「伊勢志摩、岐阜の養老天命反転地の旅」
ゴールデンウイーク旅行のお話をします。
決意して参りました。
一日目は英虞湾に面した賢島に向かいました。
有名な志摩国際観光ホテルで軽いランチをいただきました。
ここは、伊勢えびのフルコースがあまりに有名ですが、
これは老後の楽しみにとっておきます。
ホテルのメインダイニングからは、英虞湾の静かな入り江が正面に見え、ムーミン谷の湖にある小屋のようなものがぽつんとあって、桟橋があります。
藍色の海と、薄青色の空はどこまでも明るく、風が強いので、海面には白いさざ波が、きらきらとガラスの破片をまき散らしたかのように紺碧の中に広がっては消え、広がっては消えていきました。
入り江の廻りを新緑が生き生きと囲んでいて、箱庭の池のような印象があります。
海の真ん中には真珠の養殖のための長方形の網型の木々が幾つか
浮かんでいました。
そして、空にはとんびがゆったりと羽を広げて飛んでいました。
ここのホテルのお料理はやはりおいしい・・・・・。
高くても納得するでしょう。
その後、英虞湾遊覧は風が強かったけれど、甲板に立って、四方の海を眺めていますと、日本はきれいな静かなところだな、とほんとうに思いました。
その晩は宝生苑というところに宿泊しました。
ここの露天風呂からの眺めは最高に気持ちいいものです。
英虞湾が見渡せて、潮風が吹き抜けます。
夜入ったら、お月見も出来たかも知れません。
家風呂も大きく、ゆったりとした作りです。
わたしは、日もまだ高い頃入ったので、景色を見晴らしながら岩に腰掛けてぼんやりしていました。
夜は宝生の鼻の湧き水のちろちろ流れる音だけが部屋の中まで聞こえました。
夜は日が暮れ始めて、月が昇っていくまでは、部屋の窓から松島のような小島と海と遊覧船のイルミネーションと真珠養殖のための長方形の木組みが、日本の静かなひっそりとした海辺の見事な景観を見せてくれました。
やがて夜の帳が降りると、月明かりが皓々と闇夜を照らし出しましたが、こんなに月が明るいとは驚きました。
しばらくの間は、夜は薄墨色に薄明るい状態でした。
まるで、王朝絵巻の源氏物語の須磨・明石の浜の描写の一場面のようです。
ここにいたら、日本画家になれることでしょう。
部屋には「傾国傾城漢武帝・・・」とあり、書が大きく「為雲為雨」と書かれてありました。
伊勢スペイン村は借景のせいもあって、結構雰囲気も落ち着いて楽しいテーマパークでした。
この隣の写真は、乗り物か ら撮影したもので、非常に遠くまで見晴らせて迫力がありました。
スペインの町並みに似せて造られた建築物で、家々の壁とかは白壁だったり、小綺麗に花々や色とりどりのお花が飾られて、ちょっとした異国にいる気分になって家族で楽しめます。
パレードが華やかで、ディズニーランドのように楽しく 風景を生かした開放感がたまらない魅力でした。青空の下、なんて自由だって!って叫びたくなるようなわくわく感でした。
ランチにソーセージなどを食べたり、アドベンチャーワールドのようになった城で、ちょっと一息、大滝詠一の歌のようにアイスティーを飲んで、休暇を満喫し、ここがほんとうにスペインだったりいいなあと思って、ほんとうのスペインをぼんやり回想しました。
日本では、模擬店のようなものだとわかっていても、楽しめました。
鳥羽は、お決まりのコースで、御木本とか水族館を見学しまし た。
海女さんが海にもぐる実演をしてくれていました。真珠って、たまらなく魅力的ですが、いいものはなかなか手が出ません。ため息が出てしまいました。
巨大な水族館では、北海道に生息するクリオネを生まれて初めて拝見できて満足でした。
移動して、高台の鳥羽国際観光ホテルのラウンジから紅茶をいただき、海を一望し、その風光明媚な有様に目を細めました。
わたしは、潮路亭の方に宿泊して温泉に浸かりましたが。
ヤマハリゾートグループは今赤字で経営建て直しを検討すると、日経のその日の記事にありまして、皮肉なことに宿泊している所なので、関心を持ちまし た。
さて、伊勢神宮は荘厳な感じですが、やはり観光バスも来るほどですから、開けすぎで、昔を想定する のはイマジネーションが大事です。
おかげ横町など、町興しの模範になったところは、時間の関係で、ざっと通っただけですが、おもしろそうでしたよ。
神宮徴古館や神宮美術館にその後向かいました。
