ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

つきさっぷのシンボル的存在

2012年02月08日 14時54分51秒 | ペタンク爺さんの一日
雪景色の中に佇む石造りのサイロ、今も使われているのかどうか定かではないが、月寒の東2条通りを東に向かってゆくと、住宅が続いていたところから突然視界が開けてくる、一番先に目に飛び込んでくる風景は、北海道の代表的な木にもなっているポプラ並木が青空の下何処までも続くような風景に出くわす、夏はデントコーン畑が遠くまで続いていて、農業専門学校そのものの舞台になっている、道路の反対側にはこの学校のシンボル的存在の石造りの古いサイロが2本立っている、夏に収穫したデントコーンがいっぱい詰まっているのかと想像している、近くにヤマダ電機があり駐車場の裏側から出てくると、サイロの横に出てくる、空は青空、あまりの美しさに校内に立ち寄り雪の中のサイロと云うお題で写真を撮る。

私が誕生した1934年に、この学校も誕生していた、矢張り昭和9年に財団法人・八紘学院として始まっている、同じ年で簡単に78年も経過しているのが判る、戦前戦後を通り抜け昭和51年に現在の名称の学校法人・八紘学園・北海道農協専門学校になっている。

友人で、私の先輩もこの学校の卒業生だった、地方の町で活躍していた、今はいない。
道産子になりきっていた、しばし考えさせられ、オールドブラックジョーの心境になる。

お昼前、北沢ダンス教室に行ってくる、足かけ三ヶ月にもなるので通ってきている他の生徒さんたちとも顔なじみになり挨拶を交わす人も出来てきた。
ようやく、教室にも慣れ落ち着いて勉強が出来るようになった。
ただ、この教室ではブルース、ジルバ、マンボの初歩をいまだに続けている、そろそろ次の種目が出てくるかと楽しみにしているが、新しいことを詰め込むと今まで習っていたものが飛び出ていくのではないかと心配しきり。
雪景色とサイロ