ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

痴呆症とは行かないまでも

2012年02月14日 15時30分50秒 | 橇爺(そりじい)モード
数日前から、藻岩山第3ルートのコース整備を予定していて、一度はビバホームで鎌を買い持って行ったが、使う前に雪の中で落としてしまい一度も使うこともなかった、お蔭で今日までコース整備は出来ないでいたが、同じものを買うのもしゃくなので少し大きいが自宅にあるものを持参していった。
この日は、この他に郵便局へ寄ったりスパーの中にあるボストンベークで食パン1本を買ったり、序でに昼飯の加工パンを買ったりし、余裕をもってロープウエー乗り場の駐車場に到着した、11時が最初のロープウエーで、雪まつりが終わっていたので客足もまばらだった、車から降りる段になって気が付いたことがあった、ロープウエー乗車のパスポートを持ってくるのを忘れていることに、現地に到着してから判る。

忘れ物は、それだけでなかった橇滑走用のゴム手袋も忘れてきていることに気が付く・・・・もう痴呆症の前兆かと思ってしまう。
取りあえず自宅に引き替えし忘れ物を取ってくる、それにしても11時出発の予定が30分遅れの11時30分には乗れたので、さほど時間のロスは無かったが、兎に角何処かに出かけるときは充分に忘れ物のチェックをしているはずが、と思うと結局何もしていないで出かけているのが分かって来て、自分ながら可笑しくなる。

朝から暖かく、コース整備が完璧に出来、着込んではいたが汗をかいてしまった、途中からは一気に下りてきて、再度試走テストに上がろうと思ったら、滑走面のビニールが三か所ほど小さな傷があることに気が付く、此れでは試走テストは出来ないと、日を改めてやることにして帰ってくる。(ノンストップコース出来上がる)

週末の19日に、道央園交流ペタンク大会があり私もチームの一員として参加しているので皆さんに迷惑を掛けない程度にしなければならないと、雪中での特訓をする。
16日にも定期練習日になっているので、この辺で仕上げようと思っている。

雪中特訓
雪中特訓02


札幌リフレ

2012年02月13日 15時13分30秒 | ペタンク爺さんの一日
先週と今週の2回白石区にある札幌リフレに通っていた、毎月曜日に開かれているダンスサクールの臨時開催場所になっていた、立派な施設で概要がとうなっているなど全く関心も示していなかった。
10時から始まったサークルも12時には終了してしまう、今日の生徒の出来栄えは散々だったと思っている、やっと少し覚えたかと思うと次のダンス種目に変ってしまい、途端に今ならっていたステップがサーーと消えてしまう事だった。
そんなわけでなかなか身につかないでいる出来の悪い生徒と思っている、あまり気にすると通えなくなるので、忘れたことを忘れようと努力し、至って平静を装っている。
何時に成ったら、恰好良く踊れるようになるのだろうと思うだけでもしんどい。

帰り際玄関に出たら、タイ料理のメニューの看板がありつられるように長い廊下を突き抜けると小奇麗なレストランがあった、昼時なのでメニューが並べてあるウインドーの前に数人並んでいた、よく見ると日本人でない人も混じっていた、タイ料理ランチ700円につられてはいって行ったが、メニューを見ると全部値段が安いのに気が付く、昼はいつも軽食なのでタイ料理を辞め値段が気に入ったカレー300円を頼んだ、全てセルフサービスになっていて頷けたが、雰囲気は一流並みだった、カレーの量は丁度良かったが少しシニアには塩分が効きすぎていると思った。

リフレサッポロは、市民の方々が気軽にご利用いただける札幌国際交流館と札幌市職員会館からなる多目的施設で、各種スポーツや麻雀・会合、カルチャー教室、水泳教室など健康づくりや交流の場になっている。
棟続きに札幌国際交流館があり、外国の方々と市民の方々が、スポーツや文化交流を通じて気軽にふれあい、国際交流を深めることをめざした施設だった。

施設の中に温水プールもあるのでそのうち利用しようと思っている。
国際交流の場らしく、飾り物も異国の雰囲気が漂っていた。
メニューウインドーの前で
300円カレー
異国人形01
異国人形02


