森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

2017.4.8 市民シンポジウムを終えて

2017-04-15 08:35:42 | 人類の未来

4月8日(土)東京大学弥生講堂で開催した市民シンポジウムにお出でくださいまして有難うございました。学長になられたばかりの自然人類学者の長谷川眞理子先生のお話と、ノーベル賞理論物理学者の益川敏英先生と長谷川眞理子先生の対談、そして質疑の後、放送大学特任教授でカント哲学者の渋谷治美先生に取りまとめをしていただきました。

また最後に元シールズの奥田さん、新外交イニシャティブ(ND)の猿田さんが、飛び込みでいらして人類の次代を継ぐ若者として今日のシンポジウムの内容を受けて感想を述べてくださったことは私としてはとても嬉しかったです。

私も1、プルトニウムと原発、核兵器、2、相模原障害者殺傷事件を表面に出た一つの事例として現代の世界の流れと人間の立ち位置について趣旨説明に盛り込みました。この1と2について4月22日(土)に、それぞれ別の集会で、二つ掛け持ちで話をします。1については、猿田さんが最近プルトニウムについてのご著書を上梓されたというので、是非読んでみたいと思います。2については、私のチョウを対象とした系統学研究や生物の種、生命についての思索が、相模原障害者殺傷事件、トランプ現象、ヘイトクライムや移民排除など、個人あるいは特定の限定された集団の利益擁護という現人類の歴史的な流れそれ自体につながりました。この人類の流れをどのように転轍するか、というより生命自体がもつ本来の流れに戻すこと、これは私の生涯に与えられたテーマとして捉え、今後進展を図りたいと考えます。

ウェルカム・コンサートは初めての試みでしたが、アンケート結果では概ね好評です。声がホールに響き渡ったという感動のコメントを頂いて、お出でいただいたソプラノの岩崎京子先生もとても喜んでいます。今後どうするか伴奏も含めて考えてみたいと思います。

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4月8日市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか? 自然科学者の役割」

2017-02-06 00:05:23 | 原発・エネルギー
日本生物地理学会では、第72回年次大会の中で市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか? 自然科学者の役割」を開催いたします。
20世紀は戦争の世紀と言われました。現世紀になってもそれは終わるどころか、ますます醜く変貌しているように思います。先の相模原障害者殺傷事件、トランプ大統領の出現や世界的な右傾化、排除の論理、なぜこうなるのか?人類は今どういう位置にあるのか、その中で科学者はどういう役割を担っているのか?興味深いシンポジウムになると思います。
最初にウェルカム・コンサートを行います。
 
1.日時:2017年4月8日(土)13:00時(開場12:30)
2.場所:東京大学農学部弥生講堂(東京メトロ南北線 東大前下車歩3分)
3:内容: 
  ウェルカム・コンサート:「花」「朧月夜」「You raise me up」「はっか草」「落葉松」岩崎京子(東京芸術大学大学院修了 ソプラノ)
  趣旨説明:「人類は今どういう位置にあるのか」森中定治(日本生物地理学会会長)
  講演:「次世代に何を贈るか」長谷川眞理子(総合研究大学院大学学長)
  対談:「科学者は戦争で何をしたか」益川敏英(名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構長、ノーベル賞受賞者)、長谷川眞理子
  クロージング・アドレス:渋谷治美(放送大学埼玉学者センター長、カント哲学者)
  ポスターをごらんください
4.参加費:1500円(講演要旨集、別途500円)、懇親会4500円
5.参加申込:講演会と懇親会について、参加のご希望の方は、お名前(読み方)と年齢を森中まで。必ず受け付けた旨の返信メールと予約番号を差し上げます。250席程度の席数です。満席の場合はご返事を差し上げませんので、予めご了解ください。また、予約し予約番号を入手の後にキャンセルの場合は必ずその旨ご返事ください。

宛先:日本生物地理学会事務局 森中定治,delias@kjd.biglobe.ne.jp

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U出版・自費出版と商業出版の間 ー初めての裁判(4)

2016-12-28 14:23:59 | 原発・エネルギー

(4)控訴

判決結果は納得のいくものではありませんでした。

この裁判は残っている本について、無償で著者が受け取れるものかどうか、つまり所有権が著者にあるか、それとも制作者にあるかが争われたものです。

制作した2000冊のうち、判決では私は700冊もらったことになっていました。私と制作を担当した(株)S・Fとの覚書では、著者(甲)に100冊献本と書いてあります。そして残った本の300冊を著者に、となっています。100冊の献本というのがおかしい上に、さらに私は700冊ももらったことになっています。パブリシティー献本として(株)S・Fが取った100冊も私が取ったことになっています。

判決の通り著者に所有権はないとして、まずおかしいのは著者の得るべき収益からも倉庫代が引かれていることです。著者が所有者でなく本の購入者つまり顧客であるなら、なぜ倉庫代を顧客が支払わなければならないのか?

