以前、三越デパートで竹下夢二の絵を拝見して、ふと 梅の美しく咲いている場所へ行きたくなる。
今年は、府中の郷土の森の博物館へ伺った。
今日はあいにく雨であるが、こんな歌があった。
「雨中梅」
梅壺のうちにたまれる にほひこそ 雲井の雫なりけり (香川景樹)
園内は、3月上旬見頃であった。
綺麗に整備された先に、古い建築物があり、雛人形の陳列もあった。
母と以前一度伺った時、そこの雛人形は亡き祖母の古い戦前の家にあったお雛様に非常に似ていたらしく、祖母が大事にしていたお人形にもそっくりだった。
お人形は私も幼い頃知っている。
祖母の家は昔はそう悪い暮らしではなく、大きな雛人形があった。
この写真のような感じである。
小さなミニチュアの調度が懐かしいと母は述べた。
祖母は、桜は王子の桜をお友達と見に行ったと言う。
樋口一葉さんの時代からあの場所は今とは格段の差で見事だったと言う。
戦前の話である。
晩年だから、詳しいことはよくわからない。
もう亡くなってしまった。永遠に謎である。
私は祖母に甘やかされもしなかったが、死ぬ間際まで話し相手になるように少し通った。
祖母は子どもの頃に教会へも顔を出していて、私に「おまえはクリスチャンかい?」と聴く。「いいえ」と言うと、「私はお墓があるから、仏教徒のままだった」と言う。
私も家族に墓を守れと言われている。そこで、そのままになっている。
今度、石川五右衛門の歌舞伎を見に行くが、実に楽しみである。
五右衛門風呂に入っていた身としては、懐かしい演目である。
昔も拝見したことがあったが、ストーリーは忘れている。
郷土の森の博物館には伊達正宗が朝鮮出兵の 際に持ち帰った朝鮮ウメがある。
まだ小さい樹木であるが、非常に愛らしく気品がある。
どちらかと言うと、桜に似ているような趣であった。
薄いピンク色で、可憐な乙女を思わせる。
韓国の礼儀正しい青年は、実に優秀である。
乱暴な人もいるが、作法を心得ている方は日本語も美しく話して優しい。
女性も美しい方が割と多い。
楚々とした感じの美人がいいなあと思う。
下手ながら・・・
やわらかき梅の蕾の愛らしさ美空に映える花の色
頬染めし仙女の袖の香のごとく楚々と枝はる梅に魅せらる
雪払ひ咲きほころびて乙女顔梅の香と色に佇む
花を愛でる人は詩人になれるかも知れない。
恋愛感情に似ていて、ときめきがある。
恋人と二人幽玄な梅の中を歩いてみたい。
もう恋愛感情などないが、それでも傍に素敵な人がいたら、きっと抒情漂って素晴らしいことだろう。
豊後、唐紅、千鳥、思いのまま、月影、白加賀など、実に様々な梅の種類があって、どれも花弁の様子や色具合が違って、枝垂れ梅も見事であった。
通りすがりの人が「ああ、綺麗」と声を上げていた。
静かに歩むと、桜の花びらのように少しはらはら散っていて、それもなんとも言えず、風情があった。
白梅と紅梅が重なると、次の歌のようになる。
たをやめがかさぬる袖と見るばかり色わく梅のなつかしき哉 (村田春美)
白梅
梅の花あさしとや見む白砂もこぞめもなべてあはれと思はば(加藤千蔭)
紅梅
さ蕨のもえいづる野べの梅の花こがるばかりに咲きにけるかな (加藤千蔭)
加藤千蔭は、樋口一葉氏の書の手本になった方で、絵もこよなく愛して描いた。
稀に千蔭流の書を拝見する。
先日、東京国立博物館で有栖川宮幟仁親王(國學院大學の創設に関係がある)の書が陳列されていたが、この有栖川宮流を継承されているのは秋篠宮殿下である。
どちも割と癖のないお綺麗な書法で、判読しやすい字体であると思う。
さて、庭園内は静かで人もそう多くはなく、天気は今ひとつだったが、どことなく物寂しい雰囲気が
現世と違う世界に彷徨っているようで、ひとり楽しむ。
私のような凡人でさえ、なんだか穏やかな気分になり、優雅な雰囲気に呑まれていた。
そこで下手でも一首・・・
梅は中国のものばかり思案していたけれども、当然とは言え、朝鮮半島にも梅の花が咲きほころんでいると思うと、どんな感じが拝見したくなった。
しかし、農村に行くと、まだ反日感情が残っていて危ないと言うことであった。
朝鮮半島の人々は白衣をひらひらとさせて舞う民族、歌を愛し、歌の上手な民族であると宮城道雄氏は著作で述べていた。
我が身を振り返って・・・三首
この世には省みられず淋しくもかすかに匂ふ梅に癒さる
ただ独り逍遙する梅苑の人を分かたず迎える花よ
今、幕末動乱期をテレビ放映している。坂本龍馬は大人気だが、六本木で幕末の志士で誰が一番イケメンかというアンケートコーナーがあり、黙って眺めていたら、圧倒的に人気があったのは龍馬と土方歳三であった。対照的な二人である。
興味深く拝見した。
私は、どう生きていいか迷うことはあるが、梅も桜もある意味で品があって、芯がしっかりしている。
見習いたいと思う。
頑固ではいけないが、できるだけ素直に裏切りのない生き方をしたい。
独り歩く梅苑の小径。
ここでいかに生きるかと思案し、桜の咲く頃、いかに死ぬか、思案しよう。自殺するのではなく、最後までどう生きていくか、死ぬ時の覚悟を思案するのである。華々しい生き方でなくてもいい。
ひっそり生きて行こう。