今日のお供はラジオ

2012年02月12日 16時13分48秒 | ペタンク爺さんの一日
春の山菜や秋のきのこ採りには、殆ど一人で山に入るが人のほかに必ずお供が一緒についてくる、山の中での行動には最近は人も多いが、音だけでこちらに人が居ることを知らせるためのサインにしている、同じエリアに重ならない様に考えてのことだが、万一顔を合したからとしても危険なことはない、近頃は奥山から里山まで物騒な歓迎されない羆が頻繁に現れるようになった、特にその年の気象条件で木の実や主食としている植物が不作の年など、人間の住む近くの里山に出てくる。
昨年度は、その傾向がひどく街の中まで闊歩するようになった、こうなれば非常状態といってもいいが、そんな羆は親から離れたばかりの当歳とか二歳くらいの若くて人間の恐ろしさも知らない熊だ。

昨年は、数年ぶりに里山の入口で遭遇している、たまたま車に乗っていたので断然優位の立場にいたが、もし徒歩でいるときに遭遇すると、と思うと背筋が凍る思いをする。
そんな場面を作らないために、携帯ラジオが大きな熊よけになる、人間は熊が怖く会いたくないが、熊も人間には面と向かって会いたくないはずで、普通は人間の気配がすると熊の方から遭遇を避けると云われている、それを実践しているだけで、いつもラジオのボリームを大きくして、うろついているので寂しさも解消してくれる。

今日は、白旗山クロスカントリースキーコースへ、今年は一般開放しているコースが4,5Kに少し短くなったが相変わらずコースは綺麗に整備されていた、のんびり歩くと云っていいスキーなので小1時間はかかる、今日のクロカンスキーに携帯ラジオをお供に連れて行く、ラジオから高速道路の通行止めが報じられていた、札幌も時々小雪が舞い気温がマイナス6~7度ほどと、寒い白旗山コースだが、行事がない日曜日だったが駐車場には30台ほどの車が止まっていた。

久しぶりの白旗山コース、マイペースなので適当な運動になったと思っている、一回りしてくると12時を指していた、昼飯は暖かい更衣室に入り持って行ったおにぎりをほうばる。

折り返しあたり
ラジオがお供

月見湯と地方巡業

2012年02月11日 19時53分25秒 | ペタンク爺さんの一日
銭湯の月見湯が我が家の銭湯になってから久しい、かなり前からスパー銭湯の施設を整えて営業している、一時流行ったスパー銭湯と違うところは、今でも400円を切る入浴料で、我が家では11枚つづり4,000円を買って入っているので更に安くなっている、遡ると貴乃花、若乃花がまだ現役時代に札幌巡業で、昔の名前の共振会場を使っていた、その会場からは三丁ほど離れていたが力士が入るお風呂に、この地元の月見湯を使っていた、力士は午前中から夕方まで利用し、そのあと一般開放していたようにしていたと微かに覚えている。
月見湯の小さい女の子、そのころから力士と一緒に写真を撮っていたらしく、最近になりその写真を風呂場のフロアーに展示するようになった、今の所片づける様子はない、写真を見ると当に引退している力士の写真が何枚もあ。、この札幌場所では今でも現役らしい。
他の銭湯と全く違うところは、脱衣場に入る入口に横綱、大関と、三役以下の力士では入口が違っているのが奇妙に見えてくる。

この月見湯のフロアーは、この他に、ここの女の子も成長してきて彼女たちの発表の場として利用しているのか、別の告知板があり手書きの文章等も貼りだしている、少し考えさせられる言葉もあり、彼女たちの成長のあとも見えてくる。
もう小学高学年か中学生にはなっていないと思っている。

今日も、11時の一番のロープウエーに乗るつもりで藻岩に向かっていた、雪まつりのせいか、矢張り乗客が多かった、定時の15分間隔でなくその半分のタイムスケジュールで運転していた、第3ルートに入り一本滑り降りる、途中コースで落し物をしたので、直ぐ登ってゆく、同じコースを下りてきたが落し物は見つからず、そのうちひょっこり現れると諦めて帰ってくる。
今日も撮った動画を、ネットにアップし橇世界に貼り付ける。
ここでは今でも現役力士
横綱、大関専用
こちらは、三役以下
女の子の告知板か
らくがきのよう
覗いている人も