農業資料館では、稲と養蚕など、日本独自の大切な農業の存在を確認しました。
養蚕は、蚕一万匹で女性一生分の晴れ着ができると言わ れます。
現代人よりも豪奢な気がします、資産家は。
ただ、あとで人から聞いたところによると、真相は、
「さすがにそんなには持たないでしょうね。
蚕は1つ3g程度で、糸の長さは1500m弱ぐらいです。
一反の着物を作るには2500~3000匹程度の蚕が必要なので、1万匹では3~4着分しか作れませんね。
でも、晴れ着ならそれぐらいで十分かも。」
と言われて納得しました。
神宮美術館は、建築家が有名な片山東熊(迎賓館の設計者)です。
神宮徴古館では、一般見学の許されていない内宮の模型を見ました。
今の内宮は平成5年建築で二十年で遷宮します。建築物の価値は実際拝見していないので、見ていないわたしは、あれこれ言えません。わかりません。ただ、建築技術は継承されているのでしょう。
斎宮博物館は時間の都合で行けませんでした。
残念です。
以前横浜市立博物館の「斎宮展」で少し勉強したので、 まま仕方ないとあきらめました。
お伊勢参りは、日本の心とは何かと考えました。
外宮の警備官の黒い制服と居ずまいの良さを見ると、国家に対する姿勢が窺われ、明治時代にいるような錯覚にもなりました。
もともと、内宮の天照大神のお食事を奉納するため、他国から招かれて外宮の豊受大神はご奉仕しています。
昨年5月は、諏訪大社へ御柱祭りの時期に行ったので、上社下 社の由来など、さまざま訪れると、日本の伝統や風習が学べて楽しいものです。
伊勢神宮は、ずっと奥までは一般の人は入れませんが、神宮の付近を流れる川の水のすがすがしいほど清らかさには心打たれました。
その後、名古屋に出て宿泊し、次の日は岐阜にある養老天命反転地という公園に行きました。
現代アーティスト荒川修作と詩人マドリン・ギンズとの構想による公園です。
後ろに山々をひかえて、お椀のように公園は窪んでいます。
そこに日本列島を象ったアルミ板や仕掛けのある小さな建物がぽつんぽつんと建っていたり、現代美術作品が点在して一種奇妙な風景が出現しているのです。
この作品全体(公園で歩けますが)が地球を象った天地なのです。
この日は晴天でしたから、公園の廻りを一周すると、景観が壮観でした。
その後、駒野という駅から行基寺という松平家の菩提寺にも なっていた、別名隠れ城ともお月見寺とも言われる寺を拝観しました。
元は、僧の行基(東大寺建設に参加した奈良時代の僧)がここに、夢のお告げで「寿の水」という病に効く湧き水があると言われて、ここに守護霊場を創設したのが始まりです。
ここの湧き水もいただいてきました。
寺の庭園が見事で、四方の山々と美濃・紀伊・尾張の三国が見晴らせます。
その日は春霞のせいで、うすぼんやりと名古屋のツインタワーの 白いビルが光って見えたものの、冬の時には知多渥美半島の山々まで見えると大黒(僧侶の妻)さんがおっしゃっていましたけれど、今回は見えませんでした。
いわゆる回廊式借景庭園ですが、庭のつつじや緑に加えて、いくつもの飛び石が配置され、遠方の大平野を遙かに見下ろすことを思うと、近郷の人が言ったという「西山の極楽」というような錯覚。
掛け軸の菩薩絵の傍に濃いピンクの牡丹の大輪の花が、一輪艶然と咲き誇っていました。
緑の中庭には、小さな滝が流れていました。
そして、静寂の中に、襖に描かれた大きな葵のご紋だけがにぎにぎしい感じを受けました。
ここから、山崎という無人駅までの3キロの道すがら、「杖つき坂」という、日本書紀でヤマトタケルの尊が最期のほうで、杖をついて登ったほど当時は急坂だったという碑のあるところを通りました。
やがて、この場から少し行ったところから、ヤマトタケルの尊が白鳥になった伝説が有名ですね。
右の写真がその碑です。
さて、わたしの旅のお話は、だいたいこんなところで、終わりたいと思います。
なるわけですねぇ~~♪
写真も洒落ているし、レイアウトもそう。
Blog人て、こんな芸当も出来るんだ!!!
おつか。・。・。
伊勢志摩には何度か足を運びました。
その都度行くのが伊勢神宮です。
6回ぐらいお参りしたのかな?
でも、最後にお参りしてから10年ぐらい経つのでそろそろ行きたくなってます。
紀行文読んでるとますます行きたくなってしまいました^^