色々と調べてみると、著者が出資をする共同出版という出版形態があることがわかりました。この場合は、著者のとる原稿料(印税)が高くなるだけで、著者が販売促進の責任を負うことはありません。“U出版”という出版形態の特徴は、通常の共同出版ではなく、著者が本の中身はいうまでもなく、本の制作費も全額出し、さらにその本の販売にまで責任を持つという出版形態であり、確かに他にはないユニークな出版形態です。

著者が販売に責任を持つのであるから、著者が行う講演会やいろんな場でできる限り自著を売る責任が生じます。普通それは出版社がやることであって、たまにサイン会などはありますが、著者が販売促進を義務付けられるというのは聞いたことがありません。その場合に販売の時に自著をその場に置く必要があります。その段になると著者は共同販売促進者ではなく書籍購入者(顧客)に変わります。書店を通さないので書店の利益を差し引いた定価の80%、いわゆる著者割りで著者が買って、それを著者が売るのです。ある時は共同推進者、またある時は自著の購入者(顧客)になります。

著者が著者割りで自著を買うのは普通です。しかし、その場合は全ての制作費を出版社が出し、書籍が出版社のものである場合です。制作費を全額出させ、さらに著者のお金で作ったその書籍を販売のために著者に買わせ、覚書の期限が来れば、その後は制作者の所有物として他社に売り渡す。どう考えてもまともではないと思います。

出版さえできればいいと考える人、出版さえできれば文句を言わない人を対象としたビジネスです。

著者は制作費全額を出資し、販売促進の義務まで背負いながら、最後は単なる顧客だったというこの出版形態・・、私はこの日本社会に許されるものではないと思います。

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U出版・自費出版と商業出版の間 ー初めての裁判(3)

2016-10-04 11:07:14 | 原発・エネルギー

(3)裁判に臨む

私の知り合いに、ロシア文学者の長瀬隆さんという方がいます。彼の奥様が“熔融塩炉”研究の日本の草分けであった古川和男先生と幼馴染でとても親しかった。それで長瀬さんは古川先生と知り合いになりました。私は、古川先生から直接熔融塩炉を教えていただいた関係で、いろんな場所で顔を合わせた長瀬さんとご縁になりました。彼もまたこのA氏のU出版で“熔融塩炉”に関係する本を出しました。そして、長瀬さんもA氏との間に私と同じトラブルを抱えました。私は裁判などやったことがなく、漠然とですがその費用とか時間の無駄とか、それらを考えると裁判を起こすまでの気持ちにはなれず、このことは一つの人生勉強だったと既に諦めていたのです。しかし長瀬さんは裁判を起こすと決断しました。長瀬さんからの誘いがあり、私はこれも社会経験と考えました。そして、その裁判に加わりました。生まれて初めての裁判です。

すでに2回公判がありました。その中で私が理解したことは以下の通りです。

1.      出版の形態は2種類しかない。自費出版と商業出版である。

2.      自費出版は制作費一切合切を委託者(著者)が出す。ゆえに書籍の全所有権を委託者が持つ。つまり記念品を、お金を支払って業者に作らせるようなものです。

3.      商業出版は、本の制作に関わる一切の費用を出版社が持つ。ゆえに書籍の所有権の一切は出版社が持つ。著者には出版社が一方的に決めたいわゆる印税(一般には印刷部数x定価の10%以下)が支払われるのみ。

そして、著者と出版社あるいは制作者の契約(覚書)に、“自費出版”との言葉がなければ、すべて商業出版と考えるのが、出版に関する商法上の通念であるとのことでした。いくらお金を出していても、口でどのような話があってもそれは関係しないとのことでした。

A氏の話では、この業界で著者と出版社あるいは制作者で正式な契約書を交わすことはないとのことであり、スタート時にあくまで仮で結んだ覚書(A氏は覚書作成の時点では、私の要望に沿って出版迄には正式な契約書を結ぶと言っていました)がそのまま残りました。改めてそれを見直してみると、無論自費出版などという言葉はありません。元々その積りではないので当たり前です。著者(甲)に100冊献本するという文言があります。これが、所有者がA氏であることの決め手になるのでしょう。所有者がA氏であるが故に、著者に献本つまり差し上げるとなるのです。著者が所有者であれば、自分自身に差し上げるというのはおかしいですね、というわけです。私はこの本を書いた時、いろんな人に差し上げたいと思いました。それが著者の立場での販売促進です。実際に私からもらって読んだ方が新聞に書評を書いてくれました。また“マジのつくエネルギー本”という書評ランキングで1位にもなりました。この時に、A氏も「私も出版関係で販売促進に使うので、著者と同じ部数をもらうよ」と言ってA氏個人が本を取りました。それは覚書ではパブリシティー献本という言葉になっており、A氏(乙)が献本を受けるとは書かれていませんでした。