今日は豚丼の日でした

2012年02月10日 18時12分15秒 | ペタンク爺さんの一日
かなり前から十勝で誕生したと云われている、B級メニューと思われていた豚丼が頻繁にテレビでもお目にかかることが多くなっていた。
そんな噂を聞いて、豚肉を買って来て自分で作ったタレを絡めて食べてみたが、飛びつくほどの丼物にはほど遠いと思っていた。
最近になり2月10日を豚丼の日とこじつけるかのようにして、豚丼の宣伝を連日やっていた、豚肉の良しあしもあるが、普通売っている安い肉を材料に美味しく食べられるようになると庶民にとっては本当にありがたい、焼き肉全般に云えることだが美味しく食べる方法として垂れ次第でないかと思っている。
近頃良くテレビで宣伝している十勝豚丼のたれソラチで、十勝の帯広で広がりだした豚丼を作るには欠かせぬ商品になっている。

私も、簡単に洗脳されたように今日の豚丼の日に男の料理に取り掛かった、朝から寒い日だつた9時には自宅を出てきたえ~るに向かっていた、悪天候にもかかわらず結構朝から賑わっていた、2時間近くストレッチ中心に体をほぐす、帰りは近くの東光ストアーに向かい豚丼の材料を仕入れる、少し足を延ばし昼飯は更科のかけ蕎麦450円を食べる、小さおにぎりが付いていて量的にも安い蕎麦屋のトップグループと思っている。

帰りはバスで、いまだバスの乗り方が理解できず、行き先を少し間違え10丁ほど歩いて帰ることになる、いつになったらまともに乗れるようになるのかと思うのだが、これくらい大した問題ではないと思うことにしている。

夕食の豚丼は、極めて簡単に出来てしまった、これは料理とは云えないのではないかとおもう、味はタレにお任せなので何もやることは無い、食べてみると、もうこれは田舎の食堂で出している豚丼が完全に出来あがっていた。
料理した感じはないが、食べると美味しかった。・・・・・簡単簡単。

きたえ~るにある80年前の金メダル。南部忠平氏
本物です

豚丼のたれ
更科かけ蕎麦450円

ひとり舞台

2012年02月09日 16時14分53秒 | 橇爺(そりじい)モード
今日は朝から青空が空いっぱいに広がっていた、テレビの天気予報では一日曇り空で太陽は顔を出さないことになっていた、それに新聞の予報もテレビの予報と全く変わりない情報を掲載していた。
午後になっても晴天は続いているので、予報庁のデーターを皆が信用し報道しているのが良くわかる、独自の予報が出せないものかと思うこともあるが。
お蔭で、今日の藻岩山は気持ちが良かった、初めて入った第3ルートは今までのコースよりブッシュが少なく、橇すべりに一番適していると思った。
先日の暖気で雪が柔らかくなっていて、その後雪が降っていなかったので、少し滑りにくかったが春に近づくほど良くなると思っている。

藻岩山頂の展望台まで上がってゆくと、観光客とは離れた場所に登山者の為のたまり場が用意されていて、持って行ったおにぎりやコーヒー沸かしも出来る所があり、山遊びをやっているものには有り難い施設となっている。

昨年までは、山頂真下の展望台からも見えない所をスタート地点にしていたが、途中緩斜面が結構続く所があり、雪が柔らかい季節は難儀するコースで春に近づくほど雪が絞まり滑りやすくなるのだが、今時分は雪が柔らかいので少し急斜面が続く方が良いコースとなる、山頂ルートを外し中間駅からスキー場側に第2、第3とルートを開拓してきている。

今日の第3ルートには、ボーダーか滑った跡がついていた、多分女性のボーダーだと思うが今年はまだ顔を合わすことはない、彼女もいろいろとルート開拓をしているなと判ってきた。
立木が立ち並ぶ林の中、ブッシュがあちこちに顔を出している雪山を上手に滑り降りていると思っている、そお云う私も立木やブッシュを競技の関門のように通り抜ける醍醐味は、何とも痛快に感じている。

パノラマ写真を撮る

少しスピード感がないが、今日も編集し、YouTubeにアップし私のHP橇世界に載せる。
http://soridunka.skr.jp/


間もなくスタート

つきさっぷのシンボル的存在

2012年02月08日 14時54分51秒 | ペタンク爺さんの一日
雪景色の中に佇む石造りのサイロ、今も使われているのかどうか定かではないが、月寒の東2条通りを東に向かってゆくと、住宅が続いていたところから突然視界が開けてくる、一番先に目に飛び込んでくる風景は、北海道の代表的な木にもなっているポプラ並木が青空の下何処までも続くような風景に出くわす、夏はデントコーン畑が遠くまで続いていて、農業専門学校そのものの舞台になっている、道路の反対側にはこの学校のシンボル的存在の石造りの古いサイロが2本立っている、夏に収穫したデントコーンがいっぱい詰まっているのかと想像している、近くにヤマダ電機があり駐車場の裏側から出てくると、サイロの横に出てくる、空は青空、あまりの美しさに校内に立ち寄り雪の中のサイロと云うお題で写真を撮る。

