では生きていけない。他人や自然とつながってはじめて生きていられるのだ(仏教の教え=縁起の理法)を体験的に実感的に語られた素晴らしい記事でした。
<3月20日付>
引き続き、氾濫する情報から共感した有意義な記事のポイントをピックアップしてPRすることを続けます。
●日本経済新聞3月20日朝刊中外時評 「3.11」とわれら日本人 震災を共助と連帯の力に (論説副委員長 大島三緒)
・私たちの精神を激しく揺さぶっている今回の震災は、間違いなく時代の転換点になろう。この災厄ではきわめて広い範囲のさまざまな人々が、共通体験を持つことになった。「3.11」の前にはまだしばらくは、この国の間延びした豊かさと平穏は続くのだろうと漠然と考えていた私たちである。
・地震発生以来の被災体験、秩序の崩壊体験で人々は疲れ、経済の動揺と相まって気分が萎え、虚無感にとらわれてさえいる。しかしそれは戦争体験のように苛烈ではあるけれど、今ほど助け合いの思いが高まっているときはない。見知らぬ人々との心の結びつきを感じるときはない。他者の苦しみへの想像力が高まっているときはないのだ。
・現時点では被災地への受け入れは難しいが、ボランティアの申込みも殺到している。日本赤十字などに寄せられる義援金は刻々増えている。いずれもこれからの復旧と、長期的な復興に欠かせない貢献だ。今回は阪神大震災より厚く広い支援になりそうだ。
・思えば高度経済成長もバブルの時代も遠く過ぎて方向感覚を失い、関心は社会よりもそれぞれの身辺へと向かってきた日本である。ひたむきなものに対し、どこか冷笑的な気分を漂わせてきたのも否めない。
・ところが、こんどの「3.11」を機に、私たちのなかに残っていた共生のDNAがよみがえりつつあるようだ。ならば、この震災の苦難を力に変えることができる。「廃墟」の中からさらに新しい芽が萌えだす。新しい心が目覚めてくる。
・こんども、惨禍のなかから新しい心が目覚めてくるのだと願って、一人ひとりができることをはじめよう。政治は心もとない。進まぬ救援と復旧にいらだちは募る。しかし批判の専門家になるのはやめよう。再生の担い手は私たちなのだ。
・せっかくわきだしてきた共助と連帯の力をうまく生かして、次の時代を築きたい。いま東京などでは街の灯がずいぶん消えた。その暗い道を行き交う人々の心に、新しい灯がともったのだと信じたい。
<所感>
・時代精神の転換をスケッチしたこの記事に大いに共感しました。ミーイズムから脱却して、身辺から社会へ関心を向ける、共助と連帯の新しい時代精神の萌芽が現れました!この精神をを大きく育てることが、日本再生の鍵になると思います。
・この新しい社会の空気は山本七平の空気の研究に基づいて考えれば理屈よりも空気で動く日本人の行動を良い方向に転換させることになると思われます。
・心もとない政治については、批判の専門家になるのはよくないが、建設的な批判は大いに積極的にしなければいけないと思います。この国難は正しい国家的リーダーシップなしには乗り越えられないと思われますので、民主党政権の運営に対し戦時中の国民のように政府に盲従するような姿勢は取るべきではないと思います。
コメント有難うございます。
何とか持続可能な国へと方向転換―舵取りのできる若いリーダーが育ってくれることを、切に祈るほかありませんね。
もう引退―楽隠居を楽しむことはあきらめざるをえないと思っています。
ともかく「理念とビジョン」を伝える仕事を精一杯続けましょう。