しかし、両者は同じことをしたのです。お金や食べ物のならいざ知らず、著者が自著を100冊もらって自宅に抱えこんでも何の意味もありません。私は私の立場でいろんな学識者に差し上げて、それらの人が書評を書いてくださったり話題にしてくださって、それがこの本を世に知らしめ販売につながるのです。A氏が出版関係に配って販売につなげるのも同じです。両者が協力して販売促進をすることがこの覚書の基本であり、著者(森中)も制作者(A氏)も販売促進用の道具として同数を取ったというのが覚書の正しい理解だと思います。裁判の結審において、覚書にある“著者への献本”という文言をもって所有権が制作者にあるという判断がなされた場合は、それは真実を見ていないと私には思われます。

覚書のこの記述を今あらためて見て、私ははたと思い当たりました。この覚書を作った時に、既にこういうトラブルが生じることをA氏は見越していたことに気づきました。だから私だけが本をもらったことになっているんだ・・

本の所有者は誰かで争ったこの裁判も、次回2016年10月24日で結審です。制作費全額を出したのは著者であるにもかかわらず、本の所有者はA氏自身であり、覚書の期間が過ぎた以降は所有者が売っ払おうと裁断して廃棄しようと好きにできるというわけです。著者が欲しいと言えば、定価の8掛けで買ってください。今度は、本の制作費全額を出した著者に売りつけるのです。実際、今までに百冊以上私は買いました。これは制作者にとっては出版のリスクを何も取らないで本の所有者になり利益だけ取る素晴らしいビジネスです。本が売れれば利益はどんどん入ります。契約解除の後は、他人のお金で作った本を自分のものとして売ることができます。最近知り合った出版会社はもっと安くできると、50万でも可能だと言います。つまり私が最初に渡した制作費100万円には(株)S・Fの利益が既に入っていたと思われます。今思えば、3:2の比率どころか4:1でもおかしくありません。実際、長瀬さんは4:1の利益配分の比率でした。その上、なんと私の取り分から倉庫代まで差し引いたのです。

おそらく出版の慣行から言えば、我々は敗訴するでしょう。著作の所有者は制作者であって著者ではない。しかし・・、とここで私は思います。では、あの出版形態、A氏の説明を受けてとても魅力的に見えた、あの自費出版でもない商業出版でもないU出版とは何なのか?! 

私は、これが人間社会におけるまさに弱者を標的と定めた行為の一つではないのかと思います。A氏は人を見て対応を変えるでしょう。社会的な強者、例えば大学の教授や著名人であれば誠実な対応をするのでしょう。著者に喜ばれようと言いなりになるかも知れません。そして私のようなリタイアして年金暮らしの無名の人間が出版を願った時のみ標的にするのでしょう。A氏が「これは是非自社で出したい」と熱望したのは、こういうことだったのかと今ではわかります。先に書いたように私自身は実際諦めていて、長瀬さんが裁判に訴えなければ泣き寝入りになっていました。有力者に守られながら・・相手によって豹変する。弱者を標的と定めることが苦にならない人であれば、他に思い当たらないくらい美味しいビジネスと私の目には映ります。私と同様の被害者が今後も続く可能性が十分あります。それで、このブログを書きました。判決を見てみたいと思います。

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U出版・自費出版と商業出版の間 ー初めての裁判(2)

2016-10-02 07:39:36 | 原発・エネルギー

(2)雰囲気が変わる

私は、この出版形態であれば自著に対する権利は自分に強いと思いました。A氏はもの静かで腰が低く著者を立ててくれますから、これはかなりコントールできるような気になりました。一般には総ての資金的なリスクを負うがゆえに全所有権を持つ出版社が、本のタイトルをつける権利を持つと聞いていましたが、「プルトニウム消滅!」というタイトルは私がつけました。A氏は別の案を出しましたが折れ、このことからも私に権利が強いのだという認識を深めました。また、利益も6:4つまり総売上の50%の利益のうち、30%を著者の私が、20%を(株)S・Fが取るということになりました。制作費全額を著者が出したことを思うと利益折半では心情的に納得できないと、心持ちでも差をつけて欲しいと私から申し出たのです。

