東京で、一番楽しみだったのが、参拝をしてここを訪問することだった。
万葉集時代は、アヤメグサと言われて歌にも詠まれていたようで、ハナアヤメとも古代言われていた。
菖蒲は、サトイモ科で葉の形と姿が似ているので混同されやすいが、花は咲かない。
似ているもので、花が咲くものをアヤメ科ノハナショウブと呼び、「花は佳人のかんばせのごとく、葉は壮士の剣のごとし」と言われた。
杜若が、沼地に自生するのに対し、花菖蒲は山間部・湿地帯に生息することがある。
明治神宮の沼地に生えているのは、見た目の様子が綺麗に見えるようにという配慮かららしい。
杜若は東日本に、花菖蒲とともに自生していたが、西日本の文化圏でも自生していたこともあり、江戸時代までは観賞用としてこちらにスポットが当たった。
さて、明治神宮は清正の井戸がたいへんな人気で、以前のように気楽に近づけず、花菖蒲園だけ、私は鑑賞した。
以前は、清正の井戸はひっそりしていて、あめんぼがすいすい泳ぎ、静かな憩いの地であった。
以前、この明治神宮で龍笛を練習なさっていた方がいたので、こちらへお招きし、こんこんとわき出ている清水は、虫が泳いでいるからほんとうに安全ですよとお話して、その風流な方はにっこり微笑んでくださったものだった。
それからしばらくして行くと、もう清水は沸いていないで、あめんぼの姿も見かけなくなった。
そして、清正ブームがやってきて、わたしは今どうなっているか全く知らない。
花菖蒲は、江戸時代1600年中期以降から栽培されて鑑賞用として普及されるようになるが、旗本の松平左金吾定朝という人物が、花の育成・改良に身命を賭けたと言われる。
これを「江戸ショウブ」と呼ぶ。
また、肥後藩細川斉護がこの花の素晴らしさに魅せられて、松平菖翁に分譲を頼み、門外不出のものとして栽培した。
一方、伊勢地方では、江戸とは別に、紀州藩士吉井定次郎という人が、改良に情熱を傾けた。
以上を持ち、「江戸系は粋な若衆、肥後系は格式ある大名、伊勢系は深窓の姫君」とその特性を表現している。
(参考:麓 次郎 「四季の花事典」)
右は、よく日本画で描かれる杜若に似た、花菖蒲だなと思った色合いである。
花菖蒲は色の種類も多く、非常に見ていてた楽しかった。
昔は「杜若」(燕子花とも書いた)や「アヤメ」を古来鑑賞するのが常だったが、江戸時代くらいから「尚武」に通じるせいか、「花菖蒲」が鑑賞用として人気が高まった。
右は、「十二単」という名前の花菖蒲。
現在、明治文化館で襲の色目で十二単の陳列が披露され、日本の美意識を確認できる。
まっ白の十二単を「桜」というらしく、非常に珍しく着物を拝見した。
日本の着物には、色合いや柄に季節感があふれて、品が良かった。
花菖蒲は、群生している姿が一段と綺麗で、媚びるようなところがないところが男気があるような気がする。
最近は、女性も強いと言われるが、しなをつくるところがないので、どちらかというと、「かわいい」と言うより「気品」があって、素晴らしいと思う。
アヤメは、昔「漢女」という字をあてたという説もあったが、邪気を払うのに、使用したということより、向こうの文化が入ったせいかも知れないが、花菖蒲の改良は近年は西洋でもあるが、やはり日本が最新国であった。
私は、薔薇を愛でるのも好きだが、季節感あふれる凛とした花菖蒲をこうして見られたのも、非常に嬉しく、手入れをなさっている方々を思うと、管理費に500円かかってもしかたないと思う。
外国人でお庭に行こうか悩んでいたカップルがいたので、私がデジカメを見せて、「とても綺麗な、素敵なお庭ですよ」と勧めたら、「そうですね」と微笑んで入園なさってくださった。
薔薇も、蘭も素敵だが、花菖蒲なども、ほんとうに美しいと思う。
高貴な紫が目を引き、ここに在原業平が八つ橋をわたる姿が見られたら、さぞ風流なことだろう。
宗教施設だから、撮影は難しいかも知れないが、ここで素敵な物語(ドラマ)が作れそうな気がしたし、ロケ地としても最高であるが、謹んでおこう。
今年かな、「源氏物語」が映画化されているらしいので、今度は「伊勢物語」をドラマ化してほしい。
明治神宮でおみくじを引くと、「神に恥じなければ、誠の道をお進みなさい」というようなことが書かれてあった。
私の一番具合の悪い時に、母と参拝したことを思い出し、「今は元気に生きております。ありがとうございます」と参拝した。
明治天皇は、国家の父して君臨なさっていたようである。
弱い者には励ましのお言葉、強き者には自制を促しているお歌が多い。
昔は、端午の節句の時に、武士の家では軒下に花菖蒲の花を飾っったものであったが、明治に入るとすっかり見かけなくなったと一葉女史も嘆いていたが、杜若の植物染料から採取した紫の着物を着るのが、男子にとって晴れ姿であったという時代があった。
りりしい男子、可憐な乙女、もう死語かも知れないが、そういうものに憧れる。芯は強いが、見た目は優しい。そういう人に心惹かれるものがある。