私が誕生した1934年に、この学校も誕生していた、矢張り昭和9年に財団法人・八紘学院として始まっている、同じ年で簡単に78年も経過しているのが判る、戦前戦後を通り抜け昭和51年に現在の名称の学校法人・八紘学園・北海道農協専門学校になっている。

友人で、私の先輩もこの学校の卒業生だった、地方の町で活躍していた、今はいない。
道産子になりきっていた、しばし考えさせられ、オールドブラックジョーの心境になる。

お昼前、北沢ダンス教室に行ってくる、足かけ三ヶ月にもなるので通ってきている他の生徒さんたちとも顔なじみになり挨拶を交わす人も出来てきた。
ようやく、教室にも慣れ落ち着いて勉強が出来るようになった。
ただ、この教室ではブルース、ジルバ、マンボの初歩をいまだに続けている、そろそろ次の種目が出てくるかと楽しみにしているが、新しいことを詰め込むと今まで習っていたものが飛び出ていくのではないかと心配しきり。
雪景色とサイロ

また一人役目を終え

2012年02月07日 21時01分08秒 | ペタンク爺さんの一日
昨日から気温が上昇していた、朝から雪が降っていたが窓から覗く雪はボタボタで本州の日本海側で降る雪が降っていた、それでいて靴が埋まるほどの量でなく降った後から溶けているようだった、午後から2月最初のツインキャップの練習日になっていた、今日から札幌雪まつりか始まっているのですすき野付近や大通り付近を避けて西区のツインキャップに向かわなければならず、予定の時間になったので月寒を出た、22条橋を目指し伏見、円山、市場付近のルートを選択して走った、通行量は心配した停滞もなく目的地に着いた時間は、予定より5分くらい遅れていたが早く着いた方と思っていた。
藤野の斉藤氏も来ていて、もうみんなの中に混ざって試合を開始していた、1時間ほど同乗して行った我がチームメートの特別個人レッスンをやる、ここの所試合にすぐ入っているので私を始めみんなの練習が出来ないでいたが、今日は普段の練習課題を出来たので、今後の試合に役立つこととなった。
スタートが遅かったので、今日の練習試合の終わったのが午後4時30分を過ぎていた、此れは少し時間超過したと一瞬、大事なことを思いだしていた。

昨日から、東京にいる次男坊から川端栄作さんの奥さんが亡くなり、今夜自宅近くのお寺でお通夜が午後6時からあると知らされていた、無論顔を出すことにしていたので、出てくるときに全部着替えの用意はしておいたが、それにしても少しペタンク練習試合が長引いたことに気が付くのが遅かったと思った。
西区八軒のツインキャップから月寒11丁目の自宅まで、すっかり日が落ちた暗がりの中来た時と同じルートで飛んで帰る、顔も洗わず着替えをしてトンボ返りの様に伏見あるお寺に駆け付ける、久しぶりにプロドランバーの片りんを披露した。
お寺に着いた時間は、きっぱり午後6時だった。・・・・やれやれ

川端さんはと云っても、あまり知られていないがダンヒル娘の川端恵美の母親で、彼女が小学生の頃父親と来て藻岩レーシングクラブに入会した時が、川端家とのお付き合いになる、我が女房も良く小さな恵美ちゃんを可愛がっていた、そんな時代から成長してゆく彼女をすぐそばで見てきたことは、懐かしく昨日の様に思い出せる。

今日、久しぶりに彼女を見る子供を抱えた姿は母親そのものだった。
藻岩レーシングクラブのヘットコーチだった原田氏、それにコーチの牧原氏と三人久しぶりに遭遇する、原田氏はもう定年近いとの話に、時の流れを感じる。一緒に写真を撮る