この辺りから何か、A氏の雰囲気が変わったように思います。

「30/20でいいですよ。その代わり今後発生する費用や労力も著者がみてください」

本の作成には、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、東京新聞、日経新聞から新聞記事を引用し写真を借り、合計で相当の金額になりました。それも全部私が持ちました。前述のK先生に序文をお願いしました。まず熟読するので本のコピーを一部送ってください。自宅のパソコン用の小型プリンターで本1冊分全部刷りました。こんなこと著者がやることかと、制作者が業務用のプリンターで刷って送ってくれれば・・と思いました。

古くから懇意で廉価でやってくれる印刷会社を知っていたので、自著であることだしそこを使ってもらいたいと思いました。A氏にそれを話すと「いいですよ。ただし自分も長年やって安いところを知っているので双方から見積もりを出してもらって比べましょう」。A氏に会って話を聴いた私の知り合いの印刷会社が私に、A氏は印刷を私のところにさせる積りは全くない。ちょっと何かおかしく思うので気をつけた方がよいと忠告してくれました。

それから大変なことが起こりました。

ある日の朝、A氏から私の自宅に電話がありました。

「結論から先に言います。流通をお願いしていた出版社から、合意済みで契約の段階まで来ているのにいきなり断られました。これは商法上の信義に反するので、抗議と契約締結の再折衝を行います。一緒に来てください」

書籍を流通に乗せるには東西2か所の卸を通さねばなりません。A氏は卸へのルートを持たないので、それが可能な出版社に本の流通を委託するのです。その会社は卸に対してとても有力な出版社で、そこと契約にこぎつけたはずだったのです。その会社の契約には連帯保証人が2名必要であり、1名はA氏の兄が引き受けたけれども、もう1名がいない。A氏は私にそれを引き受けるよう言いました。私は、連帯保証人になることは非常に危険だと聞いていたのでとても嫌でした。「自分の本ですよ」「貴方の本を流通に乗せるための我々の共同作業なんですよ」と言われ、こんな場合は止むを得ないのかと思いました。

A氏の要望で、その出版会社の専務との折衝に同行しました。結局不調、喧嘩別れになりました。A氏が血相を変えて食ってかかったのを目の当たりにしました。なんでこうなるの・・?! いずれにせよ滅多にない一つの社会経験をしたと思いました。その専務は、少なくとも私の見るところ真っ当そうな人でした。名刺をいただいたので、後日電話して直接彼に会いに行きました。

「著者の貴方が、こんな保証人になるものではないですよ」。私の本も含まれるけれども、その出版社と(株)S・Fの契約書です。よく考えると、今後その出版社と(株)S・Fとの間で金銭的トラブルが生じた場合、自著とは係わりなく私が全く知らないこと総てを含めて私が保証する契約でした。私にとっては恐ろしい契約でした。

なぜその専務がこの話を断ったのか。

A氏と接してみて、この人とは仕事をやりたくないと思った。理由はそれだけでした。

流通は小石川の(株)S・Fの近くにあるT社が引き受けてくれました。T社は重要な社会問題に関する書籍も含めて、真面目な様々の書籍を出版しており、T社社長に会って私は大変好感を持ちました。

既に半額の50万円をA氏に支払い、覚書を結んで制作を始めていたので止める事は考えませんでした。現状をよく踏まえ私が窮地に陥らないようにどれだけやれるか、それが私に課せられた社会勉強だと考えました。

本ができればA氏に入ります。利益はT社からA氏に流れます。A氏から私にその3/5が来るわけです。そうするとA氏が例えば販売促進用の資金だとか、増刷用の資金だとか、あれこれ理由をつけて私に送金しなければいいんです。いくら自分の取るべき正当なお金だって暴力で奪いに行くことはできません。A氏が私に約束の分を支払わない場合は、結局私は泣き寝入りになります。これでは負けだと思いました。私が残りの50万円を支払う前に、利益はT社で著者と(株)S・Fに分割し、T社からそれぞれに直接送金するよう交渉しました。T社はA氏さえ合意すればそれは問題ないとのことでした。私に渡す分である以上、どちらからもらおうと違いはないはずだ。そうしなければ私は残りの資金を支払わないと言ったら、A氏は渋々承知しました。これで私の取り分はA氏を通すことなく、T社から私への直送となりました。まず一勝です。

そして数年が過ぎ、“熔融塩炉”は社会の脚光を浴びることもなく、とりたてて大きな話題にもならず、私の本も売り上げは伸び止まってしまいました。私としては、自分の生き様を描いた大事な本です。本が売れても売れなくても手元に置きたいし自分の考えを分かってもらう一つの手段として有用です。A氏が覚書を解除するのなら残部は返してもらいたいと思いました。

ところが、A氏は著者に一言の相談もなく、相談どころか知らせることもなく残部を売り払ってそのお金を自分の懐に入れていたのです。それは、裁判に訴えての事実経過についての論述の中で、言葉が二転三転しながらA氏の口からそれが出ました。

”エエッー!!

