ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

越後屋衣料品店が始まりだった

2012年02月06日 15時02分48秒 | ペタンク爺さんの一日
私の職歴のスタートは、20歳なったばかりに自宅の一部を使って衣料品店を開業した時に始まる、その2年前高卒後南小樽の繊維問屋の丁稚で入り二年もしないで倒産してしまった、修行途中で実家に帰ってきていた、実家に出入りしていた衣料品を背負って個人の家々をあるいていた、商人に商売の手ほどきなども伝授してもらっていた。
昭和30年前後は糸偏景気で、衣料品さえ仕入れてくれば面白いほど売れる時代だった、最初の仕入れ先は大阪のセリ場がスタートとなった、問屋を通らない衣料品が持ち込まれ現金勝負で売買されていたので、特別良い品は別として殆ど安く買うことが出来た。
それを北海道の場末の町の個人商店で、現金売りを看板に衣料品の安売りから始まっていた、まだ物さえあれば売れる時代で、面白い商売が出来ていた。
それが、4年ほどして女房を持つことになる、その衣料品店は5年過ぎたあたりで倒産する憂き目にあう、事業自得と今でも苦い思い出として記憶に残っている。

そんなこともあって、片田舎から札幌に出てくることになる、親父の七転び八起きを見てきているので、簡単にくじけることは無かったが、札幌の円山地区に拠点が移り、次男がこの地で生まれ高校卒業頃まで円山が故郷となって行った。
円山時代は、女房に釣具店を任せタクシードライバーとして、つばめ自動車に籍を置いていた、充実した青年、壮年期を過ごしたと思っている。

今は、自分だけの始末だけが残り女房と同じ終の棲家で時を刻んでいる。
ネット環境にいて、新しい情報が連日のように目に入ってくる、テレビのカンブリア宮殿を良く見ているが、村上龍編集長のセイコーマート赤尾昭彦の、商魂を垣間見た素晴らしい信念で企業のトップについている姿は、道産子ナンバーワンと思った。
昼飯にかつ丼500円を買ってきたが、一度に食べきれず半分夕食に残す。
今日のダンスサークルは、会場が変わった、兎に角行政の箱モノは立派だ。

橇滑りの動画撮りに使う、カメラセット具自分から見える風景は撮れていたが、自分が写らないので考えた末に、協力者の頭にカメラをセットし、直ぐ後を私がついてゆけば迫力一杯の動画撮りが出来ると確信し、今日ヘルメットに細工する、仮末代と思うが。

かつ丼500円
前方撮影
後方撮影