室内は汗ばむくらい

越後屋衣料品店が始まりだった

2012年02月06日 15時02分48秒 | ペタンク爺さんの一日
私の職歴のスタートは、20歳なったばかりに自宅の一部を使って衣料品店を開業した時に始まる、その2年前高卒後南小樽の繊維問屋の丁稚で入り二年もしないで倒産してしまった、修行途中で実家に帰ってきていた、実家に出入りしていた衣料品を背負って個人の家々をあるいていた、商人に商売の手ほどきなども伝授してもらっていた。
昭和30年前後は糸偏景気で、衣料品さえ仕入れてくれば面白いほど売れる時代だった、最初の仕入れ先は大阪のセリ場がスタートとなった、問屋を通らない衣料品が持ち込まれ現金勝負で売買されていたので、特別良い品は別として殆ど安く買うことが出来た。
それを北海道の場末の町の個人商店で、現金売りを看板に衣料品の安売りから始まっていた、まだ物さえあれば売れる時代で、面白い商売が出来ていた。
それが、4年ほどして女房を持つことになる、その衣料品店は5年過ぎたあたりで倒産する憂き目にあう、事業自得と今でも苦い思い出として記憶に残っている。

そんなこともあって、片田舎から札幌に出てくることになる、親父の七転び八起きを見てきているので、簡単にくじけることは無かったが、札幌の円山地区に拠点が移り、次男がこの地で生まれ高校卒業頃まで円山が故郷となって行った。
円山時代は、女房に釣具店を任せタクシードライバーとして、つばめ自動車に籍を置いていた、充実した青年、壮年期を過ごしたと思っている。

今は、自分だけの始末だけが残り女房と同じ終の棲家で時を刻んでいる。
ネット環境にいて、新しい情報が連日のように目に入ってくる、テレビのカンブリア宮殿を良く見ているが、村上龍編集長のセイコーマート赤尾昭彦の、商魂を垣間見た素晴らしい信念で企業のトップについている姿は、道産子ナンバーワンと思った。
昼飯にかつ丼500円を買ってきたが、一度に食べきれず半分夕食に残す。
今日のダンスサークルは、会場が変わった、兎に角行政の箱モノは立派だ。

橇滑りの動画撮りに使う、カメラセット具自分から見える風景は撮れていたが、自分が写らないので考えた末に、協力者の頭にカメラをセットし、直ぐ後を私がついてゆけば迫力一杯の動画撮りが出来ると確信し、今日ヘルメットに細工する、仮末代と思うが。

かつ丼500円
前方撮影
後方撮影


今日は国際スキーマラソン開催日だった

2012年02月05日 16時40分06秒 | ペタンク爺さんの一日
久しぶりの暖かい日曜日だった、数日前から友人の本間氏に白旗山札幌台へ第2回目になる橇滑りに誘っていた。
前もって、太陽が出て暖かい日となるとこの日曜日しかなかった、朝9時には迎えに出向いていた、途中ファミリーストアーでカップラーメンを買い込む、雪山では最初からお湯を沸かすとなると時間が掛かるし準備も大変と今回はポットにお湯を入れて持参する。
それだけで、この日のお昼が非常に楽しみになっていた、白旗山のバックカントリーの専用ともなっている駐車場はまだだれも来ていなかった、二人で準備をし早々と札幌台を目指した、行くときは気が付かなかったが朝早くからコースは綺麗に整備されていた、・・・・・今日競技会があるとすぐ判ったが、札幌スキーマラソンの開催日でったと云うことは、同じ所まで帰ってくるときにようやく気が付いた。
コースを横切り、札幌台方面に入ったがスキーの帰りのコースが無いのに不思議な思いでいたが、そこでも片道でいい今日のスキーマラソンの事は気が付かないでそり遊びに興じていた。
昨夜から雪が降らないでいたので、登山路も固く踏み固められ橇すべりにはもうコースが出来あがっていた、それでも所々壊れている路線を直しながら登り詰める。
最初の考えでは、札幌台山頂まで行くつもりでいたが、この辺から橇のコースとして最適なカンジキルートの最奥部まで行くと、今日は此処で良しと都合よく決めてしまい、そこが今日のスタート地になってしまった。
一人づつ交代で動画撮りを始める、二本づつ撮ったあたりで11時中ほどになり区切り良く昼飯と決めてしまう、山の中腹にある東家に入り込み買い込んで行ったカップラーメンをセットした、何時もと違い暖かい日差しも差し込んでいたが、ラーメンの味は暖かく格別なものであった。
昼からは、撮影カット2本撮ったが最後のロングカットが、カメラがアップになっているのが気が付かづ失敗撮影になってしまった、失敗は成功の元と諦めるしかなかった。
体力を使い果たし、帰路に朝通ったスキーコースにゼッケンを付けた選手が間隔をあけて通り過ぎていた、そこで今日は札幌国際スキーマラソンの開催日だったと思い出した、確か朝9時には札幌ドーム前をスタートしているはず、今はもう午後1時近いこの辺はまだ30キロ地点あと20キロも走らなければならないはず、制限時間7時間と思うが時間までにゴール出来るのかと後からおもい出した。