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U出版・自費出版と商業出版の間 ー初めての裁判(1)

2016-09-30 07:28:17 | 社会問題

(1)次世代に贈る

今まで共著で何冊かの本を出してはいました。しかし「この章を書いてください」という依頼ばかりで、自ら単著を出したことはありませんでした。

長い人生を歩んできて、もともと好奇心の強い性格でしたので、人間、あるいは人間社会について自分なりにいろいろと知りました。残された自分の生命はせいぜいあと10年か15年、自分が理解したこと、身に付けたことを、お世話になった人類社会に残したい、次世代に贈りたいと思いました。

プルトニウムを、塵・埃のような微粉にして東京の空に撒けば日本経済は壊滅し、事実上日本は滅びます。これは汚い爆弾“Dirty Bomb”と呼ばれて以前から知られ、米国政府のHPにも出ています(Figure 3. 放射性微粒子の無人航空機散布)。わざわざハイテクの核ミサイルなどにする必要はないんです。私はもともと反原発ですが、感情的な反対論者ではなく、ウラン235の3万倍もの強さと2万年以上の半減期を持つプルトニウムはこの世にあってはならないと考えていました。

プルトニウムをこの世から消すことが真にできる“熔融塩炉”と言う原子炉があることを知りました。福島の原発事故によって日本の軽水炉原発に対する社会的な指弾を目の当たりにしている時でしたから、社会に殆ど知られていないこの“熔融塩炉”を紹介することは人類の現在の状態にとって相応の意味があるのではないかと考えました。それをまずトピック的な話題として前半とし、自分自身が学んできたこと、理解したこと、経済学、公共哲学、生物学が総合されたいわば私の生き様・・、それを後半としたそんなに内容になりました。書いて何人かの方に読んでもらうと特に女性から「大変読み易い」、「一晩で読んだ」などとのご返事をいただき、これは書いた価値があったと思いました。

で、もちろんこれを書籍にしたいと思いました。しかし、今まで出版社から書いてくれと頼まれたこともなく、これと言って強いコネもありませんでした。私が深い関心を持ち参加していた公共哲学の講演会を主催していたK先生(ETVマイケル・サンデル白熱教室の解説で著名)に相談しました。K先生には、一度非公式な討議の場でその内容を聴いていただいていました。その公共哲学の講演会の受付をしていたAさんは、過去出版社に勤めていたため出版界に強いコネを持っていて、適切な出版社を紹介してくれたりつないでくれるという情報をくださいました。K先生も彼の仲介で出版された本があったようです。

で私の原稿をA氏に見せると、もちろん他社につなぐこともできるけれども、これは自分のところで是非出版させてくれないかと強く要望されました。私は内心相応の名のある出版社につないでくれたら嬉しいと思いました。けれど、まずは本を世に出したかったので、手っ取り早いその申し出を有難いと思ったことを覚えています。

彼は株式会社S・Fという書籍制作の会社を経営していて、U出版という新しい出版形態を取っているとのことでした。

この本の出版にあたって、A氏から著者である私に本の制作費100万円を支払って欲しいと言われました。50万と言いよどんで100万と言い換えたことを記憶しています。

「えっ、私が制作費を出すんですか? じゃあなに! 自費出版なんですか」

「いいえ違います。無論、通常出版社が行う商業出版でもありません。著者と制作者が一つのユニット(単位)となる全く新しい素晴らしい出版形態なんです!」

「どういうことですか?」

「著者に制作費をご負担いただきます。私がその資金で本を作り上げ、書店に並ぶところまで持ち込みます。その時点まで私は利益を一切いただきません」

「まだよく分かりません」

「制作費は著者が負担する。私が制作し流通に乗せる。流通に大体売り上げの50%を支払います。残り50%が利益なんです。この利益を著者と私で分割します。こういう出版形態なんです。ですから、私が利益を得るためにはどうしても本が売れねばなりません。著者と制作者が一丸となって本を売ろうという素晴らしい出版形態なんです。商業出版ではすべての経費を出版社が出します。つまり全てのリスクを出版社が負います。著者は販売のリスクを負わない代わりに本の体裁やタイトルなど決める権利も出版に関わる何の権利もなく、出版社が決めた僅かの印税が行くだけです。U出版の場合は、売上高の50%の利益を双方の合意で分割します。私としては双方が対等に販売に努めるという趣旨から、利益は折半、50%/50%を提案します」

