持続可能な国づくりを考える会

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安藤昌益について

2012年11月26日 | 文化

安藤昌益を知っていますか?

安藤昌益は実在の人物で,江戸時代後期医師であり思想家です.彼の残した書物「自然真営道」のなかで“男女ヲ人ト為ス”,“転定ハ一体ニシテ上無ク下無ク,統ベテ互性ニシテ二別無シ”と言っています.

男女6才にして席を同じくせずとされた,男女差別の非常に激しい時代,身分差別が厳然とあった封建時代に,なんと“男女”と書いて“ひと”と読ませたのです.そして人間には上も下もなく,身分の違いはないと世間に断言したのです.“転定”は“てんち”と読み,天も地も,いわゆる天の身分をもつ人も地の身分の人も人間として何ら差はないという意味です.

日本の民主主義の原点として,今見直されています.

 “ヒト”は生物のひとつです.男女が未来に命をつなぎます.私は生物学者として,“男女”ともって人とした安藤昌益に驚きます.生物学的な視点から,男女がなければ人類に未来はないのです.さらに,空間的に離れた別個体を併せて一つのものとした安藤昌益に驚きます.これは,岡野守也先生の説かれる唯識とも深く関連するのではないかと,私は思います.

ヘーゲルは彼の著作「大論理学 有と無の統一」において,“むしろ両者が同一のものではないということ,両者は絶対に区別されるが,しかしまた分離しないものであり,不可分のものであって,各々はそのままその反対の中に消滅するものだということである”と述べています.

生命(ここではヒトと同じですが)とは,個々に識別でき決して同じではないが,同時にまた一つであって分離できないものであるということに気づいているように,私は思います.ヘーゲルは,現実には男と女つまり性による社会的な役割を固定的に捉えた,封建的な面をもっています.しかし,封建的な面にとらわれて彼を除外してしまえば,彼の人類に残した大きな遺産をも捨ててしまうことになるでしょう.

安藤昌益は,忘れられた人でしたが,現在見直されつつあります.現状は私のブログ「次世代に贈る社会」にも書いています.ご関心のある方はどうぞご覧ください.

今,争点が不明なまま日本は選挙に突入し,何が正しいのか,何が必要なのか,国民全体が路頭に迷うような時代に入りました.反原発の人は,今も官邸を取り巻くデモを毎週金曜日に継続していますが,メディアはこの頃全く報道しなくなりました.日本を地獄に引きずり込むような危険性を孕んだ,シリアの和平会議を日本で開催するという政府の方針も,何の報道もなされません.日本がテロの血に染まっても,新幹線が爆破されても,本望であり,シリアの平和のために日本を捧げ,捨て石になるというくらいの覚悟があるなら,それも一つの道かもしれません.でも,今の日本人にそれだけの覚悟があるのでしょうか.

安藤昌益を思い起こし,日本の民主主義についてもう一度思いを馳せることが必要のように思います.


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