今日の動画も何とか纏め、You Tubeにアップし、橇世界に貼り付ける。

今日の撮影は終わりました

一週間の出来事

2012年02月04日 16時43分25秒 | ペタンク爺さんの一日
本格的に真冬の季節になってから、今の所必然的に日程が決められて週刊サイクルで動き出している、外部からの行事が優先されて入り込んでくると云えば、今の所自冶会の年間行事が季節により出で来ることと、ときたま偕老会の行事に参加する時くらいで、自分で使える自由な時間を持っている。
今は、妹と同居しているがお互いに個人的な束縛や行動は各自自由だ、同居し始めた頃からペタンクを始めてもらって、昔の女房の代役をやってもらっている、お蔭で長年やってきたペタンクにも一緒に出歩くことが出来非常に幸せを感じている。
多趣味な私には、そのほかやることが多く、あとは一人でやっているのが現状で、雪の中の遊びのバックカントリーや橇すべり、始まって間もない社交ダンス、体作りのウエートトレーニング、が冬の間の一週間になっている。
今年の秋からは、カーリングが仲間入りしてくると思う、その準備として週何回かはきたえ~るに通いストレッチと右腕だけ筋力トレをやっている、ペタンクのボール投げにもプラスになると始まったばかりだが、いきなり20キロでは重い、今の所10キロを振ることにしている。
ストレッチが中心だが、ランニングマシンで斜度6~15まで段階的に上げて30分間3~4kで歩く、バランストレーニングと大汗をかくことはない、ゆっくりと1時間30分ほどだが、終わった後は快い気持ちになっている。

真冬のきたえ~るは、同年代のシニア組も結構来ているのが判る、しかし昨年よく見かけた人の顔が見えないと、体力の限界が来てしまったのかと少し複雑になる。
春四月ころになると、山菜取りの山歩きが加わってくるので、この日程は冬の間の期間に限られると思う。・・・・・春よ来い~~は~やく来い。

近頃の一週間の行事

月曜・ダンスサークル
火曜・ペタンク室内練習会
水曜・ダンス教室
木曜・橇滑り
金曜・橇滑り
土曜・ウエートトレーニング
日曜・自由日
(橇滑りは天候により曜日が変わることもある)

レストランの宣伝


真冬の散歩道

2012年02月03日 16時44分56秒 | ペタンク爺さんの一日
朝から気合が入ってた、全く全部が一人と云うわけでないが昨日から予定していた節分の恵方巻きならぬ代物作りに取り掛かった、お米二合を炊飯器で炊き上げる、勝手に出来てしまうのでその間に中に入れる具の下ごしらえ、たまご、かんぴょう、きうりの粕漬け、かにもどき、でんぶ、を適当な大きさに切って用意する。

女房のまだ元気なうちに、直伝で受け継いだと思っている、酢飯を作り巻き始めたが中に入れるものが二種ほど足りなかったが、今日はこれで良しとした、全部出来ているものを用意しているので、最後の巻の部分だけか手作りになる、過去にものり巻きは我が家の自家製は評判は良かったと思っている、そんな流れの寿司作りだったが、酢飯を使う押しずしも良く作っていた、旅行などに行くときには酢飯で持ちがいいのと冷たくても美味しく食べられる利点があったと思う。
久しぶりに作ったのり巻きは、2合のお米で2本しか出来なかったので結構太いのり巻きになった、切らずに食べるわけにもゆかず、一口大にカットする、出来立てをお昼に残りは夕食となった。
のり巻きの具の材料、見当もつかず買いすぎてしまった、二、三日したらまた作ることにした。

全国的に、雪の被害化出ている札幌も昨夜から10センチにも満たない雪が積もっていた、昼ご飯を食べた後腹ごなしに八紘学園の校内を散歩しようと、スキーを持って歩いて出かける、玄関を出て3、4丁で学校のポプラ並木路に着いてしまう、時々写真を撮りながら誰も歩いていない畑の中をうろつく、真冬の校内では滅多に人に会うことは無いが、私と同じようにスキーで散歩する人に遭遇する、今までもスキーの跡は目にしていたがお遭いするのは初めてだった。