この説明を聴いて、内心これは何が起こるかわからないと不安を感じました。しかし、本の制作費を私が出すのであれば、その本に対する私の権利が強くなるのは当然であり、権利関係を契約書に明記しておけば、この本のコントロールは私ができると思いました。今後何冊も何冊もビジネスのように本を書くつもりはないし、後に続く人類に私の得たものを残したいという気持ちの著作ですから、自分で自著をコントロールしたいと思ったのです。自費出版は、言わば記念品を作るようなもので、もし本が売れてもその利益は全部著者のものですから、基本的に出版社は販売の努力はしてくれません。U出版の場合は、業界に詳しいA氏が販売に注力してくれ、しかも本が売れれば商業出版のような10%以下の印税ではなく利益は大きいのですから、考えてみれば著者にとっても好都合なアイディアだと思われました。

でもそうはなりませんでした。

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KAZUYAさんのYouTube

2016-08-11 18:19:29 | 国際政治・外交

私はここ10年くらいスウェーデン社会に強い関心を持ってきました。「持続可能な国づくりを考える会」というスウェーデン社会に関心を持つ人が集まる集いに参加し、近代スウェーデンの礎を造ったスウェーデン社会民主党の綱領を読みました。現在もスウェーデン社会研究所の会員で、スウェーデン大使館で毎月行われる講演会には参加しています。なぜ興味を持ったかというと、自分自身が得た収入の50%以上を税金として納める社会で、それを市民が納得している社会だからです。個人の得た半分以上のお金が見ず知らずの他人のために使われる。どういう風にそんな社会が作られたのか、実際にそこに住む人はどんな人間なのかと強い関心を持ったからです。

次に、これは最近ですが「コスタリカに学ぶ会」という会に所属しました。これも月に1、2度関心のある人が集まっていろんな議論をしています。なぜ関心を持ったかというとコスタリカは軍隊を廃止した国だからです。日本のように四面が海に囲まれた国ではなく、ジャングルで他国とつながっています。過去には実際に他国が武器を持って侵入してきたようです。内乱で負けた方が隣国に逃げ込み、隣国の助太刀を得て自国へ攻め戻ったこともあったようです。そんな地理的環境の中で軍隊を廃止したことに驚いたからです。軍隊は実際には人を殺し、我々人類が今後もずっと生存していく土台つまり自然環境を破壊します。何のためにそれをするのか?軍隊賛成論者は、それは“正義のためだ”と言います。日本の場合は軍隊ではありません。“自衛隊”です。つまり他国が武器を持って侵入してきた時、そこの人間と自然環境を守ることが仕事です。災害などの場合も大きな力を発揮して頑張ってくれます。

このコスタリカに学ぶ会でKAZUYAさんのYouTubeが話題になりました。「KAZUYA Channel」というシリーズで2012年から続いていてなんと36万人が登録し1億人以上が観ているそうです。話題になったのは、『女子中学生を洗脳していた9条の会と話してきました』というテーマのYouTubeです。

この中でコスタリカのことがでてきました。

コスタリカは常備軍は持っていないけれど、有事の際には徴兵制と軍隊の編成権が大統領に与えられる。徴兵制って、彼ら(9条の会の人のこと)が発狂しそうな内容だけど、そんな国を褒め称えているんですよという内容です。KAZUYAさんが何を主張しているのかわかりませんでした。

コスタリカは隣国とジャングルで地続きです。もし武器を持って侵略してきたら、それは防がねばなりません。自身の家に泥棒が入ってきた。警察に連絡するのがまず一番です。警官が来るまでの間、もしその泥棒が子供や家人を傷つけようとしたら、棒やバット、手元にあるもので防がねばなりません。徴兵制にするか、志願制にするか、警察で対応するか、それとも相手の様子を見て説得に入るとか、緊急対応としていろんな方法があるでしょう。徴兵制はあくまで一つの選択肢で、緊急時においてはコスタリカはそれを選んだというだけのことです。一体何が発狂する内容なのでしょうか。

他国の人間も、豊かな感情、喜怒哀楽を持つ我々日本人と同じ人間です。楽しいときは笑うし、平和を望むし、幸せになりたいし、身内を理不尽に殺せば恨みを買うでしょう。武器を持って攻めてくるのは攻めてくるだけの理由があります。理由はなく人殺しと環境破壊が大好き、それ自体を心から望む、それ自体が目的という“悪魔”はいません。それが絶対前提であることがわかれば、なぜ攻めてきたのか、その理由を問いただすことができます。ただし勇気がいります。遠くから敵が撃ってきた。なら2倍にして撃ち返せ。なぜ撃ってきたのか、そんなことは知らない。撃たれればもっと強烈に撃ち返せばいいんだ!これでは少なくとも“将”の器ではありません。なぜ攻めてきたのか、なぜ撃ってきたのか、そちらの“将”と会いたい。差しで話がしたいと言って武器を持たずに敵将に会いに行くのです。戦闘をやめるまで“将”と“将”が差しで飲み明かすあるいは語り明かしたらどうでしょうか。

ものすごい武器で、殺し合いでことを決めようとした。その結果日本はどうなりましたか?何百万、何千万の屍をもって日本人はそれを悟ったのではありませんか。

この悟りの具象が、コスタリカのこの常備軍廃止の真髄です。こうして極端な小国でありながら、武器なしで米国と堂々と対等に渡り合います。将”の器です。米国が基地を置かせろと言ってきた。御免こうむると言って断った。もちろん米国を納得させ得る堂々たる論拠があります。それで米国が怒って武器を持って攻めてきたなんてことはありません。

さらになかなか気づかない点は、武器に使うお金を人を成長させる教育や医療など、住民の実際の幸福のために使えることです。お金を人を殺すために使うか、人を生かすために使うか、端的に言えばこういう言い方になるでしょう。家族が食べることも病気の治療も控え、子供の教育も控えて、泥棒への対処のために高価なスタンガンばかり買い揃えるようなものです。泥棒への対処の前に、家族が空腹や病気で死んでしまいます。

KAZUYAさん、こんな小国でも堂々としているんですよ。我々も武器ではなくて神様から人だけが授かったこの大きな頭、この頭脳を活用しませんか。

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仕事をしながら趣味の研究で学位をとる

2016-06-28 07:38:13 | 声楽

 私は1972年に農学部を卒業し、学士として民間企業に就職しました。人間社会の様々な問題に深い関心のあった私は、経済学や哲学、あるいは環境問題といった人間の起こす現象の概要を知りたいと思い、1994年44歳の時に企業で仕事を続けながらも1年間の在籍が許される選科履修生として放送大学に入学しました。以後選科履修生を繰り返し大学に在籍し続けます。

 暫くして就職先が農業関連部門を売却し、それに伴って農業関連部門から医薬学術部門に異動になり、仕事もガン免疫担当に変わりました。ガン免疫は分子生物学そのものでした。趣味のチョウの研究を通して生物学には係わっていましたが、分子生物学は全くの未知でDNA、ゲノム、遺伝子、染色体の区別もできませんでした。新しい職場の上司は関連の本を読めというだけです。これでは仕事を続けることができず早晩辞めねばならなくなると思い、必死で策を考えた結果、学ぶ時間が自由な放送大学で分子生物学の基礎から理解することを思いつきました。

 これで仕事の継続が可能となり、職場で恥ずかしい思いをすることがなくなりました。さらに当時の副学長の趣味がなんと“チョウの研究”でした。それでガン免疫に関わる医師との対応をスムーズに進めるための分子生物学の知識だけでなく、チョウの身体からDNAを取り出したり、増幅したり、解読までできるようになりました。

 それで趣味のチョウの研究が、新種や新生息地の発見、分類学、生態学などだけではなく分子データを用いた分子系統研究ができるようになり、東京大学の若い人たちと共同研究をするようになりました。暫くして名古屋支店の学術室に異動になり、古巣の母校に挨拶に行くと、まさに母校でも分子を用いた研究が真っ盛りであり、教授から「君も分子を扱えるなら東大の仲間もいいが、こちらも一緒に共同研究をしたらどうかね」とのお話しをいただき、とても嬉しく思ったものです。ただ平日は仕事があるので、平日の夜か休日を利用した研究にならざるをえず、とても忙しかったのですが、好きなことができて日々とても充実していたことを思い出します。自宅でならなかなかこうは行かなかったでしょうが、単身赴任であり家族と離れて暮らしていたことが幸いしました。当時所属した放送大学愛知学習センターや、母校の教室との共著で書いたチョウの系統学の論文が、2002年分子系統研究では世界的な雑誌(Molecular phylogenetic & evolution)に掲載され、この論文を中心に今までの全研究をまとめました。そしてそれを名古屋大学に博士論文として提出しました。それから約1年かかって数回の審査を終え、外部からは日高敏隆先生においでいただき、厳しい口頭試問を経て2003年母校から博士の学位を頂きました。

 一般に企業に勤める人が博士になるのは、企業の研究所に勤めていて必要な研究が生じて大学に派遣される場合だけだと思います。民間企業に勤め生活の糧を稼ぎながらも、仕事とは関わりなく企業の助力も得ず趣味で博士号を取得することは稀のように思います。なぜ、どのような経緯か?思い起こしてみると、完全に無知の分子生物学が自分自身の仕事に必須になり、その時まだ私は若くて私より若い周囲の人が皆こなしている学術の仕事ができず営業や専門知識の不要な他の部門へ移ることが心理的にできず、それができなければ辞めざるをえないという気持ちに追い込まれたところから始まって、名古屋に異動になり家族と離れ自由時間を思い切って使うことができ、分子系統学上の発見があって論文が国際雑誌に掲載になり、広い心で私を受け止めてくださる母校がそこにあった・・・。結局これは、私の人生の総合論ということかと、感慨と共に人間に対して天に対して感謝の気持ちを禁じえないこの頃です。