挨拶を交わす。
此処まで誰にも会わなかったが
のり巻きつくり始める
巻き終える
完成品


藻岩お尻滑り第3段

2012年02月02日 17時51分07秒 | ペタンク爺さんの一日
今日の天気予報は曇りとぎ時雪の予報が出ていたが、朝から青空が広がっていた、これは行けると早めのお昼を食べて藻岩に向かう。
今日の目的は、三脚を使いカメラをセットして撮影しようと思っていた、なにせ独り舞台なので一人で最低三役をこなさなければならず、労力と時間がかかる撮影になる、11時45分のロープウエーに乗る、雪まつりが近づいてきたせいか、はや観光客らしい人達が上がって来ていた、ロープウエーを下りてから今年は外には一歩も出ないでレールの上に載って上がってゆくモーリス号が待ち構えている、そんな乗り物で物足りない人たちは昨年まで使っていた雪上を走るモーリス号や、何人も乗れるオープン橇で山頂まで連れて行ってくれる、滅多に藻岩山まで来ない人達には堪らないお出迎えと思う。

このところ、私は山頂まで上がらなくなっている、中腹駅を出て少し低くなるが新しく開拓したスタート地点に向かう、撮影も独り舞台なのでワンカット撮るにも時間がかかった、最初の頃は太陽が明るく射していて撮影日和だったが撮影は時間がかかる数カット撮った時点で吹雪いてくる。

やむなく、途中で撮影は中止となる、今日も編集し、YouTubeにアップし私のHP橇世界に載せる。
http://soridunka.skr.jp/

夕食前、明日は節分豆まきの日、豆はもう神棚にお供えしている、後は太巻き作りの材料をと頻りと雪が降り続く中、近くのスパーに買い物に出向く、メモをしていったものを全部揃えレジの前まで来て財布を忘れたことに気が付く、咄嗟に銀行のATMがあると気が付きカードでお金を引出、何とか買い物を済ませることが出来た、妹には話さずに置く。
明日は、男の料理で太太のり巻きを作ることにしている。
結構材料代もかかる、出来たものの方がと思うが作る楽しみは別物だ。

今日から二月

2012年02月01日 18時18分47秒 | ペタンク爺さんの一日
沖縄から桜の便りが届く季節になった、ただ冬本番はまだこれから襲ってくるのか、今年の雪事情は近年にない様相も見せている、例年札幌の街の上空には大雪を降らせる雲は避けるがごとく過ぎてきている、北西方面からやってくる気圧の谷が小樽から手稲山にかけて一度ぶっかる、ここらで持ってきた雪を落としてしまう、一旦平野に出てしまうと雲が消えてしまう事が多い、手稲山の影になり大雪から免れていると思う。
札幌をかすめた雪雲は、石狩辺りから江別方面に向かう、これが何時ものパターンだったが、今年は少し違っていた、ほんの少しの違いだが江別の先の岩見沢が今年の被害地になってしまった、例年は札幌と同じくらいの積雪量しか思ってもいなかった。

今日のニュースにも出た、新篠津が大雪の被害が深刻だということが判った、岩見沢への通り道にある町の悲劇と思っている。
今日から2月に入った、この月は冬空ながら比較的に安定した日が続くはず、札幌オリンピックもこの月に開催している、札幌雪まつりも今週末から12日までの期間で開催される、賑やかな札幌になると、何もしない私でも心躍る。・・・・・今年も雪像見物はテレビで済ませると思っている。

11時から、北沢ダンス教室のレッスンがあった、終わってから階下のまほろばで玄米のおぼろづき2キロを買い精米にしてもらう、ついでに有機栽培の落花生を買う有機JAS認定と書いてあり、ただ値段が小袋だったが130円に少し安すぎと思ったが、見た目で買って帰ってきた。
無論、豆まきに使うので気にもしていなかったが後で生産地を見ると中国産になっていた、低価額の訳が分かったがJASが外国の農産物でも認定する仕組みに、少し違和感を覚えたが、此れも国際的にみると世界の流れになっているのかと考えさせられた。

お昼は、399円の信州そばだった、二三日前から出していたナラタケ水炊きを使い「ならたけソテー」を作る、おなじナラタケの塩漬けの戻したもので味噌汁、キノコ二種が夕食を賑わす、その他フキとニシンの煮物、ニシンの糠漬けが夕食でした。

399円そば
ならたけソテー