  最近声楽(テノール)をやっています。コンクールで3度入賞しました。クリックをお願いします。

    

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4月16日(土)市民シンポジウム

2016-02-19 09:08:58 | 国際政治・外交

来る4月16日(土)13:00—から東京大学弥生講堂一条ホール(メトロ南北線 東大前駅下車 歩3分)において,市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか? 隣人とどう付き合うか,生命との関わりのなかで」を開催いたします.

昨年までの市民シンポジウムは立教大学のタッカーホールでしたが,今年は東大農学部に場所が変わりました.ご注意ください. 

ポスター 

20世紀は戦争の世紀と言われました.昨今の空爆,難民,テロ,戦争・・の世界情勢をみるとこのままでは20世紀と何も変わらないのではないかとさえ思えます.21世紀を人類が戦争から脱却した新しい世紀とするために,身近な隣人との問題を事例として戦争を避けるためにはどう対処をして行けばよいかを考えます.

表題の隣人とは「中国」を指し,最も身近な尖閣諸島の問題を事例として考えます.

会場においで下さったみなさまも含め,皆がよく考えてみる切っ掛けとなり,充実しまたリラックスしたシンポジウムにしたいと思います.なお昨年は夕刻6時までの長丁場となりましたが,今年はもう少し早めに終わる予定です. 

趣旨説明

森中定治(日本生物地理学会会長,綾瀬川を愛する会副代表)

講演者

伊勢崎賢治(東京外国語大学教授)

大西 広(慶応大学教授) 

論評者

伊勢弘志(明治大学助教)

内 弘志(敬天愛人フォーラム21代表世話役)

奥田愛基(SEALDs,明治学院大学)

田中美津(文筆家)

クロージングアドレス

香山リカ(精神科医,立教大学教授) 

参加ご希望の方は以下のアドレス(ポスターのアドレスも同じ)にご連絡を頂きますようお願いいたします.

delias@kjd.biglobe.ne.jp  

農学部内の向ヶ丘ファカルティハウス内”アブルボア”で開催の懇親会(4000円)についても,併せてご連絡をお願いいたします.

クリックお願いします.

    

 

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テロへの処方箋・・合唱劇「再生の大地」がもつ意味

2016-01-23 12:12:47 | 人類の未来

もし日本でテロが起きたら・・

新幹線が爆破転覆,通勤時の新宿駅が爆破され何百人,何千人の死者・重傷者が出た.自分の奥さんが殺された,子どもが死んだとなったら,軍備を増強しろ!朝鮮,中国をやっつけろ!となりかねません.これを止めるためは,憎しみを憎しみで返さないことが人間に要求されるのです.人間はその能力を持っているけれども,それは並大抵のことではないでしょう.

昨年末にフランスで,ISのテロで奥さんを殺されたレリスさんがISに対し「君達に憎しみの贈り物をあげない」と言いました.憎しみを憎しみで返さないという意思表示です.フィリピンのキリノ大統領も日本軍に対して同じことをしました.NHK(BS1)を観て涙しました.「憎しみとゆるし マニラ市街戦その後」,素晴らしい番組でした.中国では“恨みに報いるに徳を以てす”と言い,日本では“罪を憎んで人を憎まず”といいます.

 平頂山でゲリラを通過させた腹いせに,村人を皆殺しにした日本軍が終戦時ソ連軍に捕まり,シベリアに抑留されます.シベリア抑留が終わり,捕虜の日本兵の祖国への帰還が次々と許されます.しかし彼等だけは,さらに中国の撫順戦犯管理所に送られます.中国人を皆殺しにしたことをソ連は知らないが中国は知っているんだ!だから刑期を終えてもさらに中国に送られるんだ!と怖れおののきます.

撫順戦犯管理所で何が起こったのか.

人間は人間を平気で殺すけれども,その逆もします. “人間の本当” を目の当りにします.テロの連鎖を断ち切るには,これしかないと私は思います.

こんな悲しいことを起こさないように,想像し予想して日頃から恒常的に心がけ友愛を深めていくことが99%だと思います.しかし,起こってしまってから更なる連鎖を止めるためにはこれしかないと思います.

まさに憎しみの連鎖を断ち切った実話です.テロへの処方箋です.合唱劇「再生の大地」,ご都合のよい人は是非観てください.

http://www.bujun-no-asagao.org/20160207concert.html

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